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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.031 2004,9/26(第31号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension.html
このページ↑をご覧ください。

また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension_m.html
このページ↑をご覧ください。

要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か8年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変が起こって、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

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◇◇ もくじ ◇◇

1.「カタストロフィー」による境界面の突破

2.田圃での発見(「足りている」)

3.<意識>とは何か?

4.哲学話:“心”と意識の関係

5.編集後記:“楽しい気分”を配達できるといいなぁ
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■ 1.「カタストロフィー」による境界面の突破
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さあ、やってきた自分に許した“マインド無礼講”の時間。(^^)/

今日は、自分の固有の価値を自分で信じて、自分が書きたいことを思いっきり
書くぞう!!

いつだってそうなんだけど、いつだって書きたいこと書いているんだけど、
なんか今日は、“気力充実”という感じ。

一瞬一瞬、リニューアル、リニューアル。

またまた、一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”にお付き合いいただく
時間がやって参りました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有のお時間の中で、いかがお過ごしでしょうか?

今朝は、雨の後のすっかり濡れそぼった下の間道で、太い竹と細い竹を何本か
切ってきて、“おだかけ”(稲架)を作りました。

作っている間は、辺り一面曇っていたのに、今こうして、『通信』を書き出す
と、一面の雲が後退して、まわりはすっかり晴れ上がってきました。

西側の窓から見えるケヤキの葉が、強い日差しに輝いている。

昨日、稲の苗をくださった地元の方(ここいらの組長をやっている方です)が
わが集落に立ち寄ったついでに、うちの田圃を見てくれて、

「おー、これなら立派なもんだ」

と、稲の実り具合を保証してくれました。(^^)/

「しかし、こんなホース1本でなぁ。たいしたもんじゃん」

ほら、彼もやっぱりそう言っていたよ。(*^_^*)

今日は、そのことを書くからね。

……いろんな言い方があるだろうけど。

われわれ現地球人類の集合意識の中核的“思いこみ”についてはさ。

ニビルの住人アヌンナキに操られて……とか。

いや、そういうことを“したり顔”で伝えてくるプレアデスこそが悪魔なんだ
とか。

マヤの予言のメッセンジャーであるホゼ&ロイディーン・アグエイアスご夫妻
がおっしゃるマモンとか。
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……旧約聖書には、「マモン」という強欲な神が登場しますが、いまやマモン
とは機械時計の心臓を持つ機械の集合体です。マモンの血液は金銭です。この
マモンの身体(機械と金銭)が地球を支配しているのです。そして、人類はこ
の怪物のような機械の神に完全に支配されているだけでなく、その神の生殖器
官となっているのです。なぜなら人類は、機械と金銭というマモンの身体生み
出す役割を担わされているからです。人類が狂ったように機械を生み出してい
る姿は、この神、地球全体を覆う機械と金銭から見ると、一種の生殖活動なわ
けです。
 そして人間は、機械より速く動くことはできませんから、機械が常に勝利を
おさめることになります。先の図で、機械の増大や加速度が人類の人口増大に、
どれほど速いスピードで影響を投げかけたかが見てとれます。これは、とても
速い増え方です。地球規模の人口の急激な増大と、機械の増殖という視点から
見ると、私たちはいまや一種の「生物学的な人口と機械の爆発状態」を体験し
ているのです。
            『甦るマヤの予言――「新しい時間」の発見』p120
https://www.ascensionkan.com/books/newtime.html
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“ワレヨシ”(金毛九尾)も“ツヨイモノガチ”(自在天)も、ま、いろんな
霊統のいろんな“思い”を総動員して、この地球で「足りない」という中核的
観念(=“思いこみ”)を“虎の子”の“台風の目”にして、延々と渦を巻い
てきたわけだよね。

ま、それを大宇宙の最難関秘密学舎“地球学校”の、今回最終回、第七回目の
メイン・シナリオ、なんて呼び方をしてもかまわない。

そういうお話をすべて飲み込んで、大宇宙はいまも悠々と激変に激変を重ねて
いるわけだものね。(*^_^*)

その創造のプロセスそのものを<神>とかいうわけじゃない。

「不生不滅。不垢不浄。不増不減」てさ。

で、もともと本来根拠のないその「足りない」という虚構の「観念」、今回の
“お化け屋敷”のシナリオ、“台風の目”のエネルギーの解体方法が、どうも
誰にも分からないらしいんだよね。(^^)/

これが、今回の「宇宙大祭」の面白いところ。

通常だったら、“台風の目”というのは、エネルギーを放出しきると段々平板
になって、通常の“温帯低気圧”になって、やがてはまわりの大気の中に消え
てしまうわけだ。

ところが、“地球劇場”で今回展開されているお話では、この「足りない」と
いう虚構の「観念」(=“思いこみ”)を白日のもとに晒して、それが自然に
癒えるのを待つ、というような平常のルールを取るにはタイム・スケジュール
がきつすぎることがわかった。

