home > 通信 > 『アセンション館通信』 第32号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.032 2004,10/03(第32号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension.html
このページ↑をご覧ください。

また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension_m.html
このページ↑をご覧ください。

要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か8年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変が起こって、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

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◇◇ もくじ ◇◇

1.「太極図」

2.「キママ」へようこそ

3.“分かる”ということ

4.世界の根拠としての<わたし>

5.自分が“一番賢い”

6.いただいたお手紙から:fujiyama さんから

7.編集後記:今日は、ちょっと、頑張りすぎたかも。(*^_^*)
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■ 1.「太極図」
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さあ、今日も書くぞう!! \(^o^)/

自分に許した、マインド無礼講の日。

ころはまさに秋たけなわ。

空は文字通りの秋晴れ。

この頃ちょっと外に出かけるときがあると、彼岸花が目立って多くなっている
ような気がするんだけど……。

昔から、あんなに“彼岸花”が目立っていたかな?

彼岸花って、「あ、あそこに彼岸花が見えた」なんて言いたくなるくらいに、
遠くにほんのたまーに見かけるような花だったような気がするんだけど。

あっちにも、こっちにもたくさんの彼岸花が咲いているなんて、時節全体が、
なにか収穫に向けて熟してきているのかなぁ。(-_-;)

(*^_^*)

はやくも、一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”にお付き合いいただく
時間がやって参りました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有のお時間の中で、いかがお過ごしでしょうか?

と、……今日は、何を書こうかな?

あ、ヴィジョンだ。(@_@)

「田圃での発見」の続編を書くんだった。

それでさ、“火土水(ひとみ)”は「足りている」というお話を書くんだった。

でも、これまで地球人類が長年意識エネルギーを注いできた「足りない」とい
う“思いこみ”には、それなりの歴史的な重みが集積しているよね。

それが地球の集合無意識の「中核観念」として、地球上のいわば“感情台風”
の目を構成してきたわけじゃない。

この“台風の目”をほどかなくちゃならない。

ところで、台風って言えば、この頃は台風もなかなか激しいよね。(@_@)

こういうのが、もしすべて、地球人類の“感情エネルギー”の放出と関連して
いるんだとしたら、それはそれで、なにか“納得できる”ような感じもあるけ
ど……。

「太極図」って知っているでしょ。

「陰陽勾玉巴(いんようまがたまともえ)」とかって名前もあるみたいだけど、
その名の通り↓黒と白の勾玉がぐるぐる追いかけっこしているみたいな絵。
http://homepage2.nifty.com/osiete/s463.htm

この追いかけっこしている二つの勾玉のそれぞれの中心には、“相手側の種”
が萌芽として兆しているんだよね。

なんだか、ひどく“意味深”だけど。(^_-)

何千年前だか何万年前だか知らないけれど、あるとき

              「足りない」

という「中核観念」が地球人類の“集合(無)意識”の中心に“棘(とげ)”
のように打ち込まれたわけ。

それで、“感情”の中心を乗っ取られたわれわれ地球人類は、それ以降、長い
長い時間を、この占奪された“偽の中心”のまわりに渦を巻いてこなかければ
ならなかったったというわけ。

「足りない」という「観念(=思いこみ)」を“台風の目”にして、この「観
念」が紡ぎ出す物語の世界を生きてきたわけだ。

まさに、ひとつの“ファンタジー”だよね。

「事実は小説よりも奇なり」っていうけど、ま、“事実こそファンタジー”と
いうことなのかなぁ。

で、いずれにせよ、今回の“地球劇場”の終幕は、この「足りない」というこ
れまでの超長期間にわたる「中核観念」の解体場面なわけだよね。

すると、さっきの「太極図」の話に戻すと、われわれのこれまでの歴史は、
http://homepage2.nifty.com/osiete/s463.htm
この↑二つの勾玉がぐるぐる回っている“中心”が、「足りない」という「中
核観念」だったわけだから、その「中心」そのものが“変容”するという話で
もあるわけだ。

同じ「陰陽勾玉巴」ではあるんだけど、これまでの「足りない」という中心が
崩壊して、それに代わってこれからは「十分にある」という新しい「中核観念」
を中心にして、新しい物語世界を紡ぎ始めるということになるのかな。

で、そういう物語を紡ぐための“原因の世界”の側での“仕込み”は、とおの
昔に済んでいると思うのね。
(時間のない世界に“とおの昔”もないけれど。(^^;))

すると、それを現象世界の事実として顕現するために、こちら側のわれわれが
納得するための“こちら側”での仕込みも必要になると思うんだよね。

それが、あの追いかけっこしている勾玉の中心に“相手側の種”を仕込むこと
に当たるかな、なんて思うんだよね。

はは、理屈っぽ過ぎるか。(*^_^*)

いやね、考えたのは、こういうことなの。

小さな棚田とはいえ、最初からビニール・ホース1本の水で、すべての棚田に
水を満たすことができたわけじゃない、って書いたでしょ。

特に最初の最初は、水はただあとかたもなく地面に吸収されてしまったって。

やっぱり、最初はしばらくその状態が続くんだよね。

その状態から、水が溜まってくるまで、つまり「水」は十分に足りているんだ
ってことを、誰もが納得するまでを持ちこたえる何か“方便”のようなものが
必要だと思うんだよね。

で、その“方便”についてのヴィジョンを書きたいと思うんです。(^^;)

段落を変えるね。


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■ 2.「キママ」へようこそ
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「○九十(マコト)の世」が来るためには、“ユダヤとスメラ”が手を結ばな
ければならない、なんて言い方を知ってます?

