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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.042 2004,12/12(第42号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension.html
このページ↑をご覧ください。

また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension_m.html
このページ↑をご覧ください。

要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か8年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変が起こって、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

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◇◇ もくじ ◇◇

1.“燃え上がらせる”

2.絶対基準の智慧

3.哲学話:「意識」は<全体>である――その4(大歓喜自在童子(1))

4.いただいたお手紙から:ご意見・ご感想(随時)

5.みなさまからの「ご投稿・情報提供」(随時)

6.編集後記:これが遠い過去のことだったような気がして
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■ 1.“燃え上がらせる”
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今日も朝のうちは素晴らしい天気だった。

自分の世界を自分が作っている……。

ひとりひとりが“別の世界”に住んでいて。

この大宇宙の意味は“今のわたしの気分”だけど、これは他の誰にその原因が
あるわけでもない……。(-_-;)

(@_@)

あ、すぐこうやって独り言を始めてしまうからなぁ。^^;

またまた、一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”にお付き合いいただく
時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有のお時間の中で、いかがお過ごしでしょうか?

さあ、今日は自分に許した“マインド無礼講”の日だ。

“無礼講”というからには、しっかり無礼講にしなくちゃ。

気がついたらいつの間にか、小さな小さな世界にはまっちゃうんだよなぁ。

この宇宙の中のなにひとつ否定することもなく、自分の言いたい放題を言うこ
とができるものだろうか?

いろんな次元があり、いろんな意識の位相があり、それぞれの位相の中でいろ
んな観点があり、いろんな人が、いろんなことを言っている。

異論があって当たり前なんだ。(あ、ひどい駄洒落。(>_<))

この頃、よく竹藪の竹を間伐しています。

下の間道のトタンの浪板塀の向こう側にある竹藪なんですけどね。

今日も午前中は、間伐した竹を涸れ沢になっている岩の間で燃やしました。

たいていは、すぐに燃え上がるですけどね。

今日は、なかなか燃えつかなかった。

お陰で、いろんなことを思いました。

はは、竹ひとつ燃やすことすら“無心”ではできないのね。

いろいろ、“ためになること”を考えちゃったりして。(*^_^*)

でもね、ほんとに、今日はなかなか燃え上がらなかったの。

岩の間の隙間に、カラカラになった杉の枯葉をまとめて入れて、その上に1m
50cmほどの長さに切った竹を重ねて、ライターで杉の枯葉に火を点けると
たいていは、簡単に燃え上がるわけなんだけど。

今日は、三度も、四度も、杉の枯葉を集めてライターを点火しなくちゃならな
かった。

その間に、いろんなことを考えた。

簡単に燃え上がらなかった理由は、後で分かったけどね。

それは、いつもと違って、今日は前もって枯れ沢の岩の間に竹が積み重ねてあ
ったことと関係ある。

つまり、今日燃やしたのは前に放り込んであった竹で、ちゃんと燃やすことを
目的にして積み重ねた竹じゃなかったということ。

それを忘れて、竹の小枝が重なっている視覚的なボリュームの印象で、すぐに
点くようなつもりでいたから、そのわりには燃え上がらなかった、というだけ
のことだった。

知ってると思うけど、竹の小枝は天辺に近づくにしたがって多くなるのね。

だから、そういう竹の先端をたくさん切って重ねてあると、隙間の空間が広い
ものだから、燃える本体の竹の茎が総体的に少なすぎて、いったん燃え上がっ
た火も立ち消えになってしまう、とまあそういうことだったの。

簡単に燃え上がらなかった理由はそんな単純なことだったけど、お陰様で
“燃え上がらせる”ことについて、いろいろ考えさせられちゃった。^^;

