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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.026 2004,8/22(第26号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension.html
このページ↑をご覧ください。

また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension_m.html
このページ↑をご覧ください。

要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か8年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変が起こって、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

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◇◇ もくじ ◇◇

1.「現実論」:<第一段:“現実”とは“思いこみ”である>

2.「現実論」:<第二段:“思いこみ”が“現実”である>

3.今週の言葉:客観的な現実など存在しないことを知ってください

4.今週のお薦め本: 『「あの世」からの帰還』 

5.編集後記:眠い
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■ 1.「現実論」:<第一段:“現実”とは“思いこみ”である>
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さてさて、ここまで辿り着くのにいろいろ手間取って、午後になってしまった
ぞ。

わーい、おいらの時間だ。

書くぞう!!

一週間に一度のマインド無礼講のお祭りだい!! イエーイ!!

自分の魂に栄養をやるんだじょー!!

またまた一週間が巡り来たりまして、わたしめの大好きな“アセンション噺”
にば、お付き合いいただく時間がやってまいりました。_(_^_)_

『アセンション館通信』配達人の pari でございます。

世の中はオリンピック流行りでございまして、例年の一大イベント、夏の甲子
園の興奮もかすんでしまうほどの勢いですが、みなさま固有のお時間の中で、
いかがお過ごしでしょうか?

今日は、「われわれが生きている“現実”とは、そもいかなるものぞ?」てい
うようなですね、いわば“人畜無害”なですね、「現実」とはまったく関係な
いようなですね、“高邁”なお話をばさせていただこうと思っちょりますです。

というのは、他でもない、最近わたしは、はたと気がついたのであります。

        「そうだ、現実というものはないんだ」

と……。

あんまり川をにごすなよ。

いつでも先生いうでなぃか。一、二ぃ、三。

「あんまり川をにごすなよ。

 いつでも先生いうでなぃか。」

(@_@)

……あんまり現実にごすなよ。

いつでも先生いうでなぃか。一、二ぃ、三。

「あんまり現実にごすなよ。

 いつでも先生いうでなぃか。」

現実なんてないんだよ。

「現実なんてないんだよ。」

ヤッター!!

(@_@)

みんな、少し困ったような顔をしないといけないんだよ。

そして

「現実をあるいてはわるいのか。」

とか、言わなくちゃいけないんだ。

「あんまり現実にごすなよ。

 いつでも先生いうでなぃか。」

みんなは、あわてたのをごまかすように、わざとゆっくり、いかにもオリンピ
ックを視察するみたいな姿勢で、テレビのチャンネルを入れてみたりしながら、
「甲子園の方はどうなっていたっけ」とかつぶやいて、いかにも用ありげに、
あっちの方に行かなくちゃいけないんだよ。

           「現実なんてないんだよ。」

……。

というわけでしてですね、「現実」というようなものはない、あるのは“現実”
というものがあると思っている“思い込み”だけである、というのが話の前段
なのであります。

つまり、わが「現実論」の前段は、

      <第一段:“現実”とは“思いこみ”である>

ということなのであります。

こう聞くと、早合点な人は、

“現実”というのは“思いこみ”なんだから、何の根拠もないものなんだ、と
思います。(あたいも、そう思った。(*^_^*))

そして、もっと早合点なひとは、そういう話は何の根拠もないし、何の実効性
もない、ただの痴人妄語だと思います。

その人にはまさにその通りなんだけど……。うん。(-_-;)

しかしですね、いわゆる文字通りの「現実」、現成公案、現に実現しているも
のはあるのでありまして、その意味では、「現実」はあるのであります。

じつに、しっかりと、「現実」はあります。

じゃ、その「現実」は“無根拠”なのかとなると、いや、“無根拠”では何も
存在しない。

“根拠”はあります。

じゃ、その“根拠”というのは、いったいなんなんだ、言うてみんしゃい、と
いうならば、その“根拠”こそが“思い(こみ)”なのであります。

じゃ、その“思い(こみ)”には、なにか“根拠”はあるのか、となると、そ
れがお釈迦さんの言葉を借りるなら、「縁起」ということになるわけでありま
す。

禅語でいうところの

「應無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)」

「まさにじゅうするところのうして、しかもそのこころをしょうずべし」

なんやらかんやら、ちんぷんかんぷん、というわけであります。

まあ、あぶくのように、一所不住で多発生しているみたいなのね。

ボーアの量子論の世界ですなぁ。
(なんて言いながら、じつは、何もわかっていない。(*^_^*))