万々歳で、みなさま平和に“マス・アセンション”ってわけにはどうも行かな
かもしれない。

かといって、ポールシフトが起こって“人類絶滅”ってストーリーでもない。

なぜかって、これまでこれほどの苦難を強いる結果になった道行きを「地球」
さんに依頼した方が、最終回の今回、そういうことを許容しないから。

だから、誰にもどうなるかわからないわけ。(^_-)

で、目隠しされた“地球次元”の中では、“勝ち組・負け組”とか言って、

            「貧富の二極分解」

が起ころうとしている。

というか、今の地上の集合意識の状態(=現実)では、論理的にはそれしか起
こりようがないような具合なわけだよね。

さあ、お立ち会い。

ここからが、面白いよ。

あ、あんた、そこで覗き見しているあんた、ここからは“木戸銭”払わなきゃ
駄目よ!!

ってわけで、どうも地球のまわりにはいろいろな次元からの“観光船”“偵察
船”がひしめいているという状態、さあ、お立ち会い。

でね、ここは、“台風”⇒“温帯低気圧”の形でのシフトが無理だとすれば、
もう残る手段はウルトラCの方法しかないね。

地上の言語で言うなら、

        「カタストロフィー」による境界面の突破

です。

あの、リンゴを縦に二つに切ったような面があるでしょ。

あの面の中央の子房の間を突破して親樹に辿り着くような感じね。

立体イメージでいうと、「管状円環体(チューブトーラス)」を中央突破して
“アセンション”(=帰還)という感じです。

この場合、“台風”⇒“温帯低気圧”過程でのシフトと何が違うのか?

“台風”⇒“温帯低気圧”過程の場合なら、“台風”に巻き込まれていた周囲
のエネルギーはすべて“温帯低気圧”になります。

全員が、いわば“強制的に”「平和」になれるわけ。

ところが、今回“どなたか”が操縦席に座っている

      “「カタストロフィー」による境界面の突破”型

の場合は、“台風”に巻き込まれている個々の“粒子”の意志が最大限に尊重
されます。(なんちゃって。(*^_^*))

つまり、お任せしちゃえば、“向こう側”へ抜け出る、ということね。(^^;)

       「トンネルを抜けると、そこは天国だった」

というわけ。(*^_^*)

これ、いいよねぇ。うん。

……ところが、お任せしきれずに何かを掴んで“抵抗すると”、正調

       「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」

ということになりかねない。

(もし、雪国にお住まいの方がいらしたら、気を悪くされないでください。
 断るまでもないと思いますが、これは、ほんの駄洒落でございます。
 けっして、雪国を悪し様に言うものではありません。
 というか、書き手本人が雪国というか北の方の生まれでございます。
 というより、むしろ、雪国こそが天国に一番近いことを知っているもので
 あります。ウソです。(*^_^*))

(@_@)

いま、ちょっと玄関に呼び出されたのね。

で、何を書いてたんだったっけ。

あ、そうそう。

現地球文明のメイン・ストーリー、「足りない」という“中核的「観念」”の
解体過程について考察をば、巡らせているところでありました。

で、操縦席に座られている“どなたか”やんごとないお方様には、操縦に専念
していただきまして、わたくしどもは“一切”心を煩わせることなく、その方
の“一厘の仕組み”に信頼いたしまして、こちらはこちらで、勝手に、

     「足りない」という“中核的「観念」(=思いこみ)”

の崩壊後の世界をイメージし、ヴィジョンして行きたいと思うのであります。

段落を変えて、今日の、外題に移るね。


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■ 2.田圃での発見:「足りている」
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今日の外題というのは、前々からひとりで騒ぎまくっている、

             「田圃での発見」

の噺です。(*^_^*)

いえね、昨日も立ち寄られた組長さんがおっしゃっていたように、

1本のホースが供給する水の力って、ほんとにすごいのね。

ただ、わずか三十坪ほど、合計十枚の棚田とはいえ、最初からすべての棚田に
水を行き渡らせられたわけじゃないんです。

なにしろ、初めて水を入れた土地です。

十年ほど前に移ってくる以前は、ここは畑地だったらしいですし、そもそも、
この小さな丘全体が、陸稲(おかぼ)を植えたことはあるらしいけど、水稲は
やったことがないという土地柄みたいです。

だから、野菜作りに失敗して(というか、続かなくて)、そのあと「雑種地」
ならぬ“雑草地”みたいにほったらかしていた狭い平地の雑草を剥いで、棚田
を作って遊んだ最初の頃(今年の五月頃)は、1本のホースが供給する水量と
いうのを全然イメージできませんでした。

だから逆に、ホースで水をやれば、当然、水が溜まるもんだと思ってたわけ。
(つまり、心配する能力もなかった。(^^;))

