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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.051 2005, 2/13(第51号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension.html
このページ↑をご覧ください。

また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension_m.html
このページ↑をご覧ください。

これまで地球の次元上昇サポートを背後支援に絞ってこられたETの方々が、
ファーストコンタクトに向けて国勢調査を開始されました。
https://www.ascensionkan.com/demae/ET_message.html
ここ↑をご覧ください。

要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か7年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変を通過して、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

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◇◇ もくじ ◇◇

1.「唯一の真実」

2.“究極の言葉”

3.《黄金の未来》コーナー:コミューン連邦――その3

4.みなさまからの「ご投稿・情報提供」(随時)

5.編集後記:
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■ 1.「唯一の真実」
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★「まぐまぐ」が昨日2月13日が24時間保守作業だったため、今回に限り、
 2月14日(月)の配信になりました。遅れたことをお詫びします。m(_ _)m

       …………○…………○…………○…………

さっきまで晴れ上がっていた天気が、いままた、曇天に変わっています。

一瞬、一瞬、状況が動いていきます。

天然、気象、まわりの世界……。

世の中、世間、世界の状態。

気分、気持、経済状態。(*^_^*)

いやー、いろいろ揺れ動きますねぇ。

静かになる人は、ますます静かになっていくだろうし、混乱混沌は、ますます
その度を深めていくだろうし。

(^-^)

また一週間が巡って、楽しい“アセンション噺”にお付き合いいただく時間が
やってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有のお時間の中で、いかがお過ごしでしょうか?

今日も、“マインド無礼講”で勝手な独り言を楽しみたいと思います。

ええと、久々にミカエル(光)さんのご登場願いましょうかねぇ……。

どうしようかなぁ。(^^;)

わたし、できることなら、読んでくださるみなさんに、楽しい思いをしていた
だきたいなぁ、と思っているんです。

せっかく、週に一度の楽しい“アセンション噺”の機会ですから。

でも、じつは、毎回、ミカエル(光)さんからメールをいただいているんです。

ということは、ミカエル(光)さんは、間違いなく、楽しみに読んでくださっ
ているわけです。

でも、正直、ミカエル(光)さんのメールから、楽しい噺を展開するのは、な
かなか難しいんですよね。(^_-)

わたしも、根がひどく真面目で (^_-)、どうしても話が“理屈っぽく”なっち
ゃうのね。

で、ミカエル(光)さんご自身は、当面“ウルトラ真面目の絶対犠牲者ヨガ”
の行者を演じていらっしゃるので、いただくメールもその感じが多いんです。

もちろん、その“ヨガ行者”の望遠鏡をお借りして、そこから見える世界の様
子を眺めるのだって面白いですよ。

でも、読んでくださっている方がみなさん楽しめるかどうかとなったら、やっ
ぱり、ちょっと疑問な点もあります。

映画だって、ある程度、タイトル選んで、内容に見当つけて見に行くわけです
ものね。

コメディ観に行ったつもりが、ホラー映画だったら、ちょっと“看板に偽りあ
り”ってことになっちゃうよね。^^;

ただ、“アセンション”って、滅法、包含が大きいんでしょうね。

どんな話だって、入ると言えば、入る。

ミカエル(光)さんのお気持ちが、分からないことはないわけです。

で、わたしの方は、毎回、無い知恵しぼって、いろいろ“色変わり”でお見せ
しようとこれ努めているのですが、ミカエル(光)さんは、どちらかというと、
恐るべき“モノトーン主義者”なんですよねぇ。^^;

ほとんど、乱れることがない。

それほどにも乱れのない、ご自分の世界観(の「正しさ」)に確信をお持ちの
方が、どうしてこんなお調子者の媒体に興味を抱かれるのか、その辺も謎と言
えば謎なんだけど。^^;

で、この『アセンション館通信』が、だいたい終始一貫して言っていることは、
どなたの視点も、どなたの観点も、どうやらすべて“正しい”ようです、とい
うことですよね。

間違った“観点”、間違った“考え方”というようなものは、どうやら存在し
ないないらしいです、ということです。

ここで、虎の威を借りて、ラムサに保証してもらうなら、ラムサは「真実」に
関して、こんなことを言っています。

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 ラムサ
 ……。さて、マスターよ、真実でないものとは何だろうか?
 
 生徒
 そうですね、たとえば想像や空想など、現実とは一致しないもののことです。
 
 ラムサ
 本当にそうなのだろうか? それでは、想像や空想とは何なのか?
 
 生徒
 心の中で抱く思考です。つまり思考の中でつくり上げるもののことです。
 
 ラムサ
 では、あなたがそのような思考を抱いているとき、それらは現実ではないの
 か? それらはあなたの意識の中での現実ではないのだろうか? それは思
 考の中の真実ではないのだろうか?
 
 生徒
 確かにそうですが、私の心の中だけで真実なのかもしれません。それらは、
 実際の現実の中で物事がどうなっているのかという真実とは必ずしも一致し
 ません。
 
 ラムサ
 マスターよ、誰もが「唯一の真実」を知りたいと願う。だが、もしその「唯
 一の真実」なるものがあるとしたら、それ以外のすべてはいったい何なのだ
 ろうか? それらも意識の中ではひとつの現実であるというのに。
 「唯一の真実」とは何なのかわかるだろうか? そんなものはない、という
 ことだ。そんなものはないということは、あらゆるものが真実であるという
 ことでもある。
 マスターよ、あらゆるものが真実なのだ。真実でないものなど存在しない。
 なぜなら、すべてのものは神である思考から生み出されたものだからだ。そ
 して、神はひとつの決められた形をとる思考ではない。神はすべての思考か
 らなる現実なのだ。
 あらゆるものは現実である。というのも、すべては思考によって確実性を与
 えられ、それぞれが存在の目的を持っているからだ。あなた方が想像や空想
 と呼んでいるものも、間違いなく現実である。なぜなら、それらも明確な目
 的を持つ思考によって構築されているからだ。
 
 生徒
 それらが外の現実の世界と一致しなくてもですか?
 
