home > 通信 > 『アセンション館通信』 第 2号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』 vol.002 2004,3/7(第2号)
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☆☆      ☆★  『アセンション館通信』の“ミソ”とは?
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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■ 1.『アセンション館通信』の“ミソ”とはなんぞや? \(^o^)/
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『アセンション資料館』主人こと pari です。

ついに、第2号の発行です。これって、やっぱりすごいことですよ。(^^)/

“アセンション”。

……こんなことを話題にするには、じつは、真っ向上段から“切って落とすよ
うに”話し出すか、あるいはまったくおちゃらけて、「えー、相も変わらず、
外題はアセンションでございますが」(*^_^*) とやるか、その他にやりようは
ないわけですが、ところがじつは、この手の話題というものは、あんまり“高
飛車”に出ても、読んでくださる方はそんなに面白くないんですよね。

だって、喋っている人間が、じつは(読者の自分と同じに)何も知らないこと
を、ちゃんちと、知っているわけですから。(^^;)

では、「えー、相も変わりませず……」とやれば、それで読んでいただけるの
かとなれば、そんなもの誰も読むわけがありません。(^^;)

だって、こいつは“アセンション”なんて話題で今流行の「メルマガ」を出そ
うというのだから、少しは自分より知っているのかもしれないという“幻想”
があるからこそ、読んでいただけるわけですから。

だいたいこういう話題を、落語調でやろうなんて、いわば“約束違反”みたい
なものですよね。

じゃ、どうしたらいいのか?

この辺が悩ましいところで、わたしも勝手に“宇宙的使命”を背負って結構楽
しんでます。(^^;)

これ、結構、“綱渡り”みたいなもんだと思いますよ。内と外のバランスの。
わかります?

地上にちゃんと“グラウンディング”している人は、こんなことやりゃしませ
ん。しかしまた、全然“グラウンディング”していない人にも、こんなことは
できないわけです。

いろんな方が、“上手くやれよ”と言ってくださっているのも聞こえます。

で、わたしの“基本戦略”を申し上げますね。
まあ、戦略などと人様に公言するようなものは、もう戦略じゃないというよう
な意見もあるでしょうが、ことが“アセンション”となれば、じつは、すべて
がすけすけに見えてるわけでしょうしね。(^^;)

で、わたしの基本方針はただひとつ。

<とにかく、出し続ける>です。(*^_^*)

購読者の数はわたしの意志でどうすることもできないけれど、「出し続ける」
ことは、わたしの意志が継続する限り可能なことです。

だから内容なんて、「落語」でも「哲学」でも「文学」でも、何でもいいんで
す。

そんなもんで地球の“集合意識”を動かせるなんて、わたしだって思っちゃい
ません。

でも“何も知らない人間”の“コケの一念”となれば、これは“宇宙”も感応
しないとは限りませんよ。(^_-)

だって、正味のところは、すべてはわたしの独り芝居だったと、わたしに分か
れば、それでいいわけじゃありませんか。(*^_^*)

で、この『アセンション館通信』の“ミソ”って、結局なんだと思います?

応援する“集合意識”基盤があるわけじゃない、確固とした地上的事実の裏付
けがあるわけじゃない。だって、「フォトン・ベルト」なって言ったって、わ
たしは自分で“観測”したこともないし、データをちゃんと調べたわけでもな
い。そういうことを着実に地道に調べるようなエネルギーじゃないわけです。

じゃ、わたしが、誰に頼まれもしないのに、自分からこんなものを出そうとす
る個人的な<根拠>は、何もないのか、となれば……。
いえ、自分なりには、何もないこともありません……。

ないことは、ありませんが、でも、それって、わたしの場合は、じつは、とて
も「哲学的な話」なんです。
だから、人にはそんなにピンともこないし、話したところで、“それは認識論
の話だろ。事実じゃないじゃん”って、ことにしかなりません。

「認識論って言っても、わたしにとっては、<自分が生きている>ということ
と同じ程度には確実なことではあるんだけど……」と、結局、不得要領に口ご
もることになります。

ま、わたしが一番興奮するその「哲学ばなし」も、聴いていただきたいとは思
いますが、でも、それがこの『アセンション館通信』の“ミソ”じゃ、ちょっ
と寂しいですよね。

ね、この『アセンション館通信』の“ミソ”は、それじゃありません。

あなたは、何だと思います? (^^;)

いや、もったいぶるのは止めましょう。

ひとつはね、わたしがこれを書くことを“ほんとに楽しんでいる”ことです。
これ、ホント。エンジン部分の内的真実としてはね。

でも、『アセンション館通信』のいわば“対外的なミソ”が、あるとしたら、
それは、何でしょうね?