ところがどっこい。

玄関の近くにある大工さんの水道の蛇口を一晩あけておいたから、当然、水が
溜まっているもんだと思って、昨日作ったわが“棚田”を覗いてみれば、

なんと! (@_@)

水など、一切、溜まっていなかったのであります。

水は、すっかり土に吸収されちゃっているのね。

降りていって、近くに寄って見ると、ビニール・ホースの先端からは確かに水
が出ている。

その証拠にホースの先端の近辺は湿っているんだけれど、棚田とはほど遠い。

流れ出るそばから、水はどんどん土に吸収されちゃっているわけです。

へー、こんなものなんだぁ、と思いましたね。

でも、“駄目もと”で蛇口は開けっ放しにしておきました。

なにしろ、「めだかの学校」というこのHP↓
http://s1.bestsystems.net/~dbjaa000/fukouki_02.html
で見た「耕さない冬・水・田んぼ」というのを、是非やってみたかったわけ。

なによりも、変わったことが好きだから、
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“通年の湛水田にすることで、“不耕起”でもOKで、その上“抑草効果や施
肥効果があります。
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なんて聞くと、“不耕起”の野菜畑に成功しなかった経歴の持ち主としては、
じゃっかん、心動くものがあるわけです。

で、水を出しっぱなしにしながら、一枚三坪ほどの“棚田みたいな枠の形”だ
けは作って遊んでいたわけ。

でも、そうやっていたら、三、四日のうちに二枚目の棚田にも水が張りました
ね。

それで気をよくして、三枚目、四枚目と“棚田みたいな形”を作って水を張っ
て遊んでいたんです。

そしたら、ちょっとご近所で法事があったんですが、その法事の会場の向こう
に田圃があって、ちょうど霧雨の中でどなたか田植えをなさっている姿が見え
たんです。

あの稲の苗がほしいなぁ、と思って、思わず、そのとき隣にいた裏の家の方に

「あの稲の苗って、どこで手に入るんでしょうか?」

って、尋ねていたんです。

そのときは、「農協で買えるかなぁ」って教えていただいたんだけど、そのま
まそのことは忘れていたら、じつはその方、我が家の斜面の下にあるママゴト
みたいな“棚田”を、後でご覧になったみたいなんですね。

それで、「ははー、ほんとにやって見る気があるんだ」と思っていただいたみ
たいで、その方が小学校時代からの友達のわが組長さんのところから、苗をも
らってきてくださったというわけです。

ま、その後のことは、この『通信』で書いてきたとおりです。

それで、要は、その「水」のことなんだけど、平均三坪、十枚の棚田、合計、
三、四十坪はあるかと思われる田圃に、ビニールホース1本で水を張るという
のは、最初から簡単には実現しなかったのね。

なにしろ、もともとは丘の裾にあたる斜面を削った細長い平地だから、一番高
い東の棚田にホースを入れると、途中で水が干上がってしまって、とうてい、
西の端の棚田までは行き着かないわけ。

で、最初にやった工夫は、1本のビニール・ホースに二股を付けて、水の出口
を二つにしたことです。

工夫というのは、大袈裟か。(*^_^*)

小学生だって、思いつく工夫だよね。

でも、それで東西に展開する棚田の中程で切れていた水が、それぞれ、東側の
五枚と西側の五枚になんとか行き渡るようになりました。

まあ、それまでに、土地自体も少しずつ“水を含む”ようになっていたんだと
思うけどね。

でも、そうやりながらも、どうしても、最後の田圃の方には水が行き渡らない
ものだから、北側に寄せて造った水路をいろいろいじったものです。

ま、それが遊びとしては、いちばん面白かったけど。

しまいには、家の風呂場から一番西側の一枚に二〇メートルほどのビニール・
ホースを引いて、いつも風呂の配水を流したりもして……。

でも、とにかく、ビニール・ホース1本の水では、全部の棚田には水が行き渡
らない。

最初の東側の方の棚田の出口からは、それこそ“潺々(せんせん)”という感
じで水が流れ落ちているんだけど、それが二枚目、三枚目となるにしたがって
“チロチロ”から、いつか“ウヤムヤ”になってしまって、最後までは行き着
かないわけ。

要するに、“水”が「足りない」んだよね。(^_-)

なんとかその水を、全体の棚田に行き渡らせようとして、水路の出口の高さを
いろいろ調節してみるんだけど、どうも田圃全体を潤わせるには、“水”が

              「足りない」

みたいなんだ。

なにしろ、水源を増やすわけにはいかないので、いろいろやってみたよ。

ひとつ一つの棚田からの出口の水路の高さをいろいろ案配してみた。

でも、あっちの棚田がちゃんと水を張る状態だと、こっちの棚田はいつの間に
か水が涸れている。

どっかこっかの棚田が、いつの間にか干上がっているわけ。

これには、参ったね。

まあ、これは、しょうがないのかな、とも思った。

それで、あるとき、それまでホースの出口は一番高い東端の棚田と、六番目の
棚田の二カ所に振り分けていたんだけど、その二番目の方を必要に応じて動か
せばいいんだ、ということを思いついたわけ。

