home > 通信 > 『アセンション館通信』 第20号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.020 2004,7/11(第20号)
☆☆  ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 購読者10,000人:に向けて驀進中、現在211名 (^^)/
-☆☆---------☆☆----------------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉は、「イエスの昇天」から、「地球の次元上昇」
まで、人によってさまざまな包含で使われます。

それで、いちおう、このメルマガではどういう意味合いで“アセンション”と
いう言葉を使っているのか、そのことを最初にお断りしておきます。

●一番、大きな意味合いでは、地球人類が前提とする「情報環境=集合意識」
 が、現在から近未来にかけて、前後で連続性を辿れないほどに、短期間に、
 急激に、総合的、集中的に、飛躍・激変することを指しています。
 (情報環境の量子的跳躍)

 新しい世界では、次のようなことが地球人類の常識(=情報環境=集合意識)
 になると想定しています。

1.生命は永遠である。(わたしたちは死なない)
 ・肉体を離れることはあるが、「わたし」は永遠に生きる。(輪廻転生)
2.わたしたちはひとつである。(原因と結果の法則)
 ・自分が与えるものが、自分が受け取るものである。
 ・個々人というひとつの“現実”は、五感に映る肉体の印象に基づいた物理
  次元固有の幻想にすぎないこと。
 ・その肉体さえも、物理次元の食糧だけで生を保つことはできないこと。
  (「人はパンのみにて生きる者にはあらず」)
 ・「思考」を生み出しているのは個々人ではなく、大宇宙にひとつしかない
  <意識の海=神>(思考波動の流れ)の中で、わたしたちという永遠の魂
  が好みの思考を呼び寄せて戯れているにすぎないこと。
3.大宇宙の中でわたしたちは孤立していない。(多次元宇宙)
 ・大宇宙にはさまざまな位相があり、わたしたちの地球は、その中で物理次
  元の生命圏のひとつを構成しているにすぎない。
 ・太陽系だけを取り上げても、知的な意識生命体が存在しない惑星は存在せ
  ず、各惑星にも、月にも、太陽にも、そして地球の内部にも、さまざまな
  広い意味での人間型の生命体が存在する。
 ・また天体そのものも意識生命体であり、
  大宇宙そのものといえる<意識の海=神>(思考波動の流れ)
  の中に意識生命体以外の者は存在しない。

●次に、上記のような情報環境(=集合意識)の激変が起きる前提として、至
 近未来に、地球人類は、何らかの形で「地球外意識生命体」との接近遭遇を
 大衆レベルで体験するか、または「地球外意識生命体」に対する大衆レベル
 の認知が起きる、といったことを内容に含めています。
 
○あるいは、高度に進化した地球外意識生命体の代表者が地上に降下し、地球
 の代表者たちと連携して、地球統一のための手続きを指導する、とか。
○あるいは、『宇宙船天空に満つる日』が来て、各国の放送電波が中断し、各
 地の上空に展開するUFOから地上に放送が流され、指示に従う人たちをが
 UFOに“救助”されて、当人の同意のもとに、ノヴァ・テラとかいうよう
 な新しい地球に退避させられる、とか。
○あるいは、運のいい方は地表に姿を現した地球内部の住人の支援を受けて、
 地球の内部空間にある彼らの居住圏に招待され、そこに避難する、とか。
○あるいは、世紀の切り替わり目のどこかの時点で、じつは、わたしたちの居
 住圏としての地球は、地球人類専用のアセンションUFOの中に移動させられて
 いたことが一般に認知される、とか。

 具体的な手順はともかく、何らかの形での人類レベルでの地球外知的生命体
 の認知という通過儀礼を終えて、地球人類は『幼年期の終わり』を迎え、太
 陽系の惑星連合、あるいは、銀河系の銀河連盟の仲間入りをする。

●次に、今回、この“アセンション”を一種不可避のものにしているのが、い
 わゆる“ガイア・アセンション”だという認識があります。
 
 西洋の伝統でいうなら「黙示録」の叙述、ハルマゲドン、日本の古神道の伝
 統でいうなら「立て替え・立て直し」を経由した、「ミロク世」、「○九十
 (まこと)の世」の到来といわれるようなものです。
 
 2012年12月22日を境に、地球の惑星軌道が完全にフォトン・ベルト
 の中に入り、地球が光り輝く圏域に入るため、膨大な光(=情報)のシャワ
 ーを浴びることになり、それまでにその光量(=情報量)に耐えられるキャ
 パシティー(受容能力=イノセンス)を準備していないと、その個々人は自
 分の“思い込み”の実現を加速されて、この地球次元で生存できなくなる可
 能性がある、ということです。

 ある意味で、新しい地球に“住みたい”人間と“住みたくない”人間の、自
 己選別が起きるということです。

 この自己選別は、まったく、“正誤”の問題でも“善悪”の問題でもなく、
 ただ自分の時節を自分が決めるだけです。
 
 ただし、もし、その光り輝く世界の住人になることを望むのなら、その人に
 求められているのは、これまでの地球で養成されてきたあらゆる“思い込み
 =判断枠”のゼロクリアです。

 なぜなら、今回は大宇宙の大きなサイクルの節目に当たっており、地球のこ
 れまでの“現実(=ゲーム)”はここで一度ゼロクリアされるからです。
 
 長い夢から醒めようとしないわたしたちは、ここで突然の“目覚まし”の音
 を聞かされることになります。「立て替え・立て直し」と呼ばれてきたもの
 です。

 おそらく、地球の表面が面目を一新するほどの変化を経由するということに
 なるのではないでしょうか。

       …………○…………○…………○…………


 ただし、この『アセンション館通信』の発行人当人は、以上のようなことが
 起こると思ってはいても、知っているとはいえません。

 だから、起きることの具体的詳細を確信をもって語ることはできませんし、
 起こらない可能性も否定できません。

 ただ、上述のことが“すべて起こる可能性”と“すべて外れる可能性”を考
 えるなら、発行人当人が現在到っている自分なりの合理的判断では、“すべ
 て外れる可能性”より“すべて起こる可能性”の方が大きいと確信していま
 す。
 
 つまり、上記の内容のかなりの部分が実際に至近未来にこの地球で起きる、
 と思っています。

 この『アセンション館通信』がイメージしているる“アセンション”とは、
 以上のような意味合いです。

----------------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.そんな世界いらない!!!

2.クイズとイワン・カラマーゾフ

3.<じつは、何の関係もないのです>

4.今週の言葉:神は無条件の愛です

5.今週のお薦め本:『死後の真実』

6.いただいたお手紙から:(chakku さんから「メルマガの読者より」)

7.編集後記:まるで、お芝居みたい。(*^_^*)
----------------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.そんな世界いらない!!!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

いや、今年の梅雨は空梅雨というんですか、暑いですねぇ。(^^;;;

この頃すっかり身体が動くようになっちゃって、毎朝、庭木の剪定なんか始め
ています。

自分ができることが少しずつ増えてきて、それで、なんかいろんなことに感謝
するような気持ちになっちゃって……。(*^_^*)

まるで、自分が少し変わって来ちゃったみたい。

さて、また一週間が過ぎて、“アセンション噺”にお付き合いいただく時間が
やってまいりました。(^^)/

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有のお時間の中で、いかがお過ごしでしょうか?