しかも、たくさん間伐して斜めになっている竹を、一本一本、燃えやすいよう
にノコギリで切りながらだから、時間はあるし、効率よく燃やしたいなんて欲
もあるしさ。

木に比べたら竹は燃えやすいんだけど、その中でも比較的に燃えやすいのと燃
えにくいのはあるよ。

いちばん燃えやすいのは、黒っぽくカラカラに乾いた竹。

これは、簡単に折れて、まるで焚き付けみたいなもの。

黒っぽくても、湿ったのは燃えにくいけどね。

次に燃えやすいのは、まだしっかりしている黄色っぽく枯れた竹。

小枝の付いていない太い茎の部分は、ある程度の火力のあるときなら簡単に燃
え上がる。

枯れた竹でも、小枝の付いた先端の部分は、枝を切り払わないとこれが意外に
始末が悪いんだよね。

わずかの小枝がけっこう突っ張るものだから、肝腎の中心の茎を火に近づけら
れないわけ。

それで、わずかの竹を燃やすのに、結構一生懸命に、枝を払わなければならな
い。

それだって、火力がありさえすれば、なんてことなく燃え上がるんだけどね。

比較的燃えにくい青竹だって、火力があるときだったら手もなく燃え上がる。

焚き火の火力を保つには太めの木が入っているのがいちばんなんだけど、今日
の場合はまわりに竹しかなかったから、燃え尽きる速さと、新しい竹を切りな
がら追加していく速さの競争になっちゃって。(^^;)

だから、小枝が突っ張っていて中の空間が大きすぎると、新しいのを加える前
に燃える物がなくなっちゃって……、それで今日は何度も立ち消えになっちゃ
ったみたいんなんだ。

早く燃やしたいなんて欲があると、いろんな思いが奔る。(*^_^*)

素直に燃えてくれるのは、やっぱり枯れて太い、下積みに慣れた覚悟のできた
竹だなぁ……、協力的だよなぁ、とかさ。

ところが、その太い竹が、いざ、火の中で破裂するときには、それこそ腹に応
えるような凄い音を立てたりするんだよね。!(>_<)!

一瞬、耳がキーンとなるよ。

燃え上がることにあまり協力的になってくれないのは、たくさんの小枝を付け
た若竹の先端の部分。

そりゃそうだよね。

まだまだ、自分の美しさを競いたいわけだもの。(^_-)

そう簡単にみんなと一緒くたに燃やされて堪るか、って感じも分かるよ。

懸命に枝を切り払っていると、一節ごとに方向を変えて突っ張ったこの小枝が
“若竹のエゴ”みたいに見えて来るんだから勝手なものだよ。

とにかく、あまり燃え上がることに協力はしてもらえない。

ところが、これがいったん火力が強くなると、もう細かい区別は必要なくなる
のね。

小枝を払わないで、丸ごと竹の先端全部を火の中に放り込んでも大丈夫。

みんなして、もの凄い勢いで燃え上がってくれるの。

時の勢いだよねぇ。

でも、そこまでは、辛抱強く“燃え上がらせ”なくてはならない。

とにかく、火の点けよう、全体の案配を工夫すれば、必ず火が燃え上がること
を“知って”いれば、燃え上がるところまで行くわけだよね。

ま、竹を燃やすくらいのことだったら、わたしだってそれが絶対に可能なこと
を知っているから、燃やせたけどね。(-_-;)

(@_@)

あはは、なんの話じゃ。(*^_^*)


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■ 2.絶対基準の智慧
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大宇宙の中のどんなものも否定せずに、言いたい放題を言うって、いったい、
可能なことなのかしら。

それとも何かを言うということは、何かを肯定して、何かを否定するというこ
となのかしら。

……はは、こりゃたしかに、<神さま>何も言えないわけだ。(^^)/

だって、

           <すべて>が<自分>である

ことを知っていたら、そりゃ、なにも言えないわけだよ!

否定すべき何ものもないわけだから。

否定すべき“物事”がないのだから、否定すべき“事柄”もないわけだ。

そんな状態だったら、いったい、何をしたらいいんだろうね。(^^;)

            「あ、そのままでいいよ」

なんて、誰か言ってくれるのかしら。

……。(-_-;)

そんな“誰か”が欲しかったのかもなぁ。

でも、それくらいだったら、いろいろ文句が言える今の状態の方が“まし”な
のかもしれないね。

(@_@)

少なくとも、その方が“まし”かも、って思う状態はありうるし、現にわれわ
れの世界に「ある」わけだよね。

うーむ、そういうことなのかも。(-_-;)


        …………○…………○…………○…………


最近、久しぶりにちょっと出かけてみたのね。

人の集まりに。

その二十人くらいの集まりの部屋に遅れて入って行ったら、ちょうど“言葉の
波動”についての簡単なテストが始まるところでした。

オーリング・テスト。

ご存知ですか?