ああ、なんだ、ホースの出口を一定の所に固定しなくちゃならないわけじゃな
いんだ。朝になってどこかの棚田が干上がっていたら、そこに移せばいいじゃ
ないか、と思ったわけ。

ああ、これで解決だな、って思った。

ホース1本の水だって、なんとかなるじゃないかって。

それで、しばらく、時々二番目のホースの先端を、干上がり加減の棚田まで、
あちこち運んでいたのね。

そうしたら今年は台風がたくさん来たものだから、時には大量の雨が降って、
別にホースを動かさなくても全部の棚田が満水になるときもあったわけ。

そういうときは、満水の棚田の上を、ビニール・ホースの水が流れているわけ
だよね。

ま、ホースを動かさなくてもいいときもあったわけだ。

でも、大雨が収まると、しばらくするとやっぱり棚田は干上がる。

で、また毎回、いろいろな場所にホースの先端を移したりしていたんだよね。

そうこうしているうちに、あるとき、ふと、こんな“思い”が浮かび上がって
きたのね。

要するに、こうやって、水を運べば何とかなるということは、じつは“水”は
足りているんじゃないか、って。

なんとか全体に水を回そうと思って、いろいろ、ホースの先端を移せば何とか
なるということは、田圃全体をカバーして流れている“水”は同量なわけだか
ら、じつは、「水」そのものは、十分に「足りている」んじゃないか? って
思ったわけ。

そしたら、“田圃全体”の表面を覆って流れている“水の層”が見えるような
気がしたのね。

そして、ふと、“あること”を思いついた。

今まで、なんとか水を“全部の棚田に行き渡らせよう”と思って、あちこち動
き回って、いろいろ水の出口の高さを案配していたけど、そうやって右往左往
しなくてもいいのかもしれない。

もしかしたら……。(-_-;)

それで、“ある実験”(というのも、大袈裟だけど (*^_^*))をしてみたの。

一日目は、駄目だった。

二日目も、まだ、駄目だった。

ところが……。(@_@)

やったー!! \(^O^)/

三日目、ついに見事にすべての棚田が満水になっていたの。

<(_ _)>

たった1本のビニール・ホースが賄う水で、合計三〇坪の棚田が完全に水を張
っている……。

もう、何もしていないのに。(/_;)

「水」は

              「足りていた」

んだよ。

ただ、それまで“配水方法”が間違っていただけなんだ。

どうやったんだと思う?

情報は、全部提供したよ。

わかった? (*^_^*)

……つまりね、

それぞれの棚田の水路の出口の高さを、全部それまでより3センチくらいだけ
高くしたの。

ひとつ一つのの“棚田”に、それぞれ十分な保水能力を持たせたわけ。

それだけ。

そうしたら、たしかに最初は、水はその“堰(せき)”を超えられずに、しば
らく流れは止まった。

だから、次の棚田には水は回らなくなった。

それまでは、その水を回そうとして、いろいろ“奔走”したわけ。

でも、今度は、そうしなかった。そして様子を見ていた。

すると、やがてその棚田を一杯にした「水」は、そこから溢れ出したの。

そして、そうやって順々に次の棚田を溢れさせていった。

そう言えば、和田先生が言っていた。

              「待つ」

そして、また

           「水、穴に満ちて流る」

と。

もちろん、その意味は違うかも知れないけれどね。

水を張った十枚の棚田を見て、いろいろ思ったよ。

それは、この次、話すことにするね。


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■ 3.<意識>とは何か?
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今回、サイトを訪問してくださった方から、ある質問をいただきました。

それは、わたしにとっても、じっくり考えてみたい疑問でした。

それで、自分としても、それなりに時間を取って考えてみたい疑問であること、
また、いまは自分の自由時間をすべてメルマガを書く時間に投入しているので
もしよければ、メルマガ上でお答えさせていただけないだろうかと伺ったとこ
ろ、快く承諾していただきました。