自分の現実って、自分で動かせるんだな、って思うようになってきました。

もちろん、全然、大袈裟なことじゃないんですが。

なんか、田圃に水を引いたことが自分の場合大きかったんじゃないか、なんて
気がしています。

たとえビニールホース一本の水にしても、一日二十四時間、目に見えて地球さ
んからのサポートを受けているという感じ……、放っておいても、絶えず地球
さんからは“水”をもらい、太陽さんからは陽の光をもらって、常にその恵み
の恩恵を受けているという事実に、気づいちゃいました。(^^;)

ははー、『火水伝文(ひみつつたえふみ)』って、ここのところを言ったのか
なぁ、なんてね。(-_-;)

ま、初心者なんで言うことが“大袈裟”ですが、勘弁してください。(*^_^*)

そしたら、小さい田圃なんで、毎日“田の草取り”なんかしたら、もうそんな
にやることなんて、ないんですよ。

ところが、毎日、外に出る“癖”ができたものだから、なんかするつもりで、
張り切っているのね。(^^;)

それで、結構、庭木が茂っていたもんだから、毎朝、庭木の剪定なんか始めち
ゃったわけです。

そうすると、これまで「できない」と思っていたことが、別に、やればできる
ってことが、わかってきちゃったというわけ。

どうも、身体は動くようになるし、いろんな“お陰”に気づくようになるし、
やればできるみたいな感じは出てくるで、いろんなことに“感謝”するような
気分にまでなってきちゃって、まるで、人が変わってきたみたいだなぁ、なん
て思ってます。あはは。(^^)/


       …………○…………○…………○…………


ええと、それでですね、前号で「意味の位相:意味とは気分のことである」な
んて話を書き始めたんですが、どうも中途半端で終わっちゃったんで、少し書
き足そうかな、なんてつもりでいたんですよね。

ところがどっこい、すっとこどっこい、でしてですね (*^_^*)、ここにきて
“レギュラー”のミカエルさんから、随分と“重たい”感じのメールをいただ
いたんですね。

……うーん、まだそう簡単に、上がりまで駈けのぼっちゃ駄目よ、ってことか
なぁ、とも思うし、もうちょっと、お前さん、別の科白もあるでしょ、それも
出さなきゃ、ってことかなー、とも思うし……、というわけで、急遽(なんて
言って、いつも“急遽”のくせして (^^;))今回は、ミカエルさん“テーマ”
で行くことにしました。

ミカエルさんは、今回は、ちょっと“切れた”という感じで、こうおっしゃっ
ているんですよね。

だんだん、真面目になれなくなってきている人間に、ミカエルさん、真面目な
んだも……。(^^;)

いや、でも、気を取り直して、できるだけ“真面目”モードで行きますね。

今回のミカエルさんは、こうおっしゃっています。
----------------------------------------------------------------------
> 大宇宙にはこんなことがいっぱい!!!
> 
>  突然失礼します。
> 
>  とにかく これ読んでください。
> 
>  本当の話です。
> 
>  http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/lynch.htm 
> (一番下)
> 
>  本当の話です。
> 
>  本当の内容です。 間違いありません。 裁判記録にも書いてあります。
> 
> アルバイトから帰宅途中の女子高生が……
> ……(途中上述HPからのミカエルさんの引用を全部省略します:pari)……
>          
> 「裁判記録」は死ぬほどエグイ内容であった。「コンクリート詰め事件」で
> 検索すればわかる。
> (俺は何時間も涙が止まらず、夜も何日も眠れなかった。たとえ99.9%
> の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、そんな世の中、絶対承
> 認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!絶対、絶対いらない!!
> !!!絶対認めない!!!!!)
> (私の心の底からの叫びでした。)
> 
> 後 栃木リンチ事件というのもそうとう酷い
> 
>   ↑
> 
> こんな感じで次号 載せて欲しいです。 省略しないで欲しいです。
> 
> ミカエル
----------------------------------------------------------------------

ミカエルさん、わざわざ“省略しないで欲しいです”と書いていらっしゃるの
に、こうしてモロ省略されちゃって、腹を立てていらっしゃるかな。

それとも、単に、軽蔑と失望を感じていらっしゃるとか。(^^;)

どちらでもいいのですが、なにはともあれ、こうしてミカエルさんの宇宙に対
する“心の底からの叫び”を、こうして『アセンション館通信』にお寄せいた
だきまして、ありがとうございます。m(_ _)m

なぜミカエルさんがわたしなどにこのような重要な心の内を吐露してくださっ
たのかについては、わたしなりに納得するところがあります。

まあ、大袈裟に言うことを許していただけるなら、“宇宙的必然”だと思って
います。

これまで、何度かミカエルさんにはご質問をいただきました。

「ニーチェの永劫回帰」の恐怖について、「時間」について、「宇宙の構造」
について……、いずれもわたしなどには身に余る光栄というか、身の程を過ぎ
たテーマというか、とても答えようもないようなご質問でしたが、自分なりに
一生懸命に自己流の「答案」を提出しました。

わたしの“自己流答案”が功を奏したとも思いませんが、とにかく、ミカエル
さんからは“まったく同じご質問”はいただきませんでした。

というのは、上述のご質問は、わたしが考えても、宇宙に対するきわめて“知
的”な疑義であって、言ってみれば、「大脳」のほんの表面上に刻まれた疑義
であり恐怖であるにすぎなかったからです。

このようなテーマで“恐怖”に共振するには、余程上手にマインドの“テコ”
を働かせなければならず、またそういう人工的操作で造形された“テコ”は、
同じく、ある程度人工的なレトリックによっても崩壊しうるものだからです。

ミカエルさんは、マインドを“恐怖”の増幅器として使用することにかけては、
きわめて卓越した能力を養成されているのですが、そのミカエルさんがこうし
てわたしに“心の叫び”をお寄せくださったということは、きっと、わたしも
相当の“名人”だったからでしょう。(*^_^*)

この世は、なかなか不思議な世界ですね。

ミカエルさん、あらゆる「エゴ」は、すべて一種の“ヨガ”のようなものだと
思います。

“ヨガ”、つまり訓練です。

ミカエルさんやわたしなどは、さしずめ“恐怖ヨガ”の名人クラスなんです。

エライんですよ。(*^_^*)

というのは、たいていの方は、それほど理屈っぽく宇宙の“否定的要素”を煮
詰めたりはしないものなんです。

ただ、わたしもかなり長く同病を患った者として、そういう病を、馬鹿にする
気はありません。

誰の「エゴ」にせよ、それはいずれにせよ何らかの“ヨガ”であり、誰もが自
分が熟練した“ヨガ”(つまり<意識>が自己同化した「枠組」)から判断す
るしかないし、その「エゴ」の指示に従って身を処すしかないわけですから。

誰もが、それぞれの“ヨガ”において最先端(言い換えれば、極端)であり、
宮沢賢治風に言うなら、誰もが「天才」なのですから。

だから「こんな宇宙は許せない」でも「こんな宇宙には棲みたくない」でも、
一向に構わないわけで、そんな程度の“指示”であっても、人は簡単に命を断
ったりするわけです。