誘ってくれた友人の隣に腰をおろしたら、じきに講師の方が被験者を指名なさ
って、言葉(あるいは、言霊)が出している波動テストのデモンストレーショ
ンをしました。

へー、と感心して見ていたんですが、お二人指名なさった後で、
「他にどなたか自分でやってみたいという方はいらっしゃいませんか?」
っておっしゃったんだけど、誰も出ていく人がいなかったのね。

それで、せっかく田舎から出てきたんだから、と思って手を挙げました。^^;

前に出て、時計を外して、まずオーリングの「イエス」「ノー」の状態をテス
トしてもらいました。

これ、不思議なんだけど(あるいは当然と言えば当然なのかもしれないんだけ
ど)、被験者のわたしには、その「イエス」「ノー」が自分の身体の反応なの
か、試験者の力の入れ具合による違いなのかの判別がつかないんですよね。

それで、思わず、「同じ力を入れていらっしゃるんですね?」なんて、馬鹿な
(と言うか、失礼な)ことを訊いてしまいました。(>_<)

あ、「Oリング・テスト」ってご存知ですよね。

被験者が片手(利き腕かな?)の親指と人差し指で作った輪(オーリング)を、
試験者がある質問をながら、両手の指で作った輪で引っぱって開こうとするテ
ストです。

たとえ、被験者の顕在意識がその解答を知らなくても、彼の肉体はそれを知っ
ていて、それをオーリングの開閉という“付随意の解答”で示してしまう、と
いわけです。

つまり、肉体は嘘をつかない、というのです。

で、デモンストレーション・テストでは、当人の「イエス」「ノー」を確認す
るために、最初まず、「力を入れて、指を離さないでください」と言って、当
然「真実」であることが分かっている質問と、当然「虚偽」であることがわか
っている質問をします。

それで、被験者の「イエス」「ノー」を確認するわけです。

ま、小学生の「イエス」「ノー」と、アントニオ猪木さんの「イエス」「ノー」
じゃ違うでしょうからね。

そうやってわたしの「イエス」「ノー」を確認してから、ホワイトボードの上
に書かれた文字で真贋のテストをしました。

わたしのときにホワイトボードに書かれていたのはこんな↓言葉です。

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃                                 ┃
┃ ありがとうございます            |無限大 |    ┃
┃                       |20  |    ┃
┃ ありがとう                 |    |    ┃
┃                       |11.1|    ┃
┃ ついてる                  |    |    ┃
┃                       |    |    ┃
┃ ばか                    | 3  |    ┃
┃                                 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

で、わたしの前の被験者の方々のOリングテストの結果では、
「ありがとうございます」という言霊が出している波動は「20」だというこ
とでした。(もっとも、「無限大」でも「イエス」になったようなんですが、
その辺の子細はわたしには分かりません。)

そして、「ありがとう」は、11.1だったようです。

ここで採用されているスケールは0〜20で、『パワーか、フォースか?』の
ホーキング博士が採用している、0〜1000の指数表現とは違うようでした。

で、テストの方法としては、たとえば、「ありがとうございます」が出してい
る波動を調べるときは、その“言葉”から各“スケール指標”に向けてマーカ
ーで線を書くわけです。

どの関係線が正しい(真)かを、Oリングの「イエス」「ノー」でテストする
というわけです。

まず、「ありがとうございます」から調べました。

左手を「ありがとうございます」から指標の各数字に伸びている線に当てて、
右手の指でOリングを作ります。

で、当然、わたしの身体は、「ありがとうございます=20」で「イエス」の
反応をして、その下の値では「ノー」の反応をするんですが、その時です、

「同じ力を入れていらっしゃるんですね?」

なんて馬鹿なことを訊いたのは。

だって、ホントに分からなかったんだも。(;_;)

ま、マインド人間は、体感について鈍感なんだよね。^^;

それから次に、「ありがとう」に行くのかな、と思っていたら、そこは飛ばし
て、次に「ついてる」に行きました。

「ついてる」=「20」   →「ノー」(うん)
「ついてる」=「11.1」 →「ノー」(うん?)
「ついてる」=「3」    →「イエス」(え、ホント? (@_@))