そして、次いで、追加のコメントをいただきました。

L さんからの最初の質問です。
----------------------------------------------------------------------
>はじめまして。
>
>https://www.ascensionkan.com/work/kokoro.html
>『21世紀への指導原理 OSHO』より
>“心”と意識の関係
>
>このページ、拝見しました。まぁ、機械に「こころ」を持たせるのは
>無理でしょうね。「こころ」とは「本人」しか判らないもので、
>機械は「本人意識」を持てないでしょう。
>ロボコンのお化けマシンが意識をもつか?・・・みたいな。。
>
>それはともかく、当方、「意識」について非常に疑問な点があります。
>バイオテクノロジーが進歩して、自分の複製が作れそうな時代に
>なりつつあるように思いますが、さて、それを作ってみたところで、
>それは、「そっくりな他人」でしかないですよね。そいつが骨折して痛みを
>感じても、コピー元の私が痛いワケではないでしょうから。
>つまり、「自分」そのものは、唯一であって、どんなに技術が進んでも
>「二つと作れない」と思うのです。そこで、「意識って何だ?」と思うワケ
>です。
>
>・なぜ自分は記憶力が悪い人間に生まれ落ちてしまったのか
>・なぜ自分は「ハゲ」の遺伝子を持つ父からそれを継承したのか
>・・・・それら多数の個性要素のもとに、自分という意識が発生したのは
>なぜか???
>
>まぁ、そんな疑問です。ある人は「ブス」に悩んでいるでしょうし、
>別の人は、チビ、あるいはデブに悩んでいるでしょう。
>逆に、大会社の社長や有名人になるべくして生まれた人もいるでしょう。
>なぜ自分はそのような意識を持って生まれ落ちなかったのか・・とか。
>
>宗教的には、「過去の因果の結果」と説明してあるような感じですが、
>その「因果」と「自分の関係」が納得できないというか、どのように
>考えればいいか・・ずっとその疑問に取り付かれています。
>「あなたの過去の意識が、殺人を犯した」とか言われても、まったく
>現世の自分にはその認識は持てませんし・・・。
>
>まだあまり深くは突っ込んでいませんが、「不確定性原理」とか、
>ユングの「共時性」とかは少し読みました。あと宗教関係少々です。
>
>「意識」は、私が別の誰かの意識になれない・・・と言う事実からすると
>解明することは、本質的には「不能」だと考えていますが、
>いかがでしょう。
----------------------------------------------------------------------

ご質問をお寄せくださって、ありがとうございます。

おっしゃること、わたしなりに了解しました。

>https://www.ascensionkan.com/work/kokoro.html
>『21世紀への指導原理 OSHO』より
>“心”と意識の関係
は、自分なりに“思い入れ”のある文章です。

昔、ある知人に、『心の社会』(マーヴィン・ミンスキー著、産業図書刊)と
いう本を読んで感想を聞かせてくれないかと言われたことがあるのですが、こ
の本を読んで、その著者のあまりに薄っぺらな(と、そのときわたしに思われ
た)“心(マインド)”イメージにちょっと驚いたことがあって、その記憶が
この文章になりました。

この文章に、Lさんを見知らぬ人間に長年の疑問を投げかけてみる気にさせる
だけのエネルギーがあったと思えば、勝手ですが、やはり嬉しいです。

ご質問にどう答えるというよりは、Lさんの疑問を伺って、わたしの連想野に
起こった細波のご報告というような意味で、浮かんできた“思い”を自分なり
に綴ってみたいと思います。

まず、最初に思ったことは、ここでLさんが

>つまり、「自分」そのものは、唯一であって、どんなに技術が進んでも
>「二つと作れない」と思うのです。そこで、「意識って何だ?」と思うワケ
>です。

と、こう書かれたときの、その「自分」とか“唯一”とか、いう言葉の意味の
感じのことです。

なんか、理屈っぽいことをいう人だなぁ、と思われそうですが (^^;)、そして
それもたしかに、そのとおりなんですが (*^_^*)、あまりに“連想野”が違う
と、せっかく何かをお伝えしようとしても、何も伝わらない恐れもあるもので
すから、ちょっと、言葉を整理しないとな、と思いました。

そうしないと、わたしがイメージする「意識って何だ?」まで、話が行き着け
ないような気がしました。(^^;)

たとえば、ここでLさんは“「自分」そのものは、唯一”という言葉を使って
いらっしゃいます。

でもそれは、たとえば、わたしが“<自分>はひとりしかいない”というよう
な言葉を使ったとしたら、そこで意味しているであろう内容、とはとても違う
ようなのです。

違うだけなら、Lさんのイメージ(=“連想野”)に合わせればいいだけです
から、話は簡単だともいえるのですが、そこで厄介なのは、ここでの論議の
ゴールが「意識って何だ?」だからです。(^^;)

話が「意識が何であるかについての存念を述べよ」ということになると、どう
しても自分なりの<意識>イメージにまで辿り着かなければならないので、そ
の意味では、「自分」という言葉も、“「自分」がひとりしかいない”という
ような言葉の意味の違い、連想野の違いにも触れざるをえなくなります。

それで、どういうアプローチがいいかなぁ、と思うのですが、残っている時間
の関係から、わたしが<意識>をどういうものとして、イメージしているか、
を中心にして話を進めさせていただくことにしました。(*^_^*)

ちょっと、強引ですが、ご免なさいね。m(_ _)m

それで、もしかしたら、Lさんは、自分が訊いたことにはまったく答えてもら
わなかった、という印象を持たれるかもしれません。(^^;)

