ヨーロッパにはたぶん、私たちの島のヤシの木よりもたくさんの人がいるが、彼らの顔は灰のように暗い。仕事が楽しくないから、職業が彼らのあらゆる喜びを食いつぶしてしまったから、仕事をしても、実どころか葉っぱ一枚作って喜ぶこともできないから。
それゆえ職業を持つ人びとの心には、憎しみの炎がめらめらと燃えている。この人たちの心の中には、鎖でしばられ、逃げようとしても逃げられない獣のような何かがある。そしてすべての人びとが、他人をうらやみ、他人に嫉妬しながら、お互いの職業を比べ合い、あの職業は尊いとか卑しいとか、しきりにごたくを並べている。
そうではなくて、すべての職業は、それだけでは不完全なものなのだ。なぜなら人間は手だけ、足だけでなく、頭だけでもない。みんなをいっしょにまとめていくのが人間なのだ。手も足も頭も、みんないっしょになりたがっている。からだの全部、心の全部がいっしょに働いて、はじめて人の心はすこやかな喜びを感じる。だが、人間の一部分だけが生きるのだとすれば、ほかのとことはみな、死んでしまうほかはない。こうなると人はめちゃめちゃになり、やけくそになり、そうでなければ病気になる。
パパラギの生き方は、職業のためにめちゃめちゃになっている。しかし、そのことに彼らは気がつこうとしない。そして私がこんなことを語っているのを聞いたら、まちがいなく、彼らは私を馬鹿だと言い切るだろう。自分でどんな職業についたこともなく、ヨーロッパ人のように仕事をしたこともないのだから、判断できるわけがないのに、裁判官になりたがっている、と言って。(p92)
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