はは、もしかして、これはかなり“強い方言”かな。(*^_^*)

いえ、これはね、『火水伝文(ひみつつたえふみ)』というご神示(文書)
https://www.ascensionkan.com/books/himitsu.html
を降ろされた方の言葉なんです。

といっても、この方はいわば“お伝え人”ですから、この方個人の言葉という
わけでもなくて、『火水伝文』を降ろしてきている霊統からの言葉と考えるべ
きものだと思います。

いつか、「○九十(マコト)の世」という言霊についても、伺った話を簡単に
ご説明した方がいいのかも知れないけど、まあそれはともかく、ここであげた

            “ユダヤとスメラ”

という言葉、これはそんなに頭をひねらなくてもね。(^_-)

「ユダヤ」はそのもの、「スメラ」は「スメラミコト」のスメラでしょうか。

「ユダヤ」と「ひのもと(=「日の本」=「霊(ひ)の元」)」の意味だと思
います。

『火水伝文(ひみつつたえふみ)』のお話は、「五十音図」といういわば、
“神の経綸図”と深く関係しているらしいんですが、「ヤ行」と「サ行」が互
いに歩み寄ったところに中央の「ナ行」があるらしいんです。

つまり、「ユ」と「ス」が手を結ばなければ、「ヌ」の音霊が出てこない、と
いうことみたいです。

この「スメラ」の「スメラミコト」については、
『大和民族はユダヤ人だった――出エジプトから日本への道』
(ヨセフ・アイデルバーグ著、たま出版刊)
https://www.ascensionkan.com/books/10_lost_tribes.html
という本の中に、「スメラ・ミコトはヘブライ語」という節があって、中に
----------------------------------------------------------------------
――スメラ・ミコトはヘブライ語

 われわれはイスラエルの帰らざる十部族の探索を「アッシリアの王は、つい
にサマリアを取り、イスラエルの民を捕らえていった」という旧約聖書の一節
から始めた。それは紀元前七二二年のことであり、紀元一世紀の終わり頃、ヨ
セフス・フラヴィウスが「十部族は今もユーフラテスの彼方におり……」と書
いた短い証言を除いては、彼らに関する消息は何もない。 しかしサマリアの
民が追放されて一四世紀も経ってから、日本の天皇の公式名は、すべて『スメ
ラ・ミコト』であるということが知れた。 日本語では満足に説明しかねるこ
の照合は、古代ヘブライ語の一方言では「サマリアの陛下」と解釈することが
できる。ということは、もしや日本の諸天皇はサマリア王家の子孫であったこ
とにならないだろうか。(p74)
----------------------------------------------------------------------
と、書かれています。

他にも、「スメラ」を「シュメール文化」と結びつける説もあるようです。

(「シュメール文化」と「サマリア」が関係があるのかどうかは、まだその本
 を読んでいないのでわからないけど。)

ま、なんでこんな持って回ったようなことを書いているかというと、じつは、

         イスラエルのコミューンは:「キブツ」

         日本のコミューンは:「キママ」

これ、これ↑、この一言を言いたかったの。(*^_^*)

あはは。わかった? ^^;

(@_@)

分かるわけないよね。(-_-;)

これが、何を隠そう、

 “十分に足りていることを誰もが納得するまで、持ちこたえる「方便」”

のヴィジョンです。

地球人類の集合意識の移行過程を運ぶ“器”の“テンプレート(=“鋳型”)
というか、ま、名前ね。(^^;)

“移行過程”の実践的模索という意味では、中野 仁慶さんという方の
「癒しの郷」構想というのがあります。
http://www.kumonoito.jp
メルマガ:「**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**」
http://www.melma.com/taikai/

じょくうさん、ここを教えていただいて、ありがとうございました。m(_ _)m

で、もちろん、「癒しの郷」でもいいんですけど、その“癒し”の意味と、
プロセスを、具体的、直接的にラベル化するという意味で、

              「キママ」

という“コミューン・テンプレート”を考えてみたというわけ。

その、ココロは?

これまで、何千年という長期間にわたって、地球人類の“集合(無)意識”の
「中核」となってきた「足りない」という“思いこみ”が崩壊するプロセスで
は、三つの「キママ」が必要なのではないか。

もちろん、いうまでもなく、いまはこんなに骨の髄まで抜き取られているけど、
その“崩壊過程”を“上昇過程”に転換できるところは日本にしかないよね。

というより、ここで「日の本(=「霊(ひ)の元」)」の出番がなかったら、
今までこんなに恵まれてきて、どうやってそのバランスを取るつもり? (@_@)
ってわけね。

だって、イラクさんも、ロシアさんも、アメリカさんも、みなさん、ちゃんと
しっかり役どころを演じていらっしゃるじゃない。ね。(^_-)

さて、これから「ヒトミ(火土水)」それぞれの“禊ぎ”が始まるんでしょう
けど、水がきて、土が来て、火が来る「天変地異」が先になるのか、それとも
われわれの“現実”である「資本主義経済」の崩壊が先になるのか、その辺は
わからんけど、とにかく、「プロセス」が始まったら、

      「こうなっては、もう、誰にも止められんのじゃ」

ってことになるじゃない。(^_^)v

そしたら、最後の好況が残っていた大都会から、田舎へ環流する人々の集団移
動が始まるわけだよね。

そのとき、“受け皿”はどういう形をしていなければならないか?

あまり、細かく考えられたものだと、とてもそういう“非常時”の役には立た
ないかもしれない。

「足りない」という“思い”の協同創造の最終形態として、

             “貧富の二極化”

が起こっているわけ。

その頭に血が上りきった“気上がり”の状態を癒す「癒しの郷」は、どういう
組織原理で運営されていないとならないと思う?

都会から押し寄せる方々を受け容れる「器」としてのコミューンには、入口に
こういう「立て札」が立っていなければならないと思うんだよね。

  ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
  ┃                              ┃
  ┃         「キママ」へようこそ           ┃
  ┃                              ┃
  ┃ 1.まずは、“着の身着のまま”でいらしてください。    ┃
  ┃                              ┃
  ┃ 2.着いたら、とりあえず“気まま”になさってください。  ┃
  ┃   「キママ」内では、衣食住はすべて無料です。      ┃
  ┃                              ┃
  ┃ 3.落ち着いたら、“生まま”に戻ってください。      ┃
  ┃   あなたが、本当にしたいことをしてください。      ┃
  ┃   昼寝をしたいなら昼寝を、畑をしたいなら畑を、     ┃
  ┃   勉強したいなら勉強を、瞑想をしたいなら瞑想を、    ┃
  ┃   ご専門を生かしたい方は、専門技量で「キママ」の運営を、┃
  ┃   外に出て金を稼ぎたい方は、金儲けをなさってください。 ┃
  ┃                              ┃
  ┃[告]ただし、これだけは、守ってください。         ┃
  ┃   けっして、したくないことはしないでください。     ┃
  ┃   「キママ」は“被害者”を受け容れることはできません。 ┃
  ┃                              ┃
  ┗━━━━━━━━━━━━━━┳┳━━━━━━━━━━━━━━┛
                 ┃┃

