home > 通信 > 『アセンション館通信』 第64号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.064 2005, 5/15(第64号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension.html
このページ↑をご覧ください。

また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension_m.html
このページ↑をご覧ください。

これまで地球の次元上昇サポートを背後支援に絞ってこられたETの方々が、
ファーストコンタクトに向けて国勢調査を開始されました。
https://www.ascensionkan.com/demae/ET_message.html
ここ↑をご覧ください。

要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か7年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変を通過して、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

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◇◇ もくじ ◇◇

1.多次元と意味

2.最初からやり直すとは?

3.いただいたお手紙から:ご意見・ご感想(随時)

4.みなさまからの「ご投稿・情報提供」(随時)

5.編集後記:地球さんが苦しんでいるとしたら……
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■ 1.多次元と意味
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さあ、今日はなんだか“わたし好みの話”を展開しようかなぁ、なんて気分に
なっています。(^^)/

少しずつ身体も動き始めたし。

気力充実。

目の前の天気は、まだちょっと一向にはっきりしないんだけど、

あのね、昨日後ろの家の方に教えていただいて、初めて我が家の敷地で孟宗の
筍(たけのこ)を取ったんです。(*^_^*)

真竹(まだけ)はこれまでも何度も取ったことがあるんですけどね……。

孟宗の方は、これまでは例年お隣のおじさんにいただいていました。

ところが、この頃おじさんはすっかり身体が動かなくなってしまって。(;_;)

それにこのところ猪が毎晩のように出ているので、筍もまったく見当たらなか
ったんですよね。

うーん、取り立ての新鮮な孟宗の味。

柔らかくて、甘くて、香り立って……、やはり特別ですね。(^-^)

それで、あと二つ残っているんです……明日かな、明後日かな。^^;

いま、猪との取り合い。(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”にお付き
合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有のお時間の中で、いかがお過ごしでしょうか?

身体が動き始めたのに、お米の苗がまだなものですから、その間に西側の間道
下の“釣瓶落とし”に階段を付けました。

以前は、薄暗い“ゴミの墓場”みたいだった“釣瓶落とし”が、じょじょに開
けてきて段々明るくなってきていたのが、今では「階段」までついちゃって。

嬉しいものだから、ついつい何度も昇ったり降りたりしています。

われながら、バカだねぇ。(-_-;)

(^^)

それでね、(ちょっと大袈裟に、上の間道と下の枯れ沢の間を)昇ったり降り
たりしているうちに、“別の世界に行く”という連想が働きました。

“異次元”、というとめちゃ大袈裟なんだけど、いろいろな世界がありますよ
ね。

“異次元”が集まると、まあ、“多次元”でしょ。(^_-)

いろんな世界。

“間道”と“枯れ沢”なら両方とも五感の世界で、別に異次元じゃないけど、
それだって、わずかの距離の違いで、あたりの風景はけっこう変わります。

見える“風景”が変われば、“印象”も変わるし、“気分”も変わる。

これが、通常“精神世界”で「多次元」って言ったときには、それぞれの次元
の中では“世界”からキャッチする“印象”とか“情報”もまるで波動帯が違
うわけですよね。

どこまで行っても変わらない“本質的なもの”もあるだろうけど、少なくとも、
ストーリーは変わる。

ストーリーが変わったら「意味」は変わるんだよね。(@_@)

ストーリーって、まあ、「記憶」のことでしょ。

ほら、最近の韓流ドラマの流行の先駆けとなったかの有名な「冬のソナタ」っ
てドラマの中では、ヨン様演じるところの男性の記憶が失われたり回復したり
する目まぐるしい転変によって、「意味」が変わり、それに伴って状況に対す
る理解が変わり、登場人物の“感情”が変わるわけじゃない。

(ところでさ、韓国ドラマって“記憶喪失”が好きだと思わない? (^_-) )

「記憶」が変われば“過去”が変わるから、当然“過去”の“立場”に基づい
たストーリーは変わるわけで、そのストーリーの中での“現在”の「意味」は
変わることになる。

てことは、「意味」っていうのは、「記憶」の中の“過去”に基づく“立場”
があってこそのもの、ということだよね。

こんなこと、言うまでもないことかもしれないけど。

つまり、“ストーリー”の中での“立場”が変われば、「意味」は変わるって
こと。

もっと言うと、“ストーリー”の中での“立場”という根拠がなければ「意味」
は存在できないわけ。

ある“ストーリー”の中で、ある“立場”を取ったとき、はじめてその“スト
ーリー”内での「意味」が生まれる。

ここで、話を「多次元」に戻すと、“ストーリー”の中での“立場”というの
は二重のフォーカスということになると思うのね。

大雑把に、“ストーリー”というのを“ある次元環境”ということにすると、
“立場”というのはその環境の中の位置だよね。

“ある次元”の中の“ある個人”という「二重のフォーカス」を根拠(=底)
にして、はじめて「意味」は存在できる、と。(-_-;)

つまり、「意味」というのは、“ある世界”の“ある立場”にフォーカスして
はじめて存在できるものだということだ。

なんだか、堂々巡りみたいだけど。^^;

まあ、「意味」という言葉をもう少し拡大解釈することもできる。

“ある次元(=文脈)”の中での“ある個人(=立場)”にフォーカスすると
当人の中で自然発生的に生まれてくる「意味(=感情的反応)」、というのが
標準的な意味だとすると、それとはちょっと違う「意味」もあるかも。

“ある次元(=文脈)”内の“ある個人(=立場)”が、“別の次元”または
“別の次元内のある個人”を思いやることによって発生するような「意味」。

たとえば、アヌンナキが地球牧場に対してある意図とか感情を持ったとか、ま
たは、観音様が衆生の声を聴いてある感情を発露したとかいう感じ。

まあ、しかし、いずれにしろ、「意味」が存在できるためには、“ある次元”
内の“ある個人”という根拠(=底)がどうしても必要らしい。

うん。(-_-;)

(@_@)

え。

何が何やら、ちんぷんかんぷん? (それとも……) ^^;

ああ、そうか、独り言をやってた? (*^_^*)

ええとね、“釣瓶落とし”に作った階段を昇り降りしているうちに、それまで
まったく行き来のなかった“別世界”と「階段」(というか、新しく設定され
た「道」)を通して行き来が起こるかな、なんてことに連想が行ったわけ。

そうすると、包含の小さい方の“世界”でそれまで安定していた「意味」が、
一度崩れて、一種の編成替えが起こる……なんてことがあるんだろうって、思
ったのね。

で、「意味」に対する“許容範囲”が大きくなって、どの“世界”の「意味」
をもある程度受け容れられるようになったら、今度は、その「意味」のグリッ
プ自体が弱まるというか、その分だけその「意味」に捕らえられている程度が
弱まるのかな、と思ったわけ。

自分が抱えている「意味」自体が相対化されるんだろうな、と思ったのね。

――あんた、そう思うたか?