わたしはね、自分で言うのはちょっと口幅ったいのですが、それは中で飛び交
う言葉の <振幅の大きさ> じゃないかと思うんです。(*^_^*)

「この地球上の人々にとって、ことばは容易にうかんでくるものです」
                         『あなたの神話』p38
まさに、そのとおり。

われわれって、ことばが“容易にうかんでくる”だけじゃなくて、その“容易
にうかんでくる”ことばに、これまた簡単に興奮するんですよね。(*^_^*)

わたしのお師匠さんは、沈黙から出てきては、喋りに喋りまくる人ですが、わ
たしだって沈黙の方はとんと真似してないけど、“喋りに喋りまく”る方は、
ちゃんと真似してますからね。(^o^)

でね、この『アセンション館通信』の“ミソ”は、口から出任せで、“振幅の
大きな”言葉を乱反射させることによって、一見のお客さんには「これ何?」
と思っていただく一方で、常連のお客さんには透徹した眼で、乱反射する言葉
の無意味さを洞察していただき、あわよくば、いつか自分も、乱反射して相殺
し合う言葉の外に出ている、なんてことができないか、という遠大な構想があ
る……、とかなんとか。
(なんて、これ、全部、今捻り出した言葉ですからね。(*^_^*))

要するに、不安定に揺動する振幅の大きな言葉を喋り散らかせば、それこそ、
地球の集合意識が形成している“シェルドレークの形態形成場”を少しは揺ら
して、われわれを閉じこめているスカル(頭蓋骨ね)に少しひびでも入るんじ
ゃないか、という遠大な計画ね。(*^_^*)

“落語”と“哲学”で、“集合意識”に挑戦というわけです。

しかも、内部崩壊せずに、<出し続ける>です。
これが、至難の業でなくて何であろうぞ。(^_-)

では、お後がよろしいようで。m(_ _)m

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<< もくじ >>

1.『アセンション館通信』の“ミソ”とはなんぞや?

2.何がなんだか?

3.哲学話:「霊主体従」ということ――1(「痛みを感じるロボット」)

4.今週の言葉:

5.今週のお薦め本:
        『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』 

6.いただいたお手紙から:(←最後に、すごいプレゼント:要注目 (@_@))

7.編集後記:《マインドの洞窟》
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■ 2.何がなんだか?
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前から、“アセンション”って、何がなんだか分からなくなること、なんて感
じを持っているんです。

それで、自分が持っている価値観を揺らされるようなことがあると、なんだか
嬉しくなる、というちょっとマゾヒスティックなところがあります。

最近、何十年ぶりで吉本隆明さんの本を買いました。
『「ならず者国家」異論』っていう本ですが、ご存じですか?

それが自分でもいかにも“らしい”と思うんですが、買った理由というのが、
本屋さんで、この本を手に取ったとき、「まえがき」のこんな文章が目に入っ
てきたからです。

「わたしは日本の今日の公認の政治党派を全く信じていないが、状況の極限で
は自分で自分の考えを信ずるほかないところまで追い詰められることもありう
るのではないかと思っている。」

吉本さんみたいに、傍目にはこれまで“自分で自分の考えを信ずる”ことしか
してこなかっただろうと思われる方が、改めて、“状況の極限では自分で自分
の考えを信ずるほかないところまで追い詰められることもありうるのではない
か”なんて、なんだか、とても嬉しい発言ですよね。(*^_^*)

それで、思わず買っちゃったというわけです。

以前、古くからの友人に、
「いやー、つくづく自分は、“知ったかぶりの愚か者”だった」
と言ったところが、彼曰く、
「それを言うなら、ぼくなんか、“知らないだけの愚か者”だった」
とおっしゃいましたね。

