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書名: 『ラムサ ホワイトブック』

書誌:
原題   Ramtha The White Book (c)1999, 2001 JZK,Inc
著者   ラムサ
訳者   松野健一、後藤雄三
発行人  竹 健治
発行所  エスイー株式会社(2003年3月10日初版発行)
     〒211-0003 神奈川県川崎市中原区宮内1-20-60
     Tel.044-788-1600 Fax.044-788-4670
制作編集 有限会社ホームポジション
     〒226-0003 神奈川県横浜市緑区鴨居6-2-3
     Tel.045-929-0681 Fax.045-929-0691
発売元  株式会社星雲社
     〒112-0012 東京都文京区大塚3-21-10
     Tel.03-3947-1021 Fax.03-3947-1617
私評:
 これは『アセンション館通信』の発行を意図するのと同時に、まさに間髪を入れずに教えていただいた本だ。
 感動しやすいわたしは、これまでいろいろな本に感動してきたが、この本こそ、まさに我が人生が待ちに待った本だったのかもしれない。
 前に読んだ同じ著者の(というか、同じ情報発信者の)『ラムサ――真・聖なる預言』も大好きな本だったが、それは何冊もある好きな本の一冊というにすぎなかった。
 しかし、この懇篤な本から受けた印象は、それとはちょっと比較できない。
 ただただ夢のように過ごした幼年時代を除いて、物心ついてからはほとんどいつも「なにゆえにすべては始まってしまったのか?」というなんとも不幸な哲学的疑問が通奏低音のようにわたしの人生の基底に流れていたような気がするが、ここでやっと、その疑問のエネルギーが収束する地点に到ったのかと思う。
 もうわたしは「なにゆえにすべては始まってしまったのか?」と問うことはしない。
 わたしの人生は、わたしが願ってこのような地点にまで導いてきたのだ。そのことを素直に認めることができる気がする。
 あとは、ただ、もと来た道を帰ればいいだけだ。
 自分を思い出すところまで。
 「体を持ってここに生まれてくることは、罠としてつくられたわけではない。それは永遠に続くものとしてあるのでもない。それは創造性と生命の探求の中にある、参加するための単なるゲーム、新しい冒険にすぎなかったのだ。だが、あなたはすぐに化身の持つ五感の中で自分を見失ってしまい、自分の体が完全に自分のアイデンティティとなってしまったのだ。あまりにもこの天界の物質の中に浸りきってしまったために、あなたは不安な人間、怖がる人間、傷つきやすい人間、死にゆく要素である人間というものになってしまった。それは、あなたが自分の内面のパワフルな本質を忘れてしまったからなのだ」
 そういうことなのだろうと思う。
 それしかありえないではないか。
 和尚も言っている。  「これはあなたの生だ。ほかには誰もいない。あなたが笑えば、あなたは笑う。あなたが泣けば、あなたは泣く。ほかの誰にも責任はない。ただし、あなたはあまりにも長いあいだ泣いてきたものだから、それがあなたの癖になって、笑い方を忘れてしまったということはありうることだ。また、あなたがあまりにもひどく泣くものだから、ほかになにもできなくなった、ということもありうる。することは、たくさんあっただろうに。あまりにも何回もの生涯にわたってあなたが泣いてきたために、泣くことを選んだのが自分自身であることを忘れてしまった、ということもありうる。だが記憶がないからといって、真実が虚偽になるわけではない。あなたがそれを選んだのだ、あなたが主人だ。あなたが決心して決めた瞬間、この泣くことは止まる」(The Great Path, #6)
 ラムサは言う。
 「あなたには知るべきものをすべて知る能力がある。あなたの脳はそのためにつくられたのだ。それは、肉体に入って物質界で生きるひとりの神が、自分が望むどんな神の次元であろうと、それを三次元的な形で見ながら体験し、理解することができるようにするためであった」
 それなら分かる。
 そういう単純な話であったはずだ。
 もちろん、その後には、それをこの物理次元に実現するための多くの構造が、多くの階層が、次元が、そしてそれゆえのたくさんの複雑性がつきまとったことだろうし、またその結果としての永い永い歴史が従ったことだろう。
 とんでもない八幡の藪知らずに入り込んでもしまったのだろう。
 しかし、それもこれも、とんでもない永い夢、とんでもない永いゲームにすぎなかった。
 もうこれ以上、複雑さを追加する必要はないのだ。
 もう、そういうタイミングではない。
 もう、帰り支度を始めるべき時なのだ。
 誰に押し込まれたのか、布団の中の目覚まし時計は、われわれの夢を破ろうと籠もった音でとおの昔から鳴り始めていたのだ。
 そして、ラムサのこの本を読めば、布団の中から取り出されたその目覚まし時計が、突然の急を告げるかの如くに、けたたましく鳴り始める。(2004,5/8)
引用:
 あなた方の誰もが、物質という制限された形態の中で神を学ぶことでは、できる限りのところまで成長してきた。この天界でのたくさんの人生を通して、自分の驚くべき創造性が生んだこの楽園のあらゆる要素を体験してきた。そしてその体験を通して、社会意識という、家畜の群のような現実に生きる「神なる人間」がもつ制限された思考について、知るべきことはすべて学んだのだ。あなたはすでに、恐れや不安、悲しみや怒りやどん欲については学んだ。嫉妬や憎悪や戦争についてもすでに学んだ。死についてもすでに学んでいる。自分の神聖なる源から自分を分離することについても、すでに十分に学んでいる。その神聖なる源は、神がその「在ること(イズネス)」を劇的な形で見せている場所の中でも最終レベルのこの場所で、あなたが神を体験できるように、すべての冒険にわたってあなたを愛し、支えてきてくれたのだ。
 限りない状態に戻り、喜びと、ただ在ることの自由を体験するためには、あなたは再び自分をひとつにまとめているものにならなければならない。あなたは体という重荷を背負っているので、それになるただひとつの道は、第七シールである脳下垂体を最大限にまで活性化し、あなたの脳が、社会意識をわずかに超えたところにある限りない思考を受け取れるようにすることだ。それが、あなたの「知っている状態(ノーイングネス)」を神というものの無限の理解へと広げるやり方なのだ。そしてその神とは、思考の総体であるそれ自身のすべてを許し、愛する存在であり、それ自身のすべてになっているのである。
 では、この小さなすばらしい分泌腺に、そのホルモンの流れによって脳の眠っている部分を目覚めさせるためには、どうすればいいのだろうか? それは、ただ単に望むことによってだ。キリストになるということは、「父」を知ることを望み、神のようになることを望むことなのだ。それは、すべての思考が自己の現実となるのを可能にしたいという望みなのだ。それはあらゆる瞬間に、自分がなってきたものすべてを愛したいという望みである。それは、自分であるものすべての「在ること」になりたいという望みなのだ。(P371-372)
好み:★★★★★(この書はまったくの例外、座布団五枚!!)
(注:独断と偏見によるお薦め度、または記憶による感動度/ショック度。一押し、二押し、三押し、特薦。)
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