home > 通信 > 『アセンション館通信』 第81号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.081 2005, 9/11(第81号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension.html
このページ↑をご覧ください。

また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension_m.html
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これまで地球の次元上昇サポートを背後支援に絞ってこられたETの方々が、
ファーストコンタクトに向けて国勢調査を開始されました。
https://www.ascensionkan.com/demae/ET_message.html
ここ↑をご覧ください。

要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か7年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変を通過して、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

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◇◇ もくじ ◇◇

1.楽で気持ちのいい方に

2.いただいたお手紙から:<神>の二人三脚

3.編集後記:自分を受け容れるって
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■ 1.楽で気持ちのいい方に
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……ああ、また“マインド無礼講”の日がやってきた。

これを書く今日は土曜日だから、下の「星の郷」が岩風呂を炊く日。

下の方から、青白い煙が昇ってくる。

いつか見せてもらったけど、大量の薪が積んであった。

“いい木”を使っているんだそうで、たしかに、こうして窓を開けていると、
なかなかいい香りの煙が漂ってくるの。

そうするとあたりが微かに白っぽく煙って、それもなかなかいいんだよね。

このメルマガが配信されている今日は日曜日。

これを書いている今日は土曜日。

土曜日の「今」と、日曜日の「今」は、同じ永遠の<いま>の中にあるってい
うんだよなぁ。

面白いよね。

そういう悠久の巡りの中、永遠の“意識の海”の中に、われわれってボウフラ
のように漂っているんでしょうかね。^^;

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”にお付き
合いいただく時間がやってまいりました。(^^)/

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有のお時間の中で、いかがお過ごしでしょうか?

永遠の<いま>の中で、退屈のあまり、“わたし”が「時間」を発明したわけ
でもないのだろうけど。

こうして自分勝手な「お祭り日」を創って、誰に頼まれたわけでもないのに、
自分好みの舞台設定を誂(あつら)えて、自分勝手なスタイルで、自分がいち
ばんやってみたい“とんぼ返り”を打ってみる……。

そうしたら、やっぱり“観客”も欲しくなって……。

まあ、「宇宙」ってのは、そんなふうなことがしたくて、誰かさんが創造した
したものなんでしょうかね。

そんなことをしたのは、<神さま>かな?

<神さま>って、誰のことだか知らないけど。(^_-)

<神さま>って、よくはわからないけど、なんにせよ「無礼講」ってこと自体
が<神さま>の「質」ですよね。

ところが<神さま>、何でも知っていて、どこまでも「無礼講」なものだから、
ちょっと“止め処がない”。

“無礼講”なんて言ったって、はなから“止め処”がなかったら、“無礼講”
そのものも創れやしない。

どこまで突き進んでも、誰も止めてくれなかったら、いったい、“突き進ん”
だかどうかをどうやって知るの、っていう話になってしまいます。

“止め処がない”からできないのか、とにかく<神さま>って“体験”するこ
とだけはできないのだそうです。

それが“厄介”の始まりか、うん……。(-_-;)

そうなったら、結局、“体験”するためには“体験”するための“止め処”、
つまり“枠組み”を“調達”しなくちゃならないことになる。

“調達”ったって、どこかの夜店で売ってるわけじゃないから“自前調達”、
つまりは創造しなくちゃならないんでしょうね。

そしたら、ほら、お釈迦さんの掌(てのひら)という“止め処”で、孫悟空は
「宇宙の果て」まで突き進む“体験”もできるわけでしょ。

舞い上がったり落ち込んだり、傲慢になったり謙虚になったり、善良だったり
悪辣だったり、「枠組み」さえあれば、その「枠組み」の中でいろいろな役柄
を演じられます。

つまりは、「体験」ができます。

以前「束ね担当」と「表現担当」という言葉で<神さま>とわれわれ「人間」
のことを、表現したことがありました。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol022.html#1

同じことを、今度は“枠組み担当”と“体験担当”と言ってもいいかもしれま
せん。

「体験」という“夢”の中で、“夢見る者”はたくさんの物語を紡ぎ出し、そ
の物語に応じて、たくさんの“止め処”を生みだすことになったでしょう。

同じことを、こう言ってもいい。

「体験」を求めて創造された「枠組み」も、その爆発過程でさまざまの段階の
“権限委譲”が行われて、その各過程でさまざまの“地方の事情”が入り込み
組み込まれて、元は単なる“止め処”だった「枠組み」も、どうやらとんでも
ない一大伽藍になりおおせてしまった……、と。

