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「湘南名画鑑賞会」会報 No.2

映写窓の後ろからA


第四回上映会(上映映画『羅生門』)
1986年4月17日(木)、場所:藤沢市民会館小ホール

 元々映写機になどには触ったこともない人間が、教えていただきながら初めてフィルムを掛けたのですから、いろいろ失敗もありました。
 はじめのつもりでは、来ていただく皆さんをだしにして、自分で観たい映画を観てやろうくらいの、今から思えばものすごいようなことを考えていたのですが、あに図からんや、映画を観るどころではありません。

 初めての上映会の時のことです。何事も要領を得ず、合わせて五巻のリールの入った二つのカバンを両手に下げて、この市民会館の大ホールと小ホールの狭間を出口を求めて、うろうろ歩き回った時は、さながら自分がオーソン・ウェルズの『審判』のKにでもなって、暗い夢の中を彷徨っているような具合でした。

 大ホールの脇を通り過ぎると出口もなく、正面に立ちふさがった重い鉄の扉を押してみると、突然、何やら別の大きな空間にさまよい出たのです。それが初めて内側から見た小ホールでした。
 というより、迂闊なことに、小ホールというところにそれまで入ったことがなかったのです。

 人気のない朝九時の小ホールは、薄暗い海の底のように青白い光を浴びて灰色に静まり返っていました。
 客席を抜けて扉を開けると、無人のロビーに暖房の音だけがゴーゴーと響いています。
 客席からはたしかに映写窓は見えるのですが、そこへの通路らしきものが一向に見当たりません。
 小学生の工場見学よろしく真っ暗な屋根裏部屋のような照明室に潜り込んだり、大きな地下室に紛れ込んだり、それぞれの目的を秘めて、ひっそりと静まっている諸施設の中を、ただ息を切らして忙しく歩き回っていたのです。

 引いてみるとその扉は苦もなく開き、目の前に階段がありました。
 こんな所に紛れ込んでいる自分の正当性を証す唯一の存在証明として、殊更らしく、フィルムの入ってるカバンを持ち替え、その階段を上ったときは、心細さと同時に何やら一種の特権者意識のようなものまで味わっていたというわけです。

 二度ほど折り返して階段を上りつめると、暗い穴蔵に吸い込まれるような下りの階段がありました。暗闇の中のその扉を開けると、そこが映写室だったのです。まるで路地裏のラーメン屋の横のコンクリートの階段を下りると、そこが宇宙船のコックピットだった、というようなあんばいでした。

 無論すべては、舞台の方との連絡を取り損ねた不手際から起きた一人芝居なのですが、今思えば、二度と歩けない世界を歩かせてもらったような気がします。

 この小ホールの場合が特にそうなのでしょうか、映写室というのはずいぶん高いところにあるものですね。ここからは小ホールの前半分ほどの座席が見えます。
 映画館独特のこの休憩時間の明るさの中で開始のベルが鳴り、ゆっくりと場内が暗くなる、すると暗い海の底に向けた探照灯の明かりのように、一場の夢が映写窓から放射されていくのです。

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