それから、次には「ばか」。

「ばか」  =「20」   →「ノー」
「ばか」  =「11.1」 →「ノー」
「ばか」  =「3」    →「イエス」

「“ついてる”は、“バカ”と同じ波動なんですか?」 (@_@)
と思わず、講師の先生に訊いてしまいました。

「自分の都合だけを考えている波動ということでは同じなんでしょうね」

うーんこの結果は、わたしの“論理”でも、とても納得できる結果なんだけど、
でも、それって、結構、意外だったなぁ。

わたしは最近は、「ついてる」というのはもう少し違うことなのかと思い始め
ていたものだから。

でも、まあ、こういうことは二重盲検法でやらないと、試験者の「ついてる」
という言葉に対する“理解”とか“判断”も関係するでしょうけどね。

しかし、Oリング・テストというのは、あくまでも、被験者(つまり、この場
合、わたし)の肉体が知っている(あるいは、アクセスできる)「真実」とい
うことだから、わたしの身体は「ついてる」の波動がこのスケールでいう「3」
の波動だということを知っていた、ということですよねぇ。

そういう“絶対的”な智慧の基準を自分(の肉体)が持っている、そういう絶
対基準の智慧にアクセスできる、というのは凄いことですよね。

そういうことをわれわれ地球人類が周知する準備が整ったというか、そういう
時代に入ってきたんですねぇ。

わたしは、今回のOリング・テストのデモンストレーションだけでそのことを
確信できるタイプの人間じゃないけど、ただ、今回、Kichi さんに教えていた
だいて『パワーか、フォースか?』という本を読んだばかりのところだったも
のだから、そういうこと信じられますよ。

(そういえば、以前ある友人がOリング・テストのことを熱く語ってくれたの
 は、今ではもう十年も昔のことになるのかぁ。)

『パワーか、フォースか?』で語られているキネシオロジーか、Oリングテス
トか、(フーチでもいいけど)、なんかそういうことを自分でもできるように
なりたいなぁ。

そういうこと、これまであまり本気では思わなかったんだけど。
(じつは、フーチに使う水晶の錘を買ったことがあるんだけど。(*^_^*))

自分のそういう面での可能性をあんまり信じていなかったんだと思う。

でも、いつでも、変化って可能なんですよね。(@_@)

だんだん、自分が「神」であるということを、本当に思い出して行くプロセス
が始まるんだと思う。

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 いまではほとんどの人が、この変容の性質を知っているはずです。あなたが
たは犠牲者の人生をようやっと克服するために、ここにきたのです。自分の現
実(リアリティ)を自分で決定する創造的な力を受けいれ、また兄弟をみずか
らの創造的な力に目覚めさせるために、あなたがたはここに来ました。集団と
して、それをなしとげる用意は整いました。わたしもあなたがたに力を貸しま
す。あなたがたはわたしやほかの教師との非物質的な交流を通して、自分の苦
しみを増大させるような状況を手放し、本来の“聖性”に目覚めてゆくでしょ
う。
                      『無条件の愛』(p131-132)
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うん。(-_-)


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■ 哲学話:「意識」は<全体>である――その4(大歓喜自在童子(1))
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長年、わたしの哲学頭が抱えていた

       <何故にすべては始まってしまったのか?>

という疑問が、それ自体の内面的必然性によって熟成させていたそれは“解答”
だったのかもしれません。

『21世紀への指導原理 OSHO』という本の内容がなんとなくほぼ姿を現し、
もうそろそろ脱稿かと思っていた、最後の最後の頃でした。

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 その時、まるで冗談のように、“唯一納得できるとしたら、それはこの宇宙
を創ったのがこの自分だったということが分かった場合だけだろう”という思
いが来た。……
https://www.ascensionkan.com/work/mutter10.html
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という一節を含む「舞台裏の独り言(10)」は既に書き上げていました。

