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「湘南名画鑑賞会」会報 No.9

映写窓の後ろからH

第十一回上映会(上映映画『お熱いのがお好き』)
1987年3月22日(日)、場所:湘南名画鑑賞会サロン

 『七人の侍』はいかがでしたか?
 黒沢監督の映画ではいつも思うことですが、実に丁寧に作ってある脚本ですね。

 私は映しながらいつも同じ映画を3度観るわけですが、ただ映画を楽しみ感動するという意味では、やはり初回が最高です。
 後は回を重ねるごとにいろいろな細かいところに気がつき始めるのですが、『七人の侍』の場合は、初めよく聞こえなかった台詞が、気を付けていると聞こえてくるということがありました。
 黒沢映画は台詞が聞き取れないとよく言われますが、特に三船や、百姓利吉の土屋嘉男の台詞は聞き取りにくかったです。
 ところが、利吉の台詞などには最初からいろいろ背景を想像させる台詞が入っているのですね。

 しかし『七人の侍』の場合、回を重ねるごとに段々と意識させられたのは、何と言っても音楽の効果でした。
 黒沢監督は、音楽の早坂文雄が41歳の若さで亡くなったとき、この穴は10年は埋められないと語ったそうですが、あるいは10年では埋まらなかったのではないでしょうか。

 私は何となく、黒沢芸術という空中高く打ち上げられた花火は
 『生きる』で爆発し、『七人の侍』が最大速度での拡大期、『天国と地獄』が最大口径の花、その後の『影武者』、『乱』はしだれ柳、というような感じを持っていました。
 今回『七人の侍』を観て、もしかしてその印象にはこの早坂文雄という人の音楽が関係があったのではないかという気がしました。

 えらく割り切れたような比喩ついでに言えば、映画の感動の種類も、
 『生きる』では魂の感動、『七人の侍』ではハートの感動、『天国と地獄』ではマインドの感動といった具合に、段々と外側になってきているような感じを持っていました。

 あまり独断と偏見に満ちた感想は控えなければなりませんが、もしかしてあの『乱』でも黒沢監督の計算は同じように緻密で、的確だったのかもしれません。
 ただそれを一つの感動として結晶させるための中心、つまり音楽がなかったのではないか、という気もしたからです。
 つまりそれほど黒沢映画の綿密な計算が『七人の侍』のような大きな感動として結晶することは奇跡的だという気がしたのです。

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