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書名: 『火水伝文 (ひみつつたえふみ)

書誌:
発信  日本国国祖・国常立大神の指導のもとに降ろされる
筆録  我空徳生
発行  火水伝文普及会
私評:
 この本には特別の思い入れがある。
 もともとこういうコメントを書くのに客観的な立場などあるはずもないが、この本では特に客観的にはなれない気がする。
 この本を手にして初めて広げたのは、ほとんど無人の疾走する電車の中だった。
 「時いよいよ現れ来たりたぞ。これより先、新しき世に至るまでの暫しの年月、辛抱肝心ぞ。人民様、程度の差こそあれ業火の死遂げる者、生き残り塗炭の苦しみ受くる者、二つに一つになりたぞよ。人ごとでないぞ、汝も同じぞ。悪人、善人らちもない。死に行かれる者も、残し置かれる者も聞くのざぞ。……」
 かならずしも評判の良くないこの恫喝的な最初の出だしから読み進める内に、途中から全身肌が泡立つような一種の武者震いが起こってきたのを憶えている。それは必ずしも恐怖ではなく、どちらかというとむしろ感激だったように思う。
 「こんなことを聴いてしまっていいものだろうか」と思った。まるで、人生のカンニングをしたような気がした。
 それから、個人的には色々なことがあったのだが……。

 ひたすら軽快で明るく、斬新かつ深遠な情報を提供するニューエイジのチャネリング本と違って、ここには恫喝も、恨み節も、すべてがあった。それはまるで、都会に出て現代最先端の情報世界に接して舞い上がっていた息子に、突然田舎の父親からの手紙が届いたような案配だった。手紙が来てみれば、そこには濃密な自分の現実のすべてがあった。
 こうも言える。プレアデス系とかシリウス系とかいったニューエイジのチャネリング本は、間近な出産に備えて産婦の周りに控えている“医師団”の言葉にすぎなかった。優しく客観的ではあっても、生まれてくる胎児に責任があるわけではなかった。
 それに引き替え、ここで綿々と語られているのはこれから子供を産もうとしている“産婦”の言葉なのだと。だからそこには責任も、恥も、申し訳なさも、恫喝も、すべてがあって当然なのだと。これから“水殻(みずから)”を破ってマコトの宇宙に産み出され、“真澄の鏡”の前に立つことになる我が子たちへの、それは田舎者の母親からの痛切な最後の呼びかけとも言えた。
引用:
 こ度の天意転換は、この宇宙創りたる始源より決まりてありたことなのぞ。汝らの宇宙、光ひとつ上ぐる仕組み、七つに別けて進み来たりたのじゃ。こ度がその最期なり。七期目の仕上げの時になりたのじゃ。しかあれ、こ度の大変は天意転換が由でなきこと、先ず知りおきて下され。世界の人民様ケガレ無くありたなら、マコト麗しき幕の上がりでありたのじゃ。なれどケガレ逆巻く気枯れ世と成り成りてしもうたが、こ度の大変招きしワケなるぞ。
 こ度ケガレ祓うは元つ神なるぞ。こ度はハラとアタマの戦ぞ。神力と学力の戦いであるぞ。アタマ『あやま知』用いて汝らの神気いずるを封じ込め、さんざん世を気枯れケガラし【マコト】無き世と成さしめたのじゃ。神にはアタマを操る悪神の仕組み企み、すべて解りて居る由、最後の最後の最後のところで見事ひくり返し、あっぱれ新しき御代建てるも心配無きが、人民様にはこれよりひと苦労ふた苦労、地獄の苦労もせなならん者もあるから、しっかり【マコト】持ち行きて下されよ。汝等、悪神の仕組み企み知るよりも三真釣り持ち行く【マコト】大切なるを忘るなよ。それ無くば、何を知りてもご無念ぞ。(p8-9)
好み:★★★★
(注:独断と偏見によるお薦め度、または記憶による感動度。一押し、二押し、三押し、特薦。)