――うん、思うた。

さっき、「意味」っていうのは、「記憶」の中の“過去”に基づく“立場”が
あってこそのもの、って言ったけど、この“過去”っていうのは、たまたまそ
の“立場”を時間的なニュアンスで展開する場合の言い方だよね。

空間的なニュアンスで展開すると、この“過去”に基づく“立場”っていう表
現は、“他人”の“立場”って言葉になる。

“過去”の「記憶」が変われば、という表現は、“別の他人”から見れば、と
いう表現になる。

なぜそういうことになるかというと、(まあ、いろいろな“精神世界本”がそ
う言っているから、ということもあるけど (*^_^*))

           <すべてはひとつである>

という“精神世界”唯一最大の“お題目”を敷衍すると、どうしてもそういう
ことになっちゃうんだよね。^^;

ね、わかるでしょ。(^_-)

乱暴に言うと、“過去”っていうのは出会ったことがある“他人”の意味。

“未来”っていうのは、まだ出会っていない“他人”の意味。^^;

で、あらゆる“立場”は、すべて“表現担当”だけが持てる「質」。

そしてあらゆる“表現担当”は全員、<永遠の今>の中にいるわけ。

昔から、「不生不滅。不垢不浄。不増不減」って言っている。

だから、“時間”は幻想なんだよね。あはは。

……こんなこと、言葉だけで言ってもしようがないんだけど。(-_-;)

だから<永遠>に異なる“表現担当”の“立場”を経巡って(=創造して)、
さまざまな“新たな”「意味」を担っても構わないわけだ。

どうせ、そうするわけだから。(^_-)

これがパラレルワールド(並行宇宙)の意味。

……でも、“束ね担当”の視点というのもある。

“束ね担当”は“立場”を持つことだけはできない。

“立場”がないから「意味」はありえない。

“束ね担当”は、ただ在るだけ。

だから、真に実在する者はただ在るだけ。

ただ、観ているだけ。

「意味」というものはない。

“精神世界”の言葉というのは、この“表現担当”と“束ね担当”の視点のブ
レンド。

匙加減。

「無(意味)」の中から、ざまざまな「有=意味」が生まれてくる。

その中に、歓びも、悲しみもある。

應無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)

まさにじゅうするところのうして、しかもそのこころをしょうずべし

<全体>に「意味」はないけれど、“個別”の中には常に「意味」がある。

“個別”の「意味」の中に「苦」がある。

“個別”があると思う幻影(「意味」)の中に「苦」がある。

これが「苦諦」。

“個別”が<全体>の「無意味」に安らぐことができれば……。

<全体>という「無意味」の海に消えることができれば。

m(_ _)m


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■ 2.最初からやり直すとは?
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ええと、また久しぶりで、光(ミカエル)さんからご質問をいただきました。

光(ミカエル)さんは、わたしを喜ばせるために、ときどき頃合いを見計らった
ように質問をしてくださいます。^^;

----------------------------------------------------------------------
 突然失礼します。
 神対3巻78ページをできるだけ詳しく説明して欲しいです。
 お願い致します。
 自分自身になるとは?最初からやり直すとは?
 一体どういうことですか?
 進化して進化して進化しまくったずーと後はどうなるのですか?
 またそのずーと後はどうなるのですか?
 またマスターになったずーとずーとずーと後はどうなるのですか?
 できるだけ詳しく教えてください。
 お願い致します。
 
 光(ミカエル)
----------------------------------------------------------------------

やはり、光(ミカエル)さんは、いつもの通り、途方もない先のことが気になる
ようです。

たぶん、間近に迫った心配事がないのでしょうね、そんなに遠い先のことが心
配になるのは。^^;

ところで、“神対3巻78ページ”というのはこの辺のことでしょうか。

----------------------------------------------------------------------
 エネルギー上昇の経験はじつに崇高なものだ。
 知ればたちまち、欲しくてたまらなくなる。
 しかし、エネルギーの下降、つまり基本的な情熱への飢えも完全には忘れな
 いし、忘れるべきでもない。
 何度も言ったように、あなたがたの経験のなかでは、低いものがなければ高
 いものは存在しないのだから。
 いったん高く上ったあとで、また上る喜びを経験するには、下へ戻らなけれ
 ばならない。
 これが、すべての生命の神聖なるリズムだ。
 身体のなかのエネルギーの移動だけではない。
 神の身体のなかの、もっと大きなエネルギーの移動も同じだ。
 あなたがたは低次元の身体に宿り、つぎに高次の意識へと進化する。
 神の身体のなかでエネルギーを上昇させているのだ。
 あなたがたはそのエネルギーだ。
 最高の状態に到達すると、エネルギーをあますところなく経験できる。
 それからつぎの経験を選択し、それを実現するために相対性の領域のどこか
 を選ぶ。
 もう一度、自分自身になる経験をしたいと思うかもしれない。
 じつに偉大な経験だからね。
 そのときは、宇宙の車輪の上でまた、はじめからやり直すわけだ。
 
 それは、「因果(カルマ)の輪」と同じものですか?
 