で、われわれ「人間」のような強力な「思考」⇔「物質化」転換装置の持ち主
が存在すると、その“應無所住而生其心”を仲介して、そこでいわゆる「現実」
が発生する、というわけであります。

“應無所住而生其心”なんて、どうも泥臭いという方には、

          「思考形態=Thought Form」

なんてイェイゴもありますぞ。

で、「現実」を発生させるためにわれわれ「思考」⇔「物質化」コンバーター
が“ひっつきやすい”というか“自己同化”しやすい「思考形態」があって、
それが「現実」を“安定”させるのに大いに役に立っているというわけ。

その次元の「現実」の安定化にいちばん貢献しているのが、いわゆる

          「条件付け=Conditioning」

というやつですよね。

いわば、“視野狭窄自動化装置”です。

肉体の担当部署でいうと、

  「RAS」(Reticular Activating System=網様活性化システム) 

というのか関係しているみたい。

<神>の全知全能、ラムサの言葉でいう「神の脳(=小脳)」との流通経路で
の“隘路”を構成する仕組みです。

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いまRASは、エゴの理性によって使われています。そしてそれと同じように、
現在に信念と対立するかもしれないあなたの経験という外側のイメージに対す
る、強力な防御策として機能しています。つまりごく限られた感覚的印象(電
磁気的衝撃)しかあなたの意識に入れないようにし、その他のものはすべてブ
ロックしてしまう選別・モニター装置として働いているのです。そのシステム
によってあなたの注意はある特定のものにだけひかれ、それ以外は無視します。

そしてその意識内の進入許可システムを導き活性化するのはあなたの信念です。
RASはあなたの信念が支持するできごとしか意識内へ進入させません。だか
らそこに悪循環が生まれる可能性があります。あなたはそこにあると自分が信
じているものにしか気づかないし、自分がもっていると信じているものしか受
け容れません。あなたが見ているのはあなたが信じているものなのです。

……

本来そのメカニズムは、全体的な拡大と限りない成長のための道具としてあな
たに与えられました。あなたがよりいっそうの平和や理解、ゆたかさ、よろこ
び、愛を求めさえすれば、そのメカニズムは宇宙の法則にしたがってそれらに
焦点を絞り、あなたにその経験をもたらしてくれるはずなのです。しかしこれ
まであなたのRASシステムは誤って使われた奇跡の道具となっています。

信念を拡大してください。そうすればRASの焦点の方向を変えることができ、
あなたのあらたな信念に相当する無限の可能性をすべて見つけだすために役立
ってくれるでしょう。自分の外側に現実など存在しないということを信じて、
そのプロセスをはじめてください。ほかの人とまったく同じように経験したり、
理解したりするようなできごとがひとつでもあるなどという妄想は棄てましょ
う。

理性によって信じ込まされてきたような、冷たくハードな客観的現実などはあ
なたの世界に存在しません。あるのは認識だけです。あなたは認識においても
目的においても、個人化された意識としてこの惑星を経験するためにやってき
ました。あの小さい静かな声に耳をかたむけてください。それはあなたにしあ
わせを語りかけ、あなた独自の自己実現へと導いてくれるでしょう。

                      『あなたの神話』(p56-57)
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RASって、簡単に言うとシャッターの“絞り”を決めているところみたいね。

シャッターの“絞り”というのは、いかにもハードウェア的なイメージだけど、
コンピュータの世界だって高級になってくると、ますますハードウェアとソフ
トウェアの境界線が曖昧になってくるみたいじゃない。

「人間」の場合もそうよね。

「RAS」(Reticular Activating System=網様活性化システム) なんてい
うとさ、まるでもう運命的に決められた「人間」の枠組みみたいにも聞こえる
けど、そのシステムを構造的に支えている人間の意識活動の側での関与がある
わけで、それを「条件付け=Conditioning」と呼ぶんだろうね。

いずれにしろ、いつもの決まり文句だけど、

              「霊主体従」

よ。(^^;)

われわれに内面で起こっている、“思い”の世界が、唯一の実在、唯一の実質
なんだよね。

それを起こしているあらゆる状況、あらゆる環境は、その唯一の実在、唯一の
実質である“思い”の世界を支えるための仕組みにすぎないわけだよね。

「現実」という状況が“存在しない”ということじゃないよ。

“現”に“実際に”、顕現して、存在しているわけだから。

でも、それは“どこに”存在しているのか、ってなったら、たとえば、それは
わたしにとってだし、また、あなたにとって、でしょ。

「現実」は「わたし」という“思い”の世界で起こっているわけだし、「あな
た」という“思い”の世界で起こっているわけじゃない。

もし、「わたし」が存在しないところで「現実」が起こっていたとして、そん
なもの、「わたし」知ったこっちゃないよ。(^_-)