もう、それ以上のものが出てくるとも思っていなかったのだけれど……。

ところが、長年の思いをこういう形で表現してしまったこと自体に、それなり
の意味があったのかもしれません。

空っぽになってしまった一種の脱力感の中で、あるとき、ふと龍の尻尾の片鱗
を垣間見たような気がしたのです。

“この宇宙を創ったのがこの自分だった”としたら……。

プロセスが始動したら、あとはただ、自分なりの“論理性”でそのお話の可能
性を辿ってみるだけでした。

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お伽噺:大歓喜自在童子@

 無量永劫の「今」の中で独り遊んでいた大歓喜自在童子が、永劫の今を独り
で歓喜しているその遊びの中で、ある新しい遊びを思いついた。
 それは、一緒にこの遊びができる仲間があったら面白いかな、ということだ
った。
 すると、どんなことでも思いついたらすぐに実現してしまう大歓喜自在童子
は、たちまちもうひとりの大歓喜自在童子を創ってしまっていた。
 そうやって、二人の大歓喜自在童子は夢中になって一緒になって遊んでいた。
 けれどもすぐに、この二人の大歓喜自在童子は、自分たちがひとりであるの
と同じことだということが分かった。
 なにしろ、二人とも同じだけ自由で、同じだけ全能で、同じように歓喜して
遊んでいるだけだったからだ。

 そう思ったとたん、二人いた大歓喜自在童子はたちまちひとりになってしま
っていた。
 そこでひとりになった大歓喜自在童子は、今度は、一緒に遊べるまるで違っ
た仲間があったら面白いかな、と思った。
 たちまち、まるで違ったもうひとりの大歓喜自在童子が生まれていた。
 二人はそうやって色々遊んだ。
 今度出てきた大歓喜自在童子は、最初の大歓喜自在童子とは何から何まで遊
び方が違った。
 けれども、何しろやっぱり大歓喜自在童子ではあったので、いろんな違うや
り方で、同じように自分の全能を、歓喜して遊んでいるだけだった。
 すると何だかそれは、やっぱりひとりで遊んでいるのと同じようでもあった。

 そう思ったとたん、二人いた大歓喜自在童子はひとりになってしまっていた。
 また独りになった大歓喜自在童子は、今度は独りみたいな気がしても消えて
しまわない仲間があったら面白いかな、と思った。

 けれども、今度思いついた遊び方は、今まで思いついたのとはちょっと違っ
て、とても難しいことが分かった。
 というのも、どんな遊び仲間の大歓喜自在童子が生まれてきても、やっぱり
独りで遊んでいるような気が一度したら、たちまちその相手の大歓喜自在童子
は消えてしまったからだ。
 なぜかといえば、相手の大歓喜自在童子もやっぱり全知全能で、何もかも分
かっていたので、こちらが独りのような気がしたら、もうそれだけでこちらの
全知全能を実現してしまうからだった。
 それで色々遊び方を工夫しているうちに、大歓喜自在童子は、本当は自分独
りで遊んでいるのだと気がついても消えてしまわない仲間を創るというのは、
どうやらとても難しいことらしいと気がついた。
 というのも、自分が気がついてもそのことに気がつかない相手を創るという
ことは、自分の思うようにならない相手を創ることだからだ。

 さて、それはとても難しいことのような気がした。
 何しろ、大歓喜自在童子には、自分の思うようにならないということがどう
いうことなのか、どうにもうまく想像できなかったからだ。
 けれども大歓喜自在童子にはできないことはなかったから、想像することさ
えできればそれを創り出せることは分かっていた。
 どうやればそんな仲間を創り出すことができるだろう。
 大歓喜自在童子は色々に想いを巡らした。
 もし創り出した相手が、こちらの全知全能を知らなかったらどうだろう。
 それともその相手が、自分の全知全能を知らなかったらどうだろう、と。
 それは結局同じことかも知れなかった。
 とにかくその遊び仲間は、独自の遊び方をするはずだった。独自の道を歩む
はずだった。いろんなふうに、思いもよらないやり方で。
 けれども、ただひとつこの遊びで肝心な点は、大歓喜自在童子の思うに任せ
ない、大歓喜自在童子の思いからは独立した、本当の遊び仲間がいるというこ
とだった……。

              『21世紀への指導原理 OSHO』(p30-32)
https://www.ascensionkan.com/work/douji-1.html
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このお話は3回になりました。


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■ 4.いただいたお手紙から:ご意見・ご感想(随時)
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お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:paritosho@dream.email.ne.jp
まで、お願いします。
ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


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■ 5.みなさまからの「ご投稿・情報提供」(随時)
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