あはは、ヤッター!! \(^O^)/

ビニール・ホース1本の水では、箱庭みたいな田圃でも、一週間ほどは、水は
溜まらなかったんだよね。

その間は、水をただ出し続けるだけだった。

土は、それを飲みこみ続けた。

飲み込んでも、飲み込んでも、渇きは止まらなかったみたい。

なにしろ、何千年の渇きだからね。(^_-)

(はは、それは話が違うって。^^;)

飽きるまで、飲ませてやるよりしかたないよね。

といっても、すべては地球さんが賄ってくれているんだけど。

わたしがやったのは、ただ、蛇口を開けっ放しにし続けただけだから。

“空気のように”とか“湯水のように使う”なんて言葉は、あって当たり前の
ものの代表として「空気」や「水」を想定しているわけだけど、われわれの
「足りない」という“思い”はついにはその「空気」や「水」まで「足りなく」
することに“成功”したわけだものね。

じゃ、その「足りない」という“思い”をどうやって癒したらいいのか、って
言ったら、やっぱり本当に飽きるまで、「足りている」状態を実感するしか、
方法がないと思うんだよね。

そのための状況は、余っているところから回すよりしかたない。

で、実際に、使われないで渋滞しているお金は、ほんとうに、掃いて捨てるほ
どあるのも事実なんだ。

さあて、それをどうやって必要なところに回すかなんだけど……。(-_-;)

やっぱり、この次は「経済身体論」でも考えなきゃなぁ。

でも、今日じゃないな。

今日は、別の話題ね。

段落を変えます。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.“分かる”ということ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ありがたいことに、前回ご質問をいただいたLさんが、あの“はぐらかした”
みたいな回答に懲りずに、もう一度、質問をしてくださいました。

本当に助かりました。

Lさん、ありがとうございました。

今日は、じっくり、お答えさせてください。

まず、Lさんからの驚嘆すべく“素直な”メールから。
----------------------------------------------------------------------
>メルマガ拝見しました。どこか「違和感」を感じて、またメール
>させていただきました。
>
>おっしゃるところの<意識>とは、媒体と考えていいでしょうか?
>テレビは電波が媒体で、番組がコンテンツ。掲示板そのものは媒体で、
>書いてある内容がコンテンツ。
>
>となると、そもそも前提が違うまま対話しているような印象を受けました。
>私の書いたところの意識とは「コンテンツ」のつもりでした。それ以外に
>考えるほど勉強できていないのかも知れません。つまり、
>媒体は、脳みそ、意識はそのコンテンツそのものでは無いにしろ、脳みそを
>流れまわる信号・・です。傷いと感じる--判断する--のは、ほとんど
>脳みそだと思います。
>
>>Lさんが「わたしがそう思っているのだ」とおっしゃるなら、
>>それはLさんの肉体が“思っている”のでしょうか?
>
>全てではないでしょうが、「脳みそ」が大半だと思います。
>心臓や手足は移植しても「自分」という感覚に変化が起こるワケではない
>でしょう。ただ脳みそを外科的に操作すると、自分であるかそうでないか・
>・・、その区別がつけられなく可能性はあるのかも?・・・とかは思いますが。
>
>>そして、わたしが、
>>
>>         <「自分」はひとりしかいない>
>>
>>という言い方をしたとすれば、その「自分」とは、わたしが「わたし」と言う
>>ときの「自分」のことであり、それは、とりもなおさず、Lさんが「わたし」
>>と言うときのLさんの「自分」と“同一人物”だ、という意味です。
>>
>>なぜならこの大宇宙を包含する「空間」は、<ひとつ>しか存在しないからで
>>す。
>
>「同一人物」・・・? ここ、よくわかりません。この文章では、私と
> pari さんとが“同一人物”と読めてしまい、それ以外の解釈ができるかと
>努めてみましたが、せいぜい、「それぞれ<「自分」はひとりしかいない>
>と言うことかなぁ?? と思うのが限度です。国語力/読解力が弱くてすみません。
>
>>いやいや、そうじゃない、「脳」が思っているのだ、とおっしゃるなら、そこ
>>で初めて、先ほどの『心の社会』の著者、マーヴィン・ミンスキーの視点に近
>>づいてくるわけです。
>
>上のように、当方は「脳」だとは思っていますが、「マーヴィン・ミンスキーの
>視点に近づいて・・」とは思っていません。
>
>>マーヴィン・ミンスキーは、“心(マインド)”というものは、「脳」が支え
>>ているものだと思ったわけです。
>
>>つまり、「大脳」の活動をコンピュータで完璧に模倣できれば、“心”を作る
>>ことができる、と考えたわけです。
>
>違いは、
>
>マーヴィン・ミンスキー → 模倣すれば“心”を作ることができる
>     私      → 模倣しても“心”は作ることができない
>
>ま、ちょっと理屈っぽいですが、ずれたままにしておくのも・・ということで
>書いてみました。
>
>あと、少し付け足すと、「“心”と意識の関係 」はほぼ同意した上での
>メールであったことを付け加えておきます。つまり、「(書いてあること)
>そうですよね!! で「意識って何??」・・ということでした。
>
>
>>そうしたら、「<意識>っていったい何なんだ?」、この“思い”は一体、
>>“誰”が感じているんだ、って、ちょっと“気味の悪い疑問”が浮かんでくる
>>かもしれませんよ。(^^;)
>
>この文章を拝見して、最初、特に感じなかった・・というか、あまりピンと
>こないまま一通り拝読させていただいて、上のようことを少しずつ書き進めて、
>さてこの一文に再度出会って感じたことは、単に、それは「自分」でしかない
>・・・ということでした。こちさら、“気味の悪い疑問”と書いてあることに
>了解困難な部分があります。感じとしては、神様は神様が造った・・・
>こんな感じで書かれたような印象を受けなくもありませんが、この場合ごく
>ごく単純でいいように思いましたが・・。
>
>>その“思い”を“掴んでいる方”がLさんです。
>>
>>その“思い”が、Lさんなわけじゃありません。(^^;)
>>
>>その“思い”は、他のあらゆる“思い”と同じ、“<意識>の海”に浮かぶ、
>>ひとつの“コンテンツ”、“さざ波”にすぎません。
>
>これが理解できないのは、エーテル、媒体、コンテンツの概念感覚が
>お互い違うからでしょうか??
>
>そういうことなら、言葉の定義からしなければいけなさそうですね。私のよう
>に誤解、あるいは、読み違いをする人も中にはいるでしょうから、
>ホーム・ページのどこかに、意識/無意識/こころ/マインド/・・・その他、
>基本的な部分の説明書きがあると、より読者にホムペの趣旨などを理解して
>もらい易くなりそうに思いました。
>
>さて、あと少し、また新たに伺ってみたくおもいました。
>一つ目は、「人口爆発」についてです。発展途上国の人口は、どんどん
>増えています。現在は、1500年ごろのざっと2倍程度の地球人口になっている
>ようです。
>
>あと一つ、ハルマゲドン/第3次世界大戦/中東問題/文明の衝突/キリスト
>原理主義/米国のネオコン/イスラエル/シャロン首相・・・これらのキーワ
>ードで思うことがおありのようでしたら、少しお考えを伺ってみたく思います。
>
>それでは、どうも、メルマガでのお返事、ありがとうございました。意見や考
>えが合う合わないはともかく、こうして、いろいろ思考実験できることは有意
>義でした。前回の質問なども、単純に書くと、例えば、「皇太子」として
>「自分」が発生したらどうだろう? なぜそこに自分が発生しなかったのだろ
>う? また、父親の精子の先頭の一匹が、例えばすぐ隣の一匹だったとしたら、
>今の自分は存在していなくて、別の意識をもった人が、我が家の家族になって
>いるのだろうな・・・とかね。あるいは、原始時代に生まれなかったのはなぜ?
> イタリア人に生まれなかったのは?
>・・・そんな感じの疑問でした。
>
>では。。
----------------------------------------------------------------------

