永遠への旅を続け、<マスター>への道を歩いているとき、あなたは人生のさまざまな環境や状況、展開に出会う。そのなかには歓迎したくないものもあるだろう。
そういうとき、ほとんどのひとはいちばんしてはならないこと、つまり、これはどういう意味なのかを知ろうとする。
何かが起こるには理由があるはずだと考え、理由を探ろうとするひとがいる。ものごとは何かの「しるし」だと言うひともいる。そこで、何のしるしだろうかと知りたがる。
いずれにしても、ひとは人生で起こる出来事とや経験の意味を知ろうとする。だが、じつはどんなものにもまったく意味はない。人生の出会いや経験に隠された本質的な真実などない。
誰が事実を隠すというのか? なぜ隠すのか?
もし、あなたがたに真実を見つけさせたいのなら、隠すより明らかにしておいたほうが効果的ではないか? もし、神に言いたいことがあるなら、あなたがたに謎解きをさせるより、はっきり言うほうがずっと簡単ではないか?(それに、ずっと親切ではないか?)
じつは、どんなものにも意味はない。あなたが与える意味以外には。
人生には(life:生命には)意味はない。
多くの人間は受け入れがたいと思うだろうが、これはわたしの最大の贈り物だ。人生(life:生命)が無意味だから、あなたがどんな意味でも決定することができる。その決定によって、あなたがたは人生のさまざまなもの、あらゆるものとの関係を自分で定義する。
じつはこれが、どんな存在であるかを自分で選ぶという経験の意味(means:手段)だ。
これが自分についていだく最も偉大なヴィジョンの、そのまた最も壮大なヴァージョンにしたがって新たに自己を創造し、再創造するという行為だ。
だから、何かが起こったとき、どうしてかと問うのはやめなさい。どうして起こったかを自分で決めなさい。選んだり決定することができなければ、でっちあげなさい。どうせそうするのだから。(P193-195)
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