そのときは、申し訳ありませんが、もしその時、まだそういう気になれるよう
だったら、もう一度ご質問をいただければと思うのです。

むろん、けっして無理に質問していただく必要はありませんが。

では、わたしが「意識」という言葉をどういう意味で使うか、あるいは「意識」
という言葉でどういう連想をするかを、お伝えしたいと思います。


       …………○…………○…………○…………


たとえば、Lさんは、ご質問の中で
>・なぜ自分は記憶力が悪い人間に生まれ落ちてしまったのか
>・なぜ自分は「ハゲ」の遺伝子を持つ父からそれを継承したのか
>・・・・それら多数の個性要素のもとに、自分という意識が発生したのは
>なぜか???
という疑問を表明していらっしゃる。

こういう内容は、わたしの連想野の中では、<意識>の問題というよりは、
<意識>の中に浮かぶ“コンテンツ”の問題であり、またその“コンテンツ”
に対する<意識>の“担い手”の“自己同化”の問題ということになるようで
す。

じゃ、あなたのいう「<意識>というのは何なんだ?」と、もし訊いていただ
けるなら、<意識>というのは、いろいろな“思い(=コンテンツ)”を存在
させる<根拠>である、というような意味合いで使っています。

そういう「“思い”を存在させる根拠」というような意味合いでの<意識>に
関しては、古来、代表的なイメージが大きく分けて、二つあります。

ひとつは、「大空(おおぞら)」のイメージです。

この「大空」イメージの<意識>の場合、じゃ、“思い”はどういうイメージ
になるの? ということになるわけですが、その場合“思い(=コンテンツ)”
は「大空」に浮かぶ「雲」というイメージになります。

そして、もうひとつの<意識>イメージは、「鏡」です。

この「鏡」イメージの場合は、“思い”に当たるものは「鏡に映る影」とか、
「鏡に映る姿」というイメージになります。

この「鏡」イメージにはヴァリエーションがあって、それは深山に囲まれて、
さざ波ひとつ立てずにひっそりと静まる「湖面」のイメージです。

この「湖面」のイメージの場合は、“思い”に当たるものは、「湖面」が映す
「影」というのもあるのですが、「湖面」に拡がる「さざ波」というのもあり
ます。

ここで、ちょっとまとめると、

    “思い”の根拠としての<意識>     “思い”

1.       「大空」         「(大空に浮かぶ)雲」

2-1.      「鏡」          「(鏡に映る)影・姿」

2-2.      「湖面」         「(湖面に立つ)さざ波」

こんな感じです。

ここで、代表選手を二つに絞ることにしましょうか。

      <意識>    “思い(想念・感覚・感情)”

1.    「大空」    「(大空に浮かぶ)雲」  :粒子的イメージ

2.    「湖面」    「(湖面に立つ)さざ波」 :波動的イメージ

この、2番目の“波動的イメージ”が面白いのは、物理次元の世界を<意識>
の「さざ波」として、つまり、<意識>と「物理次元」を存在の「二極」とい
うよりは、連続的なものとしてイメージすることができるからです。

そして、この二つの<意識>イメージを統合して現れるのが、

      <意識>    “思い(想念・感覚・感情)”

3.    「空間・真空」  内面と外界に出現する森羅万象(=現象)

ということになるわけだろうと思います。


        …………○…………○…………○…………


いったい、なんのこっちゃ、ぼくの質問とどういう関係があるの?

ということになるかもしれませんね。(^^;)

なのですが、ただ、Lさんがご覧になった
>https://www.ascensionkan.com/work/kokoro.html
>『21世紀への指導原理 OSHO』より
>“心”と意識の関係
という文章の最後で、わたしが
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 しかしそれは比喩ではあっても、事実として、単なる電気的なプラスとマイ
ナスが人間の内面的気分に対応する実体を持つと思う者はいないだろう。その
プラスとマイナスをどれほど複雑に組み合わせても、そこにどれほどの構造を
持たせることができても、そのこと自体でそこにある種の気分を生み出したこ
とにならないのは自明だ。

 なぜこのような誤解が起こるのか。
 それはひとえに、コンピュータを生み出した西洋社会が、“心 (マインド)”と
いうものと<意識>というものの区別をはっきり意識してこなかったことに由
来する。だから、コンピュータが複雑な判断を下せるようになれば、そこに人
間の“心”の萌芽を認める短絡した理解が発生したのだろう。(p139-142) 
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と書いた、その

     “心 (マインド)”というものと<意識>というものの区別

という言葉の意味が、そういうイメージだったということは事実です。

そして、わたしが、

         <「自分」はひとりしかいない>

という言い方をしたとすれば、その「自分」とは、わたしが「わたし」と言う
ときの「自分」のことであり、それは、とりもなおさず、Lさんが「わたし」
と言うときのLさんの「自分」と“同一人物”だ、という意味です。

なぜならこの大宇宙を包含する「空間」は、<ひとつ>しか存在しないからで
す。

また、この物理次元の大宇宙を満たす「真空」も、<ひとつ>しか存在しない
からです。

それを<根拠>にして、いわゆる“森羅万象”が現象しています。

では、その“森羅万象”を感じている者は“誰”か、その“森羅万象”を感覚
している者は“誰”か、その“森羅万象”を思考している者は“誰”か、とな
ったとき、そのものの名前を<意識>と名付けたわけです。

Lさんは、
>つまり、「自分」そのものは、唯一であって、どんなに技術が進んでも
>「二つと作れない」と思うのです。そこで、「意識って何だ?」と思うワケ
>です。
と“思って”いらっしゃる。

“誰”がそう思っているのか、ということです。

Lさんが「わたしがそう思っているのだ」とおっしゃるなら、それはLさんの
肉体が“思っている”のでしょうか?

