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書名: 『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』

書誌:
著者 C.ダグラス・ラミス
    [参考]:ダグラス・ラミス著作目録(Lummis, C.Douglas)
発行 株式会社平凡社(2000年9月25日初版第1刷発行)
    〒152-8601 東京都目黒区碑文谷五丁目16の19
    電話 03-5721-1253[編集] 03-5721-1254[営業]
    HP:http://www.heibonsha.co.jp/
私評:
 2000年7月のちょっとした個人的状況の発生以来、しばらく本というものを買わなかった。
 そんなわたしが二ヶ月ぶりか何かで外出して本屋に立ち寄ったとき、なんとなくタイトルが気になって手に取ったのがこの本だった。
 偶然というのがあるのか無いのか知らないが、しばらくぶりに最初に買った本だったことを憶えている。
 それまでダグラス・ラミスさんという存在を知らなかったわたしにとって、この本の読書体験はまさに最初から最後までそれこそ“目から鱗が落ちる”驚きの連続だった。
 和田重正先生の『自覚と平和』にあった“日本国憲法の第九条は宇宙的必然によって誕生したものだ”という洞察を、この本のように的確に納得させてくれた本を他に知らない。
 この書をここで取り上げるのは、何もわたしのつまらない書評を書きたいからではなく、ただただ、次の引用文を掲載したいために他ならない。
 こういう類のページで通常許される「引用文」の長さを超えているとは思うが、何しろどうにも短くしようがなかった。
 わたしは、ダグラス・ラミスさんも平凡社も長すぎる引用を非難するはずがないことを確信している。(2004,1/19)
引用:
 第九条は現実的な提案だった

 とにかく、この二十世紀の歴史の記録は、一つの現実です。
 これから安全保障の政策を考えるとき、私は現実主義をすすめたい。特に安全保障を考えた場合、現実主義者になりたいのです。夢のようなことではなく、現実的に安全な世界を作らないと意味がないからです。そのための第一歩はまず現実を見ることです。何が現実か化というと、この場合は、歴史の記録が第一のものでしょう。
 百年間、やってみたわけです。国家に人を殺す許可を与えた結果、その許可を使って、国家はこれだけの人を殺した。考えてみれば当たり前かもしれない。「殺していい」と国民が言ったから国家はたくさん殺した、というわけです。その歴史を認め、考え直すのが本当の現実主義ではないか。
 別の言い方でいうと、今の日本のいわゆる「現実主義」の政治家が、軍事力を持たなければ安全保障はできない、軍事力を持っていたほうが社会の安全が守られると言っているけれども、ではその根拠はどこにあるのか? 証拠は? と聞きたいのです。頭の中の話ではなく、ホッブスの本を持ち出すのでもなく、歴史の記録にある証拠はどこにあるのか、ということを聞きたい。その証拠エヴィデンスを見せてほしい。
 日本の歴史で考えてみましょう。日本政府はいつ一番軍事力を持っていたのか。軍事的にもっとも強かったの時代は何年から何年までか、そして暴力によって殺された日本国民の数が一番多かったのはいつか。まったく同じ時代です。そういうことを考えるのが現実主義ではないだろうか。今度は大丈夫だ、という根拠はどこにあるのか。
 その文脈のなかで考えれば、日本国憲法第九条はロマン主義ではなく、ひじょうに現実主義的な提案だったと私は思います。それを考えたのはマッカーサーと幣原だったと言われていますが、マッカーサーと幣原はアナキストではないし、ユートピア主義者でもない。とても現実主義的な政治家、あるいは軍人であった。
 二人とも、一九四五年の日本の現実を見て、判断したのではないでしょうか。彼らが第九条を考えたのは、世界がまさに核の時代に入った時であり、場所でした。いつ? 一九四五ねん。どこで? 日本。彼らはその時、その場所で第九条を考えた。広島や長崎まで行かなくても、あのときの東京を見るだけで分かった。この時代に、国家の軍事力だけで国民の命を守ることは、もう不可能だということ。軍事力をたくさん持っても、こうなる、これはひどいと思ったのではないか。マッカーサーが職業軍人であったとしても、東京を見れば分かることがあった。その時の東京の現実に基づいて、第九条は書かれたのではないかと思います。
 ところが、マッカーサー自身、それをすぐに忘れてしまった。すぐ普通の「常識」に戻ったわけです。朝鮮戦争へ行ったりして、以前の論理に戻った。もし憲法が一年間後回しになっていたとしたら、第九条はなかっただろうと思う。だから、日本国憲法ができた歴史的瞬間というのは、非常に重要だと思います。その瞬間、見えたことなのです。一年経って、マッカーサーは普通の考え方に戻ったけれども、遅かった。もう憲法はできていたのです。できてしまえば取り消せない。そう簡単に変えることはできない。第九条はそういう存在だと思うのです。(p045-047)
好み:★★★★
(注:独断と偏見によるお薦め度、または記憶による感動度/ショック度。一押し、二押し、三押し、特薦。)
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