コミューンの世界
新しい世界についての、コミューンの世界についての私のヴィジョンは、国家もなく、大都市もなく、家族もなく、地球上のあらゆるところ、深い森のなか、青々と繁る森のなか、山のなか、島のなかに、広がり点在する無数の小さなコミューンの世界だ。運営できる最小のコミューンは五千人の規模だろうし、最大の規模でも五万人の規模だろう。五千人から五万人だ――それ以上は運営できなくなるだろう。そうなれば、再び秩序と法律の問題が起きて、警察と裁判所と、すべての旧来の犯罪者たちを連れ戻さざるをえなくなる。
コミューンは非野心的な生と、万人のための機会均等の宣言だ。しかし、私とカール・マルクスとの違いを憶えておきなさい。私は、人々に平等を押し付けることに賛成ではない。なぜなら、それは心理学的に不可能な課題だからだ。そして、いつであれ自然に反して何かをすれば、それは破壊的で有毒なものになる。
等しい人間はふたりといない。
しかし、私はたやすく誤解されうる。だから、私の観点を明確に理解しようとしてごらん。私は平等に賛成ではない。しかしまた、私は不平等にも賛成ではない! 私はあらゆる人が自分自身であるための平等な機会を持つことに賛成だ。
ほかの言葉で言うなら――
私のヴィジョンでは、ひとりひとりの個人は等しく独自(ユニーク)だ。
平等、不平等の問題は起きてこない。なぜなら、同じ個人はふたりといないからだ。個人を比べることはできない。
本当のコミューン、本当の共産主義は、成長のための平等な機会を創り出すが、それぞれの個人の独自性を受け入れる。(p81)
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