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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.039 2004,11/28(第40号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension.html
このページ↑をご覧ください。

また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension_m.html
このページ↑をご覧ください。

要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か8年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変が起こって、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

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◇◇ もくじ ◇◇

1.内面の“ゴミ”の行方

2.<しきりをはずせ 光が入る>

3.哲学話:「意識」は<全体>である(「意識」の栄光と悲惨)

4.いただいたお手紙から:ご意見・ご感想

5.みなさまからの「ご投稿・情報提供」(随時)

6.編集後記:『パワーかフォースか』、凄いですね。
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■ 1.内面の“ゴミ”の行方
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ああ、素晴らしい天気。

まわりが輝いている。

今日も身体を動かして、汗をかいて、シャワーを浴びて、さあ、何を書こうか
なぁ、といった気分。

これ、自分で自分に許している贅沢だなぁ。

こんな贅沢な時間が持てるのも、読んでいただけるという幻想を確保できる、
みなさまのお陰です。

ありがたいです。

またまた、一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”にお付き合いいただく
時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有のお時間の中で、いかがお過ごしでしょうか?

この頃、下の間道に降りるのがすっかり病みつきになってしまいました。

これ、とっても楽しいんです。

以前、無闇に竹が茂っているので、片っ端から切り払って、西側の“釣瓶落と
し”に放り込んだという話をしましたよね。

そして、最近その追い落とした竹を、今度は逆に上に運び上げて燃やしている
んだって話もしました。

間道の西側の“トタンの浪板塀”が終わったところの“釣瓶落とし”の竹がす
っかりきれいになったものだから、今度は“浪板塀”をまたいで、その西側の
“涸れ沢”の方まで“片付け”の手を伸ばしたんです。

これが、面白いのなんのって。(*^_^*)

毎日、黒っぽく枯れた竹を何本も切り払っては、“浪板塀”越しに間道まで送
り上げて、それをまた田圃の横の焼却用の窪地に運び上げては燃やしていまし
た。

何だか、まわりを片付けて掃除ずるのが、すっかり楽しくなっちゃった。

そうやって、身体を動かしていると、四六時中マインドが動いていて、無心と
はほど遠いわたしみたいな人間でも、頭の中を勝手に動く“よしなしごと”と
のバランスがとってもいいんですよね。

頭の中の思考が“減速”するのか“加速”するのか知らないけれど、身体を動
かしているのとちょうど同じくらいのスピードで、今自分がやっていることと
の“連想”が働くんです。

なるほど、内面の“ゴミ”というのもこういうふうに溜まっているものなのか、
とか。

ひとつ、ひとつ“認知”して、“片付けて”いけばいいのか、とか。

いやね、特別のことじゃないんだけど。

そんな、まあ、利いた風なことを思いながら、身体を動かしているわけです。

でも、外側の世界の“ゴミ”は、いつか地球生態系の中に溶け込んで、“消失”
してしまうだろうけど、内面の“ゴミ”はどうなるのかなぁ……、とかね。

物理次元の“ゴミ”の“消失”というのは、地球の自浄作用とか自浄能力とか
いうものに関係するんだろうなぁ……。

地球の自浄能力というのが何に由来するパワーなのかは分からないにしても、
少なくとも「人間」の智慧のレベルではない、ある種の智慧のレベルで保証さ
れている作用とか能力なんだろうなぁ。

でも、あまりにも膨大な“ゴミ”が地球生態系内に放出されると、それは地球
の自浄能力を超えて、地球環境に姿を現すことになる。

そしたら、それが「人間」の肉体レベルにも、精神レベルにも、影響を及ぼす
ことになるわけだよなぁ。

(@_@)

あ、そうか。

内面の世界の“ゴミ”がどうなるのかは、前にどこかで聞いたことがあるんだ
った。

<みなさんが、これほど膨大な“思考”を放出しているのですから、もしその
“思い”の行き所がなくて、思いの世界に溜まる一方だったら、「原因の世界
(=思いの世界)」は、みなさんが放出する“思い”によって破裂してしまう
でしょう>

……みたいなことを聞いたことがあったんだっけ。

<「原因の世界(=思いの世界)」が破裂せずにすんでいるのは、その思いが
物理次元に放出されるからなのです>と。

それが、“思いの実現”とか、“想念の物質化”とか呼ばれる事態だった。

「結果の世界(=物理次元)」に実現(=物質化)した現象が、ひとつの“現
実”として、われわれ「人間」の内面に影響するように、われわれ「人間」が
紡ぐ“思い”も、時を置いて、物質化するわけだ。