 いや。「因果の輪」などは、存在しない。
 あなたがたが想像しているようなものはない。
 多くのひとはそれを、車輪ではなくてハツカネズミが回す車のようなものだ
 と思っているね。
 過去の行動に対して代償を支払い、これ以上の債務を負わないようにがんば
 らなければならないと考えている。
 それが、あなたがたの言う「因果の輪」だ。
 西欧諸国の神学とそう変わらない。
 どちらのパラダイムでも、あなたがたは価値のない罪人で、霊的なレベルを
 上げるために罪を浄めなければならないとされている。
 ところが、わたしが説明した経験、「宇宙の車輪」と呼ぶものには、価値の
 ないものなどなく、債務の償いもなく、懲罰も、「浄化」もない。
 宇宙の車輪は究極的な現実を説明しているだけだ。
 宇宙論といってもいい。
 それは生命のサイクルであり、わたしがときどき「プロセス」と呼ぶものだ。
 はじまりも終わりもないものを指す言葉だよ。
 すべてのものを結ぶ道であり、その道を通って、魂は永遠のなかで楽しい旅
 をする。
 これがすべての生命の神聖なリズム、あなたがたが神のエネルギーを動かす
 リズムだ。
                    『神との対話(3)』(p77-78)
----------------------------------------------------------------------

いくら光(ミカエル)さんに質問されたからと言って、「神さま」の言葉をわた
しが“詳しく説明”するというのも、バカげておこがましいんですが (*^_^*)、
そこは、せっかくのありがたいチャンスを逃すようなタマじゃありません。

ここは、厚かましく行きましょう! (^^)/

で、眺めたところ、ここでニールさんを通して「神さま」がおっしゃっている
ことはじつに、坦々たる叙述という気がします。

そういうことなんでしょうね。

“一大遊園地”の経営者の観点だと思います。

北海道生まれのわたしは、子どもの頃、雪の降った冬の日には、よく放課後み
んなと一緒に“相撲場”と呼ばれていた川端の広場に出かけて、夕方まで橇滑
りをして遊んだ思い出があります。

そんなに長い距離でもない土手の斜面を、何度も何度も小さな橇を抱えて昇っ
ては、また滑り降りたものです。

毛糸の手袋をすっかり濡らして、しまいには寒さに唇を紫色にしてガクガク震
えながら、あたりが薄暗くなるまで、それでも止めたくなくて滑り降りていま
した。

橇を抱えて、斜面を登っては滑り降り、登っては滑り降りして、飽きることが
ありませんでした。

別に誰に強制されたわけでもなかったんですけどね。

でも、今のわたしはあんなことをするかなぁ。(-_-;)

しないんじゃないかなぁ。

(@_@)

もっとも、“釣瓶落とし”に階段を作って、登っては降り、登っては降りして
ますけどね。(^^;)

“間道の下の懲りない面々”。(*^_^*)

橇滑りの場合は、滑り降りる(面白さを体験する)ために、橇を抱えて斜面を
登るんですけど……、

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 いったん高く上ったあとで、また上る喜びを経験するには、下へ戻らなけれ
 ばならない。
----------------------------------------------------------------------
の場合は、生エネルギーの上昇を再体験するために、わざわざ一度下に降りる
んでしょうね。

でも、誰に突き落とされるんでも、追いやられるんでもないと思いますよ。

----------------------------------------------------------------------
 しかし、エネルギーの下降、つまり基本的な情熱への飢えも完全には忘れな
 いし、忘れるべきでもない。
----------------------------------------------------------------------

最後の“上昇”を再体験したいばっかりに、もう一度あえて下のチャクラの歓
びから始めてみたくなるんでしょうね。

でも、橇滑りの小学生と同じで、別に他の誰に強制されたわけでもないと思い
ます。

> 自分自身になるとは?最初からやり直すとは?
> 一体どういうことですか?

まあ、文字の説明にすぎませんが、ここでいう“自分自身”というのは「神」
のこと、全知全能である「神」の意識の位相のことだと思います。

双六の「上がり」まで行ったので、また最初からやってみたくなるという、そ
れだけのことでしょうね。

光(ミカエル)さんが、(現在は)ほとほとこの世にうんざりして、もう二度と
生まれて来たくはない、と思っているのと同じことだと思います。(^^;)

ところがたいていの“精神世界本”が言うところによれば、“もう二度と生ま
れて来たくはない”という状態で肉体を離れると、どうやら、またどうしても
肉体に戻って、“もう二度と生まれて来たくはない”という意識状態を正式に
卒業したい、と思うものらしいですね。^^;

こればかりは、当の自分が思うことなので、そしてこの宇宙は本人の“心から
の願い”を叶えるための場所なので、どうしようもないらしいです。

もし、そういうことがどうしても嫌だと思うのなら、何が何でもこの現在の状
況から逃げ出したいというその心境を、どうすれば“正式に卒業”できるのか
をお考えになったらいいかもしれません。

> 進化して進化して進化しまくったずーと後はどうなるのですか?
> またそのずーと後はどうなるのですか?

「どうなる」ということはないと思います。
“進化して進化して進化しまくった”のですから、そこではすべては自覚的な
自己決定だと思います。

たとえ、またすべてを“忘れる”ところからゲームを始めてみたいと思ったに
したところで。

たとえば、EOさんなどは、けっして現象宇宙に姿を現すことなく、“宇宙の
片隅の暗闇から”この現象宇宙の成り行きを眺めている意識体になるそうです
が、それが心からの願いなら、当然、そうなるだろうと思います。

> またマスターになったずーとずーとずーと後はどうなるのですか?
> できるだけ詳しく教えてください。

たぶん、マスターになった光(ミカエル)さんお決めになると思います。

少なくとも、マスターになった光(ミカエル)さんは、わたしなどに、どうなる
のかできるだけ詳しく教えてください、とはおっしゃらないでしょう。

それがマスターになるということでしょうから。

m(_ _)m


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■ 3.いただいたお手紙から:ご意見・ご感想(随時)
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お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:paritosho@dream.email.ne.jp
まで、お願いします。

勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


       …………○…………○…………○…………


前号で何というつもりもなく「1999年7の月」という言葉に触れたのです
が、今回その言葉にちなんで、みろくさんという方からメールをいただきまし
た。

みろくさんは、現在ノストラダムスを研究されていて、その研究の成果をここ
でシェアしてくださっています。

研究の結果、みろくさんは「1999年7の月」が「西暦2012年9月」を
具体的に意味する、と確信なさっているそうです。

そうだとすると、この2012年周辺にいろいろな予言・預言が重なってきま
すね。

では、みろくさんからのメールです。

----------------------------------------------------------------------
 > でも、一方には、1999年7の月の「ノストラダムス預言」みたいなも
 > のがあったわけです。それがいったん解除されて、いまは2012年とい
 > うのが流行っているけど。
 
 昨年からノストラダムスを研究している者です。
 
 「1999年7の月」というのはいろいろな意味をノストラ
 ダムスはもたせていると思われますが、西暦2012年9月で
 あると私は考えています。
 したがって、ノストラダムスの予言はまだ解除されていません
 。パリさんは預言とおっしゃっていますね。預言とは神から授
 かった予言を指します。神の計画にくるいはありません。
 
 10章96番では・・・
 海の名を持つ宗教が勝利する
 アダランカティフの修道士の宗派に
 哀れむべき頑固な宗派に畏敬の念を抱く
 アレフとアレフのとき、傷ついた二人の人物を
 
 番号からすると1996年と関係があるようです。
 1行目から3行目と4行目とは矛盾しているようです。
 なぜでしょうか?
 