ありがとうございます。

本当に、じつに素直なご感想で、感心しました。

それにたいして、わたしの前回のご返事は、じつに、“寸が詰まりすぎた”
レトリックだったのです。

Lさんが、“「違和感」を感じて”とおっしゃるのは、あまりにも当然だと
思います。

>おっしゃるところの<意識>とは、媒体と考えていいでしょうか?
>テレビは電波が媒体で、番組がコンテンツ。掲示板そのものは媒体で、
>書いてある内容がコンテンツ。

はい、そうです。

というか、「意識」という言葉の包含が、“コンテンツ”を意味するだけでは
収まらないものがある、という意味も込めています。

“コンテンツ”だけを指す場合は、“感覚”“思い”“感情”といった言葉の
方が適当ではないかと思うのですが。

>となると、そもそも前提が違うまま対話しているような印象を受けました。

はい、よくわかります。

>私の書いたところの意識とは「コンテンツ」のつもりでした。それ以外に
>考えるほど勉強できていないのかも知れません。つまり、
>媒体は、脳みそ、意識はそのコンテンツそのものでは無いにしろ、脳みそを
>流れまわる信号・・です。痛いと感じる--判断する--のは、ほとんど
>脳みそだと思います。

えーと、ここから、ちょっと、言葉を整理していきたいと思います。

目的はひたすら、(“感覚”“思い”“感情”とは違う)「意識」という言葉
の持つ本来のニュアンスに辿り着くためです。

といっても、いわゆる“宗教的”なニュアンスをLさんにご説明したいわけで
はなくて、自分の言葉で考えてみたい、というのが本音です。

ここで、一応、「意識」という言葉を、“感覚”“思い”“感情”などといっ
たコンテンツを指す言葉ではなく、媒体を指す言葉だと、一応、させてくださ
い。

そして、「コンテンツ」を指す“感覚”“思い”“感情”と、「媒体」を指す
<意識>という言葉の間に、「わかる」とい両方の言葉に共通領域を持つ言葉
がある、としてみたいと思います。

つまり、われわれが

              “わかる”

というとき、それはどういうことを言っているのか、ということです。

これは、わたしの考える<意識>という言葉と、とても近いところにある言葉
だと思います。

      …………○…………○…………○…………


たとえば、一番単純な使い方で、

「白い」カンバスに、「白い」絵の具を使って描いたのでは、何を描いたのか
“分からない”ですよね。

それに対して、「白い」カンバスに「赤い」絵の具を使って描けば、今度は、
何を描いたか“分かる”わけです。

それは、別に赤い絵の具でなくても、青でも黄色でも、何を描いたか分かりま
す。

「白い」カンバスは描かれた絵の背景として、描かれた絵と異なる色をしてい
ればいいはずです。

白い布の中に、赤い丸を染め上げれば、それが「日の丸」だということが分か
るわけです。

そういうふうに、“分かる”という言葉には、“区別できる”という意味があ
ると思います。

つまり、われわれ人間が、対象を“識別できる”という意味の使い方です。

でも“分かる”という言葉には、そういう使い方とは別の使い方もあります。

どういう使い方かというと、たとえば、白いカンバスの上に赤い絵の具を塗っ
たとして、その絵の具には、自分が赤い色であることが“分かって”いるだろ
うか? というような使い方です。

白い布の中に染められた赤い丸には、自分が日の丸であることが“分かって”
いるだろうか?

なんとなく、われわれは(傲慢かも知れませんが)「いや、それは、分かって
いないだろう」と思うのではないでしょうか。

じゃ、今度は、同じ白い布の真ん中にLさんが立ったとしたらどうでしょう?

Lさんには、自分がLさんであることが“分かって”いるでしょうか?

「それは、分かっている」と、Lさんはおっしゃるだろうと思います。

わたしが立っても、わたしは「分かっている」と言います。

つまり、“分かる”という言葉には、ある種の“自覚がある”という意味を表
す使い方があるわけです。

わたしが「意識」という言葉を使うとき、そこで意味しているのはこの二番目
の意味の“分かる”という言葉のニュアンスと不可分の何かです。

この意味の“分かる”のバリエーションとして、“感じる”とか、“思う”と
かいったたくさんの言葉があるわけですが、その代表選手として“意識する”
という言葉を選ぶこともできると思います。

「意識」という言葉の包含(あるいは連想)をこのように想定した場合、今度
は逆に、「思い」「感覚」「感情」が“コンテンツ”で、「意識」が“媒体”
だと言うと、何かちょっと違うんだよなぁ、というような気分がしてきません
か?