つまり、そんな「現実」、わたしには存在しないわけでしょ。

ね。

「現実」を発生させる根拠も、「現実」を存在させている場所も、「わたし」
や「あなた」という“思い(こみ)”の世界なわけだよね。

馬鹿馬鹿しいくらいの、当たり前の話。(*^_^*)

要するに、“現実”というのは「わたし」や「あなた」の“思いこみ”にすぎ
ないという、ごく大人しい話ね。(^_-)

これで、「現実論」の前段

      <第一段:“現実”とは“思いこみ”である>

という情報は伝わったかな。(伝わるわけない、なんて言うのは誰? (*^_^*))

段落を変えるね。


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■ 2.「現実論」:<第二段:“思いこみ”が“現実”である>
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前段だけ聞くと、“現実”ってのは、何の根拠もないふわふわした幻のような
もので、いくらでも変えられるような気がするでしょ。

つまり、前段の

      <第一段:“現実”とは“思いこみ”である>

ってのは、じゃ、“現実”なんて単なる“思いこみ”で、いわゆる“客観的な
現実”というような確固としたものは無いんだ、というふうにも聞こえるわけ。

それはそうで、その通りでもあるらしいわけだけど……。

われわれは、確固とした「現実」を欲しがるんだよねぇ。うん。

だから、この話には、後段があるのであります。

その後段を聞くと、「あ、現実ってのは、やっぱり、あるんじゃん」って気が
してくるかもよ。(^_-)

じゃ、その後段ってのは、どうよ?

言うね。

      <第二段:“思いこみ”が“現実”である>

あはは。\(^O^)/

ね、完璧でしょ。

つまりさ、“思いこみ”って、そんなに簡単に変えられるようなものじゃない
ってこと。

そういう“思いこみ(=望み)”がまた、われわれの中にあるんだよね。

だからその“思いこみ”こそが、“幻実”にいかにも“客観的な重み”を付け
て、それを「客観的な現実」に仕立て上げるわけだ。

思い込んでいる人に、「そんなの単なる君の思いこみだよ」って伝えて、相手
にそのメッセージが伝わると思う?

まず、伝わりっこないよね。

それがすぐ伝わるようなら、そんなの“思い込み”って言わないよ。

その人は、そんなことちっとも“思い込んで”いなくて、その“思い”を、た
だ観ているだけだよね。

その“思い”に“ひっついて”いないというか、“自己同化”していないわけ
だ。

そんな人だったら、自分が観ている“現実”が、自分の“思い”も関与して共
同創造している“幻実”であることを知っていて、その“現実”の妙に賛嘆し、
その“現実”を楽しんでいるかもしれない。

でも、われわれ、たいていは、そんな余裕ないじゃん。

すっかり、自分の“現実”に入れ込んでいるわけだから。

その“現実”が「客観的な現実」になるように、強烈に、そして無自覚的に、
自分の意識エネルギーをその“現実”の現実化に向けて注ぐわけでしょ。

だから、“動かしがたい”“客観的な現実”って、たしかに、あるわけだよ。

最近、ちょっと縁があって、藤原帰一っていう東大の先生の
『「正しい戦争」は本当にあるのか』(2003年12月、rockin’on刊)
って本を読んだんだけど、なかなか面白かったよ。

この本の表紙カバーの折り返しに
「現実に向かうと戦争を肯定する、
 理想を唱えるとハト派になるって
 そんなバカなことじゃない。
 現実の分析っていうのは、
 目の前の現象をていねいに見て、
 どんな手が打てるのかを考えることです」
って、書いてあるんだけど、この先生がいわゆる「現実」を考察していく様子
を見ていると、これぞまさしく、われわれ地球人の“思いこみ(=集合意識)”
の中に分け入って、単純化した“荒っぽい”「思いこみ」から、より精緻で微
細な「思う込み」の襞ひだ入っていくプロセスそのものだった。

こう書くと、いかにも“思いこみ”という言葉を強引に引っぱっているとも見
えるだろうけど、そして、じっさい、そういう側面がないわけじゃないけど、
国際政治の専門家が「現実」というとき、それは紛れもなく、われわれはどう
いうものを「現実」と見なすかを、具体的にていねいに考える、ということみ
たいだった。