そうかぁ、それが内面の“ゴミ”の“消失”の仕方というわけかぁ。(-_-;)

なるほどなぁ。

だとすると、内面の“ゴミ”を物理次元の“現実”としないためには、自分の
内面でその“ゴミ”を認知して、それを“ゴミ”にしないこと、ということに
なるわけか。

自分がそういう“思い”を持っていること、それが自分の“思い”であること
をただ認めて、その“思い”を許容して、そういう“思い”を抱懐した自分を
そのまま赦すということなんだろうなぁ。

まあ、“ゴミ”に成仏してもらう、みたいなことかなぁ……。

……なんて、ことを思いながら、結構、いい気分になって、“浪板塀”の西側
の急斜面の黒ずんだ竹を片付けていたのね。

そうして、ふとまわりを見渡したら、それまで暗く湿った“ゴミ捨て場”みた
いな雰囲気で見えていたその場所が、結構、なかなかいい場所でもあることが
わかったんだよね。

ほんと、不思議なもんだよね。

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■ 2.<しきりをはずせ 光が入る>
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その場所はね、そのつもりでよく見ると、結構、いけるんだよね。

そりゃ、たしかに今は、昔に投げ捨てられたいわゆるゴミ、半分土に埋まった
発砲スチロールの箱とか、四角い大きな缶だとか、一升瓶とか缶ジュースの缶
なんかがあちこちに転がっているんだけど、もしそういうものを片付けたら、
急斜面の底の涸れた沢から見回したその世界は、周りの竹藪や、大きな岩、降
り注ぐ木漏れ日、いやいやどうして、なかなかのものなのよ。

へー、なんて思っちゃった。

あの辺の大きな岩の陰で焚き火だってできるじゃん、とか思ったりしてさ。

あまり大きな見晴らしはないんだけど、それはそれで、ひとつの風景なんだよ
ねぇ。

“見立て”ってことがあるのかな、と思った。

京都の嵯峨野とかさ、特別な素晴らしい風光を謳われるような場所があるじゃ
ない。

でも、それって、その場所をそのように“見立て”た人がいるって、ことなの
かもしれない。

たしかに、圧倒的な風景、いわゆる絶景というようなものもあるだろうけど、
今までゴミ捨て場みたいに感じていた場所ですら、見方によってこんなに姿を
変えるのだとしたら、結構、いろんなことが、見方次第で、まるで様相を一変
するんじゃないのかな。

そして、こんなに見え方が変わったのも、“トタンの浪板塀”(の切れ目)を
跨いで反対側に来て、そこから見回したことも関係があると思うのね。

和田重正先生の“ひとつき日めくり”の「悦び」に

         <しきりをはずせ 光が入る>

というのがあるんだけど、そして和尚を含めていろんな霊的指導者が

     <闇というものはない、光の不在があるだけだ>

って言っているけど、たしかに、そういうことを感じたよ。

たった一枚の“トタンの浪板塀”だけど、その“向こう側”の“域外”は、
「異界」というのは大袈裟だとしても、少なくとも、“ゴミ捨て場”程度には
見えていたわけ。

だって、そう感じられたからこそ、わたしも切り払った竹をその“向こう側”
に放り込んわけだから。

ところが、一度、その“しきり”を越えてみたら、そしてちょっと辺りを片付
けてみたら、そして、ふとまわりを見てみたら、そこは“ゴミ”を放り込むよ
うな所じゃないんだよね。

“ゴミ”を放り込むような所があるのかどうか……。

そもそも“ゴミ”というようなものがあるのかどうか……。


        …………○…………○…………○…………


……そうそう、“ゴミ”と言えばね、わたしのいるところは東京近郊でごく手
近に自然を楽しめるところなものだから、夏の間は休日なんか、近くの川端の
道路脇に百台ほどの車の行列ができるくらいで、結構、バーベキューの家族連
れなんかが遊びにくるところなのね。

ところがねぇ、その人たちにとっては、われわれの居住圏は結構な“域外”な
んだよね。

つまり、その人たちの目には“ゴミ捨て場”に見えてしまうみたい。(^^;)

夏の間の日曜日の翌日には、たいてい、かなりの量の“ゴミ”が道路脇に捨て
られるんだよね。

で、その“ゴミ”だけど、何が一番、その“ゴミ”を“ゴミ”にするんだと思
う?