「手」が思っているのでしょうか? 「足」が思っているのでしょうか?

いや、そうじゃない、「頭」が思っているのだ、とおっしゃるなら、髪の毛が
思っているのでしょうか、頭蓋骨が思っているのでしょうか?

いやいや、そうじゃない、「脳」が思っているのだ、とおっしゃるなら、そこ
で初めて、先ほどの『心の社会』の著者、マーヴィン・ミンスキーの視点に近
づいてくるわけです。

マーヴィン・ミンスキーは、“心(マインド)”というものは、「脳」が支え
ているものだと思ったわけです。

つまり、「大脳」の活動をコンピュータで完璧に模倣できれば、“心”を作る
ことができる、と考えたわけです。

だから、彼の著書のタイトルは『心の社会』というのです。

“大脳生理学”の知見に基づいて、コンピュータ素子からなる一大社会を構成
できれば、それで“心”を作ることができると考えたということです。

もし、本気だったとすれば、あまりにも子供っぽい思いつきなので、ちょっと、
批評の限りではありませんが、多分、そういうことなのだと思います。

でも、大学者マーヴィン・ミンスキーは、とてもいいことをしてくれました。

西欧世界がやっと、「人工知能」を駆使するということと、人の“心”を作る
ということの間には、何か、超えがたい“垣根”のようなものがあるらしい、
と気づく突破口を開いたとも言えるからです。

まあ、現在、そんなことを考えているような“学者”もいないでしょうが。

そう思って、もう一度、
>https://www.ascensionkan.com/work/kokoro.html
>『21世紀への指導原理 OSHO』より
>“心”と意識の関係
を読んでみていただけますか?

そうしたら、「<意識>っていったい何なんだ?」、この“思い”は一体、
“誰”が感じているんだ、って、ちょっと“気味の悪い疑問”が浮かんでくる
かもしれませんよ。(^^;)

そうしたら、
>・なぜ自分は記憶力が悪い人間に生まれ落ちてしまったのか
>・なぜ自分は「ハゲ」の遺伝子を持つ父からそれを継承したのか
>・・・・それら多数の個性要素のもとに、自分という意識が発生したのは
>なぜか???
なんて“思い”も、なかなか悪くないじゃないか、と思われてくるかもしれま
せん。

その“思い”を“掴んでいる方”がLさんです。

その“思い”が、Lさんなわけじゃありません。(^^;)

その“思い”は、他のあらゆる“思い”と同じ、“<意識>の海”に浮かぶ、
ひとつの“コンテンツ”、“さざ波”にすぎません。

では、“誰”がその“さざ波”を感じているのか?

はは、同じですね。(*^_^*)

落語だと思って、聞いてくださいね。

さて、今日は時間が来たので、わたしの“マインド無礼講”もここまでです。

Lさん、質問してくださって、ありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 4.哲学話:“心”と意識の関係
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悪乗りして、Lさんが取り上げてくださった、「“心”と意識の関係」という
文章を、ここにも、転載させていただきます。

もし、興味を持っていただける方がいらっしゃったら、読んでみてください。

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『21世紀への指導原理 OSHO』より

“心”と意識の関係 

 『心の社会』(マーヴィン・ミンスキー著、産業図書刊)という本がある。
情報工学の権威が、大脳生理学の成果を取り入れて“心 (マインド)”を作成する
ビジョンを描いた本だ。もちろん著者は、コンピュータによって“心”という
ものを作ることができると考えている。
 つまり著者は、人間の“心”というものは、非常に単純な判断が構造を持っ
て複雑多岐に組み合わされることによって構築されているものであり、その膨
大な複雑さを機械でカバーすることができれば、“心”を生み出すことができ
ると考えているわけだ。
 だが、複雑多岐な根拠に基づく判断といっても、その判断が人間の“心”に
起きるのは、そこに“心”の根拠がすでにあるからで、その複雑さに基づく判
断があるからそれを根拠に“心”が発生するのではない。
 この関係を逆転することはできない。
 そしてその“心”は、およそ複雑さなど関係のないものを根拠に存在してい
る。
 それはけっして神経繊維の数の膨大さとその構造の複雑さに帰すことのでき
ないものだ。人間の“心”の動きがどれほど複雑であったとしても、もしそれ
だけなら、いつかコンピュータがその複雑さとその構造をコピーし、真似るこ
とができないとはいえない。いつかそれはできるだろう。
 けれども、そのことによって人間の“心”と同じものを生み出すことができ
ると考えるのは、“種の進化”の根拠を膨大な時間に帰したダーウィンの論理
にも類比できる。それは、膨大さとか、長い時間とか、人間が簡単にはカバー
することができない検証不能な量的問題を誇示することによって、その圧倒的
な量のイメージの中に本来起こりえないものを封じ込めようとする態度だ。

