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書名: 『新しき啓示』

書誌:
原題  The New Revelations (c)2002
発信  神
著者  ニール・ドナルド・ウォルシュ
訳者  吉田利子
発行  株式会社サンマーク(2003年6月20日初版発行)
私評:
 もう満腹しているはずなのに、それでもわたしはまだこういう本を買う。
 なかなか煮詰まらないものだなぁ……。
 もうこれ以上どうしようというのだろう、とも思うのだが……、まだまだマインドは元気で、まだまだ“新しい”情報を得ようとし、まだまだ旺盛な食欲でそれを咀嚼するふりをする。
 けっして消化しないからこそ、そういうことができるのだろうが。
 ……と、まあ、悲観したふりをすることもないか。
 たとえ単なる紙に書かれた情報であっても、十年、二十年、三十年とこんな情報ばかり読み続けていれば、少しずつ少しずつ、マインドの防御膜を透過して“何か”が身体に浸透してくるような感じもある。
 この本の「神」は我々読者を鼓舞しようとしてくれているのだろうか。
 あるいは、著者のニール・ドナルド・ウォルシュさんが、「神様」からの鼓舞を求めているのかもしれない。
 しかし、和尚の言葉とか「神様」の言葉というのは、“賞味期限”が通常の言葉とは違うのではないか。
 マインドが言う「分かった」とか「理解した」などという挨拶は初めから問題にしていないだろうが、ただ、<真実>というものが“遅効性”の毒薬のようにゆっくりとマインドを安楽死させていくことを知っているはずだ。
 わたしの方も自分のマインドの利いた風な“理解”などまったく信用していないが、和尚や「神様」の腕前の方は信頼している。
 もしこれが勝負なら、<全体>の勝ちは決まっていて、エゴはどんなに頑張っても、<全体>の“太陽政策”と<魂>の“内圧”の両面から責められて、とうてい勝ち目などないのだ。
 この頃になって、「必要なことは何もない」という言葉が利いてきているような感じがあるから。
 ま、マインドとしては、まだまだやるつもりですがね。

 “いま、あなたがたは基本的に秘密社会にいる。そこでは語られることより語られないことの方が多く、見せられるより隠されることの方が多く、伏せられることのほうが明かされることより多い。
 人間は意図的にそういう環境をつくり上げてきた。誰もがみんなのすべてを知ってしまったら、誰もが好きなように存在し、行動し、所有できなくなると不安だからだ。
 あなたがたは、欲しいものを手に入れるには、何を欲しがっているか、ましてそれをどうやって獲得しようと考えているかを、他人に知られてはならない、秘密にするしかないと考えた。
 奇妙なのは、あなたがたが、ほんとうはもっと透明な世界を望んでいることだ。あなたがたは、いまのような秘密の世界を楽しんではいない。いい気分ではいない。それでも、誰もが「隠しごと」をしていると思い込み、だから自分も隠しごとをする”

 “わたしは、人間が「倫理」と呼ぶ社会的な仕組みを作ってきたと言っている。その倫理がどんなふうに変化するかを説明している。あなたがたは変化しないと言うがね。変化を認めようとしないのは、自分が正しいと思いたいからだ。
 その正しさがあなたがたを殺している。
 あなたがたは、機能性の失敗のすべてに、倫理の堕落というレッテルを貼ろうとしている。そこから批判が生まれ、批判が正統化を生む。”


 ははは。やっぱり「神様」、痛いところをつくよね。(2004.1/18)
引用:
多くの宗教は、あなたがたは「身体以上」のものだと教えてきた。
ここで伝えられるメッセージは、「あなたがたはまったく身体ではない」ということだ。あなたがたは、身体に息を吹き込むエッセンスなのだ。
これが鍵だ。
これが核心だ。
これが中心的な真実で、もう何千年も地球にはびこっている暴力と破壊と殺人の循環を際限なく体験するのはいやだと思うなら、人間の生命/人生のほかの真実は、すべてこれを中心に展開しなければならない。
あなたがたは身体ではない。あなたがたとは、限りなく、終わりのないものだ。
これが鍵だ。
これが核心だ。
この啓示が理解されたとき、他の新しき啓示のすべてが意味を深め、力を増す。
これが基盤の真実だ。素数だ、最初の原因だ。この意味が明らかになったとき、他の全てが新しい意味を持つ。
あなたがたの新しい世界の構築は、ここから始まる。新しい霊性(スピリチュアリティ)の基礎は、ここにある。
あなたがたは身体ではない。あなたがたとは、限りなく、終わりのないものだ。
(P325-326)
好み:★★★★
(注:独断と偏見によるお薦め度、または記憶による感動度/ショック度。一押し、二押し、三押し、特薦。)
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