書名: 『大いなる挑戦――黄金の未来』

書誌:
講話  バグワン・シュリ・ラジニーシ
監修  創造的科学と芸術と世界アカデミー日本準備委員会
発行  株式会社ラジニーシ・エンタープライズ・ジャパン(1988年9月8日初版第1刷発行)
私評:
 今では本屋の書棚にはないこの小冊子を、未来の記憶として幻想の書棚の中に並べておこう。
 「国家もなく、大都市もなく、家族もなく、地球上のあらゆるところ、深い森のなか、青々と繁る森のなか、山のなか、島のなかに、広がり点在する無数の小さなコミューンの世界」、……私はこのイメージが好きだった。地上の未来社会を思い描くとき、いつも浮かんでくるのはこのイメージだった。
 それは「ザ・コスモロジー」の「優良星界人の暮らし」のイメージやカテゴリー9のティアウーバ星のイメージとも、またロバート・モンローが訪れた西暦3000年の地球とも遠く響き合うようだった。
 ただ、この牧歌的な世界に辿り着くために、その入場資格として私たちは断固とした意志を持つ「個」になる必要があるのだろう。本書の中で和尚は“過去との訣別”という強い言葉を使う。  「国家」と「家族」を“時代遅れ”と決め付け、「聖職者」と「政治家」を“死を招く陰謀”と評し、「受胎調節と遺伝子工学」を取り上げ、そして「創造性に貢献する科学」と「教育の五領域」を語り、「死ぬ権利」について語る。
 「私たちは古い世界とその悲惨を知っているのだから、それらの悲惨をすべて避けることができる。嫉妬のすべてを、深刻さのすべてを、怒りのすべてを、あらゆる戦争を、すべての破壊的傾向を避けることができる。
 新しい人間とは、もはや誰にも、どんな美名のためにも、自分を犠牲にさせはしないということだ。
 私たちは、色々な理想に合わせるのではなく、自分自身の憧れ、自分自身の熱烈な直感に従って自分の生を生きていく」と。(2001.4/30)
引用:
コミューンの世界

 新しい世界についての、コミューンの世界についての私のヴィジョンは、国家もなく、大都市もなく、家族もなく、地球上のあらゆるところ、深い森のなか、青々と繁る森のなか、山のなか、島のなかに、広がり点在する無数の小さなコミューンの世界だ。運営できる最小のコミューンは五千人の規模だろうし、最大の規模でも五万人の規模だろう。五千人から五万人だ――それ以上は運営できなくなるだろう。そうなれば、再び秩序と法律の問題が起きて、警察と裁判所と、すべての旧来の犯罪者たちを連れ戻さざるをえなくなる。
 コミューンは非野心的な生と、万人のための機会均等の宣言だ。しかし、私とカール・マルクスとの違いを憶えておきなさい。私は、人々に平等を押し付けることに賛成ではない。なぜなら、それは心理学的に不可能な課題だからだ。そして、いつであれ自然に反して何かをすれば、それは破壊的で有毒なものになる。
 等しい人間はふたりといない。
 しかし、私はたやすく誤解されうる。だから、私の観点を明確に理解しようとしてごらん。私は平等に賛成ではない。しかしまた、私は不平等にも賛成ではない! 私はあらゆる人が自分自身であるための平等な機会を持つことに賛成だ。
 ほかの言葉で言うなら――
 私のヴィジョンでは、ひとりひとりの個人は等しく独自(ユニーク)だ。
 平等、不平等の問題は起きてこない。なぜなら、同じ個人はふたりといないからだ。個人を比べることはできない。
 本当のコミューン、本当の共産主義は、成長のための平等な機会を創り出すが、それぞれの個人の独自性を受け入れる。(p81)
好み:★★★★
(注:独断と偏見によるお薦め度、または記憶による感動度。一押し、二押し、三押し、特薦。)

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