「ご投稿・情報提供」フォームをご用意しましたので、
http://www.formzu.com/formgen.cgi?ID=872925
よろしければ、ここ↑からご投稿なさってみてください。

[名前(ハンドル名可)*]の枠内にご記入になったお名前を、
ここでの名前とさせていただきますので、よろしくご了承ください。


        …………○…………○…………○…………


前回に続いて、陸いるかさんの「お金の話(精神世界Version)」の3回目を
掲載いたします。

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  第3回
  端的に言うと、その思い込みとは「十分に足りない」「常に不足して
  いる」というものです。これは『神との対話』でも頻繁に語られていま
  すよね。多くの人々がそういう「足りない」という思い込みから「十分
  満ち足りている」という思い込みに移行できれば、世界の仕組みも変化
  するわけです。
  
  また、多くの人々が、自分でワクワク感じることをせずに、したいと思
  わない仕事を続けているのは、収入がなくなることへの恐れだと思いま
  すが、この恐れの根本にも、「十分に足りない」という思い込みがある
  わけです。
  経済的困窮への恐れがあるから、安定している大企業へ就職したい。そ
  のためには一流大学へ入学したい。
  そのためには幼稚園から受験をしたりする。受験があるから偏差値教育
  になり、内申書を気にする。単純化して言ってしまえば、教育問題も同
  じ恐れから来ていると言えるでしょうね。
  
  十分に足りないと思い込んでいるから無理矢理働く。したくないことも
  しなければならないと思う。すると被害者意識を感じる。ストレスが溜
  まる。怒りを感じる。溜め込んだストレスは、過剰な消費で解消する。
  怒りのエネルギーは、破壊的な活動や表現で浄化する。人々の怒りのエ
  ネルギーが大きければ、戦争や災害にも現象化する。
  
  足りていれば、したくないことはしなくてよい。したいことだけすれば
  よい。適切な労働。適切な生産。適切な消費。適切なバランス。ワクワ
  クする活動。喜び。平和。
  
  欲望というものは、「足りないからもっと欲しい」と感じる性質のもの
  なので、「十分満ち足りている」と思えば、欲望も自然に減少するでし
  ょう。
  また、消費というものは、日常生活からの逃避や日常生活で生じるスト
  レスの解消という側面が大きいと思うので、自分の気持ちに正直にワク
  ワク生きられるようになれば、消費量も自然に減少するでしょう。
  つまり、環境への負荷も減少するわけです。
  
  また、これから地球で破局というようなものを体験するのかもしれませ
  ん。しかし、破局という体験を創造しているのもまた自分たちなので
  す。破局とは、自分の中の古いものを壊して浄化するということの物理
  次元の象徴なのです。ですから、自分が新しくなってしまえば、もはや
  破局は必要ないということができます。つまり、多くの人が変化すれ
  ば、破局も最小限で済むということです。
  自分を拡大して新しいものを受け入れたり、自分の古い部分を壊して新
  しいものを受け入れたりすることができます。この新しいものの一つが
  「豊かさ」でしょう。
  
  と言うわけで、みんなの心の中に豊かさが実現すれば、社会のネガティ
  ブな面はほとんど解消するような気がします。
  社会のネガティブな面が解消すればみんな豊かになる、というのが社会
  一般の論法ですが、精神世界系の考え方では自分の思いが自分の体験す
  る現実を創造するということですから、逆なのですね。
  
  多くの人々が豊かさの波動にチューニングできれば、フリー・エネルギ
  ー技術等が世界に普及していく。そして、自分がワクワクすることだけ
  をしていれば、そのうち無償で与え無償で受け取る社会の仕組みが出来
  て、経済活動に交換を前提としなくなる。交換を前提としなくなった
  ら、もはやお金も不要な世界になるでしょう。
  
  ここまで、「愛」というキーワードは使うことなく語りました。これを
  使えば、他者から認められたいという欲望の視点で問題をいろいろ語る
  こともできます。でも、「豊かさ」というキーワードだけでも、以上の
  ようなことが語れるわけです。
  
  と言うわけで、pariさんには是非みんなが豊かになれる新しい経済シス
  テムを考案していただきたいと思います。お願いしますよ!
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あ、いい気持ちで読んでいたら、最後に急にひとに振ってきたりしてぇ。(*^_^*)