“媒体”というよりは、むしろ、感じる“主体”とか“本人”とかいう感じが
あるよなぁ、というような。(^^;)

わたしが、<意識>という言葉に載せたいと思っている意味は、まさにその、
“感じている当人”のニュアンスです。

というか、「意識」という言葉を使う以上、そういう意味を担わせなければ、
意味がないじゃないか、という気がします。

で、前回、Lさんの「意識って何なんだ?」という疑問を伺って、わたしが到
達したいゴールは、そういう意味での「意識」だったのです。

前回のご質問で、Lさんがおっしゃっていた意味が
>……。前回の質問なども、単純に書くと、例えば、「皇太子」として
>「自分」が発生したらどうだろう? なぜそこに自分が発生しなかったのだろ
>う? また、父親の精子の先頭の一匹が、例えばすぐ隣の一匹だったとしたら、
>今の自分は存在していなくて、別の意識をもった人が、我が家の家族になって
>いるのだろうな・・・とかね。あるいは、原始時代に生まれなかったのはなぜ?
> イタリア人に生まれなかったのは?
>・・・そんな感じの疑問でした。
というようなニュアンスだということは、じつは“分かって”いました。(^^;)

そのニュアンスをまったく無視して、勝手な方に話をもっていったのは、まこ
とに申し訳ないんだけれど、持ち時間と、自分の興味のふたつからして、前回
は、強引にあちらの方へ、話を持っていきました。

もしいま、一言で、Lさんのこのご質問から喚起されるわたしの連想野での反
応を書くとしたら、それこそまさに、お釈迦さんが言われる

                「縁起」

というものではないかと思います。

その瞬間、その瞬間には、いまの時点のLさんのあらゆる“選択”と同じだけ
の絶対の“必然性”があると思いますが、でも、それをトータルに「なぜ?」
と尋ねたときに、そのすべてに対する包括的な「解答」というようなものがあ
るわけではないと思います。

もし、そんなものがあったら、Lさんのこれまでのさまざまな生涯はすべて、
その「解答」(という目的)のためあったことになってしまいますから。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 4.世界の根拠としての<わたし>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

それで、<意識>について、もう少し書かせてください。

先ほど“分かる”という言葉には、二つの意味合いがあるということを言いま
した。

つまり、
1.対象を、「背景」や「他のもの」と“区別・識別できる”という意味と、
2.“自覚がある”という意味の、
二つの意味合いがあると。

この二つの“分かる”の意味は、一見、まったく別種であるようにも見えます。

でも、これが意外と、じつは、事態の裏側で密接に関係しているようでもある
のです。

先ほどの例で、白い布の中に染められた赤い丸には、自分が日の丸であること
が“分かって”いるだろうか、と言いました。

赤い丸には、たぶん、それは“分かって”いないだろう。でも、そこにLさん
が立てば、自分がLさんであることが“分かって”いるだろうと。

で、この自分がLさんであることが“分かって”いる状態について、もう少し
“しつこく”の考えてみたいんです。(^^;)

もちろん、自分がLであって、pari でもなければ、他の誰でもない、という意
味もあります。

その場合の“分かる”は、絵の具の色の“区別”のときと同じで、“分別”の
意味ですよね。

じゃ、他の人と“区別がつく”という意味を取り除くために、白い布の上には
他に誰もいなくて、Lさんだけだということにしましょうか。

それでもLさんは、自分がLさんであることが“分かって”いるでしょうか?

たぶん、「それは、分かっている」とおっしゃるだろうと思います。

じゃ、ついでに、下の白い布地も取り払ってしまいましょうか。

いま、Lさんのまわりには、何もありません。

存在しているのは、Lさんだけです。

Lさんは、自分がLさんであることが“分かって”いるでしょうか?

……、これ、なかなか難しいんですよね。(*^_^*)

つまりLさんに「自分はLだ」という記憶があれば、Lさんには、自分がLだ
と“分かって”いるだろうと思います。

しかし、じつは、この“記憶”というのはかなり曖昧で、自分を感覚的に確認
できる背景としての対象物があれば維持できるのですが、よく非人間的だと責
められることがある“感覚遮断実験”などでは、たいていの人間は三日もする
と自分の記憶を維持できなくなって、“感覚”が暴れ出して救出しなければな
らない状態になるそうです。

タフな人でも、一週間ももたないとかいいます。

そういうところにLさんを押し込めるのは人道に反するので、今度はわたしが
入ることにしますね。(^^;)

感覚遮断室に入ったわたしは、三日くらいは何とかもちこたえて、自分がpari
であると“分かって”いるとしましょう。

ときどき、自分をつねってみて、「まだ痛い。わたしは pari だ」なんてやっ
てます。(^^;)

そのうち、わたしの内面にいたいろんな“化け物”が浮上してきて、わたしは
何が何だか“分からなく”なってきます。

でも、自分が「pari だ」という記憶は怪しくなるかもしれないけど、そのいろ
んな“化け物”を見てはいるわけです。

その世界を見ている<何ものか>は、いるわけです。

pari なんて“一時的な自覚”の有無はともかく、コンテンツが“化け物”で
あれ何であれ、とにかく、<わたし>の世界は“存在”しているわけです。

前回、話を飛ばしに飛ばして、一気に辿り着いた<意識>というのは、このよ
うな意味での<わたし>でした。

さて、そのような<わたし>ですけど、これってどういうものなんでしょう。

ここで、“分かる”の一番目の意味との隠れた関係が浮上してきます。

つまり、白いカンバスに描かれる絵がそれと“分かる”ためには、白とは異な
る絵の具で描かれる必要があったわけですが、同じように、<わたし>の世界
が“存在”するためには、<わたし>は現象するコンテンツとしての“世界”
と異なるものでなければならないのです。

じゃ、もし、現象世界が“変化の相”であるとしたら、<わたし>は何でなけ
ればならないでしょうか?

もし、森羅万象が“動くもの”であるとしたら、<わたし>は何でなければな
らないでしょうか?

もし、世界が“顕れているもの”だとしたら、<わたし>は何でなければなら
ないでしょうか?