 1999年を分解すると「1」と「999」です。
 ヘブライ語はカバラでは数を表わします。1はカバラではアレ
 フ(aleph)です。
 1は海の名を持つ宗派を意味するのでしょう。
 アダランカティフの修道士の宗派を海の名を持つ宗派が打ち負
 かす(逆転)ので「666」が「999」となるのでしょう。
 「6661」を逆転すると「1999」となります。
 どうですか?このことから、「6661」では前3行と4行目
 の詩が分離していると言えます。
 
 死海文書には1人の予言者・イスラエルのメシア・アロンのメ
 シアが予言されています。
 一人の予言者とは第7の天使ミカエル(7の月、アンゴルモア
 の大王から解読)、イスラエルのメシアは海の名を持つ宗教、
 アロンのメシアはアダランカティフの修道士の宗派のことでし
 ょう。
 日本は海に囲まれているので日本の宗派もしくは日本の団体で
 しょう。
 アダランカティフの修道士の宗派とは「666」、フリーメー
 ソンです。また13という数字はフリーメーソンを象徴する数
 字です。ヨハネの黙示録の13章に「666」が出てきます。
 フリーメーソンは日月神示ではイシヤと表現されています。
 ピラミッドを建造したメンバーから発祥したようです。
 1ドル紙幣には13階段のピラミッドがあります。ほかにも1
 3という数字が隠されているようです。
 
 ノストラダムスの遺言書には3と13という数字が隠されてい
 ます。
 3は海の名を持つ宗教、13はフリーメーソンを表わしていま
 す。
 1996+3=1999
 1999+13=2012
 3と13が手を組む(一緒になる)のは2012年なのです。
 そして2012年の危機を乗り越えるのでしょう。
 alephを二つがあるのは、いずれ統合するので同じ名を設けた
 という意味もあるのでしょう。
 またalephには1000年という意味も持たしてあります。
 イエス・キリストが生まれたのはAC4年という説が有力です。
 そこから1000年+1000年で、BC1996年となりま
 す。
 1996年は2000年という意味があります。
 このとき、メシア(一人の予言者)が登場します。
 また1999年7の月というのも、1999年いっぱいと7の
 月と考えると2000年7の月です。
 したがって、1999年7の月というのは2012年7の月な
 のです。
 
 10章96番では・・・
 海の名を持つ宗教が勝利する
 アダランカティフの修道士の宗派に
 哀れむべき頑固な宗派に畏敬の念を抱く
 アレフとアレフのとき、傷ついた二人の人物を
 
 前3行は2012年を表わし、4行目は1996年を表わして
 います。
 1996年は二つの団体は傷つけ合っている(争っている)の
 でしょう。
 4行目を2012年に変換してみましょう。
 
 10章96番では・・・
 海の名を持つ宗教が勝利する
 アダランカティフの修道士の宗派に
 哀れむべき頑固な宗派に畏敬の念を抱く
 アレフとアレフのとき、二つの宗派が握手をする
 
 5章53番
 太陽の法と金星は競う
 予言の霊を使い
 どちらも相容れることなく
 大いなるメシアの法は 太陽によって維持されるだろう
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わたしの頭ではちょっと追従しかねる面もあるのですが、みろくさんの中では
すべてが整合性を持っているのだろうと思います。

何はともあれ、ノストラダムスさんにも保証されて、2012年の9月は、い
よいよ、地球人がすべてアセンションしなければならない時節のようですね。

みろくさん、サポートありがとうございました。m(_ _)m


       …………○…………○…………○…………


今回、kichi さんからも応援メールをいただきました。

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 pariさんご無沙汰しております、kichiです。ご機嫌いかがでしょうか?
 
 どうやらここ数回のメルマガを拝見した限りでは、これほどの筋金入りの文
 章家であるpariさんにまで影響が及んできているようですね。
 
 私(やA.Oさん?)としては当初の目論み通りになったぜ!とほくそ笑みた
 いところなんですが、私もはやそんなことさえもどうでもいいような状態に
 なっております。
 だいぶ「頭」のお喋りができにくい状態がすすんできてるといったところで
 しょうか。
 
 > 豆乳に、一滴の(といっても六万人か)“ニガリ”が投じられると、地球
 > 人類全体が一挙に豆腐になるんだ。(^^)/
 
 相変わらずpariさん流絶妙な表現で、素晴らしいですね〜。
 
 世間でよくいわれている2012年に地球が5次元(?)の光の世界に突入
 して物質や肉体が存在しなくなるなんてことはありえないと私は思っていま
 す。
 また宇宙存在などによる目に見える直接介入というのもない。
 見た目には単なる7年後の世界があるだけ。
 ただし人間の頭の中だけはこれまでの人類の歴史でも想像だにしなかった変
 化が起きている。(ただ人間本来の状態に戻るだけともいえそうですが)
 pariさん言うところの『“部分最適化系”の崩壊』をその時点では全人類が
 知ることになるのだと思っています。
 
 過去様々な存在が愛を説いたり、心の扱い方を説いたり、最近では社会をこ
 う変えたらどうだと提言したりなどということもありました。
 もちろんそれらにはそれなりの成果があったのでしょうが、それでも圧倒的
 多数の人間は相も変わらず何千年も「聞く耳もたずの状態」ではなかったか
 と思われます。
 そのため目に見える劇的な変化も生まれなかったと。
 
 そしてついに・・・。
 誰が2012年という期限を設定したのかはわかりませんが(まあ誰がって
 いうことはないと思いますけど)、このタイムリミットにむけて、これまで
 の精神世界から考えても禁じ手といってもいいような手段、エネルギ−によ
 るハードウェア転換という、多くの人から拒否反応をおこさざるを得ないよ
 うな、聞いてくれるべき耳がないんだったら反強制的に作ってしまえ的な究
 極的手段を、ついに最後の手段として人類の集合意識は生み出したのではな
 いかと思えるんですね。
 