どこかで和尚は、「これ以上素晴らしい世界が考えられるだろうか。賢ければ
考えられない。愚かなら考えられる」という言い方をしていたようです。

でも、和尚を“だし”に使って、ミカエルさんを煙に巻こうというようなつも
りはありません。

「こんな宇宙は許せない」と言って自分の命を断てるのだとしたら、それは、
“自分は、この宇宙の創造者である”と宣言しているのと同じことだとは思い
ませんか。

それは、じつは、無自覚的にではあっても「自分は自分の宇宙で神である」と
言っているということだと思います。

しかし、こんな言い方は、ミカエルさんが問題にしている、あの“アルバイト
から帰宅途中の女子高生”が遭遇した不条理とは何の関係もない、と思われる
かもしれませんね。

第一、“省略しないで欲しいです”と言ったのに、なんで勝手に省略するのだ、
と。

ミカエルさんがそう感じたとしても、もっともだと思います。

それは、「ニーチェの永劫回帰」と、この“女子高生が遭遇した不条理”との
あいだにある、宇宙に対する疑義の質の“差”のせいです。

問題が「ニーチェの永劫回帰」なら、わたしがどんなに“理屈っぽい”言葉を
並べても、ミカエルさんは、それを一応たどらなければなりません。

元々、「ニーチェの永劫回帰」という“恐怖への共振装置”そのものが、きわ
めてメンタル(知的)な世界だからです。

しかし、この“女子高生”の事件に対しては、わたしが理屈っぽい説明を並べ
たら、ミカエルさんは“はぐらかされた”と感じます。

ミカエルさんは、自分はもっと内側の“叫び”を受け取ってもらいたかったの
に、と思うでしょう。

つまり、これまでのミカエルさんとの応対で、わたしはミカエルさんの表面的
・装飾的な“恐怖への共振装置”は排除できたことになります。

ですから、ミカエルさんは“切れて”、今度こそはと、一番の根っこにある恐
怖の根拠を提出してくださったわけです。

いわば、この“女子高生”の事件は、“恐怖ヨガ”の名人ミカエルさんの最後
の「切り札」なのです。

ここで叫んでいるのは、ミカエルさんのメンタル体ではなく、ミカエルさんの
アストラル体だと言ってもいいかもしれません。

ここで、「アストラル体(感情体)」という言葉が出てきたので、ついでに、
わたしが今回、ミカエルさんがわざわざ“省略しないで欲しいです”と念を押
された引用文面を省略した理由をご説明します。

わたしはこの『アセンション館通信』を、分不相応にも (*^_^*)、地球人類の
集合意識をターゲットとする「シェルドレークの形態形成場」に書き込むよう
なつもりで書いています。
(こう書いて、自分でも笑っちゃうけど。あはは。(^^)/)

「形態形成場」に自分好みの波紋を作りたいという子供の遊びみたいな(とい
うか、壮大なというか)幻想を持って書いています。
(だから、こんなに楽しめるのね。(^_-))

当節は、チンドン屋もなかなか理屈っぽいからね。(^^;)

それで、そういう意味では、ミカエルさんが引用してくださった文面は、わざ
わざわたしが『アセンション館通信』の文面として「シェルドレークの形態形
成場」に書き込みたいような内容ではなかったんです。

そんなことなら、第一「裁判記録」という文面があるでしょうし、週刊誌も、
インターネット上のHPも、その他たくさんのエロ・グロ・ナンセンスを掲載
する媒体もあるでしょうから、なにも『アセンション館通信』まで協力しなく
ても、と思いました。(^^)

それと、そういった事件は、この第四次幻想空間を強力に固定しようとする、
“事実”、いわば“次元の金縛り”を強化するエネルギーではあっても、それ
を解放するために投じられる光(=情報)だとは思いませんでした。

また、このささやかな『通信』を読んでくださっている方々に対する配慮とい
うものもあります。

誰もがミカエルさんと同じように反応するというものではありません。

見たい方もいるかもしれませんが、見たくない方もいるかもしれません。

ですから URL は掲載しました。
それぞれの方のご判断にお任せしたいと思います。

みなさま、ミカエルさんが是非ともみなさんに読んでもらいたいと思っていら
っしゃる情報です。ご興味があれば、上述のURLでお読みください。

ちょっと段落を変えます。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.クイズとイワン・カラマーゾフ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

でも、それはそれとして、ミカエルさんが、なぜ今、このメールをわたしに
くださったかについては、わたしなりに非常に納得するものがあります。

ミカエルさんには、とても感謝しています。

そして、ミカエルさんのお気持ちは、自分なりによくわかります。

ミカエルさんに自分なりの回答を書く前に、どういう資質の人間が、こういう
メールを受け取ることになったのかを、みなさまにもご了解いただくために、
ちょっと個人的な話になりますが、まず以下の文面をご紹介しておきます。

https://www.ascensionkan.com/work/mutter-4.html
----------------------------------------------------------------------
『21世紀への指導原理 OSHO』より

舞台裏の独り言C 

 中学生のころ、大発見をしたことがあった。
 それは、“この大宇宙の意味は、ひとりの人間の肉体が支えることができる
「苦痛」の大きさに等しい”というのだった。
 そして、我ながら得意だったのは、それが「人類全体が支える苦痛の総量」
ではなく、「ひとりの人間の肉体が支えうる苦痛の大きさ」であることだった。
「苦痛」の足し算はできないという“洞察”が、自分でも上出来なところだっ
た。
 最初、本当は、“この大宇宙の意味は、ひとりの人間の肉体が支える「苦痛」
の大きさに及ばない”と言い切りたかったのだと思う。けれども、それではい
くぶん客観性に欠けるような気がしたのだろう。そして「等しい」という言い
回しが、数学的で、きわめて客観的な公理のような姿に見えて気に入ったのだ
と思う。

 多分、“この大宇宙にどれほどの意味があるとしても、ひとりの人間が体験
する最大限の肉体的苦痛を正当化できるようなものがあるはずがない”、とい
う気持ちを言葉にしたかったのだと思う。
 あまり幸福な哲学ではないようだが、あるいはそのとき、何か特別の「苦痛」
を考えさせられるような事態に出会ったのかもしれない。この哲学には、何か
「拷問」とでもいったような特別の苦痛に対する想念が入っているような気も
する。

 子どもの頃から鼻の出が多く、医者に見てもらうと蓄膿症と診断された。
 そのとき、「まだ小さいので手術はできないから、大きくなってから手術し
たらいいでしょう」くらいなことを言われたのだった。
 それで、いつかは蓄膿症の手術をしなければならない、と考えるようになっ
ていた。
 その手術に対する恐れが、この大哲学になったのかもしれないと思えば、少
し恥ずかしいような気もする。
 けれども、今思うに、どうもそんなことだったのかもしれない。
 というのは、手術台に乗せられて蓄膿症の手術を受けている夢を、そのあと
何度となく観ているからだ。この手術の夢は、そのあとで高校生になって実際
に蓄膿症の手術をしてからも、何度も観たものだった。

