和合した姿を善と申すのぢゃ。今までの宗教は肉体を悪と申し、心を善と申して、肉体をおろそかにしてゐたが、それが間違ひであること合点か。一切がよいのぢゃということ合点か。地獄ないこと合点か。悪抱きまいらせよと申してあること、これで合点か。合点ぢゃなぁ。各々の世界の人がその世界の神であるぞ。この世ではそなた達が神であるぞ。あの世では、そなた達の心を肉体としての人がゐるのであるぞ。それがカミと申してゐるものぞ。あの世の人をこの世から見ると神であるが、その上から見ると人であるぞ。あの世の上の世では神の心を肉体として神がゐますのであって、限りないのであるぞ。裏から申せば、神様の神様は人間様じぢゃ。心の守護神は肉体ぢゃと申してあらうがな。肉体が心を守ってゐるのであるが、ぢゃと申して肉体が主人顔してはならんぞ。どこまでも下に従うのぢゃ。順乱すと悪となるぞ。生まれ赤児踏み越え、生まれ赤児になって聞いて下されよ。そなた達の本尊は八枚十枚の衣着てゐるのぢゃ。死と云うことはその衣上からぬぐことぢゃ。ぬぐと中から出て来て又八枚十枚の衣つけるやうになってゐるのぢゃ。判るやうに申してゐるのぢゃぞ。取り違いせんやうにせよ。天から気が地に降って、ものが生命し、その地の生命の気が又天に反影するのであるが、まだまだ地には凹凸あるから、気が天にかへらずに横にそれることあるぞ。その横の気の世界を幽界と申すのぢゃ。幽界は地で曲げられた気のつくり出したところぢゃ。地獄でないぞ。(P65-66)
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