でも、そうなんですよね。

たしかに、「このままでは“足りない”」という思いが紡いできた現実ではあ
るんでしょうけど、いわゆる“現実に”経済的原因で自殺する人が年間三万人
を超えるような事態になると、もう“足りている”状態を現実に作ることから
始めるより仕方ないかな、とも思えてきて、その“足りている”状態に気づく
ためには、いわゆる“これまでの現実”(つまり“これまでの思いこみ”)が
壊れるより仕方ないかなぁ、なんて思えてきますよね。

そうすると、人様には、破壊願望みたいにしか聞こえないことが分かっている
ので、あまり声を大にしても言えない、ということになっちゃうんですよね。

でも、その内、「失言コーナー」でも作ろうかなぁ。

“失言”しないことには言及できないような類の話もありますね、きっと。(^_-)

陸いるかさんには、
> 是非みんなが豊かになれる新しい経済シス テムを考案していただきたい
なんて話を振られちゃいましたが、多分、“経済シス テムを考案”するとい
う問題じゃないような気がするんですよね。

わたしは、どうも板谷翠(みどり)さんが降ろされた
『光の歌――21世紀の福音書――』
https://www.ascensionkan.com/books/hikarino.html
のイメージが抜けなくて……。(*^_^*)

いろいろ思いを巡らすんですが、どうもそれ以外に現実可能な、つまり、われ
われの思いこみに働きかけられる手段はないんじゃないか、という気がして仕
方ないんです。
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 その死を前にしたとき
 いま、あなたがたがこの20世紀の繁栄の時代にあって
 あれも欲しい、これも欲しい、と思い
 それを得ることによって満足できると思っていたさまざまなものが
 本当は何の意味も価値もないのだということを
 痛感することでしょう
 ……
 そして、食べ物というのは
 人々が何年分も貯蔵したりすることはできないものです
 食べ物こそは作っては食べ
 いつも流通をさせていなければならないものなのです
 それは宝石やお金のように貯えることはできないものなのです
 だから、その混乱のときに
 自分だけは食べ物に困らないというような備え方はできないのです
 そしてそこでは
 人々はお金の無力さというものも痛感するでしょう
 どんなに銀行の貯金口座にたくさんのお金を持っていても
 今日の食べ物をどうしても得ることができず
 それが三日も四日も一週間も十日も続くとすれば
 やっぱり死ぬ他はないのですから
 ここに至って人々は
 今までお金や貴金属など貨幣価値のある物を持っていれば
 楽な暮らしができるし、幸せに生きられると思ってきた
 そのお金や物への信仰を捨てざるをえなくなります
 
             『光の歌――21世紀の福音書――』(P146-148)
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こうなって初めて、「足りないものは何もなかったんだ」って、豊かさの実感
が湧くんじゃないか、って気がするんですよねぇ。(-_-;)

そうして、こういうタイミングを通り抜けるための条件はもう十分に整ったん
じゃないかと思うんです。

間違っているかもしれませんが……。

でも、いったんこういう時期が始まると、話は速いと思いますよ。(@_@)

そういうときのヴィジョンをイメージするのは好きです。(*^_^*)

でも、それは、いわゆるシステムというようなものじゃないから。

それに、そうなったら、わたしみたいな“口舌の徒”が出る幕などあるのかど
うか。

いうなれば、

          <思いやりこそが最高の効率>

って、だけのことだから。

わたしが今までイメージして来たこともないまったくわけじゃないんですが、
それが本物かどうか、それこそキネシオロジーでも学んで、その真贋を判断で
きるようにならないと、と想っています。

陸いるかさん、また、投稿してくださいね。

ありがとうございました。m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


次に、T.F さんからもご投稿をいただきました。
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  pariさん こんにちは。
  
  少し元気だしてもらおうかなと思ってメールしたのですが、望外の幸せ
  なんて言っていただけると、い〜えこちらこそ〜って感じです。
  
  「自分の音色を奏でる」のは簡単ではないはずです。人に読まれる文章
  を作ることは、ある程度の緊張を強いられるのは当然であり、だからこ
  そ毎週読み続けていけるような文章が生まれると思います。(^^)
  