考えてみたら当たり前だけど、「現実」って、「現実」と見なされたもの、と
いうことだったんだね。

どんなに“立派な”ヴィジョンだって、現実的と見なされなければ、まったく
意味をなさないわけだ。

もっと「現実」を直視しろよ、ってことになっちゃう。(^^;)

じゃ、なにが「現実」なのって、言ったら、結局、われわれが現実的と見なす
ものという以外に、定義のしようがない。

少なくとも、国際政治というような学問分野ではそのようだよ。

通常は、こういう観念論的議論に終止符を打つために、有無を言わさぬ形で踏
み込んでくるのが、いわゆる“人文科学”ではない、“自然科学”というやつ
だよね。

そんなことを言ったって、動かしがたい「客観的事実」というものはあるだろ
う。君は、明日も太陽が東から昇るということを、認めるのか認めないのか、
というわけね。(^_-)

……あ、大昔の、まだ“学生運動”なんてものが存在していた頃のことを思い
出しちゃったなぁ。(-_-;)

われわれの地球みたいな濃密な物理次元では、こういうことを言われると、だ
いたい、みんな黙ってしまうのね。

そんなことをいったって、やっぱり「客観的な現実」ってものはあるよなぁ、
ってわけ。

こういう観点に対して、いわゆる“精神世界本”っていうか、無責任な“トン
デモ本”はどんなことを言うかというと、たとえば、荒っぽいのだと、こんな
ことを言う。

みなさんが現実と考えているみなさんの惑星地球にしても、もし地球人類のみ
なさん全員が同時に呼吸を止めたら、一瞬のうちに、消えてしまうでしょう…
…、なんて。

こんなことを言われても、ちょっと、実験もできないしね。(*^_^*)

じゃ、中世の天動説に対するコペルニクスの地動説が、客観的な事実の発見だ
ったとは君は思わないのか、地球の表面が平面ではなくて、じっさいには丸か
ったということも、客観的事実ではないと君は言うのか、そういう“客観的な
事実”というものを一切認めないくらい、君は盲目的な観念論者なのか、とか
いうような論点はあるよね。

ちょうど、そんな話題がラムサ本にあったから、ちょっと、アングルが面白い
から、ご紹介するね。

----------------------------------------------------------------------
生徒  でも、ラムサ、事実によって裏付けられていないもの、あるいは科学
が真実であると発見したものに反するようなものを、どうやって真実と感じら
れるでしょうか?

ラムサ マスターよ、「事実」と呼ばれるものによって証明できるものは何も
ない。なぜなら、事実なるものは、人類の理解が進化し、変化するにつれて変
わるからだ。あらゆるものは推測なのだ。というのも、思考と感情を通して、
現実はつねに進化し、創造されているからだ。事実とは、集合意識、つまり人
類全体によって抱かれて感情となった思考の集合体が、現時点において物質的
に現実化しているものにすぎないのだ。
 マスターよ、証明とは、フィーリング、感情にある。なぜなら、事実という
ものに現実性を与えたのは、もとはと言えばフィーリングだからだ。
 最も偉大な現実、最も偉大な真実とは何だろうか? それは事実ではない。
事実を現実として受け容れたとき、つまり事実を思考の中で真実として受け容
れたときに、あなたが感じるフィーリングの方なのだ。これが真の事実だ。最
も偉大な現実とは、感情である。そこにこそ、すべての真実があるのだ。
 マスターよ、どんなことをあなたが信じることを選ぼうと、それはそのとお
りになる。だから、自分にとって何が適切か、何を信じたいかを、自分で選ぶ
のだ。

生徒  でも、ラムサ、どうしてそうなるのか私にはわかりません。たとえば、
ほとんどの人が地球は平らだと信じていた時代に、もしある船の船員の半分が
地球が丸いと信じ、残りの半分は平らだと信じていたとして、その船が出航し
たとしたら、その船はどうなってしまうのでしょうか?

ラムサ マスターよ、平らだと思っていた者たちは、船から身を投げてしまっ
たのだ。「自分たちが間違っているなんて、あってたまるものか!」というわ
けだ。地球が丸いと思っていた者たちはそのまま旅を続けたのだ。わかるだろ
うか?