前回書いた、<意識>の代表的なイメージ
----------------------------------------------------------------------
    “思い”の根拠としての<意識>     “思い”

1.       「大空」         「(大空に浮かぶ)雲」

2-1.      「鏡」          「(鏡に映る)影・姿」

2-2.      「湖面」         「(湖面に立つ)さざ波」
----------------------------------------------------------------------
は、上記の<わたし>を自ら体験された方々が示された“月を指す指”という
ことになるようです。


        …………○…………○…………○…………


>>いやいや、そうじゃない、「脳」が思っているのだ、とおっしゃるなら、そこ
>>で初めて、先ほどの『心の社会』の著者、マーヴィン・ミンスキーの視点に近
>>づいてくるわけです。
>
>上のように、当方は「脳」だとは思っていますが、「マーヴィン・ミンスキー
>の視点に近づいて・・」とは思っていません。

まったくです。

先を急ぐばかりに、レトリック上の“省略と飛躍”が過ぎていますね。

ただ、ここで“マーヴィン・ミンスキーの視点”と書いたのは、“論点”のニュ
アンスで、“観点”の意味ではなかったのです。(*^_^*)

でも、じつに、意味が通じませんよねぇ。

>>マーヴィン・ミンスキーは、“心(マインド)”というものは、「脳」が支え
>>ているものだと思ったわけです。
>
>>つまり、「大脳」の活動をコンピュータで完璧に模倣できれば、“心”を作る
>>ことができる、と考えたわけです。
>
>違いは、
>
>マーヴィン・ミンスキー → 模倣すれば“心”を作ることができる
>     私      → 模倣しても“心”は作ることができない
>
>ま、ちょっと理屈っぽいですが、ずれたままにしておくのも・・ということで
>書いてみました。

はい、分かっています。

もともと、Lさんの観点が、マーヴィン・ミンスキーの観点と近い、なんていう
ふうにはまったく思っていなかったですから。(^^;)

しかし、Lさんは、これだけ“誤解された”と感じていながら、じつに平静に、
素直に、書いていらっしゃいますね。

感嘆します。(@_@)

>あと、少し付け足すと、「“心”と意識の関係 」はほぼ同意した上での
>メールであったことを付け加えておきます。つまり、「(書いてあること)
>そうですよね!! で「意識って何??」・・ということでした。

はい、分かっています。(*^_^*)

ご免なさい。_(_^_)_

じつに、はしょった、書き方をしてしまいました。

>>そうしたら、「<意識>っていったい何なんだ?」、この“思い”は一体、
>>“誰”が感じているんだ、って、ちょっと“気味の悪い疑問”が浮かんでくる
>>かもしれませんよ。(^^;)
>
>この文章を拝見して、最初、特に感じなかった・・というか、あまりピンと
>こないまま一通り拝読させていただいて、上のようことを少しずつ書き進めて、
>さてこの一文に再度出会って感じたことは、単に、それは「自分」でしかない
>・・・ということでした。こちさら、“気味の悪い疑問”と書いてあることに
>了解困難な部分があります。感じとしては、神様は神様が造った・・・
>こんな感じで書かれたような印象を受けなくもありませんが、この場合ごく
>ごく単純でいいように思いましたが・・。

はい、おっしゃるとおりです。

“ごく単純でいい”のです。

>>そして、わたしが、
>>
>>         <「自分」はひとりしかいない>
>>
>>という言い方をしたとすれば、その「自分」とは、わたしが「わたし」と言
>>うときの「自分」のことであり、それは、とりもなおさず、Lさんが「わた
>>し」と言うときのLさんの「自分」と“同一人物”だ、という意味です。
>>
>>なぜならこの大宇宙を包含する「空間」は、<ひとつ>しか存在しないから
>>です。
>
>「同一人物」・・・? ここ、よくわかりません。この文章では、私と
> pari さんとが“同一人物”と読めてしまい、それ以外の解釈ができるかと
>努めてみましたが、せいぜい、「それぞれ<「自分」はひとりしかいない>
>と言うことかなぁ?? と思うのが限度です。国語力/読解力が弱くてすみま
>せん。

いや、まったく、言葉に窮します。

でもね、Lさん、この“同一人物”というレトリックに関してだけは、わたし
の間違いというより“確信犯”です。(*^_^*)

> この文章では、私と pari さんとが“同一人物”と読めてしまい、……

正解です。あはは。

“人物”というのが語弊があって、ちょっと使ってみたかったんですよね。

いや、言葉だけで、こういうこと言っちゃいけないかとも思うけど。

まあ……、自分が言ってみたいことは、言わせて上げようと思っていので。

>それでは、どうも、メルマガでのお返事、ありがとうございました。意見や考
>えが合う合わないはともかく、こうして、いろいろ思考実験できることは有意
>義でした。……

Lさん、お役に立ったかどうかはともかく、今回は質問していただいて助かり
ました。

ありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 5.自分が“一番賢い”
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じつは、今回は、もうお一方、久しぶりにミカエルさんが登場してくださいま
した。

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>pariさん 元気ですか?
>
>いきなりですが 最近よく思います。
>
>まあ  どのような生命体も
>神を改心させる 以外の すべての全宇宙の活動は 神の家畜としてこきつ
>かわれる としか
>考えられませんね(思いませんね)。。。
>私は。。。←(注)
>
>ある意味哀れでもあります。。。(泣。。。)
>
>また どんな 宇宙問題 人生問題 社会問題でも 本当の責任は 神(宇宙)
>以外にありえないと心底思ってます。
>これは断じて責任転嫁ではなく 本当の原因を探ればしごく当然結論なのです。
>説明すると長くなるので書くことは差し控えますが。。。
>
>では。。。
>
>ミカエル
----------------------------------------------------------------------