大宇宙は、どうやら無限の“入れ子構造”を内包した、おどろおどろしい一大
構造物みたいなものになってしまったらしいです。

一度そこで迷子になったら、二度と再び自分の“居場所”を明らかにすること
はできなくなる、みたいな。

ところで、“迷う”とはどういうことなのか。

自分の“居場所”がわかるって、どういうことなのか。

(^_-)

“迷う”とはここで自分が異邦人のように感じることでしょうし、
“居場所”がわかるって、ここで自分が異邦人ではないと知ることでしょうか。

宇宙は、われわれ宇宙の子どもたちがすることを判断しないといいます。

なぜなら、一つには、判断の根拠となる“客観的”根拠など何もないし、もう
一つには、“主観的”根拠なら、われわれが「自分」の中に持っていることを
知っているからだ、と。

本当の根拠は、われわれの「感情」の中にあるのでしょうね。

でも、われわれが自分を裁くために使う偽物の根拠は、条件づけを集積した
われわれの「思考」の中にあるのでしょう。

そして、今起こっていることは、偽物の根拠から本物の根拠への移行かなぁ。

どうやら、“どうすべき”だというようなことは、別に何もないらしいんです
よね。

そうだとすれば、なにもかもわれわれの感情的判断で決めていいのだったら、
ただ、楽で気持ちがいい方に行けばそれでいい、ということなのかしら。

たぶん、本当は、そういうことなんでしょうね。

ところが、いまそういうことを言うと、誤解に継ぐ誤解みたいなことになるん
だろうと思います。

だから、あまりにも重く背負わされすぎた「べし」(=外から押しつけられた
外的判断)を降ろす作業と、あまりにも未開発に放置されてきた自分の感情
(=内面的判断)に対する感覚を回復する作業、これをを同時進行で進めなき
ゃならない、みたいなことになるんでしょうね。

それが、精神世界の定番の「許し」と「気づき」という二大パワーの涵養、み
たいなことになるんだと思います。

自然に戻るために、これまでに身につけた不自然な判断を荷下ろしして、これ
まで抑圧してきた自然な判断力を回復しなくちゃならない。

結局それだけのことなんだけど、こりゃ、なかなか大変だ。

ただ“楽で気持ちがいい方に”行けばいいと言ったって、それが一大事業にな
っちゃうんですよね。

だって、圧倒的で声高な「マインド」の判断に対して、われわれの「ハート」
の判断(=直感)は、あまりにも無視されてきて未発達なわけだから。

ただ“楽で気持ちがいい方に”行くこと自体が、簡単には手の届かないひとつ
の能力になってしまっている。

いたるところで「マインド」の判断と「ハート」の判断(=直感)の間の違和
が起こって、苦しまなくちゃならないんですよね。

仕方がないです。

とにかく、いろんな条件づけをかぶったこのままの自分を、自分が許してやる
より他に方法がないですよ。

で、狙い目は“自分”を許すことなんだけど、そのための通路として“他人”
を、あらゆる条件づけを含めた現在あるがままの姿で受け容れる、というのが
いちばん手っ取り早いって、まあ、いうんですよね。

これは、ちょっと“その気に”なれば、ある意味で簡単です。

なにしろ、狙い目は“自分”を許すことですから。(^_-)

自分が自分であるについては、じつに、他にどうしようもないこれだけの理由
があるのだから、“他人”がその人であるについては、完全に自分の場合と同
じだけの他にどうしようもない理由があるのだとわかりますもんね。

結構、気楽になれますよね。

他の人を判断しなくてもすむわけだから。

翻って考えてみたら、これまでいろいろ「やましさ」をかこってきたけれど、
自分はぜんぜん悪くないんだってことが、はっきりするかも。

……あれ、なんだか、今日は調子が変だな。(@_@)

あたしゃ、もともと、こういうタイプじゃなんだけど……。

宇宙はあらゆる解釈を許容するのだから、どうせなら明るい話題を広げるのが
いいですよね、って話になるのかと思っていたら、なんだか別の方向に流れち
ゃった。

どうも、お後がよろしいようで。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.いただいたお手紙から:<神>の二人三脚
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:paritosho@dream.email.ne.jp
まで、お願いします。

勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


       …………○…………○…………○…………


今回、またまた久しぶりで、光(ミカエル)さんから、哲学風だか神学風だかの
「質問」をいただきました。

光(ミカエル)さんが、時々思い出したように『アセンション館通信』に質問を
してくださるのは、わたしが本当に、彼が訊いてくるような超絶的な問題につ
いて解答できると思っているからなのかしら?