 世界が平らだと頑なに信じていた者たちは、思いきってその端まで行って違
う発見をしようとはけっしてしなかったのだ。というのも、彼らは世界が平ら
だと確信していたからだ。丸いと信じていた者たちは、ぐるぐると何度も回っ
たのだ。そして、彼らは世界が丸いということを確信した。だが彼らは、それ
が完全な球体ではないことは知らなかった。それはいくらか押しつぶされたよ
うな形をしている。その縫い目の部分は張り裂けていて、上と下は少し平らに
なっており、中は空洞なのだ。しかし、中が詰まっていると頑なに信じている
者たちは、中が空洞だと知ることはけっしてない。というのも、彼らは中に入
っていって違う発見をしようなどと、けっして思いめぐらすことはないからだ。
それは、彼らが限られた理解しか持っていないからにほかならない。それでも、
その理解もまた真実なのだ。
 マスターよ、自分の真実において限りなくありなさい。あなた方の世界は丸
いことを知りなさい。だが、自分の真実においてさらに限りなくあることを望
むのなら、その上と下が平らであることを知りなさい。そして、さらに限りな
くあることを望むのなら、その中が空洞になっていることを知りなさい。そし
て、存在よ、それよりもさらに限りなくあることを望むのなら、地球の中心部
にはとても多くの生命体がいるということを知りなさい。……
                『ラムサ ホワイトブック』(p223-225)
----------------------------------------------------------------------

あはは。

ちょっと、長く引用しちゃった。

こういう“トンデモ本”は楽しいよね。\(^O^)/

おいら、こういう本、好きぃー。(*^_^*)

(*_*)

で、何だっけ。

ああ、ああ、「現実」か。

そうそう、物理次元の「現実」という話をしているところだった。

そう言えばさ、ラムサが他の所で、物質化と意識エネルギーの話をしているの
を聞いたことがあるよ。

量子論に関係した話。

ハイゼンベルグの「不確定性原理」って聞いたことあるでしょ。

原子の運動量と位置は同時に計れないという、あの話。

地上の科学者にこの話を聞くと、この原理は観測技術の問題にされちゃうんだ
けど、これがラムサから聞くと、また面白いんだ。(^^;)

地上の科学者には叱られちゃうかもしれないけど、ラムサの話は“飛んでる”
んだよねぇ。

つまり、原子の位置と運動量を同時に確定することができないのは、観察者の
“視線(=光子)”が観察対象の位置と運動量に影響を及ぼしてしまうからら
しいんだけど、この同じ話も、ラムサから聞くと、まったく別の様相を帯びて
くるから面白いよ。

つまり、ラムサによると、これは観測技術の限界を告げる話じゃないんだよね。

この「不確定性原理」は、ラムサから聴くと、人間の物質化能力に直接関連し
た原理に早変わりするんだ。

ほら、旅行をしてちょっと永く家を留守にしたりすることがあるじゃない。

そして旅行から帰って家に入ってみると、ぴしっと戸締まりがしてあって、隙
間風が吹き込む可能性なんてないはずなのに、家の中が妙に埃っぽかったなん
て経験は誰にでもあるんじゃないかな。

「やっぱり、人がいないと家は汚れるのよねぇ」なんて、わかったようなこと
を言っているけど、これって、ホントみいたなんだよね。

ラムサの話によると、無人の家が埃っぽくなるのは、原子の不確定性を、意識
エネルギー(視線)で固定する人間がいないからだっていうんだよ。

つまり、無人の家では物質化力が低下しているわけだ。

(@_@)

えーーっ、まじーーー!!

わー、わー!! (^^;);;;

(なんか、ののちゃんみたいだな。(*^_^*))

      <第二段:“思いこみ”が“現実”である>

ってのは、われわれの“思いこみ”が“現実=物質化”を生んでいるっていう
恐ーい話なのぉーー。(>_<)

やばぁー!!!

そこまで、話が“飛ぶ”とは思わなかったよなぁ。

これじゃ、漫談じゃなくて、怪談じゃん。

やーめ、ちんからぽん。


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■ 3.今週の言葉:客観的な現実など存在しないことを知ってください
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だから、今日は最後までこのテーマ。

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃<今 週 の 言 葉>                      ┃
┠────────────────────────────────┨
┃                                ┃
┃自己の外側に客観的な現実など存在しないことを知ってください。外部┃
┃のできごとというのは一見あなたから離れているように見えても、実際┃
┃にはあなた自身の創造力の産物にすぎないのです。         ┃
┃                                ┃
┠────────────────────────────────┨
┃                       『あなたの神話』p50┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

ということは、どういうことになるの?