久しぶりに、また、ミカエルさんの世界を見せていただきましたね。

素晴らしいです。(^^)/

もうひとつ、いただきました。

続いて、掲載させていただきますね。
----------------------------------------------------------------------
> ただ 神が狂人だとすると
> われわれも 狂人になってしまう かも しれないが
> 存在しない というのを選択しない方がいい。。。
>
> もともと 自由意志や選択なんてあるのかどうかも十分あやしいが。。。
> 
> まあ 本当は神そのものは 完全無限光 であると思うのだが。。。
> その宇宙運営活動のやり方は間違い なく狂人 である!!! ←(注)
> 
> なぜなら 存在しないを選択すると 苦しむかもしれないので
> (神が存在しないを選択すると苦しむように 設定した
> 可能性はあるかもしれないので。。。
> 十分気をつけよう。。。)
> 
> とりあえず 霊界に帰ったら 永くもしくは長く寝るにしといた方がいい
> でしょう。。。
> 永久に寝るというのが われわれにとっても誰にとっても
> 苦しくもなく 困ることにならない のであればそれもいいかもしれない。
>
> ミカエル。。。
>
> つけたし。。。
>
> 私はいつもイエス キリストが霊眼で写る。 
> ある意味イエス キリストはこの宇宙を創った神であるかもしれない。。
>
> イエス キリストがこれだけいろんな分野で有名なのはそういう意味かも
> しれない。
> われわれの深層心理を刺激するものがあるのだろう。。。 
> だが 
> イエスを磔にした者 イエスを殴った者 イエスの殺しに賛成した者の 
> 後のこと(死後の世界と来世)のことを考えるととてもイエスのやったこと
> に賛成できない。 
> 全員幸福全員勝利が 正しいからだ。 
> また 
> イエスの出現で その正反対の存在ヒトラーの存在が出現した。 
> ますます イエスのやったことに賛成できない。 
> ヒトラーのおかげてすぐに殺されるならまだしも 
> 無数の人間が 拷問 強姦 輪姦 生体実験など目のあてられない悲惨な
> 経験をした。
> 悲しいことである。。 
> また イエス出現のおかげで後 
> どれだけキリスト教関係で 戦争 迫害 拷問が起きたことか。。。 
>
> このことはジャンヌダルクについても言える。 
> ジャンヌ殺しに賛成した者 ジャンヌの正反対のジルの存在についてもあ
> てはまる。。。 
> ジャンヌにも賛成できない なぜなら 
> 全員幸福全員勝利が 正しいからだ。 
> だが俺はジャンヌの存在に心揺さぶられる。。。 
> なぜだろう。。。 
>
> 釈迦のやり方の方がイエスよりも正しいはずだ。 
>  
> だが イエスの存在に俺の心がゆさぶられるのはなぜなのだろう。。。? 
> ↑
> pariさんへ
> また誰でもいいので
> できればこの疑問にできるだけ
> 詳しく答えてくれれば嬉しいです。
>
> ミカエル
----------------------------------------------------------------------

いやー、本当に、ミカエルさんはミカエルさんの世界を創造していますねぇ。

まったく、完璧で、申し分ないです。(^^)/

ただ……、もし……、ミカエルさんが…… (-_-;)
> pariさんへ
> また誰でもいいので
> できればこの疑問にできるだけ
> 詳しく答えてくれれば嬉しいです。
と、わたしなどに書いてくださるとしたら、もしかしたら、ミカエルさんは
現在のご自分の状態に満足していないのではないか……。(-_-;)

もしかして……、
>すべての全宇宙の活動は 神の家畜としてこきつ>かわれる
という自分が創造している世界を(少なくとも自覚的には)好んでいないので
はないか。(-_-;)

でも、本当に好きでない世界を創造することは誰にも可能ではないのだから、
ミカエルさんが
>すべての全宇宙の活動は 神の家畜としてこきつ>かわれる
という世界を好んでいることは、(ミカエルさん以外の)誰にとっても見え透
いたことなのだが……。(-_-;)

(@_@)

あ、そうだ、もしかしたら、ミカエルさんは、「自分」と「自分の世界」が別
のものだと思っているのではないだろうか。

だから、「自分」はこんなに“正しくて”、こんなに“いい子”なのに、どう
して「自分をとりまく世界」はこんなに醜くて、こんなに許しがたいのか、と
糾弾したがっているのではないだろうか。

そして、その分裂の不安に耐えられなくて、わたしのような者にまで、何かを
言ってもらいたがっているのではないだろうか。(-_-;)

そして、宇宙では誰もが<神>なのだということを信じようとしないのではな
いだろうか。

(@_@)

あ、そうだ、もしかしたら、<神>という言葉は、ミカエルさんにとっては、
自己同化が不可能な言葉なのかもしれない。

そういうタイプの人にとっては、<神>という言葉よりは、“賢い”というよ
うな言葉の方が、通じやすいのかもしれない。


        …………○…………○…………○…………


ミカエルさん、この宇宙には法則があって、それぞれの世界の主宰者は、その
世界の中では当人が“一番賢い”のです。

それぞれの世界には、主宰者以上に“賢い”意識存在は、存在できません。

その方が、てっぺんです。その方が、トップです。

それで、その方のことを<神=かみ=上>と言ったりします。

ですから、ミカエルさんが創造する宇宙の中で誰が“一番賢い”かは、もちろ
ん、わかりましたよね。

たとえ、ミカエルさんが(意識的に)どんなにイエスに惚れ込もうと、どんな
に仏陀に憧れようと、ミカエルさんは、イエスの愛も仏陀の慈悲も身につける
ことはできません。

なぜなら、ミカエルさんの宇宙では、ミカエルさんが“てっぺん”だからです。

ミカエルさんが“一番賢い”からです。

ミカエルさんにとって、嬉しいことなのか、残念なことなのかは分かりません
が、ミカエルさんの宇宙では、ミカエルさんが<神>だからです。

じつは、ミカエルさんを取り巻く世界は、ミカエルさんが創造しています。

ミカエルさんが嫌悪しているその唾棄すべき世界は、ミカエルさんの世界で
“一番賢い”その方が好んで回りに呼び寄せた、その“一番賢い”方の趣味と
創造の物質化なのです。

だから、「自分」と、「自分を取り巻く世界」を区別することは、お止めにな
った方がいいかもしれません。

もしミカエルさんが“他人”を見たら、それは単純に理解できるでしょう。

「その人間」と、「その人間が住んでいる世界」が、同じものであるというこ
とを。

ああ、あいつは、この地上を天国と思っている“馬鹿なやつ”と。

その“馬鹿なやつ”が、もし本当に“この地上を天国と思っている”なら、そ
の“馬鹿なやつ”こそ、“天国”であり、“天国に住んでいる”のです。

もしかしたら、その方はミカエルさんのことを、ああ、あの地獄が好きな人ね、
と思っているかもしれません。

その人には、ミカエルさんの(複雑な)“地獄嫌い”が分からないのです。

というか、誰もが正しいのですが、じつは、この点に関するかぎり、自己評価
より他者に対する評価の方が正しい可能性が高いです。

なぜなら、人は、誰もが自分好みの世界を創造しているものだからです。

もし、それぞれの世界になんらかの“制限”があるとしたら、それは、それぞ
れの世界ではその主宰者が“一番賢い”ということ、そこでは主宰者が<神>
だということだけです。