ビニール袋。

ビニール袋に一緒くたに詰め込まれた、食べ物、食器、箸、ビール缶、こうい
うものが捨てられている“ゴミ”なんだけど……。

それを、後からカラスが食い散らして、道路に拡げるわけ。

昔、ここに来た当座の頃、そういうビール缶を拾い歩いたりもしたけど……。

で、思うんだけど、もし置いていくんなら、食べ物はそのまま河原のどこかに
むき出しで置いていってくれた方が、烏が食べやすいと思うんだけどね。

ま、ビール缶なんかは、持って帰ってもらうことにして。

「君はこの私に、ビール缶を持って帰れと言うのかね?」

なんて言わないでさ。(*^_^*)


        …………○…………○…………○…………


……脱線したけど、生ゴミを“ゴミ”にするのは、ビニール袋。

というか、つくづく、石油製品は、どうも生態系の異物として“ゴミ”になっ
てしまうようなところがあるよね。

あれは、どうしてなんだろう。

まあ、生分解性がないからなのは間違いないだろうけど。

“トタンの浪板塀”の向こう側の世界で、いちばん“ゴミ”に見えたのは、や
っぱりプラスチック製品とビニールの肥料袋だった。

ていうか、釣瓶落としの底から見た涸れ沢の世界は、その“プラスチック製品
とビニール袋”を取り除けば、もうそれだけで、かなり完璧に近い世界になっ
たよ。

洪水というのは大変な力があるんだろうね、その涸れ沢には結構大きな“岩”
が天然の石組みを造っていて、朝の木漏れ日を浴びて、それがなかなかいいん
だ。

だいたい、あの“トタンの浪板塀”の仕切は、何のために造られたものなんだ
ろう。

隣のおじさんが、よく“シシ止め”と言っていたから、鹿やイノシシを入れな
いようにするための塀なのかな。

でも、現実に、毎晩イノシシが来ているわけだし、そこいらじゅうに、鹿の糞
(フン)があるんだから、あの塀はあってもなくても同じじゃないかなぁ。

         <しきりをはずせ 光が入る>

もし、あの“浪板塀”を取り外してよければ、この辺りはまったく違った空間
になるかもなぁ。

そしたら“光が入ってきて”、ここは“ゴミ捨て場”ならぬ“お祭り空間”に
なるかもしれない。

そしたら、この岩の間で焚き火をしたりして……。

(@_@)

それまで、懸命に竹を切り払っては上に運び上げていたけど、考えてみれば、
目に前にその竹を燃やすのに打ってつけの天然の“炉”があるじゃない。

なんとまた。

“見立て”によって、空間ってこんなに違った様相を見せるものなの。

参ったなぁ。

ここで切った竹を、わざわざ時間をかけて急斜面を上まで運び上げて、塀の向
こうの間道に投げ入れ、それをまた持ち上げて田圃下の窪地まで持っていく必
要なんてまったくないじゃん。

切った竹を、ただ涸れ沢のこの岩の間に集めて、ここで燃やせばいい焚き火じ
ゃない。

うーん、どうなってるのかなぁ……。

……というわけで、もう、竹を上に運ぶのは止めて、その岩の隙間に集めて火
を点けてみた。

これがよく燃えるんだ。

ただ、まったく人の目の届かない無人の場所だから、絶対に“飛び火”しない
ように注意しなくちゃならないけどね。

……人の心の中も、どこか同じようなところがあるのかもなぁ。

あの平常の生活空間と異界を隔てる“仕切壁”……。

         <しきりをはずせ 光が入る>

そう言えば、ずっと前に買ってあったのに、ごく最近やっと手を出す気になって
て読んだ『ゲド戦記』の五巻目、『アースシーの風』。

あの本でも、“こちらの世界”と“死の世界”を隔てる“石垣”を壊すことが、
物語の大大円に繋がっていたような。(-_-;)