 ラムサ
 マスターよ、「外の世界」、あなたが「現実」と呼んでいるものは、最も偉
 大な現実、すなわち思考と感情と呼ばれる目に見えない現実から生じる、単
 なる幻であり、創造物にすぎないのだ。どうやって「外の世界」が存在する
 ようになったと思うのか? それは想像と空想によって創造されたのだ。そ
 して、ひとたびそれが物質的な形で現実となると、今度はそれがさらなる想
 像と空想を生み出したのである。というのも、それぞれがお互いを生み出し、
 その両方がまさしく現実だからだ。
 マスターよ、思考の中で創造されたもの、つまり意識の中に存在しているも
 のは、物質的な現実という形で現実化しているか否かに関わらず、すべて真
 実なのだ。
                『ラムサ ホワイトブック』(p214-216)
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わたし、この『アセンション館通信』を出し始めた直後に、テンプルさんから
『ラムサ ホワイトブック』の存在を教えていただいてこの箇所を読んだとき、
「現実」あるいは「真実」について、初めて“納得のいく論理的説明”を聞い
たと思いました。

これは、「現実」についてのじつに“論理的な説明”です。

これ以外には、考えられません。

とは言え、
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 「唯一の真実」とは何なのかわかるだろうか? そんなものはない、という
 ことだ。
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と聞いたときは、やっぱり、それなりのショックでしたよ。

でも、続いて、
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 そんなものはないということは、あらゆるものが真実であるということでも
 ある。
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と聞いて、“論理的に”それしかありえない、と思いました。

そしてこのことは、このメルマガのテーマである“アセンション”ということ
と、じつに密接な関係があると、思っています。

“アセンション”という言葉には、まあ、使い方によって、いろいろな意味が
ありうると思います。

ただ、この大宇宙で起こっているすべての“出来事”を「意識のドラマ」と見
なすなら、大雑把に“アセンション”というのは“はまった世界”から広いと
ころに“抜け出す”ことだと言っても、そう間違ってはいないと思います。

つまり、

ディセンション(下降)とは、“狭い世界に落ち込んではまっていくこと”

アセンション(上昇)とは、“狭い世界から広い世界に抜け出していくこと”

というふうに。

じゃ、“狭い”とか“広い”というのは何を基準にして言うのかとなったら、
まあ、あくまでも(そしてどこまでも)相対的なものだろうけど、つまりは、
“感覚的な”言葉では「自由さ」、“論理的な”言い方では「包含関係」とい
うことになるだろうと思います。

でも、その“論理性”に、どうしてもひとつだけ譲れない一点があって、それ
がいつも言う

             <霊主体従>

ということだろうと、思うんです。

いつか書いたことのある、「大暗黒の中の島宇宙」というお話を思い出してみ
てください。

https://www.ascensionkan.com/mm/vol009.html#4
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 大暗黒の中の島宇宙
 
 
 こんなことを、考えてみてください。
 
 今、宇宙の一角の果てもない大暗黒の中で、大きさの見当もつかないような
 超巨大な島宇宙の誕生が起こっていたとします。
 
 しかし、そのことを“知っている”<意識>は存在しなかったとします。
 
 ところで、この島宇宙の誕生は、存在するのでしょうか、それとも存在しな
 いのでしょうか。
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というあれです。

で、このあとは、こんなふうに続いていたのでした。

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 ……<存在>というのは、そういうものだと思います。
 
 <存在>の根拠は、その<存在>を“知っている”<意識>にあります。
 
 ということは、<意識>が<存在>だということです。
 
 では、逆に、何一つ“知る”対象を持たない<意識>というものはありうる
 でしょうか。
 
 私は、「ある」と思っていますが、自分で「体験」したことがないので、
 (あるいは現在の私は自分をその記憶から切り離しているので)“知ってい
 る”とは言えません。
 
 強いて言えば、ビッグバーンと言われるもの、あるいはそれに類する何かの
 直前がそれに当るのかもしれません。
 
 ところで、“<意識>誕生”の物語というのは、<意識>が無い状態から、
 <意識>が生まれた、というお話です。
 
 それは、上述の例で言うなら、<意識>が立ち会っていない島宇宙の誕生の
 中から、<意識>が発生したということです。
 
 簡単に言うと、「無」から「有」が生じたということ、“非存在”から
 <存在>が生じたということです。
 
 このことの可能性を、私は自分が知っている唯一の<意識>、つまり、自分
 の<意識>の中で探します。
 
 何と言っても、私は自分の<存在>を疑っていないからです。というより、
 疑っても意味がないと思っているからです。
 
 だから、その自分の<意識>を唯一の自明の根拠として“<意識>の誕生”
 の可能性を探ってみるわけです。
 
 つまり、この私は“非存在”を支えることができるだろうか、と。
 
 私は、“非存在”という言葉の組み合わせを作ることができるし、その言葉
 を操ることもできますが、どうあがいても“非存在”をイメージすることも、
 思考することもできません。
 
 “非存在”を<意識>にもたらすとができないのです。
 
 つまり、私は“非存在”を<存在>にもたらすことができません。
 
 言い換えると、“非存在”と<存在>を架橋することができません。
 
 つまり、<意識>は“非存在”を知り得ないのです。
 
 <意識>はどうしても“非存在”に架橋することができない。
 
 “非存在”を<存在>させることができないという、じつに馬鹿馬鹿しいほ
 どに自明のことです。
 
 これが、<意識>が立ち会っていない島宇宙の誕生の中から、どうやっても
 <意識>が“誕生”することはできない、ということの論理的証明です。
 
 それは、換言すると、“<意識>が立ち会っていない島宇宙の誕生”などと
 いうものは存在しえない、ということでもあります。

https://www.ascensionkan.com/mm/vol009.html#4
----------------------------------------------------------------------

と。

このことを、BASHARは『ニュー・メタフィジックス』で
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 もし存在のない状態を体験できたとしても、その体験を知る由がない」とも
 言えます。……
                  『ニュー・メタフィジックス』(p21)
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と、言っているわけでしょうし、イエスが遺したという「奇跡の学習コース」
では、

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 実在するものは存在を脅かされることはない。
 非実在なるものは存在しない。
 ここに、神の安らぎがある。
                         『愛への帰還』(p13) 
----------------------------------------------------------------------

と、言っているわけだと思います。

毎度毎度、同じことしか言わないわけだけど (*^_^*)、<意識>が根拠になっ
ていない、つまりは、<意識>が支える“思い=思考”が根拠になっていない
「現実」などというものは“ない”ということです。