後から思うに、これって、じつに正確でしたね。
じつは、よくよく考えてみたら、自分もたしかに、“知らないだけの愚か者”
でしたから。

(この“知らないだけの愚か者”状態のことを、養老猛司さんは『バカの壁』
 とおっしゃったんじゃないでしょうかね。(*^_^*))

で、ところどころ、拾い読みで読んでみると、吉本さん、他のところでも繰り
返してブツブツ言っているんですね。

「ただ、今回のイラク戦争をそういうふうに見たとしても、戦争の根拠となる
ぎりぎりのところがもうひとつみえてこない。アメリカはどうしてあそこまで
やるのか、究極の根拠がわかりにくいのです。いろいろな原因をひとつひとつ
挙げていっても、ちょっとそれだけではないぞ、「何か」別の要因が入ってい
るんじゃないかとおもえてくるわけです。
 では、その「何か」とは何か。それがいまのぼくにはわからない。なぜこん
な戦争になってしまうのかといった場合、経済的利益とか土地の収奪とか、そ
ういうことが究極の原因ではないとしたら、何かほかに意味のあることがある
のだろうか。どう考えても、ありそうにおもえない。そうすると、いまはまだ
顕在化していないけれども別な「何か」があるんじゃないかとかんがえるわけ
です。その「何か」とは何なのだ。そういう「何か」が残るような気がして仕
方ありません」

ね、面白いでしょ。(*^_^*)
とっても素敵だと思いました。

“知ったかぶりの愚か者”ぶって、いや、吉本さん、きっとその「何か」って
<必然>のことですよ、なんて言っても、さして面白くありませんものね。

でも、ずっと、“世の中”と付き合い続けて「情況論」を書き続けてきたであ
ろう吉本さんが、そういうふうに“ぎりぎりのところがもうひとつみえてこな
い”なんて言うのを聞くと、なんか、ホントに押し寄せてきてるのかなぁ、と
思えて、ま、わたしなんか、好きですね。

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■ 2.哲学話:「霊主体従」ということ――その1
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いくら“あちら側から”の受け売り情報が専門ですと言っても、やはり、何も
ないのに、最初っから“あちら側”情報の専門にはなりませんよね。(^^;)

こんなにも“あちら側”情報に傾いてしまったついてには、自分なりの理由が
あることはあります。

それが、唯一このメルマガが自給できる情報なのですが、それがどもうも、あ
まり人様にはピンとこないらしい“哲学話”なんです。(-_-;)

でも、そんな情報でも“枯れ木も山の賑わい”で、やはり自給できる情報には
それなりの価値があると思います。

そういうのも読んでもらえたら、それもわたしにとっては嬉しいですし。

この『アセンション館通信』というメルマガの発行者が、唯一、現在の自分を
根拠にして断言できるのは「霊主体従」ということに対する確信だけです。

その確信が、怪しげな“宇宙ゴシップ”が必ずしも地上のゴシップより根拠薄
弱というわけでもない、という一種の“相対感”の根拠になっているし、ひい
てはこんな“アセンション”などという怪しげな情報にまで辿り着く牽引力に
もなったわけです。

考えることが好きな人間として、いろんなことを、ああでもない、こうでもな
いと考え続けるわけですが、結局、自分が<生きている>ということ、自分が
<存在>しているということ、自分が<意識>であるということ、どうしても
そういうことが自分にとっては一番直接的なことだし、すべてはそこに収斂し
ていく。

そして、そういう感じの論理的帰結を一言にまとめるなら、どうもそれが古神
道などでいう<霊主体従>ということらしい、という感触を持つにいたったと
いうわけです。

で、その、いわゆる古神道などでいう<霊主体従>というのが、わたしなどに
とっては、どういう意味合でイメージされているのかということを、ちょっと
聴いていただけたらと思います。

つまりは、<意識>というものを、ああでもない、こうでもないと、いろんな
ふうに言ってみているだけなのですが……。

“哲学話”が好きな方はあまりいないらしいので、面倒な方は、どうぞ、飛ば
してください。

まずは、わたしなどにとって<意識>というのがどういうイメージなのか、と
いうごく単純なことについて言っています。

少なくとも、それは“モノからは作れないもの”だということを。

昔書いた文章から、引用させていただきます。
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痛みを感じるロボット