 あの大発見をしたと同じころ、最も安楽な自殺方法についてしきりに考えた
ことがある。
 本人が生きることを望まない状態で、なおかつ生きて苦痛を味わわなければ
ならないという状況を想像すると、どうしても納得ゆかないような気がしたか
らだった。そのとき頭にあったのは、間違いなく、何か「拷問」に掛けられる
というような状況だった。
 そして、人間はいつでも自分が望むときに、ただちに死ぬことができるべき
だ、と思った。
 そのとき考えたのは、一本の歯の中に即死できるだけの薬を仕込んでおき、
万一の場合は、舌でその歯をひっくり返すと、ただちにその薬品が口の中に溢
れて、それで即死できるという方法だった。
 いつか連想は広がって、人間はすべて誕生の時にある種の手術を施されてい
て、本人が本当にそれを望めばほんの微弱な筋肉の動きで自殺できるようにな
っているべきだ、などと考えた。そしてある年齢で、昔の元服の儀式のように、
その体内に施されている装置のこと、またその起動の仕方を知らされるのだ。

 今思うと、どうしてこんなに「苦痛」に対する想像力ばかりが発達していた
のだろうと思う。
 そして後年、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』で次兄イワンが弟
のアリョーシャにした、あの“幼児の苦痛”の話を読んだのだった。それは全
身が震えるような感動であり、私の全細胞が同意を叫んだ。
 おねしょをして折檻された幼児が、押し込められた便所の中で、「神ちゃま」
と助けを求めるとき、その幼児の苦痛を正当化できるような神の法則があった
としても、自分にはそんなものは受け入れられない、というあのイワンの言葉
に。(p83-86)  
----------------------------------------------------------------------

これで、みなさんにも、わたしがなぜ、ミカエルさんからあのようなメールを
受け取ることになったのかの、“裏の事情”のようなものが透けて見えるので
はないでしょうか。(^_-)

シュタイナー教育では、幼児に対する音楽教育はまず長調の曲だけから始める
そうですから、そういう観点からいうなら、年齢に対して不適切な読書という
のもあるのかもしれません。

そういう意味では、わたしの場合など、どうも不適切な読書が多かったのかも
なぁ、という気もしますが、実際にこの世に放り出されてみれば、そんなに都
合良くことは運びません。

たとえ年齢不相応でも、自分のその時々の好奇心をアンテナにして、手当たり
次第に手を出す以外に方法はないわけですから。

だいたい、ドストエフスキーなどという作家を読むのに“適切な年齢”などと
いうものがあるのかどうか……。(-_-;)

背伸びしたい生意気盛りの中学生の頃、『父と子』とか『貴族の巣』などとい
った本を読んで、すっかりロシア文学好きになったと思って、長い汽車の旅の
ために渋谷の大盛堂で岩波文庫の『未成年』という三冊本を買ったのが初めて
でした。一年に二回、東京と北海道を往復していた頃のことです。

しかし、年齢不相応という意味では、わたしの場合は埴谷雄高さんの本の方が、
当たっていたかも知れません。

ドストエフスキー論という意味では、わたしは小林秀雄さんの『「白痴」につ
いて』の方が好きでしたが、しかし埴谷さんに案内された「大審問官」には、
参りました。

後遺症は、こちらの方がずっとずっと大きかった。

わたしはイワンの論理展開を、感情の問題ではなく論理的な必然だと思ったの
です。

和尚の弟子になろうがどうしようが、イワン・カラマーゾフの呪文が、じつは、
猿人の尻尾のように後ろからついてきていました。

わたしがこの“尻尾”を切り落として、イワン・カラマーゾフの呪文圏から脱
出できたのは、本当にごくごく最近のことです。

まあ、感情体の方からじょじょに移行は進んでいたのでしょうが、メンタル体
でのある種の儀式のようなものが必要だったのだと思います。

ミカエルさんのお役に立つかどうか、わたしが「イワンの論理」から離脱した
その里程票をお目にかけます。

https://www.ascensionkan.com/view/ivan.html
----------------------------------------------------------------------
クイズとイワン・カラマーゾフ 

 最近、あるインチキ算数クイズを目にする機会があった。
 これこそが「問題」だとでもいうかのように、その紙にはちゃんと「問題」
と書いてあった。
 「クイズ」の内容はこうだ。

 問題
 三人の男が一部屋 30 ドルの部屋に一人 10 ドルずつ出して泊まることにし
ました。オーナーがその部屋は 25 ドルだったことに気づき、お金を返してく
るようにボーイに 5 ドル渡しました。しかし、そのボーイは 2 ドル盗んで、
1 ドルずつ三人の男に返しました。
 男達は一人 9 ドルずつで合計 27 ドル払っています。
 なぜ、ボーイの 2 ドルを足しても 30 ドルにならないのでしょう。

 すっと、一通り読むと、あれあれ……、どうしてだろう、と思う。
 そして今度は問題をていねいに辿ると……、まあ、そこから先はそれぞれ人
によるだろうが、この問題を眺めているうちに、なぜか、本当にしばらくぶり
に『カラマーゾフの兄弟』の次男坊イワン・カラマーゾフのことを思い出した。


…………○…………○…………○…………


 今にして思えば、埴谷雄高好きの文学少年だった私にとっては、イワンの問
題こそまさに青春そのものだったのかもしれない。
 単純化して言ってしまえば、私の青春はイワン・カラマーゾフの論理を自分
の論理として生きることだったかもしれない、とも思えてくる。
 むろん、ドストエフスキー作品のすべての主人公たちと同じく、イワン・カ
ラマーゾフはじつにエネルギッシュだ。だからそういう意味では、私にはイワ
ンと共通するところなど何もないのだが、ただ、じつに真面目に、その論理を
“生きよう”としたことだけは、事実だと思う。論理を“生きる”などという
ことができるとしての話だが……。
 私にとっては、イワンは単なる小説中の人物というのとは少し違っていたよ
うに思う。
 といって、イワンが好きだったというのでもない。
 むしろ、嫌いだったと言った方がいいかもしれない。
 ただ、そこにイワンの論理がある限り、人生は空しく、そこから自由になる
ことはできないような気がしていたことは事実だ。
 あの頃のように自分の全エネルギーをイワンに共振させる力(というか、ゲ
シュタルト)は、今の私にはもうない。それは、確かなのだが……。
 しかし……、では今の私はもうあのイワンの場所は卒業したのか、もうあそ
ことは無縁になってしまったのかと言えば、何とも歯切れの悪い生返事しか出
てこないようだったのだ。


