肉体への帰還はほぼ瞬時の内に起こった。それは丁度パニック・ボタンを押したみたいで、そういう帰還の仕方は久しくしていなかった。精神的にも肉体的にも強度の疲労感あり。それに帰還時刻をチェックするのも怠ってしまった。エネルギーがなく、何をする気にもなれい。眠りにつけない。起きて台所に行き、コーヒーを入れる。椅子に坐りコーヒーカップをじっと見つめていた。
この後の2週間は探求するエネルギーもなく、そうしたい気持ちも起こらないまま落ち込んでいて、唯一表層に浮かび上がった収穫は次ぎに掲げるものだけだった。
夕暮れ。ガーンジー種の乳牛は餌を求めて牧草地を何マイルも歩き回っていた。ここには牧草が今では沢山生えているが、乳牛はそれがどうしてなのか頓着しなかった。道の向こう側の(柵の)門を通り抜けるかわりに、「彼」の指示するまま穏やかにこちらの門の方を通り抜けてきたのだ。乳牛は気が付かなかったけれど、「彼」は乳牛にはここの方がよい草が見つかることが分かっていたので、この乳牛をこちらへ移動させたのだった。乳牛は「彼」に指示されることをしたまでだった。
だが、夕暮れになったので、また時間が来てしまった。「彼」の家へ行かなければならない。乳牛は自分の体の下側につつかれたような痛みを感じるので、行かなければならないことが分かるのだ。丘の上の「彼」の家は涼しく、食べるものがある。そして「彼」が痛みを取ってくれる。
ガーンジー乳牛は丘を登り「彼」の家の脇で待つ。じきに門があいて彼の家にある自分の場所に歩いて入り、「彼」が自分の前に置いてくれる草を食べる。食べているあいだに「彼」は痛みを解いてくれる。そうすると朝まで大丈夫だ。
その後その「男」は円い容器に入った白い水を持って出ていく。ガーンジー乳牛には「彼」がどこでその白い水を得たか、どうして「彼」がそれを欲するのか分からない。
分からなくても乳牛は別にかまわない。(P283-284)
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