 例えば今、あるロボット工学者がひとつのロボットを作っていると想像して
みよう。 街を歩けるロボットだ。
 そのロボットはたくさんのものを見て、たくさんの判断を下さなければなら
ない。そして今、最も単純化した形態で、足の動作と目の動作をコントロール
する制御部分が完成したとしよう。
 これから完成させなければならないのは判断部分だ。
 まず工学者は、そのロボットが絶対に安全な道路部分を歩いていると前提し
 て、四つ角で止まる判断を設定する。つまり四つ角で前方の信号を確認し、
その信号が赤であればそこで止まり、青であれば前進する判断をセットするわ
けだ。これが現在の地球上のロボット工学が達成しているパターン認識の水準
で可能かどうかはともかく、原理的に可能であることは確かだろう。

 馬鹿げた想定だが、例えばそれが完成したとロボット工学者が考えた時点で、
大胆にも彼が実験に乗り出したとする。
 そのロボットは街頭に乗り出し、街を歩く。ところが不幸にもたまたま信号
を渡っている最中に暴走車が現れてそのロボットを跳ね飛ばしたとしよう。そ
のロボットには通常の人間の姿をさせていたのだが、うんともすんとも言わず
に跳ね飛ばされた。その結果を見て、これも馬鹿げた想定だが、そのロボット
工学者が、そのロボットが跳ねられた瞬間に人間並の悲鳴を上げなかったこと
をいたく恥じたとする。そしてそれ以来、彼はロボットに痛みを訴えさせる研
究に入ったとしよう。
 無論、いつかその工学者の研究は実って、そのロボットにある種の衝撃を加
えると、その衝撃の度合いに応じてそれなりの反応を起こすようなロボットを
作ることに成功するだろう。

 しかしその完成したロボットが「痛いっ!」と発声するのを聞いて、そこに
本当の“痛み”という内実が存在すると思う者がいるだろうか。
 少なくともそのロボット工学者だけは、その悲鳴が自分が仕組んだ電子回路
による演算結果の出力表現にすぎないことを知っているはずだ。
 つまり赤信号を見て止まり、青信号を見て進むロボットを制作できたという
ことは、そのこと自体ではけっして、私たちが信号を見ている時の、その“見
えているという内面”を作ったことにはならないということだ。
 コンピュータで人間のマインドの判断を代行する部分を作れるということと、
そのような判断が起こっている人間の<内面>を作るということとは、まった
く別のことだというにすぎない。
 さっきの赤い信号を見て止まったロボットは、全視野の中の信号機というパ
ターンを認識し、その信号機が赤を表示していることを受信して、歩行を止め
ることはできる。しかしこのことで確認されるのは、そこに外界の刺激という
“入力”と、歩みを止めるという“出力”の存在だけで、人間の判断の場合に
おける“見えているというその内面”の存在が確認されたわけではないことを
理解しなければならない。

 では、その“見ているという内面”そのものはどう作ればいいのか。
 もし本気で人間の“心”を機械で作ろうと思う者がいれば、それを考えなけ
ればならないはずだが、おそらくそれを考える者は、それを作ろうとは思わな
いだろう。
 なぜなら、それは人間が作成できるものではないからだ。
 その見えているというそのこと、自動車にはねられたときに起こる痛みその
もの、あるいは難しい判断を迫られているときの悩ましげなその内面そのもの、
それが起こっている場所が<意識>だ。

 その<意識>は、作ることができない。
 コンピュータの中にもし<意識>が前提されるとしたら、それはもともとの
シリコンチップの中に存在している鉱物の<意識>だろう。東洋では、この鉱
物の<意識>を「眠れる<意識>」と言い習わしてきた。 

            『21世紀への指導原理 OSHO』(p142-144) 

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■  3.今週の言葉
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「オウム真理教」の地下鉄事件の主犯、麻原彰晃さんの第一審判決が出されま
したね。