で、このことが肚に落ちたら、先ほどのラムサの言葉
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 マスターよ、誰もが「唯一の真実」を知りたいと願う。だが、もしその「唯
 一の真実」なるものがあるとしたら、それ以外のすべてはいったい何なのだ
 ろうか? それらも意識の中ではひとつの現実であるというのに。
 「唯一の真実」とは何なのかわかるだろうか? そんなものはない、という
 ことだ。そんなものはないということは、あらゆるものが真実であるという
 ことでもある。
 マスターよ、あらゆるものが真実なのだ。真実でないものなど存在しない。
 なぜなら、すべてのものは神である思考から生み出されたものだからだ。
 
                『ラムサ ホワイトブック』(p215-216)
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までは、一瀉千里です。

つまり、あらゆる“思い”、あらゆる“思考”、あらゆる“観点”、あらゆる
“立場”、あらゆる“条件付け”、あらゆる“DNA”は、すべて「真実」で
あり、“正しい”わけです。

それらはすべて、さまざまの波動帯の中に存在する(ラムサが言うところの)
“神である思考から生み出されたもの”です。

ただし、別々の“意識の位置”は、それぞれ固有であり、同じものではない。

そこに“正誤”の違いがあるわけではない、また、敢えて奇警な言い方をする
なら、“善悪”、“高低”の違いがあるわけでもない。

なぜなら、それぞれの「意識の位置」を判断する“立場”もまた、相対的なも
のにすぎないからです。

じゃ、それらを、いわば“客観的”に見渡せる基準のようなものは何もないの
か、となったら、それが(“論理的”に言うところの)「包含関係」であり、
その同じことを“感覚的”な言葉では「自由さ」というのだろうと思います。

そして、最も「自由」な、最も“包含関係が広い”「意識の位置」を称して、
<神>とか<愛>とかいう言葉を使うのだろうと思います。

われわれの、この地球の常識というようないわば“狭い思いこみ”にまで、落
ち込み、はまって来るには、<意識>は相当な“拘束衣”を重ね着しなくては
ならなかったでしょうから、ここから“アセンション”するには、それと同じ
だけのものを“脱ぎ捨てて”行かなくてはならないでしょうね。

----------------------------------------------------------------------
 きたときと同じ方法でこの惑星を去っていくことは掟なのです。身体を持っ
 て生まれてきた原因であるその願望によってあなたは一巡を経験しました。
 いま望むのは、あなたが去ってきたところである自由を経験すること、つま
 り根元のもとへ帰ることです。魂がその方法をあなたに示してくれるでしょ
 う。そして多くの人にとってそれは今生で起こるはずです。
                       『あなたの神話』(p.84)
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(^^;)

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 わたしたちはあなたがたが誕生によって地球に入り、死によってそこから出
 ていくのを何百回となく見てきました。そしてあなたがたがどんなところに
 自分を見出しても満足しないことを知っています。からだの中にいるとき、
 あなたがたは恐れと不安に満ち、あらゆる策を弄して人間という状況から逃
 れようとします。それは生を生きているというより、かろじてきりぬけ、生
 き延びているにひとしいのです。あなたがたは日々かかわっていることのな
 かにある、自分の死に直接つながる物質や有害な経験をちゃんと知っていま
 す。そこには謎などいっさいありません。ふりをするのはやめましょう。偶
 然やなりゆきまかせに起こることなどなにもありません。意識的にせよ、そ
 うでないにせよ、すべては選択なのです。
                       『あなたの神話』(p.100)
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(-_-;)

----------------------------------------------------------------------
 そしえ長年の虐待と無視によって、また敵意と苦しみによって、ついにあな
 たは物質的形態の限界からスピリットの自由へととおりぬけることに成功し
 ます。しかしあなたはそれでしあわせになるどころか、フラストレーション
 を感じます。あなたが切望するのは、いまある知識をすべてもったままふた
 たび生きること、ふたたび五感をもって生きること、そうやってからだによ
 って与えられる限界や、地球が与えてくれる予測可能なことを、またもやほ
 しがります。形態の状態にあるときは自分の限界を嘆くのに、スピリットに
 なると質量の喪失を嘆くのです。
                       『あなたの神話』(p.101)
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(=_=)


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■ 2.“究極の言葉”
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さあ、ここまでで、十二分に肩慣らしは済ませました。

ここまで付き合っていただけた方なら、充分な免疫が付いたでしょうから、今
度は、ミカエル(光)さんの“観点”をお楽しみいただけると思います。

ただ、ミカエル(光)さんが、ここまで丁寧な“ウルトラ真面目の絶対犠牲者
ヨガ”の模範演技をしてくださるについては、感謝すべきだと思います。

んかなか、これだけのことを自ら進んでやってくださる方はいません。

では、ミカエル(光)さんのメールをご紹介しますね。

最初は、長いメール、そして、その後は、短いメールです。

----------------------------------------------------------------------
  >「絶対無」というものが“実体的に存在する”、なとどいう言葉が意味を
  >持ちうると、光(ミカエル)さんは思いますか? 
  
  ↑
  
  どういう意味でしょうか?
  
  イエスもありノーであるかもしれないし私にはよくわかりません。
  
  だだ 1番始めに 時というのはないかもしれなが とにかく1番始めの始
  めの始めに
  
  すべては 苦から逃れるためにあったような気がするのです。
  
  だから 神が意識をわけ分霊を出し 魂(分霊)が地上(もしくは相対性領域)
  で体験したいという欲求も 
  
  神の苦からの逃避であり 
  
  1番始めに神が苦から逃げるのを
  
  肯 とするならば 俺らの地上体験(もしくは相対性領域)も魂で同意してい
  ると言え
  
  あまりにも苦しかったら (たとえば逃げられない拷問など) いつでもその
  瞬間に 苦から逃げれる
  
  能力を持つのも 肯 としなければなりません。
  
  でも実際 苦しくっても拷問などから逃れられない人間も多く
  
  そういう意味で ある意味←(注) ある視点において←(注)
  
  神は全然 正しくない。
  
  最高レベルでは 神が 苦から逃がれるために 分霊を出し
  
  俺らを苦しめたというのもある意味事実である可能性は非常に高いと思われ
  る。
  
  (ただ俺らの中では 自分が体験したかったからだ
  
  とどうしてもなる と感じざるおえないように設定されてる可能性が非常に
  高いが。。。)
  
