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書名: 『パパラギ――はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集――

書誌:
原題  DEL PAPARAGI (c)1920年バーデンのフェルデン社初版、1979改訂新版
発信  サモア諸島ウポル島ティアベア村の酋長ツイアビ
著者  エーリッヒ・ショイルマン
訳者  岡崎照男
発行  立風書房(1981年4月30日初版発行)
私評:
 この本を初めて読んだときの衝撃を忘れることはできない。
 いうならば、この本には現地球文明の病いがすべて網羅されているからだ。
 南海の島を訪れたキリスト教の宣教師の言葉に全身全霊で打ち込んだ島の青年が、そのキリスト教を生んだ憧れの西洋世界に渡り、そこにある世界をまっさらな目を通して見たに違いない。西洋世界のマインドコントロールから免れていたその目は、まさに“賢者”の目として働き、現在全地球を覆うに到った私たちの文明のあらゆる病弊をそのままに映し出した。
 手っとり早く「もくじ」を見ただけでも、その洞察がどれほど深いものだったかが分かる。

 「パパラギのからだを覆う腰布とむしろについて」――(肉体の歓びをポルノにしたキリスト教)
 「石の箱、石の割れ目、石の島、そしてその中に何があるかについて」――(都会という人間砂漠)
 「丸い金属と重たい紙について」――(金持ちと貧乏人を生む「お金」の地獄)
 「パパラギにはひまがない」――(時間幻想とその道具としての時計)
 「パパラギが神さまを貧しくした」――(所有幻想とそれが生み出す犯罪)
 「大いなる心は機械よりも強い」――(生態系を破壊する機械のリズム)
 「パパラギの職業について――そしてそのために彼らがいかに混乱しているか」――(そうだったのか!)
 「まやかしの暮らしのある場所について・束になった紙について」――(騒音と暴力の発信源「映画」と「新聞」)
 「考えるという重い病気」――(これはもうまさに賢者の言葉だ)
 「パパラギは私たちを彼らと同じ闇の中に引きずり込もうとする」――(既にほぼ全地上が引きずり込まれてしまった)

 例えば「職業」についてツイアビ酋長がどう言っているかを聴いてみよう。
引用:
 ヨーロッパにはたぶん、私たちの島のヤシの木よりもたくさんの人がいるが、彼らの顔は灰のように暗い。仕事が楽しくないから、職業が彼らのあらゆる喜びを食いつぶしてしまったから、仕事をしても、実どころか葉っぱ一枚作って喜ぶこともできないから。
 それゆえ職業を持つ人びとの心には、憎しみの炎がめらめらと燃えている。この人たちの心の中には、鎖でしばられ、逃げようとしても逃げられない獣のような何かがある。そしてすべての人びとが、他人をうらやみ、他人に嫉妬しながら、お互いの職業を比べ合い、あの職業は尊いとか卑しいとか、しきりにごたくを並べている。
 そうではなくて、すべての職業は、それだけでは不完全なものなのだ。なぜなら人間は手だけ、足だけでなく、頭だけでもない。みんなをいっしょにまとめていくのが人間なのだ。手も足も頭も、みんないっしょになりたがっている。からだの全部、心の全部がいっしょに働いて、はじめて人の心はすこやかな喜びを感じる。だが、人間の一部分だけが生きるのだとすれば、ほかのとことはみな、死んでしまうほかはない。こうなると人はめちゃめちゃになり、やけくそになり、そうでなければ病気になる。
 パパラギの生き方は、職業のためにめちゃめちゃになっている。しかし、そのことに彼らは気がつこうとしない。そして私がこんなことを語っているのを聞いたら、まちがいなく、彼らは私を馬鹿だと言い切るだろう。自分でどんな職業についたこともなく、ヨーロッパ人のように仕事をしたこともないのだから、判断できるわけがないのに、裁判官になりたがっている、と言って。(p92)
好み:★★★★
(注:独断と偏見によるお薦め度、または記憶による感動度。一押し、二押し、三押し、特薦。)
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