“麻原彰晃さん”なんて言うと、「なんだお前は“オウム真理教”か」なんて
言われるかもしれませんけど。(^^;)

でも、わたしは個人的に家族を殺されたわけでもないので、“麻原”と呼び捨
てにしたいという感情も湧かないし、そうNHKに合わせて“麻原彰晃こと松
本智津夫被告”なんて言わなくちゃならない義理もないしね。

ほんとか嘘か知らないけど、よく、“あなた方の中には人を殺したことがない
人もいないし、人に殺されたことのない人もいません”なんて言うじゃないで
すか。

でもさ、けっこ、人を殺すと大変みたいなことも言うのね。(@_@)

麻原さんも、今は随分、平気そうな顔してつっぱってるみたいだけど、あんな
に自分を悪い子にしちゃって、これから、結構、大変なんじゃないのかな。

Temple さんに教えていただいて、『ラムサ ホワイトブック』を読み囓って
るんですけど、ラムサさんは、こんなこと言ってますよ。

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃<今 週 の 言 葉>                      ┃
┠────────────────────────────────┨
┃ 人を殺してしまった者に対して思いやりを持つことを学んでほしい。┃
┃なぜなら、殺人という彼らの「征服」が終わると、彼らは消化しなけれ┃
┃ばならない感情をかかえることになるからだ。そしてその作業には、し┃
┃ばしば何千年もかかる。殺された者は、次の瞬間には新しい体を持つわ┃
┃けだが、殺した者は、このことをけっして忘れないのである。    ┃
┠────────────────────────────────┨
┃                 『ラムサ ホワイトブック』p115┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

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 ■  4.今週のお薦め本:

       『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』 
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書名  『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』 
著者  C.ダグラス・ラミス
発行所 株式会社平凡社(2000年9月25日初版第1刷発行)

『アセンション館通信』第2号は、あらかじめ「お薦め本」の対象枠を広げて
おくために、“あちら系”の情報ではない、きわめてグラウンディングした
情報をご紹介したいと思います。

といっても、じつは「アセンション資料館」では既にトップ画面でご紹介して
あってちょっと申し訳ないのですが、このところ“きな臭い”話題が多いので、
「戦争」とか「日本国憲法第九条」とかいうことについて考える場合に、どう
しても基本的な“情報”として、これは是非みなさんにご紹介しておきたい、
と思う本です。

「日本国憲法第九条」の理解についてはわたしは和田重正先生の『自覚と平和』
が基本中の基本文献だと思っていますが、最近読んだ吉本隆明さんの『「なら
ずもの国家」異論』にも「平和憲法は唯一の戦利品」という項目がありました。

その内容を読む限り、和田先生、ダグラス・ラミスさん、吉本さんは、「憲法
第九条」の理解については、基本的に同じことをおっしゃっているようです。

今回ご紹介する、このダグラス・ラミスさんの『経済成長がなければ私たちは
豊かになれないのだろうか』という長いタイトルの小さな本は、中身はじつに
大きな本とも言えます。なにしろ、ご本人はこの本のタイトルを『二十一世紀
へのコモンセンス』としたかったようですから。

じつにユニークな書物で、いろいろ著者独自の洞察が展開されているのですが、
中では著者が“発展イデオロギー”と呼ぶ「成長史観」に対する批判が中核だ
とおもいます。

でも、わたしが是非ご紹介したいと思うのは、[第二章]「非常識な憲法?」
であり、その中でも特に「第九条は現実的な提案だった」には、じつに、うな
らされました。

本当はその箇所をここで引用したいのですが、どうも社会常識的には、それが
ここで許されるかどうかわからないので、それはちょっと遠慮しました。
引用箇所は、「アセンション資料館」でご覧ください。
https://www.ascensionkan.com/books/common-21.html