……あらゆる“仕切壁”がだんだん時代遅れになっていくのかもね。

イノシシと仲良しになれるのかどうかは知らないけど、少なくとも、鹿とくら
いは仲良しになれたらいいなぁ。


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■ 3.哲学話:「意識」は<全体>である――その2

        「意識」の栄光と悲惨
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要するに、われわれ「人間」という意識生命体は、自分が選択している意識の
スタンスそのものは棚上げしておいて、どうしても“宇宙の意味”そのものに
ついて結論的なことを言いたがる種族だというお話ね。(^_-)

そして、それが無理もないのだというお話。

なぜなら、

       <意識>はどうしても、<全体>でしかありえない

ものだから、という理屈です。

つまり、“宇宙の意味”そのものについて結論的なことを言いたがるのが間違
いなんじゃなくて、われわれが取りたがっている“部分意識(=エゴ)”とい
う「意識のスタンス」そのものが本来“無理”なんだというお話です。

「無理が通れば、道理が引っ込む」理屈だけれど、この無理ばかりは、永遠の
今の中では、結局は、通る道理がないのだとういうお話です。

あまり理屈っぽい話がお好きでない方は、けっして、無理に読まないでね。

前回の続いてなので、読んでいただける方が、そこで使っていたアナロジーを
忘れているといけないので、もう一度、書いておきます。

「人間」と「足の細胞」
 ↑↓   ↑↓
「地球」と「人間」
という比喩です。(二回に分けた内の、後半です。)
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「意識」の栄光と悲惨

 もし私たちがロボットの部品のような意味での「部分」なら、そのロボット
が解体されるときにパニックに陥りはしないだろう。
 けれどもその時は、そういう「部分」の集合体であるロボット自身もパニッ
クに陥りはしない。
 ロボットは動く構造物ではあっても、「意識」ではないからだ。

 では、私たち人間が地球が滅びるときにパニックに陥るのは、分をわきまえ
ない出すぎた仕業ということになるのだろうか。
 そう言われれば、私たちの「意識」は納得するだろうか。
 それで「全体」のことも、「意識」としての自分のことも、一件落着するだ
ろうか。
 私たちは、“自分”が部分だったのだからと納得して静かに、穏やかに、安
らかに沈黙するだろうか。

 無論そうなら、「問題」など初めから発生しなかったろう。
 現実にはそういうことは起こらない。
 まったく起こったためしがないわけではないが、それが起こるとき、その
「意識」は、“自分”が「全体」であることを知っているだろう。
 つまり、“自分”という部分存在にとどまろうとする限り、私たちは最後に
は「問題」を引き受けざるをえない。

 これはどういうことなのだろうか。
 要するにひとことで言うなら、私たちが「意識」であるとは、本質的、内在
的、必然的に私たちが「全体」であらざるをえないということだ。
 つまり、どんな “部分意識”も結局最終的には“全体の意識”であらざるを
えないということだ。
 それは取り外しなどきかない「意識」そのものの<道【タオ】>の一部だと
いうことだろう。
 最後には必ず真実が姿を表す。
 それが「意識」の栄光と悲惨であり、どんな“部分意識”もこの栄光と悲惨
を避けることはできない。
 ここに「意識」の秘密がある。
 全知全能を分け持つ者の秘密が。

 「意識」の担い手である私たちは、常に“自分”なりの判断をする。
 そして確かに、それは“自分”なりの判断でなくてはならない。
 それが「意識」の担い手の尊厳なのだから。
 私たちが対面する「全体」の何かに不満を持ち、何かを否定したい。
 あるいは何かを肯定するために、別のものを否定したい。
 「意識」の担い手としての“自分”の好みがある。
 そして、そのような選り好みをすることで、何かを自分の範囲に取り込み、
何かを自分の範囲から排除する。
 私たちには、それしかやりようはないと思われる。
 そして、そういうやり方を洗練して、いつかまったく「問題」のない世界に
行きたいものと思う。
 それが私たちの願いであり、私たちの欲望だ。
 けれども、実はそういうことは起こらない。

 その理由は、私たちが「意識」を担っているからだ。
 「意識」は、最後には結局「全体」でしかありえない。
 私たち「意識」の担い手は、「全体」の中の一部を否定しながらゴールに到
ることはできない。
 「全体」の一部を排除しながら、“自分”の一部を否定しながら、最終ゴー
ルに到達することはできない。
 否定は「意識」の最終ゴールにはなりえない。

