では、どうしたらガラスを見られるか。それはコップが、自分がコップだとわかればいいのです。自分がコップだとわかれば、その人はガラスがわかったことになります。それは天地一体だからです。ガラスは目に見えないものですから、どうしても五感では見えません。でもガラスとコップは離れていませんから、自分がコップだと認めれば、ガラスも一緒に認めることになります。そうすればその人はガラスを見ることができます。ガラスとコップは天地一体ですから、天がわからなければ、地を認めればいいのです。コップが自分を嫌がっているときは、ガラスを見ることはできません。
地というのは、自分を受け入れればそれですみます。自分から逃げていては、そこからも逃げます。自分を否定することは、天地は離れていませんから、天を否定したことになります。ですからまず自分を認めることです。みなさんは自分を変えようと思っているから、天地一体になれません。それに変えようと思っても自分を変えることはできません。私が違った私になることは絶対にできないのです。
ほんとうの変わるということはどういうことかというと、私が私を認めたときに変わります。それ以外は逃げです。私が私を認めたときに天地一体になります。ですから、まずこの肉体の表現体を認めることですね。表現者がわからないときは、この表現体をまず認めることです。ガラスとコップの境目はありませんから、コップを認めたときは必然的にガラスも認めています。コップを受け入れていないときは、ガラスも受け入れられません。コップを受け入れるということは、私を受け入れることであり、それができれば必ず天も受け入れることができます。(p248-249)
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