それとも、彼一流のエールの送り方なのか。

でも、正直言って、話題に困っているときは助かりますよね。

わたしも元々哲学談義が嫌いじゃないし。(*^_^*)

で、いろいろ訊いてこられているんですが、取りあえず、最初のから。

----------------------------------------------------------------------
 質問です。
 
 神対3巻 238ページ〜241ページあたりと133ページあたり と
 
 神対2巻 206ページあたりを全部からめてまとめてわかりやすく説明し
 て欲しいです。
 できるだけ詳しく教えて欲しいです。
 お願い致します。
 
 後 
 神対2巻 206ページの完璧な認識と 神対3巻 238ページ〜241
 ページあたりの究極の認識は同じなのでしょうか? どう思われますか?
 できるだけ詳しく教えて欲しいです。
 お願い致します。
 
 後 神対の神は集合でありすべてですよね?
 なのになぜ神対の神もさらに別のものの子供なのですよね?
 
 つまり 神対の神の意識体は少なくても 集合ですよね? 
 で神対の神もさらに大きな神の一部なのですよね? 
 ということは 神→大神→大大大神→以下永遠無限
 の終わり ない拡大なので  しょうか? 
 できるだけ詳しく教えて欲しいです。 
 お願い致します。 
 
 この場合  神=鉱物 植物 動物 人間などあらゆる次元界のエネルギー
 すべてを含む集合体とします。 
 大神=集合体×7倍  大大神=集合体×7倍×7倍  
 大大大神=集合体×7倍×7倍×7倍  
 以下はその要領で永遠無限の拡大一方とします。
 つまり その要領で永遠無限の拡大一方なのでしょうか? 
 できるだけ詳しく教えて欲しいです。 
 お願い致します。 
 
 また pariさん以外でもこの質問に答えてくれ方へ
 誰か誰でもいいので できるだけ詳しく教えて欲しいです。
 お願い致します。できればメールください。
 駄目なら次回のアセンション号にできるだけ詳しく書いて載せて欲しいです。
 お願い致します。zxyahy87@hotmail.com
 
  光(ミカエル)
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。(-_-;)

ひとつのメールで、これだけ話題を提供していただいています。

で、こういう質問を数種類、そのオリジナル版・訂正版と、何通ものメールを
いただいています。

ありがたいです。(;_;)

光(ミカエル)さんって、とっても真面目な方なんですね。(@_@)

とにかく、勉強家です。

四六時中、こんなことばかり考えていらっしゃるのかしら。

「究極論」みたいな神学分野があるといいかもしれませんね。

光(ミカエル)さんは、そっちの分野の大家になるかもしれない。

こういう「問」を深める能力は、もともと光(ミカエル)さん固有のものだし、
固有の価値があるのだと思います。

その意味では、光(ミカエル)さん以外の、誰にも答えることはできないだろう
と思います。

数学みたいな意味での厳密な「ルール」がある世界じゃないですから。

だから、ここでわたしが何かを書くとしたら、それは光(ミカエル)さんの質問
を聞いたわたしの“連想野”の中で起こった反響というにすぎません。

で、そういう別タイプの人間からの反響という前提で聞いていただけるとして
ですが、光(ミカエル)さんの「問」は、わたしなどの“連想野”ではこんなさ
ざ波を起こします。

光(ミカエル)さんが「究極論」を考えるとき、面白いのは、最初からそこでの
思考の操作範囲を“その問を問うている「自分」”の外側に設定していること
なんだよなぁ、という感じがよぎるんです。

光(ミカエル)さんは、そういうこと考えるとき“その問を問うている「自分」”
を最初から排除していて、「自分」とは別個に、客観的にそういいことを考え
ることができる、みたいに思っていらっしゃるようなのが、ちょっと自分なん
かには不思議に聞こえるよな、という感じです。

そうすると、こういうことにならないかなぁ。

光(ミカエル)さんの「究極論」の中では、光(ミカエル)さんがいくら懸命に考
えても、その思考の操作範囲の中に“その問を問うている「自分」”がいない
ので、けっして本人が望むようには話が煮詰まらないんじゃないのかなぁ、み
たいな感じです。