 けれども、私たちはそんなことを理解しようとは思わない。
 そんなことは坊主の説教で、現実の自分とはまったく関係のないことと思お
うとする。
 そして別の “自分”なりのやり方で、「問題」を解決しようとする。
 「問題」のない世界に、最終満足の世界に到ろうとする。
 ところが、そこにはやっぱりちゃんと“自分”がいて、その“自分”が最後
に全宇宙に対応しようとする。
 ちゃんと帳尻を取ろうとして出てくる。
 「意識」の担い手である私たちの誰も、それから逃れることはできない。
 私たちの誰ひとり、「意識」の栄光と悲惨から逃れることはできない。

 「意識」の栄光とは、それが「全体」でありうるということであり、その悲
惨とは、それが常に「全体」であることを回避しようとするということだ。

 そしてOSHOは教える。
 「全面性こそが、終着地【ゴール】だ。それは受容を通してしかやってこな
い」と。 

              『21世紀への指導原理 OSHO』 (p26-29)

https://www.ascensionkan.com/work/01mond_06eikou.html
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■ 4.いただいたお手紙から:ご意見・ご感想
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今週も、みなさまからメールをいただきました。

他の皆さまも、お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しい
です。なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:paritosho@dream.email.ne.jp
まで、お願いします。
ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


       …………○…………○…………○…………


まず、ミカエル(光) さんからのメールです。
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 ここの部分をできるだけ詳しく説明して欲しいです。
 お願い致します。
 ↓
 http://www.platon.co.jp/~pari/view/hell.html
 私は夢の中で、暗い底なしの井戸の中を猛烈な速さで落下していました。
 圧迫するような近さで飛び過ぎていく四囲の黒い岩から放射されていたの
 は、私が驚愕と共に心底思い知らされた“悪意”でした。
 それほどの“悪意”が自分を取り囲んでいたとは私は知りませんでした。
 私はその余りの“悪意”に圧倒され、自分がそれまでいかに甘えていたか、
 いかに見くびっていたかを思い知らされました。その“悪意”のあまりの凄
 まじさに、私の顔面は恐怖でビリビリ震えました。
 私は絶叫と共に、無我夢中でその“悪意”を突き放して目を覚ましました
 ↑
 
 それほどの“悪意”が自分を取り囲んでいたとは私は知りませんでした。
 私はその余りの“悪意”に圧倒され、自分がそれまでいかに甘えていたか、
 いかに見くびっていたかを思い知らされました。
 ↑
 の部分を特に説明して欲しいです。
 その悪意はあなた様の念ですか?
 それと 自分がそれまでいかに甘えていたか と自覚するのと 悪意とどう
 関係あるのでしょうか?
 死後反省でもないのに。。。。
 
 死後反省では自分がそれまでいかに甘えていたか と自覚する場合は多いと
 思いますが。。。。
 死後反省ではないのですよね?
 
 死後反省=死後 自分で自分の人生をすべて観る 自分も心の動機や考え 
 想念などを全部チェックし自分を関わった相手の感情を経験する
 
 非常に気になります。

 ミカエル(光)←ミカエルからミカエル(光)に変更です。
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http://www.platon.co.jp/~pari/view/hell.html
この↑ページ、「地獄の存在」という文章ですが、『アセンション資料館』と
いうサイトを作った最初の最初の頃にアップした文章ですねぇ。(-_-;)

今はもう、こういう文章を書けるエネルギーはないだろうなぁ。

ミカエル(光) さん、こんな文章にまで目を止めていただいて、ありがとうござ
います。

 それほどの“悪意”が自分を取り囲んでいたとは私は知りませんでした。
 私はその余りの“悪意”に圧倒され、自分がそれまでいかに甘えていたか、
 いかに見くびっていたかを思い知らされました。
 ↑
 の部分を特に説明して欲しいです。
 その悪意はあなた様の念ですか?