 これはもしかすると間接的に地球に多くのサポートをしてくれている宇宙存
 在や高次元存在などからしても寝耳に水というか「えー!?そんなことして
 いいの〜?」っていうような方法であるのかも知れないなという気も最近は
 してきました。
 
 ただ、その時点で人間の意識が変わっていても、人間が自分の利便性のため
 に作り出したものでありながら、はや独自の意識やエゴを持って存在するよ
 うになってしまった社会システムの変革と(現状では社会システムに人間が
 動かされているような本末転倒な状況ですもんね)、さらにもっと長期スパ
 ンの問題でもある地球環境の回復という課題はその後も続いていくことにな
 るだろうということです。
 (このことは個人的におつき合いさせていただいている、ある人知を超えた
 存在の方から教えていただきました)
 
 でももはやそこには「国益」も「勝ち組」も「搾取」もないし、「抑止力」
 や「軍事費」だっていらないわけで、私はあなたであって地球全体でもある
 わけですし、「生存」や「労働」「しなければならないこと」も「してはな
 らないこと」からも開放されていますから、これは単に時間の問題にしかす
 ぎないなあという気もします。
 
 まあもちろん現段階では「そうなるだろう」と、「そうなったらいいなあ」
 が半々の状況ですが、9月以降になればもっとハッキリしたことも言えるよ
 うになっているか、はたまたそんなことを言ったりすること自体なくなって
 いるかどちらかだと思います。
 (言わんとすることがお解りですよね〜(^o^;)ゞ  )
 
 pariさんやその他多くの方におかれましては流れに身を任せつつ、今後起こ
 ることを興味深く見守って(見守ることしかできないようですから)いって
 欲しいなあと思います。
 まあまだまだいろんなところでいろんなことが起きるでしょうから当分いろ
 いろ乱反射もしていって欲しいと思っています。
 
 それではこのへんで、またメ−ルさせていただきます。kichiでした。
 
 PS 載せられることを意識して書いてますんで大丈夫ですよ
----------------------------------------------------------------------

> 世間でよくいわれている2012年に地球が5次元(?)の光の世界に突入
> して物質や肉体が存在しなくなるなんてことはありえないと私は思っていま
> す。

なるほど。(^^)

> また宇宙存在などによる目に見える直接介入というのもない。

はは、わたしは、ちょっとしたセレモニーを楽しみにしていたりして。(*^_^*)

> 見た目には単なる7年後の世界があるだけ。

ああ、いい、いい。

> ただし人間の頭の中だけはこれまでの人類の歴史でも想像だにしなかった変
> 化が起きている。(ただ人間本来の状態に戻るだけともいえそうですが)
> pariさん言うところの『“部分最適化系”の崩壊』をその時点では全人類が
> 知ることになるのだと思っています。

ああ、そういうのもいいなぁ。(^^)/

いい、いい、なんでもいい。

地球世界がアセンションしてくれさえすれば。

kichi さん、心強いメッセージ、ありがとうございました。m(_ _)m


       …………○…………○…………○…………


今回、虹わくさんから初めてのメールをいただきました。

虹わくさん、ご返事もしなくてご免なさい。_(_^_)_

この頃、すっかり無精を決め込んじゃって、もうそれでいいことにしています。

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 pariサマ。
 楽しいメルマガで貴重な情報をありがとうございます。
 前回のメルマガで紹介していただきました、カルキセンタージャパン「ワン
 ネス・悟りへの羅針盤」冊子とそのサイトで通販してた般若心経マントラ音
 楽をゲットしました。
 冊子の内容は丸ごと納得することはできませんでしたが、所々大変参考にな
 りました。
 マントラ音楽はずっと探していたタイプのものだったので大変感謝いたして
 おります。ありがとうございます。
 ところで、今回のメルマガにありました、「経済」についてですが、私も
 10数年前より、スピリチュアルや自然食、環境活動にはまった後、アセン
 ションのことを知りました。
 その当時の仲間にありがちだった、ポジティブシンキング〜自分の幸せだけ
 を追求するってな考えにはどうしても馴染めず(地域ときちんと理解を広げ
 て繋がれない限りどれだけ素晴らしいスピリチャルや環境や平和の活動をし
 ていても村八分にあう)自ら、一般的に現実社会と呼ばれるものと理想社会
 の夢の狭間に挟まれながら何とかその折り合いをみつけようと、せっかく手
 にした理想的な田舎暮らしから逆行して、一旦都会の真ん中に戻る経験を
 二度ほどしてます。(現在も再び都心に戻りまちとムラのつなぎ役を続けて
 ます。)
 再び戻った都会で苦悩の末に見つけた「光」があります。
 それは3年ほど前に出会った“スローライフ”と“パーマカルチャー”とい
 う考え方とデザイン技法。その実践普及活動に関わる複数の市民団体(エコ
 カルチャーなNPOやNGO)でじわじわと理想の社会づくりについて最近実感が
 わいてきたとこです。
 実際には主に農的暮らし、環境平和まちづくりのシンポジウムやワークショ
 ップ等のイベントにかかわることが多いのですが(…政治やビジネスなど
 一般的な社会にもその考え方を広げて行くことも含め)多岐に渡って大変パ
 ワーを要する活動を少ないスタッフで繰り広げてきた結果、私は心身の調子
 を崩してしまいました。
 現在団体の活動からは外れてますが。
 そのおかげで、一番重要な今ココにある自分の生活の中、養生生活の中から
 何処にいても誰でもできる地球の癒しについて実践研究にはまることができ
 ました。
 …と、とりとめのない文章になってしまいましたが、何をお伝えしたかった
 かと申しますと、もしもこのような考え方に興味がある方がいらっしゃった
 らと思い下記の情報をシェアしたいと思います。
 オルタナティブな暮らし〜経済について、みんなでいろいろ考えながらそれ
 ぞれで実践研究しているところです。
 ●スローライフデザイン 縁側ゆにっと
 http://www3.coara.or.jp/~nijiiro/e-u/
 ※前述のスローライフやパーマカルチャーについては、このサイトにある
 リンクをご利用ください。
 
 それでは
 
 ※養生生活中10年ぶりに手元に戻ってきた「プレアデス銀河の夜明け」を
 再読しつつ、アセンションを考えに含めた、都会でのスローライフを実践し
 ております。
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しっかりした責任感を持って頑張ると、“心身の調子を崩してしまう”という
ようなことがあるんですよねね。

(かといって、“口だけ”でもあまり実りはないんですが。^^; )

みなさん、虹わくさんが提供される情報に興味がある方は上のサイトにアクセ
スなさってみてください。

虹わくさん、情報提供、ありがとうございます。m(_ _)m


       …………○…………○…………○…………


久しぶりに hakima さんからメールをいただきました。

掲載されるとも意識していないみたいですけど、まあ、いいですよね。^^;

件名;愛が問う
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 おはよう  ☆(^。^)☆
 
 洗濯物を干していたときに思い出したんです。
 
 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
 
 > なぜ?相容れない男性と女性がこのように存在しているのでしょうか? 
 