というのは、その「究極論」の思考のブーメランが戻ってくるはずの「自分」
がそこにいないことになってしまうから。

だから、あたかもこういう「究極論」を、物理次元の外的なスケールで“客観
的に”問うことができるみたいなスタンスになっちゃうんじゃないのかなぁ、
みたいな感じですけどね。^^;

でも、まあ、それはそれとして、光(ミカエル)さんがわたしにしてくださった
質問というのを、ひとまず眺めてみますね。

> 神対3巻 238ページ〜241ページあたりと133ページあたり と
> 
> 神対2巻 206ページあたりを全部からめてまとめてわかりやすく説明し
> て欲しいです。
> できるだけ詳しく教えて欲しいです。
> お願い致します。

“神対3巻 238ページ〜241ページあたり”というとこんなところです
かね
----------------------------------------------------------------------
 そこで、また人間の魂の話に戻りたいんですが。魂はいくつあるんですか?
 
 ひとつ。
 
 ええ、大きな意味ではそうですね。でも、ひとつの存在するすべては、いく
 つに「個別化」されてるんですか?
 
 ほう、その言葉は気に入ったな。あなたの言葉の使い方はなかなかいい。
 存在するすべてであるひとつのエネルギーは、たくさんのちがった部分に
 「個別化」する。
 
 おほめにあずかって、どうも。で、神さま、あなたは個別化された魂をいく
 つ、お創りになったんですか? 魂はいくつあるんですか?
 
 あなたが理解できるようなかたちでは、答えられないな。
 
 でも、やってみていただけませんか。決まった数ですか? 数は変化してい
 るんですか? 無限ですか? 「最初のぶん」を創ったあと、「新しい魂」
 を創っておられますか?
 
 そう、決まった数だ。そう、変化する数だ。そう、無限だ。そう、新しい魂
 を創った。そして、ノー、創っていない。
 
 わかりません。助けてください。
 
 本気で言っているのかな? 「助けてください神よ」と?
 
 ええ、どんなことになってもわかりたいんです。だから、助けてください、
 神よ。
 
 よろしい。かたく決意しているようだから、助けてあげることにしよう。た
 だし、警告しておくが、有限の視点から無限を把握し、理解することはむず
 かしいよ。しかし、ひとつやってみようか?
 
 クールですねえ!
 
 そう、クールだ。まず、あなたの質問は時間の存在を前提としている。しか
 し、ほんとうはない。
 あるのはたったひとつ、いまという永遠だけだ。
 「以前」に起こったことは何もない。なぜなら、「以前」は存在しないから。
 「以後」に起こることは何もない。なぜなら、「以後」は存在しないから。
 つねに、たったいまがあるだけだ。
 そのたったいまも、わたしはつねに変化している。したがってわたしが「個
 別化」する方法の数はつねに異なり、つねに同じだ。たったいましかないの
 だから、魂の数は一定だ。だが、あなたがたのように、いまをその時々と考
 えれば、数はつねに変化している。わたしはつねに変化しているから、魂の
 数は無限だ。だが、ある「一定の時」をとれば、有限に見える。
 究極の認識に到達し、究極の現実と一体になったあと、進んですべてを「忘
 れ」、「やり直し」をしようとするという意味では、「新しい魂」がある。彼
 らは宇宙の車輪の新しい場所に移動しようと決める。そのなかのあるものは、
 ふたたび「若い魂」になることを選ぶ。だが、すべての魂は「最初に創られ
 たぶん」の一部だ。すべてはたったいま、創造されている(創造された、そ
 して創造されるだろう)から。だから、あなたがどう見るかによって、数は
 有限で無限、変数で定数だ。
 この究極の現実の性格のゆえに、わたしは、動かない動かし手と呼ばれる。
 ……
                   『神との対話(3)』(p236-241)
----------------------------------------------------------------------

これはまた……。

これほど具体的に、これほど詳しく書かれていると、もうこれ以上、理屈とし
ては何が必要なんだろう、って気がしますよね。

そして、続く箇所では、と。
----------------------------------------------------------------------
 ところで、魂の問題に戻りますが、老いた魂と若い魂のちがいは何なのです
 か?
 
