この部族によれば、人生とは動くこと、進むこと、変化することだ。彼らは生きている瞬間と生きていない瞬間のことを話してくれた。怒りや失望、自己憐憫や恐怖を感じるとき人は生きていない。呼吸しているからといって生きているとはかぎらない。呼吸の有無は埋葬の時期がきたかどうかを告げるにすぎない。息をしている人がすべて生きているわけではない。ネガティブな感情がどんなものかを知るために試すのはいいが、そこにずっと留まりたいとは思わないはずだ。魂が人の形をとったとき、人は幸せや悲しみ、感謝や嫉妬がどんな感情なのかを知るように定められる。だが、その経験を生かしてどの感情がつらいか、どれが楽しいかを学ばなければならない。
つぎに私たちはゲームやスポーツについて話した。私はアメリカ人のスポーツ好きについて話し、野球選手が教師よりずっと高い給料を取っていることを話した。野球がどんなスポーツかを説明しようと私は言い、みんなで一列になって全力で駆けっこをしようと提案した。いちばん速い人が勝つと言ったとき、彼らは黒くて大きな目で私をじっと見つめたあと互いに見つめ合った。ついにだれかが言った。「だけど、ひとりが勝ったら残りはみんな負けるんだろう。それは楽しいのか? ゲームは楽しむためにあるんだよ。どうしてみんなでそんな競争をするんだろう。それで勝者が本当に強いと思うんだろう? その習慣はよくわからないよ。あなたの国ではうまくいくのか?」 私はただほほ笑み、「ノー」というかわりに首をふった。(p139)
|