 「うぅ〜ん…それは… 
 自分とは違う性を持ったものを 
 自分とは感性の違うものを 
 自分とは思考形態が違うものを 
 自分には理解出来ないものに対して 
 その違いを非難したり嘆いたりするためでなくて 
 自分には無いものを知りその違いを楽しむためなのかも? 
 それって「お互い様」をいい意味で学ぶと言うことなのかしら?」
 
 > 男性性(ロゴス)は破壊です。緊張です。刺激です。幼稚です。それは 
 > 方向性です 。女性性はなんですか?
 
 「女性性は・・・再生。開放。緩和。成熟。それは支点ではないでしょうか?」
 
 > ”感応”とはどういうことをさすのでしょう 。
 > 感応に届く要素とはなんでしょうね? 
 
 「自分というものがあると仮定して、相手を感じ、程よく応ずるということ
 なのではな いでしょうか」
 
 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
 
 このようなお話を、とある尼さんが30台の男性と
 
 話していらっしゃったのを思い出しました。
 
 ・・・今日、穏やかな一日の始まりとなりました。
 
 P・S
 
 件名を「ありがとう」と打ったつもりが、「愛が問う」
 
 に打ち間違えました。
 
 でも、偶然ですが、なんだかいい響きだったので
 
 そのまま送りました。
 
 「ありがとうと、愛が問う」
 
 偶然は必然?なんて、当たり前のことに、また感動。
 
 行ってきます!!
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hakima さん、遅蒔きですが、いってらしゃい。(^^)/

m(_ _)m


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■ 4.みなさまからの「ご投稿・情報提供」(随時)
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

「ご投稿・情報提供」フォームをご用意しましたので、
http://www.formzu.com/formgen.cgi?ID=872925
よろしければ、ここ↑からご投稿なさってみてください。

[名前(ハンドル名可)*]の枠内にご記入になったお名前を、
ここでの名前とさせていただきますので、よろしくご了承ください。


        …………○…………○…………○…………


ええと、続いて、hakima さんが興味深い情報を提供してくださいました。

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 こんにちは。
 
 最近、通信がサナンダ方面にシフトしていますね。
 
 このゴールデンウィークはいかがでした?
 
 今日は、以前から気になっているものに偶然出会いました。
 
 それは「学習性絶望感」というものなんですけどね、なんか、納得するもの
 があったのですよ。
 
 下の文を読んで、強弱の差こそあれ、人はこういう状況から抜け出そうとし
 てるところもあるんだなって思いました。
 
 (現状としての自分は、この文と共鳴する自体、自分の被害者意識を前面に
 出して楽しんでいる事に気がついていなかったようなのですが )
 
 考えてみたら、人間という生き物は、ほとんどが真理に対してこのような状
 況に置かれているんでしょうね。
 
 いやはや人というものは、可愛いような哀れなような面白い生き物です。
 
 そんなわけで、ちょっと自分を振り返ってみた記事でした。
 
 
     ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 
           「  学習性絶望感について  」
 
               動けなくなったイヌ
 
 人も動物も、希望を失って絶望すると、力を失ってしまいます。

 イヌをつかった動物実験です。
 イヌを縛りつけて電気ショックを与え続けます。
 どんなに努力しても、その苦しみから逃れることはできません。
 
 次に、そのイヌを別の部屋に連れていき、また電気ショックを与えます。
 ただし、今度は低い柵をジャンプして飛び越えれば電気ショックから逃げら
 れます。
 
 普通のイヌをこの部屋に入れると、最初はドタバタとしますが、すぐに電気
 ショックから逃げる方法を学ぶことができます。
 
 ところが、最初に電気ショックを受け続けたイヌは、この部屋に入ってまた
 電気ショックを受けたときには、ドタバタすることさえしません。
 ただ、うずくまり、じっと電気ショックを耐え続けるのです。
 
 このイヌは、自分がどんなに努力しても苦しみから逃れられないと学んでし
 まったのです。
 絶望してしまい、無力感に陥ってしまったのです。
 逃げるための努力をすることもできません。
 このような状態を「学習性絶望感」とか、「学習性無力感」と言います。
 
 客観的には、いくらでも逃げることができるし、その力があるように思える
 のですが、しかし、逃げることができません。
 低い柵があるだけなのですが、ジャンプすることができないのです。
 
 人間がジャンプさせようと思って後ろから押しても、動こうとはしません。
 力づくで無理やり引きずったり、抱きかかえるようにしないと動けなくなっ
 てしまったのです。
 
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
               絶望する人々
 
 学習性絶望感は、やる気を奪い、新しいことを学ぶ力を奪い、情緒的な混乱
 を生みます。
 これは、イヌだけに見られることではなく、他の動物にも、ヒトにも見られ
 ることです。
 
 学習性絶望感に陥って、戦場や災害現場で長時間座り込んで動けなくなる人
 もいます。
 やる気を失ってうつ状態になる人もいます。
 過酷な捕虜収容所などでは、体力を失うだけではなく、完全に気力を失って
 しまうこともあります。
 
 絶望のあまり、死んでしまうことすらあります。ベトナムの捕虜収容所で、
 こんなことがありました。
 その青年は、気力体力ともに充実し、捕虜の中でリーダーシップを発揮して
 いました。
 収容所長が、6ヶ月後の開放を約束し、青年は自由になれると確信していたか
 らです。
 
 しかし、約束の日が来ても、開放されることはありませんでした。
 彼はしだいにうつ状態になり、数週間後にはベッドにもぐりこみ、食事もと
 らなくなり、赤ん坊のようにトイレにも行けなくなってしまいました。
 仲間が励ましても、たたいても、彼は動きませんでした。
 