 エネルギー(つまり、わたしの一部)は、究極の認識に到達したあとに何を
 選ぶかで、「若い」自分も「老いた」自分も生み出すすことができる。宇宙
 の車輪に戻ったとき、ある魂は老いた魂になることを、あるものは「若い」
 魂になることを選ぶ。じっさい「若い」という経験がなければ、「老いた」
 という経験もありえない。
 これとまったく同じ理由で、ある魂は「善」を、あるものは「悪」を選ぶ。
 だから、どの魂も決して罰せられることはない。どうして、「ひとつの魂」
 が自分という全体の一部を罰しようと思う? こういうことはすべて、
 『小さな魂と太陽』という童話に、子供にもわかるように、単純に、美しく
 描いただろう。
                     『神との対話(3)』(p241)
----------------------------------------------------------------------

うん。(-_-)

それで……、と。

“133ページあたり”というと、こんなところかなぁ。
----------------------------------------------------------------------
 すると、わたしたちはすべて神であり、誰もがつねに、「ひとつであるもの」
 から「分離」へ、そしてまた「ひとつであるもの」へと、永遠に終わらない
 旅を続けているんでしょうか。これが生命のサイクル、あなたが宇宙の車輪
 と呼ぶものなんですか。
 
 まさにそのとおり。あたっているよ。あなたが言ったとおりだ。
 
 だが、どうしてもゼロに、出発点に戻って、いつも最初からやり直さないと
 いけないんですか?
 これで「上がり」にする、賭け金200ドルをもらうよ、ということはでき
 ないんですか。
 
 何にせよ、しなければならないことはない。神の経験を再経験するなかで、
 どこへ行きたいか、何をしたいかは、あなたが(つねに自由意思で)選択す
 る。宇宙の車輪のどこでも好きな場所に移動できる。好きなところへ「戻れ
 る」し、べつの次元、現実、太陽系、文明を選んで移ることもできる。
 神性との完全な合体に到達した者のなかには、悟りを開いた〈マスター〉と
 して「戻る」ことを選ぶ者だっているよ。それに、この世を去るときに悟り
 を開いた〈マスター〉だった者が、自分自身として「戻る」こともある。導
 師や〈マスター〉が何十年か何世紀かのあいだにくり返しこの世に現れてい
 るという報告は、あなたも耳にしているにちがいない。
 そうした報告をもとに、ひとつの宗派が築かれているくらいだ。たとえば、
 末日聖徒イエスキリスト教会などだね。だから、あなたは宇宙の車輪のどこ
 でも好きな場所に戻れるのだよ。
 
 そうだとしても、やっぱり気が重いですね。「休み」はないんですか? 
 ニルヴァーナにずっといるわけにはいかないんでしょうか?  わたしたち
 は永遠に「行ったり来たり」をくり返し、ハツカネズミがぐるぐると輪を回
 しつづけるように、永遠に、どこにも行きつかない旅を続けるんですか?
 
 そうだ。それが偉大な真実だ。どこにも行き着けないし、何もすることはな
 いし、いまのあなた以外に、あるべき「存在」はない。じつは、旅などない
 のだよ。あなたがなろうとしているのは、いまのあなただ。あなたが行き着
 こうとしているのは、いまのあなただ。
 〈マスター〉はそれを知っているから、あがくのをやめる。それから、あな
 たがあがくのをやめる手伝いをしようとする。だが、このプロセス──宇宙
 の車輪──は、決して気の重い回し車ではない。
 神の、そしてすべての生命の至高の荘厳さを、栄光のなかで再確認しつづけ
 ることだ。
                   『神との対話(3)』(p132-134)
----------------------------------------------------------------------

うーん。

理屈として、これ以上何が言えるというのかなぁ。(-_-;)

それで……?

“神対2巻 206ページ”いうと……、こういう内容だよね。
----------------------------------------------------------------------
 ……あなたが成長し、ほんとうの自分になるためには、何を必要とし、何を
 望むのかを知ることだ。
 そのためにわたしは他者との関係を創造した。関係がなければ、あなたはも
 ともとの空、無、永遠のすべてに生きつづけていただろう。しかし、すべて
 のなかでは、たんに存在するだけで、自分の「認識」を体験することはでき
 ない。なぜなら、すべてのなかでは、あなたでないものは何もないからだ。
 だからわたしは、あなたがたが体験のなかで自分を新しく創造し、知る方法
 を編み出した。そのために、あなたがたにつぎのことを与えた。
 1.相対性──他者との関係のなかであなたが存在しうるシステムだ。
 2.2.忘却──このプロセスで、あなたは完全な健忘症になる。そして、相
  対性はたんなるトリックに すぎず、あなたはすべてであるということが、
  わからなくなる。
 3.3.意識──これは、あなたが完全な認識に達するまでの状態だ。完全な
  認識に達したとき、あなた は真実の生きた神になり、自分自身の現実を
  創造して経験し、その現実を拡大して探求し、自分の 意識を新しい限界
  にまで──あるいは際限なくひろげつつ、現実を変化させ、再創造してい
  く。
 このパラダイムでは、意識こそすべてだ。意識──あなたのほんとうの認識
 ──は、すべての真実の基本であり、したがって霊性すべての基本である。
 
 でも、そんなことをして何の意味があるんですか? 第一に、あなたはわた
 したちが何者であるかを忘れさせ、それから、何者であるかを思い出させる
 んですか?
 