  全ては手段であり、アセンションという中間地点に至るルートは地球上
  の魂の数だけあるのかも知れない、ということに最近気がつきました。
  (今頃気がついたのなら単なるノンキモノだね(-_-;) 正確には改めて
  認識した、ですか…)
  
  瞑想は最も有効な手段のひとつであることも経験上分かってはいます
  が、私の場合はそれ以上に『読書』でした。
  
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  ……「正しい読み方」とは何でしょう。それは提供されたひとつひとつ
  の考え方に貪欲に注意を払い、その後あなたがその考え方に同意してそ
  れを記憶に刻み込むか、またはひとつの概念としてそれをとらえ、時間
  をかけて熟考したりそれに同意しないと決めることです。そしてさらに
  新しい概念を熟考した結果として、あなたの思考のそれに関する部分や
  思考の貯蔵庫の中で変化する可能性のあるすべてを浄化することです。
  あなたがいくつかの考え方を新たな概念の可能性としてもっていると
  き、あなたの意識は感情的な反応を探求することを許容しながら、それ
  らの考え方を創造的な緊張のなかで保持するために貯蔵されてあったパ
  ワーを利用します。そしてひとたび何かが正しいと「感じ」ることがで
  きると、あなたは結論に達します。
  また、あなたがなんらかの考え方をはっきり拒否するときは、思考の大
  掃除を行っているのです。
                     『人類と惑星の物語』(p8)
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  4年前に買った本ですが、今読み直してみると、序文から金星、火星そ
  してマルデックを経て地球に至るその物語の中で、現在の私が直面して
  いるのとほとんど同じ状況が語られているのには、驚きと同時に感動を
  覚えました。(シンクロニシティってこういう状態?)
  
  晴れの日は、自転車通勤の途中でアスファルトの道路に朝日が当たって
  オレンジ色に輝いて、
  「おっ、きれい!」
  お昼頃は、太陽光線が車のボディに反射してキラキラして
  「あ、きれい!」
  夕方には、職場の窓から夕焼けがビルを真っ赤に染めてゆくのを見て
  「わ〜、きれい!」
  と1日3回も幸せな気分にさせてくれる地球と太陽に感謝しておりま
  す。12月ならそこら中にある豆電球の集合体(イルミネーションって
  いうんでしょ!知ってるってば!)なんかより、遥かにきれいなんだけ
  ど…。そう思うのは私くらいなのかな?(^^;
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投稿していただいて、ありがとうございます。m(_ _)m

T.Fさんの場合は、瞑想が最も有効な手段のひとつであることも経験上知っ
ていらっしゃるんでしょ。

わたしの友人には、瞑想の名人がたくさんいるんですが、わたしはどうも、よ
く分からなくて。(*^_^*)

昔、ほんの少し座禅をやっていた頃の足の痛さに、ちょっと懲りたのかもしれ
ません。

あんまり痛いので、「座禅にこの足の痛さは必要なんでしょうか?」って、
堂長さんに訊いたら、「痛いうちが花ですよ」なんて、あしらわれちゃいまし
た。

何も思わないでいられたら、それもいいだろうなぁ、とも思うんだけど、自分
のマインドはそんなこと思ってないわけだよなぁ、とも思います。

『人類と惑星の物語』は気になっていながら、まだ買えていない本のひとつで
すねぇ……。

……あ、なんだか、ちょっと静かに座るのも悪くないかもなぁ、なんて気分が
今ちょっとしましたね。

まさかね。

また投稿してくださいね。

ありがとうございました。m(_ _)m


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■ 6.編集後記:これが遠い過去のことだったような気がして
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こうして、「編集後記」なんて書いていると、これが遠い過去のことだったよ
うな気がして、ふっと、懐かしいような感じが来たりして。ふふ。

南側の窓から、下の集落のわずかな灯りが見えるんですよね。

ここに初めて移ってきたときは、夜の暗さに驚きました。

藤沢に住み始めた頃にも、朝まだきの辻堂駅の列車の音がとても懐かしいよう
な感じで聞こえた記憶があるけど。

わたしはわたしの宇宙の中に住んでいるだけ。

「懐かしさ」というくらいの情感が、距離的にちょうど頃合いなのか、好きな
んですよね。

というわけで、今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

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17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
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<(_ _)>

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■ 【作 者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: paritosho@dream.email.ne.jp
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