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書名: 『大和民族はユダヤ人だった――出エジプトから日本への道――

書誌:
原 題 THE JAPANESE AND THE TEN LOST TRIBES OF ISLAEL (c)1980
著 者 ヨセフ・アイデルバーグ
訳 者 中川 一夫
発行者 瓜谷 侑広
発行所 株式会社 たま出版(昭和59年12月20日初版発行:14刷発行 平成4年3月15日)
    〒162 東京都新宿区納戸町10  電話:03-3260-4367
    出版社URL:http://tamabook.com/SPNE/shop.cgi?iframe=./shop_html/home.shtml&height=700
私評:
 十年ほど前に読んだ本だったが、最近なぜかまた本棚から取り出して見る気になった。
 それまで「日ユ同祖論」という文字を見かけたことがあるような気もするのだが、具体的な意味など考えたこともなかった。なぜこの本を買う気になったのかも、今となってはよく思い出せない。
 少なくとも『大和民族はユダヤ人だった』というタイトルを知っていて買ったのだから、それなりの予断もあっただろうに、内容を読んだときはまるで不意をつかれたように驚いた。
 多分、この本の内容が、自分が想像していた(邪馬台国論のような)古代史を推測する思考の積み重ねといった類の本ではまったくなかったからだろう。
 しかしこの著者のアイデルバーグさんという方には、好感を抱いた。
 とにかく、この本は信用ができると思った。
 「日ユ同祖論」そのものに詳しくないので、この本が「日ユ同祖論」そのものの端緒となった最初期の本なのかどうかは知らない。
 ただ、この本がまったくオリジナルな情報源であることは、この本の前書き風の[日本語版へのことば]を一読すればわかる。
 「一九六三年、日本を訪れようとして私は日本語の勉強をはじめた。勉強しているうちに、あまりにも多くの日本語が発音も意味もヘブライ語に似ているのを見つけて驚いた。
 その類似性は偶然の一致とはいいきれないとの結論に達し、私は、その一生をかけて日本の古代歴史を学び、日本人が約二千年前に摩訶不思議に消滅したヘブライ部族の子孫である可能性を調査しようと決めた。事実、研究を続けるうちに、私は日本人の一部始終の生活の中に、ヘブライの匂いがあることを見つけた。大和の古代史、日本の熟語、カタカナ、ひらがな、そして俳句などはすべてヘブライの習慣を帯びている。……」
 今回、何が気になってこの本に手が出たのかはっきりしないが、思うに、アセンションを考え、地球文明がひとつの融合・統一を達成するということを思うとき、いずれにせよ、そこで何らかの役割を果たさなければならないらしい日本人が、失われたヘブライの民の子孫だったかもしれない可能性について触れていた情報の記憶が、ふと浮上してきたのかもしれない。
 以前読んだときも重要な本だと思った記憶があるのだが、今回も、これはやはり非常に重要な本だという気がした。サイトの本棚に「過去からの声」の一部として掲載しておいた方がいいな、と思った。
 日本の古神道の八百万の神々と一神教のヘブライの神ヤハウェが同一神だなどということになったら、それはそれで面白いではないか。
 細かいことに目くじらを立てる者などまるでいなくなるかもしれない。
 いやいや、それでは日本の神々がアヌンナキの一族郎党だったということになってしまうではないか、味噌も糞も一緒にするなと、どこかからお叱りを受けるかもしれない。
 それとも、古神道の神々は縄文の神々で、神武が連れてきた神がヤハウェだったのだとでもいうのだろうか。
 そして出口直が降ろした「うしとらの金人」は縄文の神の復興で、アヌンナキの輩とは違うのだと。
 まあ、いずれにしろ、伊勢神宮の御神鏡が開示されたら、わかるべきことはわかるだろう。
 もう、芝居の最終幕は下りようとしているのだ、細かいことはどうでもいい。
 みんな、仲良くしたらいいではないか、と思う。(2004,5/29)
引用:
――スメラ・ミコトはヘブライ語

 われわれはイスラエルの帰らざる十部族の探索を「アッシリアの王は、ついにサマリアを取り、イスラエルの民を捕らえていった」という旧約聖書の一節から始めた。それは紀元前七二二年のことであり、紀元一世紀の終わり頃、ヨセフス・フラヴィウスが「十部族は今もユーフラテスの彼方におり……」と書いた短い証言を除いては、彼らに関する消息は何もない。  しかしサマリアの民が追放されて一四世紀も経ってから、日本の天皇の公式名は、すべて『スメラ・ミコト』であるということが知れた。  日本語では満足に説明しかねるこの照合は、古代ヘブライ語の一方言では「サマリアの陛下」と解釈することができる。ということは、もしや日本の諸天皇はサマリア王家の子孫であったことにならないだろうか。(p74)

――ヤマトとは何なのか

   日本書紀はいつ古代日本人が大和の代わりに日本という名前を用いたのか、その転換期を明示していない。だが初期天皇たちとヘブライ王の類似性から判断して、「大和」という名の持つ意味は、主に「出生の地」に定着していた日本人のはるか古き時代と解釈していいようだ。
 その点に関しては三つの手がかりがある。
 ……。(中略)
 第二の手がかりは、日本書紀で述べる日本国の初期の描写は、日本の島々に関連したものではない可能性があり、「ヤマト」という名自体の出所並びに意味の解明に当たらねばならない。
 古代ヘブライ人も同じであるが彼ら自身を「神の民」と称し、古代日本人も、「天つ神の子」もしくは単に「ヤマトの民」と名乗った。
 日本の言い伝えによれば「ヤマト」という名は創造の初期に国につけられたものであるが、「ヤマト」という言葉は、今の日本では何の意味もない。
 これに反して、ヘブライ系アラム方言で「ヤ・ウマト」という二つの言葉は、数世紀の間には「ヤマト」と縮まったかもしれないが、古代ヘブライ人の象徴「神の民」という意味を持つ。(p103-104)
好み:★★★
(注:独断と偏見によるお薦め度、または記憶による感動度。一押し、二押し、三押し、特薦。)
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