ミカエル(光) さん、あんまり神秘的じゃなくて、申し訳ないのだけれど、
この“悪意”というのは、おっしゃる通り単なるそのときのわたしの“解釈”、
わたしの“思い”にすぎません。

ただ、それだけです。(*^_^*)

その他に、どんな隠された意味もありません。

今思うに、(自ら好んで入っていった状態とは言え)その頃の自分の心身耗弱
状態を考えれば、そういう思い方をする必要があったのだろうとしか言い様は
ありません。

ただ、首に巻き付いたタオルケットを必死に引き剥いで、寝床から飛び起きた
その時は、間違いなく、文字通りそう思ったのです。

 それと 自分がそれまでいかに甘えていたか と自覚するのと 悪意とどう
 関係あるのでしょうか?
 死後反省でもないのに。。。。

これは、その時のわたしに浮かんだ“想念”で、“理屈”ではありません。

だから、“甘え”と“悪意”とどう関係があるのか、と問われても、そのとき
そう感じたのだ、としか言えなくて。

ただ、この同じ文章の中程に書いてありますが、まったく“霊媒体質”ではな
いわたしも、この頃ばかりは、何かに“憑かれて”いたのかもしれない、とは
思います。

あれほどはっきりと、寝ている自分の上に跨って自分の首を絞めていたあの存
在は、単なる“夢”とも言えるけれど、今思うに、むしろ、ある種の悪霊に取
り憑かれていたと考える方が、むしろ、妥当なのかもしれない、という気がし
ます。

その頃の弱ったわたしに、何かの霊体が取り憑いていたんでしょうね。

当時は、そんなこと思いもしませんでしたが。

どうしてそんなに“弱って”いたのかと言えば、生きることに対する“絶望”
だと思います。

そして、どうしてそれほど“絶望”していたのかと言われれば、認めるのはな
かなか辛いですが (^^;)、たぶん、傷ついた“自尊心”だと思います。

たぶん、わたしの傷ついた“自尊心”が、脅迫的に、自分の正当性を証明しよ
うとしたのでしょうか。

間違っているのは、わたしではなく「世界」の方だと、自分に証明したかった
のではないでしょうか。

まさに、
┌─────────────────────────────────┐
 あなたは完全に判断をやめる手だてを持っていますが、それでもその判断を
正当化したく思います。なぜでしょう。それは、自分で自分の過ちを認められ
ないからです。自分で過ちを犯したということを認めるよりは、苦しむ方がま
だましだと思っているからです。自分が学びの途上だということを認めるより
は、完全であるふりをする方が好ましいのです。
                         『無条件の愛』(p53)
└─────────────────────────────────┘

なかなか、きついことを言いますよね。(*^_^*)

でも、これ、どうも本当かも。

あの「それほどの“悪意”」というのは、単なる傷ついたエゴが自分の正当性
の証明のために編み出したひとつの“解釈”だったようですよ。

なにか、ミカエル(光) さんのご期待に添えるような深遠なことが言えなくて、
申し訳ないです。

でも、どうもすべては、とても単純なのかもしれません。

┌─────────────────────────────────┐
……「悪」を現実らしく見せているのは、悪に対する恐怖心なのです。あらゆ
るネガティブなものは、恐怖心から起こってきます。「悪」という概念自体が
恐怖に満ちた考えです。
                         『無条件の愛』(p50)
└─────────────────────────────────┘

まあ、煎じ詰めれば、<全体>の中の一部を否定して、自分なりに“正しく”
ありたいのか、それとも、そんな面倒なことは止めて、<自己>(=<全体>)
を受け容れて、このまま幸せになりたいのか、というようなことなのかもしれ
ませんけど。

┌─────────────────────────────────┐
 聖なるものは、二極対立から自由であり、あらゆる葛藤からも自由です。自
分と兄弟の善はひとつであり同じものであると悟るとき、あなたは聖なるもの
に対して開かれます。聖なるものとは、つねに共有されるものです。それは特
定のあるものにだけ属するというものではありません。
 そういう特権的独占物はすべて、恐怖心が生み出したものです。あらゆる判
断評価は、恐怖心が生み出したものです。
                         『無条件の愛』(p51)
└─────────────────────────────────┘

……。

へー、ここまで言うかねぇ。(-_-;)

     <あらゆる判断評価は、恐怖心が生み出したものです>

……、そんな。

……、でも、もしこれが本当だったら、それなら、もう、いっそ、楽とも言え
るね。(^_-)

そう言えば、禅の第三祖、僧サン禅師も
┌─────────────────────────────────┐
 ……
 面倒な判断作業は、厄介と疲労をもたらすのみ
 区別し、分け隔てすることに何の益があるのか」
 ……
                          『信心銘』(p221)
└─────────────────────────────────┘
と言っていたなぁ。

どうも自分より賢そうだと思われる人に、こう言われてみると、一瞬、もう、
そういうことでいいじゃないか、とも思えてくるけどね。(*^_^*)

まあ、そう言ってもね。

あ、独り言になっちゃって。

というわけで、ミカエル(光)さん、

 死後反省ではないのですよね?