「アセンション資料館」の「私評」は、こんな↓具合です。
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2000年7月のちょっとした個人的状況の発生以来、しばらく本というものを買
わなかった。
 そんなわたしが二ヶ月ぶりか何かで外出して本屋に立ち寄ったとき、なんと
なくタイトルが気になって手に取ったのがこの本だった。
 偶然というのがあるのか無いのか知らないが、しばらくぶりに最初に買った
本だったことを憶えている。
 それまでダグラス・ラミスさんという存在を知らなかったわたしにとって、
この本の読書体験はまさに最初から最後までそれこそ“目から鱗が落ちる”驚
きの連続だった。
 和田重正先生の『自覚と平和』にあった“日本国憲法の第九条は宇宙的必然
によって誕生したものだ”という洞察を、この本のように的確に納得させてく
れた本を他に知らない。
 この書をここで取り上げるのは、何もわたしのつまらない書評を書きたいか
らではなく、ただただ、次の引用文を掲載したいために他ならない。
 こういう類のページで通常許される「引用文」の長さを超えているとは思う
が、何しろどうにも短くしようがなかった。
 わたしは、ダグラス・ラミスさんも平凡社も長すぎる引用を非難するはずが
ないことを確信している。(2004,1/19) 
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ちょっと引用をご覧になりたい方はこちら↓
https://www.ascensionkan.com/books/common-21.html
手っ取り早く本を入手したい方はこちら↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582702279/ascensionkan-22/
249-2936324-0679569

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■  5.いただいたお手紙から:
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前回の『アセンション館通信』は、創刊号ということもあってか、何人かの方
からご祝辞をいただきました。こういう小さなメルマガは家庭的でいいですよ
ね。みなさん、お優しいです。

それぞれ、みなさんのご了解を得て、ご祝辞・コメントなどをご紹介させてい
ただきます。

陸いるかさんからはこんなお祝辞をいただきました:
----------------------------------------------------------------------
こんにちは。はじめまして。
いつも「アセンション資料館」を拝見させていただいてます。
この度はメルマガ発刊おめでとうございます。(^ ^)

「アセンション資料館」を知ったのは、
去年の11月か12月頃だったと思いますが、
それから、コメントを参考にさせてもらいながら、
本を購入したりしています。
ずいぶん参考になります。(^ ^)

そして、メルマガのこの↓コメント。
非常に共感します。

>この『アセンション館通信』というメルマガは、今のところ、その存在の根拠
>がきわめて希薄です。それは購読者の数という意味ではなく、拠って立つ“集
>合意識”の基盤という意味においてです。

>その“集合意識”自体に働きかけようとしているのだから、それは最初から
>覚悟の上のことだし、そのことに苦情を言うつもりはありません。

>しかし、どの辺に焦点をあわせてものを言えばいいのか、については、じつに、
>揺動し続けているのです。

>それは、じつは<自分が知らないことについて語ろうとしているからだ>とい
>うことは自分でもよく分かっています。

>しかし、自分で知っている人は、けっしてこのようなものを書こうとはしない
>だろうし、そういう時節の方にはそういう時節なりの“在り方”があるのは、
>当然です。

アセンションが、固定観念や思い込みを乗り越えていく道ならば、
この世界はあるゆる分野で思い込みに満ちていて、
語ろうとすれば、実にいろんなことがありますよね〜。

もっとも、精神世界系の情報が真実であると確信している人は、
信じていない人によって、それは「思い込み」だと指摘されるわけですが。。

悩ましいことに、自分自身も「確信」しているだけで、
直接「知っている」状態ではないんですよね。

自分も含めて、みんな、どのようにして知るようになるのでしょうね?
加速度がどんどんついて、あるとき以降、
みんな一気に知るようになるのでしょうか?
でも、自分的には、それまで待てませんね〜。
「自分は知っている」という観念(あるいはハートの感覚)が、
知っている現実を創造すると言いますが、
自分が知らないことについてこれまで以上に
積極的に語る決心をされたpariさんは、
語ろうとする意志によって、
「確信」の状態から「知っている」状態へ移行されていくのでしょうね。
このこと自体が、メルマガとともに集合意識へのきわめて強力な
働きかけになるのではないでしょうか?

陰ながらこのメルマガならびにアセンション資料館を
応援しています。
pariさんのお力を借りながら、
私自身も、自分に気づきと変容をもたらしつつ・・・。

陸いるか
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Yoshiro さんからのお祝辞です:
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おはよう、ぱりさん

「アセンション館通信」の創刊号、おもしろかったよ。
ウエスタンのアセンションものよりもいいなぁ。

やっぱり、この話題はMLでしゃべるよりも、メルマガの方が正解。
よけいなツッコミが入らないので、純密で行ってください。
このまま、ローリング・ストーン!