…………○…………○…………○…………


 イワン・カラマーゾフというのは、私にとっては、人間が持つ「文句」とい
うものの象徴、その純粋な論理化だった。
 それはいうなれば人間の“文句の結晶”だった。
 イワン・カラマーゾフの論理、神に対する「文句」を、もし一言に煮詰める
なら、「この世に不幸な人間がいる限り、自分は幸福にはなれない」というこ
とになるだろうか。
 こう言うと、なんとなく、どこかで聞いた宮沢賢治の言葉に似ているようで
もある(「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」)。
ただ、受ける印象は非常に違った。宮沢賢治は、文句を言っていたわけではな
いから……。
 イワンの論理は、そこから一挙に「だから、自分はこの世界を認めるわけに
はいかない、この世界を創ったという神を許すわけにはいかない」というとこ
ろに飛躍する。
 シュタイナーという人から“血液系”と“神経系”という言葉を聞いたこと
がある。
 血液は天からの呼び声に応えて沸き立ち、神経は地上のあらゆる危険に備え
て緊張するというふうに。
 いわば、自動車のアクセルとブレーキのようなものだろうか。
 そういう言い方ができるなら、イワンは“神経系”の論理のエッセンスのよ
うなものかもしれない。ブレーキを踏みっぱなしでは車は動けないように、
“神経系”の論理が肥大しすぎては、人間は到底生きられない。
 われわれの惑星は“イワン菌”とでもいうべきある種の“混乱”に深く犯さ
れていて、この星の住人はすべて多少なりとも“イワン・カラマーゾフ・シン
ドローム”を病んでいるのかもしれない。
 一見どれほど論理的に見える言葉も、ただ人を意気阻喪させるものであった
としたら……。
 それは、いったい何のための「論理性」なのかということになる。


…………○…………○…………○…………


 そもそも「論理性」自体に、何か固有の価値があるわけではない。
 「帰納法」とか「演繹法」とか……。
 「論理性」とは、思考の途中で無闇な「混乱」に陥るのを避けるための、単
なる“効率”のための指針にすぎないだろう。
 暗闇の中で迷子にならないために、洞窟の入口近くの木に一方を縛り付けて
きた糸のようなものだろう。暗闇の中では一定の効用はあるだろうし、それを
使う必要のある場面もあるに違いない。
 だが、「論理性」自体に、固有の“意味”や“価値”があるわけではない。
 もし、いつの間にか洞窟の中が光で満たされて、出口も何も、一瞬で見渡せ
るような状況が起こったら、それでもなお何重にも絡まった“糸”を辿って、
出口に向かおうとする者はいない。
 「論理性」とは、ある種の「見晴らし」の代用品、擬似的な「見晴らし」を
得るための道具に過ぎなかった。本物の「見晴らし」が自明の時に、「論理性」
の必要はなかった。
 つまり、一見類似した表現
 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と、
 「この世に不幸な人間がいる限り、自分は幸福にはなれない」
とは、ある意味で、まったく別種の波動を出している可能性があるということ
だ。
 一方は、光がどちらの方向にあるかを知っていて、その光に近づくための言
葉を断言として紡いでいる。
 もう一方は、適用範囲を超えて「論理性そのものの“呪縛”」にかかった人
間が、自分が何をしているかを知らずに、生きる意欲を阻喪させるための言葉
を紡いでいる。
 つまり一方は、光に向かった言葉をバネとして、ひたすら天空に向かって天
駈けようとし、もう一方は、混乱回避の手段である「論理性」を使って、さら
に混乱を深め、さらなる闇に身を沈めているわけだ。その意味では、ベクトル
は下を向いている。


…………○…………○…………○…………


 上記の「クイズ」の嘘が見えてきたとき、ふと、イワン・カラマーゾフの論
理の間違いは、上の「問題」と同じ種類の間違いではないのか、それはミスリ
ードから発生した混乱とか、事実誤認による間違いといった類のものだったの
ではないか、という思いがきたのたのだった。
 男たちが支払った 27 ドルに、ボーイが取った 2 ドルを足すことに何の意味
もないように、「この世に不幸な人間がいる」ということと、だから「自分は
幸福にはなれない」ということとは、じつは何の関連もないのではないのか。
 個々に場も違う、タイミングも違う、辿っている道も違う。
 わたしは比較的幼い頃に宮沢賢治を知って、出所は知らぬながら、「世界が
ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉に触れて
その通りだと思った。
 そしてドストエフスキーを読むようになって、イワン・カラマーゾフの「こ
の世に不幸な人間がいる限り、自分は幸福にはなれない」という言葉を知った。
 イワンが弟のアリョーシャに話す「大審問官」の話を読んだときは、全身が
震えるほどに感動した。自分の全存在が共振した。少なくともそう思った。
 しかし、あれほどの共振の本当の理由は、イワンの言葉の妥当性というより
は、むしろわたしの中にそれまで醸成されていた<存在>に対する不満・不信
そのものだったのではないだろうか。
 それが絶好の出口を見つけて、あれほどの共振が起こったのではないだろう
か。
 これはわたしが“けりを付け”なければならない問題だったのだ。
 だから、こんなクイズに触れて、ふとイワン・カラマーゾフが甦ったのだ。


…………○…………○…………○…………


 いたずらに卑下するわけではないが、わたしたちはこの程度の「クイズ」の
“ミスリード”にすら手もなく足を取られるのではないだろうか。
 べつに“わたしたち”にしなくてもいいが、少なくとも“わたし”には、瞬
時にこの「クイズ」のミスリードを見破る明晰性はなかった。
 むろん、この程度の「クイズ」だから、必ず嘘を見破れるという確信はあっ
たし、少し考えてその嘘が“ミスリード”の中に隠されていることが分かった。
 絵解きをするまでもないだろうが、この「クイズ」のミソは
「男達は一人 9 ドルずつで、合計 27 ドル払っています。
 なぜ、ボーイの 2 ドルを足しても 30 ドルにならないのでしょう。」
という“リード文”の中にある。

 事実は、支払いの前後で同じ $30 が次のように場所を変えたにすぎぎない。
 支払い前:A=$10 B=$10 C=$10 ………………………………計:$30
 支払い後:A= $1 B= $1 C= $1 主人=$25 ボーイ=$2……計:$30

 つまり、“男たちが払った 9x3=27$”と“ボーイの2$”を足すことには何の
意味もないわけだ。
 このことが分かったとき、つまり“同じ 30$”が場所を変えたにすぎないこ
と、かつ「問題」の存在根拠がこの現象の解釈から生じている“誤解”にある
ことに思い至ったとき、わたしの頭の中で年来の「イワン・カラマーゾフ問題」
が弾けたのではないだろうか。


…………○…………○…………○…………


 どこかで和尚は、論理的な西欧世界でニーチェとドストエフスキーは最も悟
りに近い所まで行った……、みたいなことを言っていたように思う。
 「論理」で「悟り」を編み出せるわけではないだろうが、彼らは「論理」を
使って“論理の限界”を突破しそうになった人たちなのだろう。
 上手に、合理的に生きるための「論理」、“混乱回避”のための「論理」も、
肥大し過ぎては、“生存回避”のために道しか示すことはできない。
 あるいは、「論理」のある側面は、もう地球では耐用年数をすぎているのか
もしれない。
 もちろん、この宇宙に本質的な意味での「間違い」などというものがあると
は思わない。
 イワンの論理も、イワンというひとつの固有の冒険・固有の意識の位相だ。
 他のあらゆる意識の位置と同じく、間違ってもいなければ正しくもない。
 「お気に召すまま」だ。
 ただ、不幸になることが“お気に召”しているわけではないとすれば、その
限られた意味で、それは“間違って”いるとも言える。
 「イワンの論理」は、みずから不幸であり続けるための“口実”しか提供で
きない。
 そこから、自分の幸福へ、光の方へと向かうことはできない。
 その意味では、語弊はあるが「私の幸福」は「この世の人間の幸福」などと
は何の関係もない、と言ってもいいのだ。
 「私の幸福」は、もはや不幸にエネルギーを注がなくなることにしか関係な
い。
 だが、その理解は「イワンの論理」よりも、お手軽というわけではないよう
だ。
 「自分の不幸」を維持している理由が、自分の中にしかないと分かったから
といって、いかなる瞬間にも「幸福」のみを選択できるかどうか……。
 その場合は、まだ“分かった”とは言わないのだろうが。 (2003.11/9)  
----------------------------------------------------------------------