“死後反省”だかなんだか、そんな高級なもんじゃありません。

傷ついたエゴが紡いだ、ひとつの“解釈”にすぎません。

もっとも、ミカエル(光)さんご自身が、そこからまた新たな“解釈”を紡ぎ出
すのは一向に構いませんが。

(あ、これ↑は、むろん、お勧めするという意味じゃありませんよ。)

ミカエル(光)さん、ありがとうございました。m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


それから、ミカエル(光)さんからは、もう一通、長いメールをいただいていて、

----------------------------------------------------------------------
 Nという人に伝えてください。このままで。。。

 アセンション号に載せてくださいね。

 ……
----------------------------------------------------------------------

と言われているのですが、申し訳ないけれど、この掲載は遠慮させていただき
ます。(^^;)

また、むろん、N さんにもお送りしていません。

----------------------------------------------------------------------
 君には悪いが 俺の洞察力と君の洞察力は大学生いや大学院生と幼稚園ぐら
 いのレベルの差があるのだよ。
 勘違いしないでもらいたいのぉぉぉぉぉ。。。
----------------------------------------------------------------------

といったような高度な文面でしたが、『アセンション館通信』などという漫談
調の通信にはあまりなじまないと思われたので、掲載は見合わせました。

ただ、ミカエル(光)さんには、本当に感謝しています。

なかなか、これだけの模範演技をしてくださる方はいないと思います。

ミカエル(光)さんのお陰で、ほんとうに、わたしひとりではとうてい書くこ
とを思いつかないようなことを書けています。

いつも、ありがとうございます。m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


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■ 5.みなさまからの「ご投稿・情報提供」(随時)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

「ご投稿・情報提供」フォームをご用意しましたので、
http://www.formzu.com/formgen.cgi?ID=872925
よろしければ、ここ↑からご投稿なさってみてください。

[名前(ハンドル名可)*]の枠内にご記入になったお名前を、
ここでの名前とさせていただきますので、よろしくご了承ください。


        …………○…………○…………○…………


今回、陸いるかさんからは、「お金の話(精神世界Version)」という文章
をご投稿いただきました。

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 pariさんが「お金が悪い」というのは方便でしょうけど(だって「被害
 者はいない」のですから)、お金の豊かさを意志するのはpariさん好み
 のストーリーではないというのも事実でしょう。しかし、投稿フォーム
 も設けられたことですし、pariさんのお好みとはまた別のストーリーを
 読者のみなさんに披露したいと思います。
 お金の話(精神世界Version)を3回に分けてお送りします。
 というわけで、pariさん、3回に分けてお願いします。
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了解しました。

ただ、ちょっと、ひとことだけ。

たしかに、「お金が悪い」と一言でまとめられると、だいぶ、語弊が生じる
なぁ、と思いました。(*^_^*)

それと、“お金の豊かさを意志するのはpariさん好みのストーリーではない
というのも事実でしょう。”と言われると、あれ、そんなことないけどな、
なんて思っちゃいました。(^^;)

むしろ、金銭的な豊かさから、それを超えた世界への“芽”も出るだろうと
思っていたので……。

ところが、陸いるかさんから寄せられた投稿を拝見すると、なにか、同じよ
うな趣旨の文面のようですね。

では、陸いるかさんからの「お金の話(精神世界Version)」の一回目です。

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 第1回
 すべては一体だと言われます。これはどういうことかというと、すべて
 に常にシンクロニシティが働いているということです。ですから、欲す
 る者がいれば与える者が現れる、与える者がいれば欲する者が現れる、
 というように、結果として役割のようなものが形成されるわけです。
 つまり、人々が新しい経済システムを欲したとき、新しい経済システム
 のアイデアを作ってくれる人が出てきます。
 
