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書名: 『魂の体外旅行――体外離脱の科学――
書誌:
原題  Far Journeys (c)1985
著者  ロバート・A・モンロー
監修  笠原敏雄
訳者  坂場順子
発行  日本教文社(1990年5月1日初版発行)
私評:
 何ということもなく本屋で手にし、“体外離脱”なるものへの興味で買って帰った本だったが、この本の読書体験は私の予想もしないものだった。
 たとえば「不思議研究所」の森田健さんの場合は、本書との出会いが即アメリカの「モンロー研究所」行きに繋がったのだろう。まさに人は自分の内面にある世界を引き寄せ、物理次元に展開するのだと納得せざるをえない。
 私のにとっては、本書の内容はある意味で「第十二章 伝聞証拠」に集約されていた。著者のロバート・モンローは「ルーシュについてのロートに順応するのに数ヶ月かかった」という。

 <「順応」という表現はかなり広範な意味を含む言葉で、それが説明しようとしている内容は、ショック、拒否反応、怒り、落ち込み、諦め、受容のサイクル全部を含んでいた。私がたどった順序は、病気やけがで死期が近づいて知らされた時に人がどう反応するかを研究したものや、そういった時に他の人たちが発見したことと酷似していた>と。

 単なる読書体験にすぎない私の場合、むろん、それほどの落ち込みになるはずもなかったが、いずれにせよ、ここで蒔かれた種は、それだけでは終わらず、何年か後の私の人生でのある出会いを準備していたのだった。
引用:
 肉体への帰還はほぼ瞬時の内に起こった。それは丁度パニック・ボタンを押したみたいで、そういう帰還の仕方は久しくしていなかった。精神的にも肉体的にも強度の疲労感あり。それに帰還時刻をチェックするのも怠ってしまった。エネルギーがなく、何をする気にもなれい。眠りにつけない。起きて台所に行き、コーヒーを入れる。椅子に坐りコーヒーカップをじっと見つめていた。
 この後の2週間は探求するエネルギーもなく、そうしたい気持ちも起こらないまま落ち込んでいて、唯一表層に浮かび上がった収穫は次ぎに掲げるものだけだった。

 夕暮れ。ガーンジー種の乳牛は餌を求めて牧草地を何マイルも歩き回っていた。ここには牧草が今では沢山生えているが、乳牛はそれがどうしてなのか頓着しなかった。道の向こう側の(柵の)門を通り抜けるかわりに、「彼」の指示するまま穏やかにこちらの門の方を通り抜けてきたのだ。乳牛は気が付かなかったけれど、「彼」は乳牛にはここの方がよい草が見つかることが分かっていたので、この乳牛をこちらへ移動させたのだった。乳牛は「彼」に指示されることをしたまでだった。
 だが、夕暮れになったので、また時間が来てしまった。「彼」の家へ行かなければならない。乳牛は自分の体の下側につつかれたような痛みを感じるので、行かなければならないことが分かるのだ。丘の上の「彼」の家は涼しく、食べるものがある。そして「彼」が痛みを取ってくれる。
 ガーンジー乳牛は丘を登り「彼」の家の脇で待つ。じきに門があいて彼の家にある自分の場所に歩いて入り、「彼」が自分の前に置いてくれる草を食べる。食べているあいだに「彼」は痛みを解いてくれる。そうすると朝まで大丈夫だ。
 その後その「男」は円い容器に入った白い水を持って出ていく。ガーンジー乳牛には「彼」がどこでその白い水を得たか、どうして「彼」がそれを欲するのか分からない。
 分からなくても乳牛は別にかまわない。(P283-284)
好み:★★★★
(注:独断と偏見によるお薦め度、または記憶による感動度・ショック度。一押し、二押し、三押し、特薦。)
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