  だから 神は自分が正しくないことを知っているために 自分の完全神の意
  識をわけ
  
  自分の完全神の分霊を相対性領域に送り出し
  
  自分で自分を罰した。つまり因果です。実はそれが イエスキリストでもあ
  るのです。
  
  これはユングもそう言ってます。イエスの誕生で 神は自分に自分で罰食ら
  ったのです。
  
  もちろんそれは 人類にとって 最高レベルにおいて 救いでもあるのです
  が。。。
  
  俺には ユングの言う意味がよくわかるのです。
  
  神は 自分で自分が正しくない ことを知っていたからです。
  
  人間の責任だけでなく 神にも大いに責任があるのを神は知っていたかで
  す。
  
  神は自分の存在が 実は 自分が全然 正当化できないことを知っていると
  思うのです。
  
  というと俺ら存在もそうなるのかもしれませんが。。。
  
  だが存在しないが正しいと信じると危険です。信じると信じる世界が展開す
  るので
  
  自分で自分を幽閉空間に自らを追い込むことになるかもしれないからです。
  
  皆様 いかなる正当な理由があっても 神に逆らったらり 神の法則に逆ら
  うと
  
  自分が苦しむことになるので 十分気をつけてください。お願い致します。
  
  また 存在しないが正しいと信じると危険です。たとえそれが真に正しくと
  も。。。
  
  だがある意味では 自分が苦しむことは絶対に正しくないので それすらも
  計算に入れて
  
  たとえそれが真に正しくとも。。。というのもさらにより真に正しい視点に
  おいては
  
  それすらも断じて 絶対にっ!全然真に正しくないので 十分気をつけてく
  ださい。
  
  まあ 簡単に言えば
  
    すべてのすべてのすべての人間が幸せでも 
  
  自分が苦しかったら ←(注)
  
  そんな宇宙など要りませんっ
  
   絶対にっ!永久に永遠に 真に永久永遠に。。。ってことです。
  
  そう思いませんか?
  
    自分が苦しいことを喜べる生命体など 宇宙のどこを探しても存在しな
  いのです。
  
   断じて 絶対にっ!
  
  そういう意味では
  
  ある意味←(注) ある視点において←(注)
  
  宇宙には時というのも空間などもないかもしれなが
  
  1番始めの始めの始めに
  
  神が意識をわけ分霊を出し 魂(分霊)が地上(もしくは相対性領域)で体験し
  たいという欲求も 
  
  神の苦からの逃避 も正しいとする見方も 肯 かもしれませんが。。。
----------------------------------------------------------------------

ミカエル(光)さんの観点を、お楽しみいただけましたか?

ミカエル(光)さんが、どれくらい「自由」を感じていらっしゃるか、それを
楽しんでいるかどうか、それを感じていただけたでしょうか?

ミカエル(光)さんは、どうしても“自分”の“正しさ”を主張したいと思っ
ていらっしゃる……。

“正しさ”を主張する……、ということの(構造的)意味が感じられたでしょ
うか?

それが、どれほどの「広さ」の感じかが……。

続いて、ミカエル(光)さんは、このようにおっしゃっています。

----------------------------------------------------------------------
  pariさんは
  
  その人の信じる世界=その人の世界ですよね。
  
  これをpariさんは伝えたいのですよね。
  
  よくわかります。
  
  だが
  
  イエスについての最大の疑問 
  
    イエス キリストは確かに霊的にもレベルが相当高い 
    また イエスの心より美しい心もこの宇宙にないのかもしれない 
  
    だが イエスをムチで打った者 殺した者 殺しに賛成した者 
    の後のことを考えると また 
    その正反対のヒトラーなどの存在が宇宙に出現したこと 
    などを考えると イエスの存在およびイエスのやったこと 
    (磔になったことなど)を単純に喜んでいいのだろうか? 
  
    ちなみにこれは 
    に聖ジャンヌダルク様などについても同様のことが言える。 
  
    聖ジャンヌダルク様は確かに霊的にもレベルが相当高い 
    また 聖ジャンヌダルク様の心は凄まじく美しい。。 
    だが 聖ジャンヌダルク様を苦しめた者 
    殺した者 殺しに賛成した者 
    の後のことを考えると また 
    その正反対のジルなどの存在が宇宙に出現したこと 
    などを考えると 聖ジャンヌダルク様の存在および 
    聖ジャンヌダルク様のやったこと(磔(火刑)になったことなど) 
    を単純に喜んでいいのだろうか? 
    
    全宇宙全生命体が永久永遠に真に永久永遠に 
    喜びあえる宇宙以外 
    私は断じてっ!絶対にっ!認めない。 
    そう真に永久永遠に。。。何度無限にビックバンが起きようとも。。。
    真に永久永遠に。。。 
  
  光
----------------------------------------------------------------------

……。

ミカエルさん、ミカエルの観点はよく分かりました。

そういう“立場”がお好きなんですよね。

ミカエルさんの“正しさ”については、わたしはまったく異論がありません。

宇宙中のあらゆる「意識の位置」がそれぞれ、すべて正しいというのに、どう
してミカエルさんだけ、正しくないなどと言うことがあるでしょうか?

もちろん、ミカエルさんは、正しいのです。

でも、別に、そんなに頑張らなくても、やっぱり、正しいんですよ。^^;

「正しさ」については、誰の観点についても、まったく疑問の余地がないので
す。

だから、

  > 私は断じてっ!絶対にっ!認めない。 

とおっしゃるミカエルさんも、完璧に“正しい”のです。

でもそれは、ミカエルさんだけが、ひとり“排他的に正しい”という意味では
ありません。

ミカエルさんも、みんなと同じように“正しい”というだけのことです。

そして、みんなと同じように、ご自分の“思い”でご自分の「世界」を創造し
ているということです。

だから、別に、そんなに“頑張る”ことも必要ではないのです。

わたしの今の個人的な趣味では、ただ、幸福であればそれでいい、と思います
が……。

そして、

  > 私は断じてっ!絶対にっ!認めない。 

と言われるミカエルさんが、完璧に“正し”くはあっても、果たして幸福にな
れるだろうか、とは思いますが。

でも、わたし自身も含めて、たいていの人間(エゴ)は「幸福」よりは「不幸」
の方が好きなわけだから、それはそれでいいと思いますけどね。(^_-)

で、“アセンション”というのは、いわば“「正しさ」好き”から“「幸福」
好き”に移行することだと思っています。

そして、そのために、われわれは、いろいろ決めつけたがるすべての「判断」
を手放して行かなければならないのだとも。

“正しさ”という勲章がなんの努力も要しない万人の持ち物だとわかったら、
そんな当然のものを誰もひけらかしたりはしなくなるだけのことです。

そうなったら、今度は、「幸福」という万人の生得権を実際に手に入れて、た
だ満足するだけかもしれません。

で、次のミカエルさんのメールは
----------------------------------------------------------------------
 いままで載せてくれなかったぶんは
 いつか載せて欲しいな
 ミカエル(光)
----------------------------------------------------------------------
という感想でしたね。