それぞれの宇宙には、その主宰者以上の判断力も智慧も存在できないのです。

ミカエルさんの世界ではミカエルさんが<神>であるということは、精神世界
の“建前”でも“美辞麗句”でもありません。

単純かつ厳然たる事実です。

ミカエルさんが<神>であることは永遠に保証されていて、ミカエルさんにで
きないのは、そのポストを降りることだけです。

ただ、そのことは、ミカエルさんが永遠に地獄に住まなければならない、とい
うこととはまったく違います。

<今>のこの瞬間にも、ミカエルさんは自ら望むだけで、住む世界を変えるこ
とができます。

ただ、変えられないのは、住む世界を選ぶのはミカエルさんご自身だというこ
とだけです。

なにしろ、<神>を降りることはできないので。

ミカエルさんは、
>どんな 宇宙問題 人生問題 社会問題でも 本当の責任は 神(宇宙)
>以外にありえないと心底思ってます。
と、書いていらっしゃる。

そして、ご丁寧に
>これは断じて責任転嫁ではなく 本当の原因を探ればしごく当然結論なのです。
と、念を押しています。

ミカエルさんは、自分は、人間などは責めないが“神(宇宙)”だけは許せない
と言っていると思いますか?

いえ、そうではないでしょう。(^^;)

ここでミカエルさんが証明しているのは、ミカエルさんの宇宙では、ミカエル
さんご自身が“神(宇宙)”より賢い、ということなのです。

つまり、そこでは、ミカエルさんご自身が“神(宇宙)”だということです。

それは完璧に正しいのですが、わずかにある分裂は、“これは断じて責任転嫁
ではなく”などと、ご自分の発言の責任だけは取りたくないという態度を表明
しているということです。

だから、わたしなどに
> pariさんへ
> また誰でもいいので
> できればこの疑問にできるだけ
> 詳しく答えてくれれば嬉しいです。
などと、書かなければならなくなるのです。(^^;)

“神(宇宙)”を断罪できるあなたが、どうしてわたしごときの意見を訊かなけ
ればならないのですか。(^^)

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■  6.いただいたお手紙から:fujiyama さんから
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回、fujiyama さんから次のようなサイト紹介メールをいただきました。

---------------------------------------------------------------------
>こんにちは。最近、ここをみつけまして、バックナンバーを読ませていただ
>いている最中です。とても参考になりますね。理解できないものもたくさん
>ありますが。で、私が今とってもはまってるのが「心の風」という本です。
>まだ紹介されてないですよね?これは、エネルギーが出てる本として、その
>手の方々の必携品です。確かに出てるのがわかります。内容は、チャネリン
>グ系の濃い話しがお好みの方にはソフトすぎるかもしれませんが、文章はい
>いですね。着眼点もおもしろいと思います。アセンションということを謳っ
>てはいませんが、それだと思います。言葉にとらわれないように、あえて使
>わないようにしてるんだと思います。
>で、さらにすごいのがHPからもエネルギーが伝わるところです。
>
>http://www1.odn.ne.jp/sharla-mu/ 感じられない人もいますが、発行人さ
>んならいかがでしょう。ぜひご感想をお聞かせください。ちなみにもの好き
>な私は、セミナーにもでたことがあります。確かにグワァンとうねってます。

じつは、“発行人さんならいかがでしょう。ぜひご感想をお聞かせください。”
なんて言われちゃったものですから、すっかりご返事が遅れてしまいました。

なにしろ、マインド人間のわたしはきわめて“鈍感”です。(*^_^*)

でも、少し読ませていただいて、とても素敵なサイトでした。

これから、未来と過去を盗み見るつもりで、ときどき訪問させていただくと思
います。

みなさまも、一度ご覧になってみられては。

fujiyama さん、“道産子”だそうですね。

じつは、かくいうわたしも……。(^^;)
https://www.ascensionkan.com/work/mutter11.html

ありがとうございました。m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


それから、ちょっとここで、サイトを紹介したいと思います。

みなさん、ご存じですか?

911についての、ある“噂”を。
ペンタゴンに突っ込んだ(という)ボーイング757の“残骸”についての
噂はほとんど、911の直後からありました。

でも、その情報が、今ではひとつのムーブメントとなって、秘かにパワーを
集め続けています。

アメリカの大統領選までには炸裂できないかもしれないけど。

阪神大震災の時に「神戸元気村」を立ち上げたバウさんこと山田和尚さんと、
『戦争中毒』の翻訳・出版企画などでよく知られているきくちゆみさんが、
このビデオの日本語版を作成して日本にこの情報を拡げようとしています。

このサイトを是非ご覧になってください。
http://wa3w.com/911/


        …………○…………○…………○…………


それからこれは、個人メールとしていただいたものではありませんが、とき
どきこの『通信』にも顔を出してくださる yoshiro さんから、
http://wa3w.com/911/
のサイト情報に関連してこんなメールをいただきました。
---------------------------------------------------------------------
>うちのサイトでも、911以降、ブッシュのこととか、
>望んでもいないツマラナイことの方につい引っ張られてしまうので、
>バランスをとる意味でも、こんなコーナーをアップしました?
>ご高覧あれ。
>
>「ことばの翼」
>http://www.art-energy.co.jp/yoshiro/artword.html
>
>love    yoshiro
---------------------------------------------------------------------

この yoshiro さんのページも、是非ご覧になってみてください。

とっても、元気をもらえますよ。

yoshiro さん、ありがとうございました。m(_ _)m


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■ 7.編集後記:今日は、ちょっと、頑張りすぎたかも。(*^_^*)
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今日は、ちょっと、頑張りすぎたかも。(*^_^*)

まあ、こんなものか。

今日はイチローさんがメジャー・シリーズ新記録、年間259安打を達成し
た日。

すべてを載せてわれらが地球は軌道を走っている。

というわけで、今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

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17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
------------------------------------------------------------------

<(_ _)>

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■ 【作 者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: paritosho@dream.email.ne.jp
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