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃<今 週 の 言 葉>                      ┃
┠────────────────────────────────┨
┃                                ┃
┃にもかかわらずあなたの人生が混乱し混沌としているのは、あなたが自┃
┃分の経験に対する責任を担うことを拒絶するからです。あなたは自分自┃
┃身の現実の創造者であり、その現実のなかで経験するすべてのことに対┃
┃して完全に責任があるのです。                  ┃
┃                                ┃
┠────────────────────────────────┨
┃                       『あなたの神話』p50┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

(>_<)


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 4.今週のお薦め本:  『「あの世」からの帰還』 
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原題  Recollections of Death (c)1982
著者  マイクル・B・セイボム
訳者  笠原敏雄
発行  日本教文社(1986年5月25日初版発行)

最初に触れたときは単なる情報だったものが、時を経るうちにいつの間にか自
分の血肉になってしまっていて、気がついてみると、ついついあたかも自分の
体験でもあるかのように前提してしまっている情報があるような気がします。

わたしが臨死体験という言葉というか事実を知ったのは、このセイボム博士の
『「あの世」からの帰還』 という本が最初でした。

やっぱり、最初はとても印象が強くて、じつに、決定的な情報を知ったような
気がしたものです。

この本に描かれている研究の中で、セイボム博士の狙いは、もっぱら肉体の死
の後における意識の存在を、“否定しようのない証拠”を自分に突きつける形
で確信することだったようです。

だから、その意味では、この本での証拠の収集の仕方はじつに論理的で、その
明証性に関してはあらゆる妥協を廃して、まさに“純金”の証拠を執拗に抽出
しようとしています。

たとえば、通常患者がけっして知るはずのない、心臓蘇生術の計器の針の動き
方を臨死体験者が明確に語るのを聞いて、初めてその明証性に確信を持つとか、
あるいは、患者が、その“死体”が存在していた位置からはけっして見えるは
ずのない場所にいた近親者の状況を語るのを聞いて、はじめて死後における意
識の存在を確信する、といったようなことです。

その情景描写は、じつに徹底的かつ論理的で、われわれ読者もついには、その
明証性を疑うことはできなくなります。

肉体の死後における意識の存在を、これほど明瞭な“論理的証拠”で証明され
ると、やはりいつの間にか、体験したことのない読者までが、死後の生の存在
を疑う資格を喪失してしまうようです。

「アセンション資料館」の「私評」は、こんな↓具合です。
----------------------------------------------------------------------
 この本を初めて読んだ頃、私はすでに死後の生(意識の不滅)を信じていた
が、それでもこの本を読んだことの“駄目押し”効果は非常に大きかったのを
記憶している。
 私は単に意識の不滅を“信じて”いただけで、自分の個人的な体験として
“知って”いたわけではなかった。だが本書を読んだ後では、自分の体験でそ
れを“知って”はいないにしても、今度は疑うことが不可能になったとはいえ
る。
 臨死状態の患者がその肉体の位置からは絶対に見えるはずのないものを「間
違いなく」見ていたことの証明に、なぜセイボム博士がこれほど力瘤を入れた
のか、じきに分からなくなる時代がくるだろう。セイボム博士のこの本のあり
がたさは、博士本人がこの研究時点で“死後の生”を信じていなかったことに
あると思う。つまり、博士は、自分自身を納得させるためにこの研究をしたと
いうことだろう。
 博士は自分の疑念に、素直かつまともに立ち向かった。これほど念を入れた
記述も、それなら納得がいく。このような態度こそが科学的態度というものだ
ろう。
 ところで、2000年の現時点でも、この本はまだ時代遅れになっていない。
 今でもまだ、われわれの医学は肉体の生のみを救うことに汲々とし、意識の
不滅という事実にまともフォーカスしようとしていない。 
----------------------------------------------------------------------

ちょっと引用をご覧になりたい方はこちら↓
https://www.ascensionkan.com/books/recollection.html
手っ取り早く本を入手したい方はこちら↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4531080424/ascensionkan-22/


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■ 5.編集後記:眠い
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ちょっと寝不足が続いてしまったのね。

もっと、朝早く起きるようにしなくちゃなぁ。(-_-;)

もうちょっと書きたかったけど。

田圃の話とかもさ。

でも、また書けるさ。

というわけで、今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

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17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
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<(_ _)>

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■ 【作 者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: paritosho@dream.email.ne.jp
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