ミカエルさん、この文章↑は、ちょっと気取っています。(*^_^*)

つまり、まだ、文学をやっている気です。(^^;)

でも、それでは、ミカエルさんのお役には立たないかもしれない。

それでは、せっかくここでミカエルさんの“心からの叫び”に応えて、ご返事
を書く意味がありません。

できれば、この文章で表現した意味を、わたしが獲得したある種の“理解”を、
ミカエルさんにもお渡ししたいのです。

ミカエルさんが、それを受け取るかどうかは、まったくミカエルさんのご自由
です。

ただ、少なくとも、それがどういう意味なのかだけは、お伝えしておきたい。

自分なりにそれをやってから、あとは、ご自分の道を選ぶ自由をミカエルさん
が行使するのに任せたいと思います。

では、段落を変えて、すこし、ご説明します。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.<じつは、何の関係もないのです>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

上の「クイズとイワン・カラマーゾフ」という文章の煎じ詰めた“ミソ”は
----------------------------------------------------------------------
 男たちが支払った 27 ドルに、ボーイが取った 2 ドルを足すことに何の意味
もないように、「この世に不幸な人間がいる」ということと、だから「自分は
幸福にはなれない」ということとは、じつは何の関連もないのではないのか。
 個々に場も違う、タイミングも違う、辿っている道も違う。
----------------------------------------------------------------------
という部分にあります。

しかし、これでは、あまりにも含意が深すぎて、書いている当人は気取って、
いい気持ちなのでしょうが、ミカエルさんには、お役に立てない可能性があり
ます。(*^_^*)

それで、これからちょっと“くどく”書こうと思うのですが、腹を立てないで
くださいね。(^^;)

まず、クイズの問題です。

----------------------------------------------------------------------
 三人の男が一部屋 30 ドルの部屋に一人 10 ドルずつ出して泊まることにし
ました。オーナーがその部屋は 25 ドルだったことに気づき、お金を返してく
るようにボーイに 5 ドル渡しました。しかし、そのボーイは 2 ドル盗んで、
1 ドルずつ三人の男に返しました。
 男達は一人 9 ドルずつで合計 27 ドル払っています。
 なぜ、ボーイの 2 ドルを足しても 30 ドルにならないのでしょう。
----------------------------------------------------------------------

もう、既に一度、上で読んでいらっしゃるので、この問題のインチキがどこに
あるかは、おわかりですよね。

----------------------------------------------------------------------
 事実は、支払いの前後で同じ $30 が次のように場所を変えたにすぎぎない。
 支払い前:A=$10 B=$10 C=$10 ………………………………計:$30
 支払い後:A= $1 B= $1 C= $1 主人=$25 ボーイ=$2……計:$30
----------------------------------------------------------------------

“ボーイの 2 ドル”は、男たちが支払った“合計 27 ドル”の一部ですから、
27 ドルにその 2 ドルを足しても何の意味もないわけです。

ここで、肝心なことは、それにはまったく何の意味もない、ということを、は
っきり理解していただくことです。

“27 ドルに 2 ドルを足しても”まったく無意味です。

ここまで、納得していただけたら、この文章の“ミソ”の前半
----------------------------------------------------------------------
 男たちが支払った 27 ドルに、ボーイが取った 2 ドルを足すことに何の意味
もない……
----------------------------------------------------------------------
は、完全に了解していただいたと思います。

じゃ、今度は、その後半
----------------------------------------------------------------------
……「この世に不幸な人間がいる」ということと、だから「自分は幸福にはな
れない」ということとは、じつは何の関連もない。
 個々に場も違う、タイミングも違う、辿っている道も違う。
----------------------------------------------------------------------
の意味です。

ミカエルさんは、メールで

> 「裁判記録」は死ぬほどエグイ内容であった。「コンクリート詰め事件」で
> 検索すればわかる。
> (俺は何時間も涙が止まらず、夜も何日も眠れなかった。たとえ99.9%
> の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、そんな世の中、絶対承
> 認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!絶対、絶対いらない!!
> !!!絶対認めない!!!!!)
> (私の心の底からの叫びでした。)

と、書いておられる。

わたしにもその意味はわかります。

それどころか、これまでの生涯の大部分、大なり小なり、そのような思いを引
きずって生きてきた人間が言っているのだと理解してください。

この思いは、非常にもっともではあるけれども、じつは妥当性を持たない、あ
る単純な、勘違いに由来しています。

ミカエルさんは、
> たとえ99.9%の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、
> そんな世の中、絶対承認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!
> 絶対、絶対いらない!!!!!絶対認めない!!!!!
と、言っておられる。

そして、それを「論理」だと思っていらっしゃる。

ですが、そう言っているのは、じつは、「論理」ではないのです。

ちょっと認めるのがつらい事実なのですが、それを叫んでいるのは、ミカエル
さんの(あるいは、わたしの)論理性ではなく、ミカエルさんの(あるいは、
わたしの)感情体なのです。

ミカエルさん(あるいは、わたし)の過去に蓄積された“恨み辛みの総体”が
> たとえ99.9%の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、
> そんな世の中、絶対承認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!
> 絶対、絶対いらない!!!!!絶対認めない!!!!!
と、叫んでいるのです。

その“心からの叫び”は、非常に違和感のある言葉に聞こえるかも知れません
が、その“アルバイトから帰宅途中の女子高生”が受けた激烈な暴行とは、

        <じつは、何の関係もないのです>

(@_@)

それが、さっきの“ミソ”に書いた、
----------------------------------------------------------------------
 個々に場も違う、タイミングも違う、辿っている道も違う。
----------------------------------------------------------------------
の意味です。

ミカエルさんは、

> たとえ99.9%の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、

と

> そんな世の中、絶対承認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!

を、論理的な帰結、論的必然だと思っています。

でも、この上下二段の「言明」は、数学の「仮定」と「結論」のようなもので
は、まったくありません。

これは、
----------------------------------------------------------------------
 男たちが支払った 27 ドルに、ボーイが取った 2 ドルを足すことに何の意味
もない……
----------------------------------------------------------------------
のと同じ、論理的にはまったく無意味な“飛躍”なのです。

> たとえ99.9%の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、

だからではなく、そんなこととはまったく無関係に、ミカエルさんの中には
もともと、

> そんな世の中、絶対承認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!
> 絶対、絶対いらない!!!!!絶対認めない!!!!!

という“心からの叫び”が内在しているのです。

その“心からの叫び”が、“アルバイトから帰宅途中の女子高生”の情報を口
実にして噴出しているだけです。

そして、そう叫んでいる限り、ミカエルさんは、何度も何度も、「ニーチェの
永劫回帰」を恐怖するために戻ってこなくてはならないわけです。

ちょっと恐いかも知れませんが、できれば、もう少し付き合ってください。

ミカエルさんは、自分がどうしてそのような情報にだけ、これほど執着するの
か考えてみたことがありますか?

