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書名: 『自己喪失の体験』

書誌:
原題  THE EXPERIENCE OF NO-SELF (c)1982
著者  バーナデット・ロバーツ
訳者  雨宮一郎、志賀ミチ
発行  株式会社紀伊国屋書店(1989年6月20日第1刷発行)
私評:
 なぜかこの本を読むと安心する。
 自分が住まう“夢”の底が開いた風景を垣間見せられたような気がするからだろうか。
 この本は還俗した元修道女の家庭の主婦が、生活の一部となった静修(瞑想)の中で、あまりにも神を信頼しすぎ、自己を捨ててしまったがゆえに、虚無の中に落ちてしまった世界が描かれている。
 彼女のまわりではすべての生命が完全に停止してしまい、恐ろしい虚無がすべてのものに侵入して生命を奪ってゆく。彼女は「こんなものを見てはもう誰も生きていられない」と思う。「そのとき初めて、自己と呼ばれるものは、絶対の無を見ること、生命の欠如した世界を見ることから人間を防いでいることが分」かったという。
 彼女は「恐るべき光景に取り囲まれながら恐怖も起こらず、逃げもできず、対抗する手立ても何一つないままに虚無を見守り続けるという、生きた心地もない状況に置かれ」る。
 彼女の運命は、内部の動かない静寂と、得体の知れない虚無の差し出す「氷の指」との間の危うい平衡に委ねられる。
引用:
 私は今にも真っ二つに割れてしまうと思いました。「氷の指」が私の身体を裂く間、いつ割れるかと待ったのですが、無限の時間のように思われました。内には何の動きもなく、恐怖もどんな感情もありません。私はこの内部の静寂に注目しようともしたのですが、それは頭上に蠅が飛んでいるほどにも気にかけていない様子で、何の助けにもなりません。敵の矛先を受けるのはもっぱら私の身体だけで、心はまったく関与できないのです。もっと関与していたらなお大変だったかもしれません。私の身体は極度に痛めつけられていたので、奇跡でも起こらなければ助からないと思いました。しかし奇跡を望んだわけでなく、祈りの言葉も出てきません。ただ、死ぬのなら死んでもよいからもう終わりにしてほしいと思ったのです。
 次ぎに気がついたとき、恐ろしい相手はいつの間にか立ち去っていて、私は身体の感覚をまったく失って深い静寂の中にいました。少したってふと振り向くと、一尺ばかり離れたところに立つ野草の小さな黄色い花が目に入りました。
 そのとき見たことはとても言い表せませんが、強いて言えば、その花が微笑んだのです。全宇宙からの歓迎の微笑というように。私はそのまま目もそらせず身動きもできずに、その微笑の強烈さに耐えていました。
 私の身体がまだ丘に横たわっていることに気がついたのは、かなり経ってからでした。それまで身体があるという意識がなく、せいぜい雑草か石ころがあると思っていたのです。身体があると分かると、まだ動くかどうか試してみようと思いました。今度もまた、動こうと思わずにただ動くことができたのですが、ただそのとき、軽い衝撃がありました。立ち上がってみると、身体はいつもと変わりがなくほっとしました。こうして私は下りてきた丘をまたのぼっていったのですが、実は何ものかが丘を下りていったまま、ついに帰ってこなかったのです。
好み:★★★★
(注:独断と偏見によるお薦め度、または記憶による感動度・ショック度。一押し、二押し、三押し、特薦。)
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