 お金が悪いと感じている人は、みんなが豊かになれるもっと良い新しい
 経済システムはないだろうか?という問いを発して考えます。問いを発
 しますから、やがてその答えを得ます。なので、お金が悪いと感じるこ
 とにはメリットがあります。
 しかし、新しい経済システムを考えるつもりのない多くの人には、お金
 が悪いと感じることは、メリットがないかもしれません。それはただお
 金の豊かさを自分から遠ざけてしまうだけだからです。
 でも、これら多くの人も、新しい経済システムを考えている人をサポー
 トすることができます。それは、豊かさを意志することです。多くの
 人々が豊かさの波動にチューニングすると、その波動に合った情報を、
 みんなが豊かになれる経済システムを考えている人がキャッチしやすく
 なります。みんなが豊かになれる新しい経済システムのアイデアが、考
 えている人の中にインスピレーションやイマジネーションという形で湧
 いてきやすくなるのです。
 そして、シンクロニシティでそのアイデアが世界に普及しやすくなりま
 すし、実現もしやすくなります。
 ですから、みんなで無限の豊かさを欲しましょう。お金の豊かさも無限
 の豊かさに含まれます。ですから、お金の豊かさも欲しましょう。
 
 @多くの人がお金持ちの波動にチューニングする。
 Aすると、共鳴効果で、社会や経済の仕組みを日頃から考えている人の
 イマジネーションやインスピレーションの中に、その波動を持つ情報
 が、みんなお金持ちになれるシステムのアイデアとして湧いてくる。
 Bそのアイデアが世界中に広まって実現する。
 Cみんなお金持ちになる。
 
 非常に分かりやすく説明すると、人類60億人みんながお金持ちの波動
 を身に付けたら、60億人みんながお金持ちになれるような社会経済シ
 ステムがシンクロニシティで実現するということです。
 
 「お金持ち」のところを「無条件の豊かさ」や「無限の豊かさ」と言い
 換えることもできます。
 http://www3.plala.or.jp/mig/index-jp.html
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いやー、おっしゃること、まったく同感です。

わたし、このところ、いわゆる“お金持ち”の方の文章を読むことが多いんで
す。

ほんとうに、陸いるかさんが投稿された文面のようなことを感じますよ。

それから、教えていただいた、このサイト↓
http://www3.plala.or.jp/mig/index-jp.html
素晴らしいですね。

あまりにも情報が多いんで、急には吸収もできないだろうけど。

陸いるかさん、ありがとうございました。m(_ _)m

また、次回に掲載しますね。


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続いてハイアーセルフ33さんから、今回は2つのURLをご紹介いただきました。

まず、一番目の URL です。
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みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。

下記はラムサも読むことを推奨している本「ヒマラヤ聖者の生活探求」
(霞ヶ関書房)(原題「極東における大師方の生活」)
の引用掲載のURLです。この実録記に少しでも触れてみてください。

http://www.k2.dion.ne.jp/~hindu/hp/index/india/etc/himaraya.htm
Love and Peace ハイアーセルフ33
              
******************************************
〜日常に精神世界の情報を生かしてゆくための〜
  スピリチュアル・メッセージ活用研究会
 H P :http://homepage2.nifty.com/haruhi33/
Eメール:haruhi33@nifty.com
*******************************************
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ついで、二番目の URL です。
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 ハイアーセルフ33です。下記はユートピアのサイトです。
 参考まで。

 http://www.geocities.com/genitolat/Survivordojo/info1.html
 Love and Peace ハイアーセルフ33
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ここも、じつに膨大な情報のあるサイトですねぇ。

ハイアーセルフ33さん、ありがとうございました。m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………



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■ 6.編集後記:『パワーかフォースか』、凄いですね。(@_@)
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前回、kichi さんから『パワーかフォースか』を教えていただいて、じつは、
我慢できずに、購入してしまいました。(^^;)

うーん、凄いです。

まだまだ残っているので、楽しみです。

Temple さんに教えていただいた、ラムサの『転生の神秘』は、もう一度、読
まなければ、と思っています。

どうも、「第三章 解決策」辺りで、何か肝腎な情報が足りないような気がす
るのですが。

文字情報が不足しているのか、それとも、なにか、エクササイズ的な情報が不
足しているせいなのか……。

……それから、毎日、身体を動かすのはとてもいいですね。

わたしは、これまで不消化な文字情報ばかり漁りすぎた。(-_-;)

というわけで、今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

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17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
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<(_ _)>

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■ 【作 者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: paritosho@dream.email.ne.jp
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『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ と『melma』 http://www.melma.com/
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