その理由は、ミカエルさんがこのような情報に脅迫的に回帰しなくてはならな
いある“必然性”を抱えているからです。

ミカエルさんの感情体の中には、“死ぬほど”ミカエルさんに“承認して”も
らい、“認めて”もらいたがっている部分があります。

でも、どうしてもミカエルさんに承認してもらえない。

それで、仕方なしに、“女子高生”の記録となって、あるいは激烈な暴行を働
いた男たちの記録となって、ミカエルさんの注意を喚起しようとするのです。

でも、ミカエルさんはそれが自分の一部だとは、どうしても“認め”られませ
ん。

だから、“論理的必然”として、
> そんな世の中、絶対承認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!
> 絶対、絶対いらない!!!!!絶対認めない!!!!!
と叫ぼうとします。

「自分は違う!!!!」と叫ぼうとするのです。

……この先を言うことは、わたしには越権行為です。

でも、その“女子高生”がどのような経緯によってそのような激烈な暴行を受
けることになったのかを、
> たとえ99.9%の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、
という一言で括ることは、できないだろうとわたしは思っています。

それが、
----------------------------------------------------------------------
 個々に場も違う、タイミングも違う、辿っている道も違う。
----------------------------------------------------------------------
と書いたことの含意です。

(その“女子高生”も、余程の必然性がなければそれだけの激烈な体験を自分
 の生涯に招き入れる“決心”はしなかったでしょうから。)

ですから、そのように、ご自分が引き寄せられる情報の恐ろしさによって、
> そんな世の中、絶対承認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!
> 絶対、絶対いらない!!!!!絶対認めない!!!!!
と、世界、あるいは宇宙の否定にまで、感情的に一挙に飛躍するのではなく、
その“女子高生”にそれほどの暴行を働いた男たちの絶望の深さを感じようと
してみてください。

なぜ、その男たちはそれほどの暴行を働かなくてはならないのでしょう。

その方たちは、愛された経験がないのです。

だから、自分が愛されるに値する人間だとも、自分に人を愛する能力があると
も信じていないのです。

となれば、人間は自ら信じる信念によって、自分の現実を呼び出すより仕方あ
りません。

彼らは、自分が罰されるべき人間だと信じているのですから、罰されるべき行
為をして、しかるべき処罰を自分の現実に呼び出すより仕方ないのです。

まず、その人たちを赦(ゆる)してあげてください。

その人たちは、ミカエルさん(あるいは、わたし)の中で、赦しと承認を乞う
ている部分であることは間違いないのですから。

         <わたしたちはすべて一体である>

わたしたちのなかに、殺人を犯したことのない者、殺された経験のない者、自
殺した経験のない者はいない、と聞いたことがあります。

わたしには、過去世を思い出したりした経験はありませんが、多分、その通り
なのだろうと思っています。

わたしたちは、たくさんの、たくたんの経験を、この地球劇場で共同創造して
来たのです。

もう十分に、やったのです。

もうこれ以上、他人(ひと)を否定してみても仕方ありません。

他人(ひと)を否定するどころか、恥ずかしさのあまり世界を、宇宙を、神を
否定してみても、仕方がないと思います。

ミカエルさんのお気持ちはわかります。

でも、ご自分の一部を否定することは、その部分を暗闇の中に押し込めておこ
うとすることです。

でも、“暗闇の中に押し込め”られたその部分は、苦しさのあまり、愛に飢え
て、承認を求めて浮上してくるより仕方ありません。

ミカエルさんはどうしても、“アルバイトから帰宅途中の女子高生”に遭遇せ
ざるをえないわけです。

ちょっと乱暴に思えるかも知れませんが、出会うものすべてをそのまま認めて
あげてください。つまりは、ご自分を赦してあげてください。

ミカエルさんは、永遠に死なないのですから。

前にお話しした、「シャボン玉宇宙論」を憶えていらっしゃいますか?

その“女子高生”も“シャボン玉宇宙”の一点なら、暴行を働いたその男たち
も“シャボン玉宇宙”のそれぞれの点です。

その男たちを否定して、ミカエルさんが存在できるわけではないのです。

結局は、自分のその部分に光を当て、それを受け容れるしか、やりようはない
のだと思います。

愛の存在を学ぶことは“必修のコース”だそうです。

いつ学ぶかだけが、われわれに任されているのだそうです。

----------------------------------------------------------------------
自由意志とは、あなたがカリキュラムを設定できるという意味ではなく、ある
ときに何を学ぶかを選択できるという意味である。
                          『愛への帰還』p13
----------------------------------------------------------------------

…… (-_-;)

(@_@)

今日は、十分に喋りすぎましたね。

さて、次号を書き続けられる余地を残して置かなくては。

お後がよろしいようで。m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 4.今週の言葉:神は無条件の愛です
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

こんな言葉を言ったり聞いたりした後では、死後の世界の存在について、科学
的な言葉も聞いてみたいとは思いませんか?

そういうことを言ってくれる科学者ってこれまではなかなかいなかったんです
よね。

最初の突破口を開いた第一人者、ターミナル・ケアの代表的存在である
キューブラー・ロス博士の言葉です。

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃<今 週 の 言 葉>                      ┃
┠────────────────────────────────┨
┃ 教会では幼い子供たちに、一人ひとりを守ってくれる守護天使につい┃
┃て教えていますが、これは事実に基づいています。人間は誰しもその誕┃
┃生から死に至るまで、霊的な存在に導かれていることが証明されていま┃
┃す。信じようが信じまいが、誰にも霊的なガイドがついているのです。┃
┠────────────────────────────────┨
┃                       『死後の真実』 p25┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

あ、やっぱり、そうなんですか。(@_@)

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃<今 週 の 言 葉>                      ┃
┠────────────────────────────────┨
┃ 神は無条件の愛です。みなさんんはこの地上での人生を振り返る際、┃
┃自分の運命を神のせいにしたりはしません。むしろ、自分自身を成長さ┃
┃せるたくさんの機会を見過ごしてきたことで自分を責め、自分自身が最┃
┃強の敵であったことに気づくでしょう。              ┃
┠────────────────────────────────┨
┃                       『死後の真実』 p31┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

そういうことなのかぁ。(-_-;)


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 5.今週のお薦め本:『死後の真実』 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
原題  ON LIFE AFTER DEATH (c)1991
著者  E・キューブラー・ロス
訳者  伊藤ちぐさ
解説  阿部秀雄
発行  日本教文社(1995年4月15日初版発行)

今日みたいに、分不相応の話を書くと、そういう話とのバランスを取るために
はどうしても、死が存在しないということ、換言すれば、死後の世界が存在す
るという、いわば自分が体験していないことを前提にしてものを言っている、
ある種の“居心地の悪さ”みたいなものがありますよね。(^^;)

「なんで、お前はそんなエラそうなことが言えるの?」ってわけです。

そういうことが問題になるたびに、いちいち、ばんたび“へこんで”いてもい
いんですが、もう、そういうことって、前提にしちゃってもいいのかなぁ、っ
て気にもなります。(^^;)