ね、載せたでしょ。(^^;)

で、今回です。
----------------------------------------------------------------------
 当然失礼します。
 前の イエスについてのこと載せて欲しかったです。
 載せられない理由があるのでしょうか?
 それとも捨ててしまわれたのでしょうか?少し残念です。
 後
 モンローの本では魂が進化して進化して進化しまくったらどうなると言って
 いますか? 
 またマスターになったずーーーーーーーーとずーーーーーーーーーーと後は
 しまくった らどうなると言っていますか?
 できればできるだけ詳しく教えて欲しいです。
 お願い致します。
 ミカエル(光)
----------------------------------------------------------------------

前半のご質問は、もういいですね。

後半の方ですが……、

 > モンローの本では魂が進化して進化して進化しまくったらどうなると言っ
 > ていますか? 

ミカエルさんは、“究極”がお好きなので、では、モンローさんの本でタイト
ルに「究極」がつく方、『究極の旅』の方から引用しましょう。

----------------------------------------------------------------------
 ……やらなくては――やらなくてはならないことがあるのを思い出した……
 私たちのために。私たちが「全体」の中に入ってゆき、復帰するとき、何が
 起こるんだろう?
 
 <それについては、いろいろなことが考えられる。ひとつの可能性をローと
 で示してあげよう。戻ったときに、興味深く感じられるだろう。夢の中に…
 …ホログラムの中に戻ったときにな>
 
  戻ったときに? 夢の中に帰らなくちゃならないのか? また意識を失う
 のか?
 
 <仕方のないことだ。お前は不完全なのだから。だが、この意識は持って帰
 ることができる。いずれにせよ、待っている者たちを見捨てる気にはならな
 いだろう、それが可能だとしても>
 
  そのとおりだな。
 
 <このロートを持って行きなさい。忍耐の助けになるだろう――おまえと、
 おまえたち全員にとって>
 
  確かにそうだと思う。しかし、私は……私たちは……完全になるとはどう
 いうことなのか、知らなくちゃならないことを山ほどかかえているんだ。教
 えてもらえるかい?
 
 <我々のよく知っていることだ。おまえたちの言葉にしてみよう。
 
    始まりはない、終わりもない、
     ただ変化があるのみ。
    教師はない、生徒もない、
     ただ記憶があるのみ。
    善はない、悪もない、
     ただ表現があるのみ。
    結合はない、分割もない、
     ただ一者があるのみ。
    喜びはない、悲しみもない、
     ただ愛があるのみ。
    優はない、劣もない、
     ただ均衡があるのみ。
    静止はない、エントロピーもない、
     ただ運動があるのみ。
    覚醒はない、眠りもない、
     ただ存在があるのみ。
    限界はない、偶然もない、
     ただ計画があるのみ。
 
 これが、我々の知るところだ>
 
  ありがとう。わかったよ。
 
 <旅を終えるまでには、あと半周残っているな>
 
  あと半周?
 
 <これまでより、ずっと簡単だ。さらば、小さな者よ>
                       『究極の旅』(p237-240)
----------------------------------------------------------------------

そして、その少し先に、こうあります。

----------------------------------------------------------------------
 ……ぐんぐん内側に向かっている……IT集合体の群を通り過ぎる……もう
 見えない……信念体系領域も過ぎる……瞬いて消えてゆく……青い惑星も通
 り過ぎて……塵の輪に還ってゆく……すべてが動いて、動いている……今度
 もまた流れに逆らい、ものごとの始まりまで遡るのだ……分子と光の巨大な
 花がつぼみに還る……一筋の光線に……光線に……あの中に入るのだ、あそ
 こに……耐えられるだろうか? あまりにも強烈だ……
  ……ほら、あった……「放出口」だ! そう、ビッグ・バンなどなかった
 のだ……始まりは「放出口」だったのだ……ホログラムが創造され……ほら、
 一方向へ流れ出てゆく……サイクル……閉じた環……円環だ! 今こそわか
 った……「知る」ことができた!
                         『究極の旅』(p241)
----------------------------------------------------------------------

はは。(^^)/

こういう“究極の言葉”、意味がありましたか?

“自分”が許容しただけを、もらえるだけだと思います。

ミカエルさんが演じてくださっている役割には、とても感謝しています。

ただ、それはそれとして、受け取っていただけるかどうかは分かりませんが、
ミカエルさんへの個人的プレゼントがあります。

それは、どうも、これまでいろいろ“耳学問”してきた感じだと、千差万別の
この“精神世界”で、どうやら、これだけは一般則として語って間違いなさそ
うだと考えられる知見です。

それは、

     <否定、拒否こそが、その波動帯域に留まるための秘訣>

らしい、ということです。

だから、ミカエルさんが現在採用している態度決定、

    全宇宙全生命体が永久永遠に真に永久永遠に 
    喜びあえる宇宙以外 
    私は断じてっ!絶対にっ!認めない。 

は、非常に効率的にこの波動帯(つまり、このような発言が可能な波動帯)に
ミカエルさんを固定することになるかもしれない、ということです。

それは、現在“自分”がフォーカスしている「全体」の一部(の意識の位置)
に“自分”を同定して、その他の部分を拒否しようとする態度です。

そのような意識エネルギーとして肉体を離れたら、当然、「全体」への全責任
を負った<自己>にまでは帰還できないわけで、またまたどうしても“永久永
遠に”「全体」を生み出した“加害者「神」”を恨む演技を続けられる波動帯
に惹きつけられるということになると思います。

すると、どうやっても、どんな究極的な言葉を聞いても、モンローさんが伝え
てくれているような

    善はない、悪もない、
     ただ表現があるのみ。
    結合はない、分割もない、
     ただ一者があるのみ。

の世界には戻れない、ということになりそうです。

(わたしはいま、自分のことは100パーセント棚上げして話していますから
 ね。(*^_^*))

わたしは、ミカエルさんがまったく信じていらっしゃらないらしい、ミカエル
さんが、ミカエルさんの宇宙の創造主であり、今も創造し続けている、という
ことの可能性を、一度本気で、考えてみられることをお勧めします。