 そして彼は死にます。
 死んだときですら、他の仲間達よりもまだずっと体は丈夫そうに見えました。
 絶望が、彼を殺してしまったのです。
 
 以前、9才の女の子が誘拐,監禁されていた事件がありましたが、大人の男
 性から暴力を受け続け、その結果、学習性絶望感に陥ってしまったとしても
 不思議はありません。
 逃げることができそうに見えても、逃げる気力を奪われてしまったのでしょ
 う。
 
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
               負けないために 
 
        ( この言い方は私は気になりますが〜 )
 
 ところで、あのイヌの実験ですが、初めに電気ショックを受け続けたイヌが
 すべて学習性絶望感を持ってしまったわけではありません。
 同じ量の電気ショックを受けても、鼻先でボタンを押せば一定時間電気ショ
 ックがとまるという装置がついたイヌは、学習性絶望感に陥りませんでした。
 
 実験の結果わかったことは、電気ショックという苦しみの量自体が問題なの
 ではなく、努力は無駄だと感じてしまう体験が問題だということです。
 
 人間は、イヌとは違い自分自身の体験を様々に解釈できます。
 同じ苦しみを受けても、努力すればきっと何とかなると信じることができれ
 ば、苦しみに負けません。
 それに対して、一回の失敗、一つの苦しみでも、自分はいつもどんなことで
 もダメな人間なのだと思い込んでしまうと、学習性絶望感に陥るでしょう。
 
 9年間監禁されていた少女が、逃げることができなかった理由の一つとして
 学習性絶望感があったかもしれません。
 しかし、それでも彼女は9年間がんばり続け、精神の正常を保ち続けること
 ができたのです。
 
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
               学習性絶望感の治療
 
 心でも、体でも弱っているときは、まず休息が一番です。
 疲れるようなことをしてはいけません。
 本人が一番苦しんでいるのですがら、下手に励ますこともいけません。
 うつを和らげるクスリもあります。
 
 さらに、学習性絶望感の治療法として、つぎのような試みがあります。
 
 アメリカのある病院では、患者にわざと無理な命令をし続けます。
 患者が怒りだすまで続けます。
 そしてついに患者が怒りだすと、無理な命令をしていた人は自分の間違いを
 認め、謝るのです。
 
 こうして、努力して自分から働きかければ苦しみから逃げられることを学び
 なおすのです。
 自信が学習性絶望感を打ち消すのです。
 
 「自己主張訓練」という方法もあります。
 負け犬にならず、かといって食ってかかるようなこともせず、適切な自己主
 張ができるように練習し、実生活でも少しづつ試していく方法です。
 問題改善のために努力をしたり、必要があれば感情を表すことも学んでいき
 ます。
 
 どのような方法でも、基本的には無理をしないことが大切です。
 少しずつ自分のできるところから始めます。
 そしてすっかり元気になれば、また以前のように、激しいプレッシャーの中
 で難しい仕事もこなし、実力を十二分に発揮できるようになるでしょう。
 
  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 
 とまぁ、今日はこんなことに興味を見出していた私でしたぁ〜〜〜。
 
           いつも、ありがとう(^^)      
 
             ではまた。
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> そしてついに患者が怒りだすと、無理な命令をしていた人は自分の間違いを
> 認め、謝るのです。

って、面白いですね。(@_@)

なるほど、そこまでしないと治らない状態もあるんでしょうね。

あるいは、そこまですれば治る可能性がある状態というか。

hakima さん、情報提供ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


前号に続いて、ハイアーセルフ33さんからの連続投稿です。

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  「ただ在る意識」について
  
  バーソロミュー3 p67−72より(マホロバアート 
  http://www.mahoroba-art.co.jp/)
  
  *バーソロミューとは、女性チャネラーとテレパシーで交信している意識体
  につけた名称。以下バーソロミューからのメッセージ。
  
  ***************************
  
  ・・・・・。多くの人はこの三番目のレベルにいるしかないと思い込んでい
  るので、ここにとどまります。このレベルにしかいられないと思い込んでは
  いけません。じつは四番目のレベルに移行することも可能なのです。それを
  <ただ在る>状態と呼びましよう。これは自分の意識を意識そのものに向け
  るというレベルです。
   
  どうすればこの四番目のレベルに達することができるのでしょうか。まず最
  初の三つのレベルを深く自覚し、それから「肉体や世界や想念に意識を向け
  ているのは何なのか、誰なのか」と問うことです。
  
  最初の三つのレベルがそれぞれどのように感じられるか、ということに細心
  の注意を払えば払うほど、この四番目の<ただ在る>ことが自然に感じられ
  信じられるものになってきます。この集まりが終わる頃までには、<ただ在
  る>ことという意識のレベルも、肉体や現象界や思考と同じように、現実性
  をもつた意識のレベルとして考えられるようになってほしいと思います。
   
  昨日は、想念や感情の群れを記録してもらいましたが、そのほとんどは第三
  のレベルでの探求でした。このレベルには、じつにおびただしい数の感情や
  想念が存在します。第三のレベルの落とし穴は、人の気をまぎらわせて眠り
  に誘い込んでしまうことです。
  
  <ただ在る>ことへと移行しようとするときに、第三のレベルが誘惑をしか
  けてきます。そして<ただ在る>ことへ到達する方法を頭で理解しようとし
  たり、そうなったらどんな気持ちがするだろうかと考えたりします。
  
  さらに、他にもそのレベルが存在すると主張する者がいるだろうかとか、そ
  れについて本を読む時間があるだろうかとか、その体験を深めるのに役立つ
  セミナーをどうやって見つけたらよいか、などと考えたりします。そしてつ
  いには、第三のレベル特有の刺激的な華やかさに圧倒されて、第四のレベル
  の可能性がまた薄れてしまうことになります。
   
  この第四のレベルを招き入れるには、「そこに到達する方法は自分には思い
  もおよばない」ということを認めることです。そうしたあとで、<ただ在る
  >という意識のレベルが実際にあるのかどうかさえも確かではないという気
  持ちで、一切のこだわりを捨てます。
  
  「この意識とは誰なのか。何なのか。この意識を意識しているのは誰なの
  か」と問いつづけてください。これは、一度やれば終わりというものではあ
  りません。何度もくり返しやってください。
  
  そこで今日一日を過ごすなかで、自分がどのレベルにいるのかをつねに自覚
  していてください。泳いでいるときには、人は肉体のレベルを謳歌している
  のかもしれません。雑念に邪魔されず、過去や未来を思い悩むこともなく、
  純粋に肉体そのものになっている時の素晴らしい感覚を忘れないでくださ
  い。肉体の中にいる幸福感に満たされている時の方が、<ただ在る>という
  意識の状態に深く入っているのかもしれません。
   
