第九回上映会(上映映画『舞踏会の手帳』) 1987年1月25日(日)、場所:湘南名画鑑賞会サロン |
前回の『忍ぶ川』はいかがでしたか? 何とも美しい場面のある映画でしたね。 映像美というのでしょうか、私が昔観ていちばん印象に残っていた場面は、おしのさんの実家のお堂の家を初めて前面から取った場面と、馬橇の場面でした。 ところが、長い間に勝手に想像が入って変形していたのでしょう。この二つの場面とも、私の記憶と今度観た実際の映画とは違っていました。 お堂の場面ではあの階段の印象が非常に強かったのだと思います。私は何となく、家はその階段の裏側、つまりお堂の高床の下にあるように思っていました。 また馬橇の場面では、毛布にくるまった二人は、二階の部屋の窓から見下ろしていたような気がしていました。 馬橇の場面と言えば、あの夜の雪明かりで近づいてくる橇の映像は頭の中でさえ言葉が止まるほどの息をのむような場面でした。 ところで、あの横からのスローモーションはわざとピントをぼかしてあるんですね。気になって、あの場面では何度かピントをいじったのですが、あれはああいう映像だったようです。 それからスチール写真によく使われる雪降りの駅の場面。 私は自分の生まれが北の方なものですから、雪が出てくると、もうそれだけで美意識の涙腺がゆるむようなところがあります。 汽車の黒を背景にした無音の中での二人の歌舞伎的な身のこなし、場面には出ていないながらその存在が察知されていた母親の現れ方、雪靴、列車の出発、ホームに残された三人、何とも見事な場面だったと思います。 それから最後の汽車の窓を外側から取っている場面、目が洗われるようでした。 片瀬の近藤廉三さんは、今回の返信用の葉書に、 「12月の『忍ぶ川』は感銘しました。スバラシさにうなりました。久々に本当の映画の良さに素朴に打たれました。コレコソ『活動』の真髄です。」 と絶賛の言葉を書かれていました。 信欣三はいい役者ですね。 あのお父さんが出てくる場面は全部人格的な匂いを帯びたいい場面だったと思います。 結局、結婚というのは二つの世界の出会いなんだと思いますが、言ってみれば、信欣三のお父さんがおしのさんの棲んでいた世界の象徴だとすれば、ときどき作品全体の主調低音のように使われている“死”を思わせるあのカモメの群舞が「私」の世界の象徴なのでしょうか。 |