ご自分の態度決定が、トンデもない大きな力を持っているかもしれないという
可能性を、いちど本気で感じてみられることを、お勧めします。

    教師はない、生徒もない、
     ただ記憶があるのみ。

が、“論理的”に本当だと、わたしは思っています。(^^)

ミカエルさんからのメールは、これで、すべてでしたね。

また、新しい冒険ができました。

ありがとうございます。

m(_ _)m


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■ 3.《黄金の未来》コーナー:コミューン連邦――その3
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前回に続いて、和尚の未来ヴィジョンです。

ここ和尚は、“解放された家族”あるいは“家族からの解放”について語って
います。

もちろん、ドグマじゃないので、素晴らしい家族はたくさんあります。

でも、私有財産制度に基づいた“家族単位のサバイバル”が、そろそろ“賞味
期限”を超えつつあるらしいのも事実です。

いろんなことが起こっていますものね。

そろそろ可能性の選択肢を増やすべき時期になってきているかもしれません。

----------------------------------------------------------------------
小さなグループの人々はより容易に生を楽しむことができる。
なぜなら、たくさんの友達をもつこと、たくさんの知り合いを持つことは、そ
れだけでひとつの楽しみだからだ。
現在、大都市では、同じ建物に住んでいる人間がその隣人を知らない。
一つの建物に10万人が住んでいるかもしれないのだ。
百階建ての高層ビル一つで、それほどたくさんの人々――ほとんどまるまるひ
とつの年を収容することができる。
そしてその人たちは、互いに集団で生活しながら、しかもなお孤独な、まった
くの他人同士なのだ。
コミューンについての私の考えは、小さなグループで生活することだ。
そこには充分な空間があり、しかもなお近しく、愛に満ちて、関係を保ちなが
ら生活する。
子どもたちはコミューンによって面倒を見られ、ひとりひとりの欲求はコミュ
ーンによって世話され、医療はコミューンがその面倒を見る。
コミューンは、過去において家族が生み出してきたどんな病も持たない本当の
家族になる。
それは絶えず動いている解放された家族だ。
そこには結婚という問題はなく、従って離婚という問題もない。
もし二人の人が一緒になりたかったら、その人たちは一緒になることができる。
そして二人がいつか共にいることを望まなくなったら、それはそれでまったく
いい。
一緒にいることは二人が決めたことだった。
今度は二人が、別の友達を選べばいい。
実際、生においてどうしてもっと多くの人生を享受しないのか。
なぜそれをもっと豊かにしないのか。
二人が一生共にいたいと思うほど互いを楽しんでいないのなら、どういうわけ
である男性がある女性にこだわらなければならないのか。
どういうわけである女性がある男性にこだわらなければならないのか。
だが世界をみれば状況は明らかだ。
人々は自分の家族から独立したいと願っている。

                         『新人類』(p73-74)
----------------------------------------------------------------------

コミューン(生活共同体)の人間的なサイズと質について語られています。

でも、この辺りは、人によっていろいろ意見が分かれるところでしょうし、ま
た、こうなるためには、これから超えていかなければならないハードルがいく
つもあるかもしれませんね。

(-_-;)


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■ 4.みなさまからの「ご投稿・情報提供」(随時)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

「ご投稿・情報提供」フォームをご用意しましたので、
http://www.formzu.com/formgen.cgi?ID=872925
よろしければ、ここ↑からご投稿なさってみてください。

[名前(ハンドル名可)*]の枠内にご記入になったお名前を、
ここでの名前とさせていただきますので、よろしくご了承ください。


        …………○…………○…………○…………


前号に続いて、ハイアーセルフ33さんからの連続投稿です。

今回は、すごく長いみたい。(@_@)

----------------------------------------------------------------------
  *技法と明け渡し
  
  「存在とひとつに」(市民出版社p51-60)より・・和尚ラジニーシ講話
  
  (質問)
  技法というのは近道であり革命的なものだそうですが、もしそうならば、<
  道(タオ)>やスワバーヴァや自然に反しているのではないでしょうか。
  
  (和尚)
   その通り。技法というものは、<道(タオ)>に反し、スワバーヴァに反
  している。いかなる努力も、スワバーヴァや<道>に反している。努力それ
  自体が<道>に反している。もしすべてを、スワバーヴァに、<道>に、自
  然にゆだねることができたら、何の技法もいらない。これこそが究極の技法
  だ。
  
  もしすべてを<道>にゆだねることができたら、それより深い明け渡しは存
  在しない。それは、自分自身の明け渡しであり、自分の未来、自分の可能性
  の明け渡しだ。
  それはまさに時間の明け渡しであり、あらゆる努力の明け渡しだ。それが意
  味するものは、無限の忍耐であり、待機だ。
  
  もしすべてを自然に対して明け渡せたら、もはや努力はない。何もせず、た
  だ浮かんでいるだけだ。それは深いゆだねだ。物事はあなたに起こる。あな
  たはそれに対し何の努力もしていない。
  
  追求すらしない。もし物事が起こるならそれでいいし、起こらないならそれ
  でいい。
  そこに選択はない。何であれ起こるものは起こる。そこに期待はない。もち
  ろん挫折もない。
  生は流れ、あなたはその中に流れ込む。到達点も、目的地も、理想もない。
  達成すべき物は何もない。いっさいは明け渡されている。
  
  明け渡しをすると、今この瞬間に、すべてはあなたに起こる。努力は時間を
  必要とするが、明け渡しに時間はいらない。技法には時間が必要だが、明け
  渡しに時間はいらない。
  だからこそ私は、それを究極の技法と呼ぶのだ。それは非技法だ。それは実
  践できない。明け渡しは実践できない。もし実践したら、それは明け渡しで
  はない。
  
  実践するということ、それは自分自身に頼るということだ。あなたは全面的
  に無力ではなく、何かをしようとしている。たとえそれが明け渡しであって
  も、依然それは行為だ。すると技法が現れる。そして技法とともに、未来が
  現れる。
   
  明け渡しとは非時間的なものだ。時間を超えている。明け渡せば、その瞬
  間、あなたは時間の外に出る。そして起こり得るものすべてが起こる。しか
  しそのとき、それに対する追求はない。探究も、貪欲もない。それに対する
  心配はいっさいない。それが起ころうと起こるまいと、あなたにとってはま
  ったく同じだ。
  