  他人と関わっているときに、自分の中で何が起きているのかに注意を払って
  ください。自分の中にあるパターンや感情や思考の群れが頭をもち上げてく
  るでしょう。何か出来事が起きるのは第三のレベルです。
  
  今まで人が生きる活力を得たり、生きている実感を味わったりしてきたの
  は、この第三のレベルでした。けれどもそれは長続きしません。<ただ在る
  >ことから得る活力は永続します。そのパワーは永遠です。<ただ在る>こ
  とが与えてくれる力とは、喜びと幸福の状態にいられることです。
   
  そしてその状態を生むのは、第三のレベルで起こっていることを鋭敏な意識
  で観察し、まったくバカげたことでさえも、あるがままに完全に受け入れる
  態度です。自分の精神体や感情体を浄化しようとする必要はもうありませ
  ん。
  
  そのかわりに、このレベルを離れて、<ただ在る>という第四のレベルにす
  るりと静かに入っていこうと決心するだけでいいのです。ここで話している
  ことは、人は多くの選択肢を持っているという一例にすぎないのだ、という
  ことを理解してください。どのレベルにいるにしても、人は意識の持つ「大
  いなる光」に気づく能力を持っています。
  
  神には、人間にとつて第一、第二、第三のレベルが長いあいだ続くとわかっ
  ているので、そうした能力を贈り物として人の中に入れたのです。
  ところで、<ただ在る>というレベルは常に存在します。たとえあなたの人
  生が、どんなにつらく厳しく悩み多きものであつても、どんなときにも、<
  ただ在る>ことは可能です。
  
  人生があなたに微笑みかけ、あなたをほめたたえ応援してくれなければ第四
  のレベルにいられない、というわけではありません。人が第三のレベルで何
  をするかという問題は、私にとってはどうでもいいことです。第三の意識状
  態には、人を永遠に魅了し続けるだけのものがあります。第三の意識はそれ
  自体を栄養として生きつづけますが、人を″広大無辺さ″の中に高く押し上
  げる力は持っていません。
  
  この世のものとも思われない素晴らしい恋をしていても、夜の闇のなかで目
  覚めて、胸の奥にひそむ孤独感に気づくことがあるでしょう。昨日の宿題の
  目的に観察する目を持ってもらいたい、ということがありました。第三の意
  識レベルの様々な状況の中に置かれていても、内なる平安の場所に達する
  ことができるという感覚を持ってもらいたいということでした。
  
  何か今までと違うものがあったと報告した人が何人かいましたが、それが何
  なのかというのは、はっきりつかめなかったようです。気づきの練習を続け
  てください。私たちの共同作業の目的は、〈それ〉が何なのかを発見するこ
  とです。
   
  <ただ在る>ことのレベルに移行するためには、それが常に存在するものだ
  ということを思い出せばいいのです。心の中でそう言うだけでも、時空を超
  えた魔法の力が働いて、人をその領域に連れていってくれます。小手先のト
  リックを使って、そこに行こうとしてもダメです。
  
  いろいろなトリックを試したあげくあきらめて、「ダメだ、できない」と人
  は最後に言います。すると突然できるのです。そこでまた前にやってうまく
  いったと思える方法をくり返してみます。ところがうまくいきません。そし
  てまた、「ダメだ、できない」と言います。するとまた、突然できるので
  す。
   
  努力と努力の間隙に、<ただ在る>ことが起きます。ですからやってみてく
  ださい。エゴの欲するままに、あらゆる方法を試してみましょう。そして疲
  れたら休んでじっとしているのです。努力をやめたときに、それは現われま
  す。神は努力の中にあり、そして神は努力をしないことの中にもあります。
  求めることの中にあり、見つけることの中にもあります。
  
  それなのです。第三のレベルにすべり落ちてもかまいません。ただそこにす
  べり落ちる自分を見ていてください。第三レベルで崇高なことを考えること
  と、邪悪なことを考えることとの間には、どんな違いもありません。
  
  崇高なことを考えている時には、自分がちょっと偉くなったような気がした
  り、邪悪なことを考えている時にはちょっと後ろめたく感じたりするかもし
  れません。けれどもどちらも第三のレベルでのことであり、どちらも一つの
  意識状態であるという事実に変わりはありません。
  
  限りなくやさしい慈愛に満ちた観察者であってください。歯を食いしばって
  がんばったりしないように。自分がまたも、今までと同じ心のドラマを演じ
  ていることが分かっても、「またこんな状態から抜け出られなくなるのはイ
  ヤだ。第四のレベルに行くにはどうしたらいいのだろう」などと嘆いたりし
  ないでください。
  
  これは頭での思考です。ただ笑いとばして、そのあと心の雑音を止めるので
  す。その方法が分からないとあなたは言いますが、それは嘘です。あなた方
  は私のような〈おしゃべりな風〉の話を聞いているでしょう?私がしようと
  していることは、多くの選択の機会を示して、人々は選択することができる
  のだという点に気づいてもらうことです。
  
  いかに選択するかではなく、選択することができるのだということがわかっ
  たなら、それで私たちの目的は達成されます。・・・・
----------------------------------------------------------------------

(-_-)

> 崇高なことを考えている時には、自分がちょっと偉くなったような気がした
> り、邪悪なことを考えている時にはちょっと後ろめたく感じたりするかもし
> れません。けれどもどちらも第三のレベルでのことであり、どちらも一つの
> 意識状態であるという事実に変わりはありません。
> 
> 限りなくやさしい慈愛に満ちた観察者であってください。……


……。

……ハイアーセルフ33さん、いつもグッドタイミングな投稿を、ありがとう
ございます。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 4.編集後記:地球さんが苦しんでいるとしたら……
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

幻影の中に「苦」がある。

地球さんが苦しんでいるとしたら、地球さんは幻を見ているのだろうか。

それとも幻影の中にいる人間の行為によって、苦しんでいるのだろうか。

地球さんには、「苦痛」はあっても「苦」はないのだろうか。

それとも人類の「苦」を被っているのだろうか。

というわけで今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

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17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
------------------------------------------------------------------

<(_ _)>

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■ 【作 者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: paritosho@dream.email.ne.jp
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