 例えば今、単純な好悪の判断を示す素子を組み合わせて、ある判断の体系を
作りえたとしよう。
 その体系の中にある入力を与えると、ある判断の結果が出力される。
 そしてその体系はその中の一部として学習機能を持っている。その体系は現
在の心理学が想定するようなあらゆる心理的傾向を示すとしよう。つまり、あ
る量の素子がある判断に傾いたとき、一定の限界を超えたところでシステム全
体の決定が一方向に傾く、などといった人間の“心”の中で起こる曖昧な感情
と態度決定のプロセスがそこに反映されているとしよう。
 けれども例えば、人間がそのような状況に置かれた時のそのある種の曖昧な
気分、それがある程度煮つまって何かの結論に達する時の、その“心”の内面
がそこにあると考えることができるだろうか。
 人間の“心”の中のある種の気分を、一定数の素子がある種の状態になって
いることになぞらえることはできる。そしてある種の気分に傾くことを、その
感染素子が増えていくこと、あるいは減っていくことになぞらえることはでき
る。
 けれどもその場合、その膨大な素子を抱えたコンピュータ頭脳の中の何処に、
人間の“心”の中のその“ある種の気分”が存在するといえるのだろうか。
 人間の“心”の中には、ある種の気分が確かに存在しており、私たちは自分
の経験ではっきりとそれを知っている。そして他人が判断に悩む姿を見て、そ
れがどのような内面的状態を現しているかを理解することができる。
 しかし、そのコンピュータの中の何処に、その“気分”、その“内面”は存
在しているのか。

 確かに、ある種の気分の変遷を一定の判断を示している素子の量、あるいは
構造的な組み合わせの変化に喩えることはできるだろう。そして、人間の判断
がたどるのと同じある変化を、その判断体系がたどるように仕組むこともけっ
して不可能ではないだろう。
 だがそのことと、“心”を作るということはまったく別なことだ。
“心 (マインド)”を作るとは、いってみれば、その人間の判断の中にあるある内
面、曖昧な気分の変化そのものを作るということだ。
 なぜなら、その内面だけが<主体>だからだ。
 それだけが、不安におびえて反乱を起こすハルの内面でありうるからだ。
 そのコンピュータの中に展開されている判断素子のあるパターンの変化を、
ひとつの判断という結果に到るための処理の流れの反映と類比するのは構わな
い。けれどもそのパターンを、そこにある種の気分が存在していることだと強
弁することはできない。

 コンピュータの中の一つひとつの素子のプラスとマイナスがひとつの気分で
あると言えるなら、そこにはある種の気分があることになるだろう。
 しかしそれは比喩ではあっても、事実として、単なる電気的なプラスとマイ
ナスが人間の内面的気分に対応する実体を持つと思う者はいないだろう。その
プラスとマイナスをどれほど複雑に組み合わせても、そこにどれほどの構造を
持たせることができても、そのこと自体でそこにある種の気分を生み出したこ
とにならないのは自明だ。

 なぜこのような誤解が起こるのか。
 それはひとえに、コンピュータを生み出した西洋社会が、“心 (マインド)”と
いうものと<意識>というものの区別をはっきり意識してこなかったことに由
来する。だから、コンピュータが複雑な判断を下せるようになれば、そこに人
間の“心”の萌芽を認める短絡した理解が発生したのだろう。(p139-142)  
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■ 6.編集後記:“楽しい気分”を配達できるといいなぁ
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ああ、この『通信』を読んでくださる方々に、“楽しい気分”を配達できると
いいなぁ。

もし、そうでなかったら、必ず、自分に戻ってくるからなぁ。

「理屈」は、もう、いいとも思うんだけど、お前は、そのへんの使い勝手がい
いのよ、なんて声も聞こえてくるし……、まあ、そうかとも思うし……。

“人畜無害ばなし”で、みなさんに“気軽さ”を振りまけるといいけどなぁ。

それから、みなさんからも、なにか反応がいただけると嬉しいけどなぁ。(*^_^*)

あ、いやいや、こうして読んでいただけるだけで十分なんだけど。

読んでいただけてこそ、こうして、書くこともできます。

ありがとうございます。<(_ _)>

というわけで、今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

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17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
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<(_ _)>

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■ 【作 者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: paritosho@dream.email.ne.jp
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