  <道>とは明け渡しを意味する。スワバーヴァヘの、自然への、明け渡し
  だ。そしてあなたはいなくなる。 
  タントラやヨガは技法だ。それを通じてあなたはスワバーヴァに到達する。
  でもそれは長い道程だ。どの技法によっても、究極的には明け渡すことにな
  る。しかし技法の場合、明け渡しは最後にやってくる。
   
  <道>の場合、それが始めにやってくる。もし今この瞬間、明け渡せるので
  あれば、何の技法もいらない。しかし、それができなかったら、そして私に
  「どうやって明け渡すのか」と尋ねるようなら、そのときには技法が必要と
  なる。
  
  稀に、何百万にひとり、「どうやって」と尋ねることなく明け渡しできる人
  がいる。「どうやって」と尋ねるようであれば、あなたは明け渡しできるタ
  イプの人間ではない。「どうやって」と尋ねることは、技法を求めること
  だ。
   
  こうした技法は、この「どうやって」を捨て去れない人間のためにある。こ
  うした技法は、「どうやって」というこの根本的な懸念を捨て去るためにあ
  る。
  
  「どうやって」と尋ねることなく明け渡せるならば、何の技法もいらない。
  でもそんな人間は私のもとにやって来ない。そんな人間はいつでも明け渡し
  できる。明け渡しに教師はいらない。教師には技法しか教えられない。
  
  そもそも探求というのは、つねに技法の探求だ。どんな探求も技法の探求
  だ。誰かのもとへ行って何かを尋ねることは、技法や方法を求めることだ。
  さもなければどこへ行く必要もない。そもそも探求するということが、技法
  に対する深い要求を示している。こうした技法はあなたのためにある。
  
  だからといって、技法なしでは起こらないというわけではない。技法なしで
  も起こる。しかしごく少数の人々にしか起こらない。こうした少数の人々も
  じつはまれな人間だというわけではない。過去生で技法と格闘してきたの
  だ。
  
  格闘してきたからこそ、それにうんざりし、飽き飽きしている。いつか飽和
  点というものがやって来る。繰り返し「どうやって、どうやって」と尋ねて
  いると、究極的に、その「どうやって」は落ちる。すると明け渡しができる
  ようになる。
  
  どんな道においても、技法は必要だ。クリシュナムルティのような人間なら
  「技法はいらない」とも言えるだろう。ただし、今生が彼の最初の生だとい
  うわけではない。
  彼もまた過去生では、そんなふうには言えなかったはずだ。また今生でも、
  いろいろな技法が彼に与えられ、彼はそれを実賎してきた。
  
  技法によって、ある点に達すると、明け渡しができるようになる――いっさ
  いの技法を捨て去り、「ただ在る」ことができるようになる。しかしそれも
  技法によってだ。
  
  それは<道>に反している。それはあなたが<道>に反しているからだ。だ
  からあなたには矯正が必要だ。<道>の中にいる人間に技法はいらない。健
  康な人間に薬はいらない。薬はすべて健康に反している。でもあなたは病気
  だ。だから薬がいる。
  
  この薬はあなたの病気を殺す。薬が健康をもたらすわけではない。病気が除
  去されれば、あなたに健康が起こる。どんな薬も健康をもたらしはしない。
  基本的に、薬はすべて毒だ。しかし毒をためこんでいる人間には、何らかの
  解毒剤が必要だ。それによってバランスがとれ、健康になれる。
              
  だからべつに、技法によって神性がもたらされるわけでも、自然がもたらさ
  れるわけでもない。そうではなく、自己の「自然」のまわりに掻き集められ
  たものが破壊されるのだ。それは条件づけの解除だ。
  
  あなたは条件づけられている。だから今すぐには明け渡しの中に飛び込めな
  い。もし飛び込めたら問題ないが、実際、あなたは飛び込めない。あなたの
  条件づけは「どうやって」と尋ねる。それで技法が役に立つ。
  
  <道>に生きている人間には、ヨガも、タントラも、宗教もまったくいらな
  い。完璧に健康な人間には、何の薬もいらない。宗教とはすべて医薬的なも
  のだ。世界が全面的に<道>に生きるとき、宗教は消え失せる。どんな教師
  も、どんなブッダも、どんなイエスもいらない。なぜなら誰もが一個のブッ
  ダとなり、イエスとなるからだ。
  
  しかし今現在のあなたには、技法が必要だ。こうした技法は解毒剤だ。あな
  たは自分のまわりに複雑なマインドを作り出している。それであなたは、聞
  いたことや、与えられたことを、なんでも複雑なものにしてしまう――より
  複雑なもの、より難しいものにしてしまう。
  
  例えば私が「明け渡しなさい」と言えば、あなたは「どうやって」と尋ね
  る。また「技法を使いなさい」と言えば、「技法だって?技法は<道>に反
  するではないか」と尋ねる。あるいは「何の技法もいらない。ただ明け渡し
  なさい、そうすれば神はあなたに起こる」と言えば、すぐさま「どうやっ
  て」と尋ねる。これがあなたのマインドだ。
  
  もし私が「<道>とはまさに今・ここだ。何も実践しなくていい。ただひと
  飛びに明け渡しなさい」と言えば、あなたは「どうやって、どうしたら明け
  渡せるのか」と尋ねる。そこで私が技法を与え、その「どうやって」に答え
  ようとすると、あなたのマインドは言う、
  
  「でも方法や技法というものは、スワバーヴァに、<道>に反するではない
  か。もし神性が私の本性であるならば、どうしてそれが技法を通じて達成さ
  れるだろう。もしそれがすでに存在しているなら、技法は無益で無用だ。な
  ぜ技法で時間を無駄にするのか」……。
  このマインドをごらん!  
  