なんたって、ぱりさんはもう「ぱりさん+かんちゃん」が
今のぱりさんですからね。
なぜならば、よしろーは「よしろー+かんちゃん」が
今のよしろーだからです。
この立証をもて、お祝いの言葉に代えさせていただきます。

LOVE   Yoshiro
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Akaam さんからのお祝辞はとても長かったので、その一部をご披露します。
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さて、内容ですが、気楽に読めました。
とくに私の場合、筆者の文体にあまりにも慣れ親しんできたためか、疲れも感
じることなく、ツルツルと素麺を食すように、抵抗なく読めてしまうのでした。

これは、もちろん、「ザ・アセンション・オタク」を自称する筆者の知識や思
考の範疇についてゆけるだけの予備知識等があってのこととは思います。
しかし、文章自体の持っている独特のリズムというのに合わせて、筆者の思索
または戸惑い、もしくは戦き、さては踊りながらの千鳥足(笑)の足跡をたど
る面白さが、身辺に転がっているどの情報と比べても、比類のない情報として
違和感も苦労もなく読めてしまう大きな動因となっているんでしょう。

回りくどい言い方になったけど、つまりは、あの、

《お噺出前》とおんなじことよ!!
(⌒▽⌒)

そこに、他の誰でもない、Pariという個性が居て、語っている。それに耳傾け
て、茶を飲んでいる。

ふんふんふん。それからぁ? 

と、まあ、こんな感じですわ。

知的なレベルに限定されない、情緒も身体性さえも含んだ臨在(Presence)を
楽しめる点が、友人の発行するものを書簡ではなく、わざわざ不特定多数の
人々が同時に閲読しているはずのメルマガで見る醍醐味です。
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みなさま、過分なお言葉、ありがとうございました。m(_ _)m


ところでもうお一方、こういう(匿名希望の)方がいらっしゃいました。(^^;)
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はじめまして。

『アセンション館通信』を購読させていただいております。
その中で、ラムサに触れられているのを拝見しました。
私は以前にねもっち氏の「神との対話ML」でラムサ旧版のオンラインテキス
トがアップロードされているという情報を知り、削除されないうちにダウンロ
ードしておいたことがあります。(^_^;)
そのデータが今でも手許にありますので、今後ほかの方々のアセンションを助
けるためにラムサをご紹介されるのにお役に立つかもしれませんので、それを
ここに一方的に送らせていただきます。(添付ファイル)(^_^;)

なお、私は「神との対話」シリーズ第5作目までのテキストと、「心身の神癒」
第7話までのテキストも、同様の方法で持っております。
必要でしたら一声お掛けください。
ちなみに、「心身・・」の方は今でもオンライン上にあります。
http://www.otc.ne.jp/~bolivi-/sinyu%20[0]%20index.html
----------------------------------------------------------------------

というわけで、じつは、わたしのところに、
@「ラムサ旧版」のオンラインテキスト (@_@)
A「神との対話」シリーズ第5作目までのテキスト \(@_@)/
B「心身の神癒」第7話までのテキスト (@_@)
を送ってきていただいてあります。(^^;)

これは“内緒”ですけど (*^_^*)、もし上記の資料を、御希望の方がいらっ
しゃいましたら、pari までその旨ご連絡ください。
paritosho@dream.email.ne.jp
匿名氏のご依頼に応えて、送らせていただきます。

“内緒”ですから、どうぞ“密かに”、そして“どなたにで”もこの情報を
お知らせください。\(^o^)/

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■  6.編集後記:《マインドの洞窟》
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久しぶりに、わがお師匠さんの言葉に触れた。

どんな「編集後記」より面白いことは間違いないし、何より“アセンション”
と無縁な話とも思えないので、ちょっとみなさんに“お裾分け”をと思いまし
た。デザートがメインディッシュだったりして。(^^;)