そういうときに、「じゃ、この本、読んでください」っていう類の本が何冊か
あると思うんだけど、今回は、わが尊敬するキューブラー・ロス博士の本に、
ご登場願おうと思います。

まずは、量で攻めましょうね。(^_^)v

「 臨床的に言う死を宣告されながらも再び生き返った患者さんを、私たちは
 世界各地で二万人も見てきています。自然に生き返った方もいれば、蘇生術
 によって生き返った方もいます。
  私はここで、すべての人間が死ぬ瞬間に経験することになることを簡単に
 説明したいと思います。この経験というのは、あなたが、オーストラリア原
 住民であろうと、ヒンズー教信者であろうと、イスラム教信者、キリスト教
 信者、あるいは信仰を持たない人間であろうと関係なく、誰にとっても同じ
 ことなのです。もちろん、年齢や貧富の差にも関係ありません。この世に生
 まれてくることが普通で人類共通の過程であるのと同じように、死ぬことも
 また人間としてごく普通の過程なのです。
  死ぬときの経験は、誕生の時の経験とほとんど同じです。死とは別の存在
 への誕生であり、このことはいとも簡単に証明することができます。何千年
 もの間、私たちはあの世に関するものを「信じる」ように仕向けられてきま
 した。しかし、私にとってはもはや信じるかどうかの問題ではありません。
 知るかどうかの問題なのです。みなさんが心から知りたいと望むのなら、こ
 の知識をどうすれば得ることができるのか、みなさんに話してあげることも
 できます。知りたくなければ、それでいっこうに構いません。みなさんもど
 っちにせよ死ねば分かることだからです。……」

二万人の医学的資料によって裏付けられているとなったら、やはり、これくら
いのことは言ってもいいでしょうね。

別に死後の世界の存在を疑っていたわけじゃありませんが、この本を読んでか
らは、わたしもいつの間にか、死は存在しないという前提でものを考えるよう
になっていました。

「アセンション資料館」の「私評」は、こんな↓具合です。
----------------------------------------------------------------------
 「死の臨床」の世界的権威キューブラー・ロス博士が死後の生について書い
たこの小さな本には、他の類似本とは少し違った意味がある。
 今回の地上の生が肉体を持つ最後の生涯になると思われるロス博士には、多
分この時期、科学的言語によっていわゆる“死”が存在しないことを地球人類
の集合意識に最終的に告知するミッションがあるのではないだろうか。
 数千人もの人の死の瞬間に立ち会い、臨床的な死を宣告の後に再び蘇生した
世界各地の二万人も人の記録を調べた博士の言葉の重みがそこにあるからだ。
 だからこそ博士はこう言うことができるのだ。

 <何千年もの間、私たちはあの世に関するものを「信じる」ように仕向けら
れてきました。しかし、私にとってはもはや信じるかどうかの問題ではありま
せん。知るかどうかの問題なのです。みなさんが心から知りたいと望むのなら、
この知識をどうすれば得ることができるのか、みなさんに話してあげることも
できます。知りたくなければ、それでいっこうに構いません。みなさんもどっ
ちにせよ死ねば分かることだからです>と。 
----------------------------------------------------------------------

ちょっと引用をご覧になりたい方はこちら↓
https://www.ascensionkan.com/books/afterdeath.html
手っ取り早く本を入手したい方はこちら↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4531080882/ascensionkan-22/
250-0343678-0429021

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 6.いただいたお手紙から:(chakku さんから「メルマガの読者より」)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

最近「メルマガの読者より」という1通のメールをいただきました。

chakku さんという方からいただいたのですが、それを読んで、最近これほど
嬉しかったことはないというほどに、舞い上がってしまいました。(*^_^*)

褒めていただくって、これほどの力があるものなんですね。

----------------------------------------------------------------------
> pari様
> 
> はじめまして。
> chakku と申します。
> 
> アセンション通信館を毎週金曜の夜あたりから
> 楽しみに待っています。
> 
> pariさんのHPは今年はじめ、
> ミュータント・メッセージを検索していて
> 「本棚」のコーナーにヒットしたのがきっかけです。
> その後、書評を拝見して
> (これがまた、美しい、響きのある文章で好きです)
> 本棚のなかから10冊以上読ませていただいています。
> 
> 去年、小松英星さんの「ガイア・アセンション」のHPで
> 初めてアセンションを知りました。
> それまでは全く関心がなく、小松さんの真摯なメッセージに
> ただ事ではない、という感じを持ちながらも
> 転生や宇宙人の存在など考えたこともなく、話題になったこともなく
> 私の生活圏は頻繁に起こる地震を除けば昔どおりに思えましたので
> 受け入れがたいものでした。
> 
> でも、心のどこかに「腑に落ちたい」という思いがあったので
> メルマガの発行は本当にありがたいものでした。
> 田畑の記事も関心の深い事のひとつです。
> 東京都内に住んでいた10年前までは
> コンビニとファミレスと三越がなければ生きられないと思っていたので。
> 今は土におりて畑しごとをするのが夢です。
> 現在はベランダ菜園をしています。
> 
> 自分の好みがどんどん変わっていきます。
> 競争しなくなり、野山の自然が心地よくなり、
> 全体を思いやるようになり、
> ひとりでいることが楽しくなり、物事をなんとかしようと思わなくなりまし
> た。
> 
> そういうわけで、pariさん、
> メルマガを楽しみにしています。
> 
> エールを送ります。
> 
> chakku
----------------------------------------------------------------------

つくづく思うのですが、こういう褒め方は女の方しかできないかもしれません
ねぇ。(-_-;)

アホなわたしは

> アセンション館通信を毎週金曜の夜あたりから
> 楽しみに待っています。

というところを読んで、“鳥肌が立”ってしまいました。(*^_^*)

わーって、叫びたい感じでした。

自分のアホさよりも、chakku さんの賢さに乾杯です。(^^)/

このようなエールをいただけたわたしは果報者です。

ありがとうございました。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 7.編集後記:まるで、お芝居みたい。(*^_^*)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ああ……、今日は、やはりちょっと、へばりました。

もうちょっと、軽く行きたかったけど、なかなかそうもできかねる実力の問題
があって。

……でも、昨日は、といっても、7月9日金曜日のことですが、ふと思いつい
て友人の展覧会に出かけたんですよね。

そしたら随分しばらく会っていなかった古くからの友人たちにまるで偶然みた
いに会っちゃって、特別決心したわけでもないのに、近くの大山阿夫利神社に
みんなで行くことになって……。

なんか、不思議なもんですねぇ……。(-_-;)

まるで、お芝居みたいだった。(*^_^*)

まあ、少し、分不相応なことを言うための、パワーをいただいたのかな。

そういうことにしおきましょう。(^^)/

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

------------------------------------------------------------------
17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
------------------------------------------------------------------

<(_ _)>

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作 者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: paritosho@dream.email.ne.jp
----------------------------------------------------------------------
このメールマガジンは『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ を利用させて
いただいて発行しています。
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000126287.htm
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2004 paritosho 
コピーレフト↑の概念についてはこちら↓をご覧ください。
http://now.ohah.net/commune/?license/copyleft.html
----------------------------------------------------------------------