  かつてこんなことがあった。ある娘の父親が、作曲家のレオポルド・ゴドウ
  スキーを家に招待し、娘のピアノを見てくれるよう頼んだ。そこでゴドウス
  キーはその家を訪ねた。そして辛抱強く娘の演奏を聞いた。娘が弾き終わる
  と、父親は顔を輝かせ、嬉しさに涙を流しながら、「どうです、すばらしい
  もんでしょう」とゴドウスキーに尋ねた。
   
  ゴドウスキーはこう言ったそうだ、「まったくすばらしい。驚くべき技巧を
  お持ちです。今だかつて、こんなに簡単な曲をこんなに難しく弾く人には、
  お目にかかったことがない。まったく驚くべき技巧だ。こんなに簡単な曲を
  こんなに難しく弾くなんて!」        
  
  これこそあなたのマインドにいつも起こっていることだ。ごく簡単なもので
  も難しくしてしまう。自分自身で難しくする。そしてこれはひとつの防御手
  段だ。なぜなら、困難なものにしてしまえば、する必要がなくなるからだ。
  つまり、まずその問題の解決が先決であり、実行は後まわしにされる。
   
  もし私が「明け渡しなさい」と言えば、あなたは「どうやって」と尋ねる。
  私がその「どうやって」に答えなければ、どうして明け渡しできるだろ
  う……。
   
  また、私が技法を与えたら、あなたのマインドはすぐに新たな問題を作り出
  す。「なぜ技法が必要なのか。スワバーヴァが、<道>があるではないか。
  神は私の内にある。だとしたら、なぜそんな努力が必要なのか」。このこと
  に答えが与えられないかぎり、何もする必要はない、というわけだ。
  
  こういう問題は、いつまでもいつまでも続けていられる。だから、どこかで
  それを断ち切り、そこから出てくることだ。決断をもって実行する。どちら
  の道を通っても、きっと明け渡しは起こる。もし今この瞬間、明け渡せるの
  なら、それでいい。もしできなかったら、技法を通って行く。その訓練が必
  要だ。
  
  それが必要なのは、あなたのためだ。スワバーヴァのためでも、<道>のた
  めでもない。<道>に訓練はいらない。訓練が必要なのはあなたのためだ。
  そして技法はあなたを破壊する。技法によって、あなたは死ぬ。そして最奥
  の本性は進化する。あなたに必要なのは、完全に粉砕されることだ。
  
  もしひと飛びに粉砕できるなら、明け渡すことだ。もしできなかったら、少
  しずつやる。技法を通じて働きかける。よく言っておくが、マインドは問題
  を作り出す。それは策略だ――決断を延ばそうとする策略だ。マインドが納
  得していなければ、延ばしても後ろめたく感じない
  
  「どうしようもないではないか。隅から隅までハッキリしていないかぎり、
  私に何ができるだろう」。マインドはあなたのまわりに雲を作り出す。そし
  てマインドは決してはっきりさせない−あなたが決断しないかぎり。
  
  決断とともに雲は消え去る。マインドはとても駆け引き上手だ。マインドは
  政治的だ。絶えずあなたをめぐって策を弄している。マインドはとても絞滑
  で抜け目ない。(中略)
   
  マインドというものは、いつもこのように働く。決してどちら側にもつかな
  い。というのも、もしどちらかの側についたら、何かをする他なくなるから
  だ。だからどちら側にもつかずに、ひたすら論議を続ける。決して何も決定
  しない。つねに中途にいる。
  
  何を言われようと、すべて論議し、決して決定には至らない。論議というの
  は無限に継続できる − 終わりはない。決断だけが行為をもたらす。そし
  て行為だけが変容となる。
   
  もし本当に内側の革命に関心を持っているなら、決断することだ。いつまで
  も延期してはいけない。あまり哲学的になってはいけない。それは危険だ。
  探求者にとって、それは危険だ。
  
  もしあなたが、本当に探求しているわけではなく、ただ時を過ごしているだ
  けなら、それでもかまわない。それはいいゲームだ。余裕のある人間には、
  哲学もいいゲームだ。でも私の見るところ、そんな余裕のある人間はいな
  い。なぜなら、それは時間の浪費だからだ。
  
  だから決断をする。もし明け渡せるなら、明け渡す。そうしたら、もはや
  「どうやって」はない。また、明け渡せなかったら、何かの技法を実践す
  る。技法によって初めて、明け渡しの起こる地点に達する。
  
  Love and Peace ハイアーセルフ33
  ***************************************
  スピリチュアルメッセージ活用研究会
  Eメール haruhi33@nify.com
  URL  http://homepage2.nifty.com/haruhi33/
  ***************************************
----------------------------------------------------------------------

(-_-;)

なるほど。

ハイアーセルフ33さん、の気持ちも分かる。

これは、途中で切れなかったかもね。

わたしみたいに、いつまでもいつまでも、マインドの指示に従っているような
人間には、じつに、耳の痛い話です。

  「どうしようもないではないか。隅から隅までハッキリしていないかぎり、
  私に何ができるだろう」。マインドはあなたのまわりに雲を作り出す。そし
  てマインドは決してはっきりさせない−あなたが決断しないかぎり。
  
  決断とともに雲は消え去る。マインドはとても駆け引き上手だ。マインドは
  政治的だ。絶えずあなたをめぐって策を弄している。マインドはとても絞滑
  で抜け目ない。(中略)

この“絶えずあなたをめぐって策を弄している”のが「わたし」だとしたら、
“あなたが決断しないかぎり”の「あなた」とは誰なのかなぁ。(-_-;)

  もしあなたが、本当に探求しているわけではなく、ただ時を過ごしているだ
  けなら、それでもかまわない。それはいいゲームだ。余裕のある人間には、
  哲学もいいゲームだ。でも私の見るところ、そんな余裕のある人間はいな
  い。

だって……。

……、久しぶりに和尚の声を聞いた。

ハイアーセルフ33さん、ありがとうございました。m(_ _)m


         …………○…………○…………○…………


▼相互紹介 コーナー
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼やったあ!毎日5分でWEBクリエイターになれる!
http://www.mag2.com/m/0000113225.htm
ネットビジネスのための一口メモ。さらりと読める今日のヒントです。
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         …………○…………○…………○…………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 5.編集後記:
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じつは今日、東京の飯田橋で行われたあるNBのセミナーに出席してきました。

正印さんという講師の方のお話は、現在の日本経済の状況から始めて、なかな
かの熱い内容でした。

来年2006年に日本進出を予定しているというそのNBは、日本ではまだほ
とんど存在を知られていないそうですが、非常に政治力のある会社らしく、去
年「TIME」誌の両面の表紙に広告が載って以来、アメリカでは去年ナンバ
ーワンの伸びで、一年で五万人を超える流通を起こしたそうです。

日本では、今年の春頃からブームになるだろう、と言っていましたが。

ご興味のある方がいらっしゃったら情報をお送りします。
paritosho@dream.email.ne.jp

あるいは、直接ML(無料)にご参加いただいてもいいですし。
http://carryon-w.com/wsc5/?ID=79557081&PG=pg1

まだしばらく“奮闘”しなくちゃならなくて。(^^;)

というわけで今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

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17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
------------------------------------------------------------------

<(_ _)>

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作 者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: paritosho@dream.email.ne.jp
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