あ、これ、宗教宣伝じゃないからね。
ま、そんなこと思う人もいないだろうけど。

《マインドの洞窟》

愛する和尚、
何年か前、サイコシンセーシス・ワークショップの催眠状態の中で、リーダー
にプラトンの洞窟のたとえ話に誘導されました。
そこでは男たちは背後にある洞窟の出口を決して見ることなく、焚き火のそば
で壁に映る影を見ているのです。これは私に深い印象を与えました。
そしてこれについて話していただければ、とてもありがたいのですが。


プラトンのたとえ話は、洞窟の中で働いていて、壁に映る自分たちの影だけを
見て、壁の上で起こっていることだけが現実だと信じている奴隷たちの話だ。
彼らはその影以外のどんな現実も知らない……。
その影が自分たち自身のものであることすら知らない。彼らは外の世界につい
て、洞窟の外のことについては何も知らない。それは彼らにとっては存在しな
い。

これは最もすばらしいたとえ話の一つだ。途方もない意味を持っている。
これは私たちのたとえ話だ。私たちの人生に翻訳するなら、それは私たちが洞
窟の中に住んでいて、あるスクリーンに映る影を見ており、しかもそのスクリ
ーンについては何ひとつ知らないということを意味している。
私たちはそのスクリーンを超えた世界の存在については何も知らない。
私たちはそのスクリーンの上の影について、それが自分自身のものであるとい
うことすら知らない。正しく見るなら、これは私たちのマインドのたとえ話だ。

世界についてあなたは何を知っているかね? 
ほんの小さな頭蓋骨があなたの洞窟だ。そしてあなたのマインドのスクリーン
だ……。だからあなたが思考、感情、感傷と呼ぶものはすべて影だ――それに
は何の実体もない。そしてあなたが腹を立て、落ち込み、苦悶しているのは、
あなたたちがその影に自己同化することを学んだからだ。マインドのスクリー
ンに投影されているのはあなた自身の怒りだ。またそれは悪しき循環になる。
その怒りはあなたをさらに腹立たせ、さらなる怒りがさらなる怒りを投影して、
それがどこまでも続く。私たちは一生涯、マインドを超えた現実の世界が外側
に存在することなど考えたこともなく、また感傷やフィーリングや感情、それ
らのすべてを超えた世界――エゴを超えた世界――があることなど生涯考えた
こともなく生き続ける。

瞑想のアートのすべてはあなたをその洞窟から外に連れ出し、あなたはその影
ではなく、それを見ている者であることに気づくようにすることだ。そしてあ
なたが見る者になった瞬間、奇跡が起こる。その影は消え始める。
その影はあなたの自己同化を食糧としている。あなたがそれに自己同化を感じ
ていれば、それらは存在する。あなたがそれに自己同化すればするほど、それ
はさらに栄養をもらう。

あなたがただそれを見る者になったら――ただ見るだけで判断もせず、非難も
しなかったら――徐々にその影は消えていく。食べ物がなくなるからだ。
そのときそこには途方もない明晰性、感受性が起こり、あなたは彼方なる世界
を――日の出の世界、雲の世界、星の世界を見ることができる。それはあなた
の外にある。するとあなたは自分の内面にも気づくことができる。それははる
かに神秘的なものだ。
外側の世界はじつにすばらしいが、内なる世界はその千倍も美しい。

ひとたびあなたが何とかその洞窟の外に出られたら、あなたは宇宙意識の一部
になる。内側に、あなたは全永遠を持っている。あなたは永遠にここにいたし、
永遠にここにいるだろう。かつて死は起きたこともなく、また起きることもで
きない。そして外側には途方もなく美しい存在がある。
だから今やそれを「外側」とか「内側」とか呼ぶことは正しくない。それは頭
蓋骨がそれらを二つに分けていたときの古い単語だ。今やそれはひとつだ。あ
なたの意識とその美しい日没とその美しい星の夜、あなたの意識と新鮮なバラ
はもはや別のものではない。なぜなら分離という原理がないからだ。
それはすべてでひとつの宇宙的な全体だ。

          The Transmission of the Lamp, Chapter #9――Osho

美味しかった? 

(しかし、この忙しいのに、よく書いたなあ。pari 記)

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