 意味はあるよ。いまの自分、そしてこうありたいと思う自分を創造できるよ
 うにするためだ。
 それが神が神として存在する行為だ。わたしが──あなたを通じて──わた
 しとして存在する!
 これが、人生すべての要だ。
 あなたを通じて、わたしは自分が何者であるか、何であるかを体験する。あ
 なたがいなくても、わたしは知ることができるが、しかし体験はできない。
 知っていることと体験することとは、まったくちがう。わたしはつねに体験
 を選ぶ。あなたを通じて、選んでいるのだ。
 
                   『神との対話(2)』(p205-206)
----------------------------------------------------------------------

うん。

理屈として、これ以上何が必要なのって感じだけど……。

で、光(ミカエル)さんは何を質問してたんだっけ。

> 神対3巻 238ページ〜241ページあたりと133ページあたり と
> 
> 神対2巻 206ページあたりを全部からめてまとめてわかりやすく説明し
> て欲しいです。
> できるだけ詳しく教えて欲しいです。
> お願い致します。

なるほど。

“全部からめてまとめてわかりやすく”っていうと、一言に“まとめて”言え
ってことかな。

いやいや、“できるだけ詳しく”って言ってるもんなぁ。

随分、詳しく、わかりやすく、書かれているような気がするけど……。

うん。

……でも、あえてここで、一言で言えば……、『神との対話』の神さまがいつ
も言っているように、

       <しなければならないことは何もない>

ということだよなぁ。

すべてはひとつなのだから、じつは「自分」しかいないのだから、って。

行かなければならない所など何処にもないし、「自分」以外の何かになれるわ
けでもないのだから、って。

すると、<しなければならないことは何もない>というなら、じゃ、なんで、
われわれは懸命に生きなきゃならないのか?、ってことになる。

すると、“懸命に生きなきゃならない”っていう「夢」を見ることを自由意志
で選んだから、ってことになる。

すると、そんな馬鹿げた「夢」を見ることをどうして選ぶんだ、第一、おれは
そんな夢を見ることを選んだ憶えなんかないぞ、ってことになる。

すると、それは、その選択を忘れることを選んだから、ってことになる。

なぜそんな馬鹿げた選択をする?

――新たな「自分」を再体験するために。

なんのために、そんなことをする?

宇宙は“新たな「自分」を再体験する”ための脱出不可能な地獄なのか?

――いや、どのような意味づけも可能にし、それによってどのような再体験も、
  どのような現実の再創造も可能にするシステムだよ。

でも、それにしたって、せっかく成長に成長を重ねて、全知全能の状態にまで
達したのに、なんでまた最初からやりなおさないとならないわけ?

それじゃ、永劫回帰の地獄そのものじゃないか。

――いや、別に最初からやりなおさないと“ならないわけ”じゃないよ。
  現に、そういう選択をしない人もいる。物理次元に戻ってくる興味を失っ
  て、もう二度と戻ってこない人もいる。

じゃ、わたしは物理次元に戻ってくる興味があって、この次元に戻ってくるこ
とを自由意志で選んだっていうわけ?

――そう。
  そうとも言えるし、そうでないとも言える。
  ある<いま>の中では自由意志で物理次元に入ることを選んでいる。
  そして、別の<いま>の中では、半ば気を失ったままこの次元に戻ってく
  ることを選んでいる。

どうして自分から進んでこの次元に戻ることを選ぶなんてことがありうる?

――あなたがいま、ここから脱出したがっているのと同じこと。
  “脱出したい”あなたがいる以上、“入ってきたい”あなたがいたって
  不思議はないだろうに。
  “悟りたい”あなたがいる以上、“迷いたい”あなたがいるのは至極当然
  のことだよ。
  いまある自分と別の存在になりたいあなたがいる以上、全知全能から転落
  したいあなたがいるのは自然のことだ。
  それが<神>の二人三脚だ。
  あなたが認めようと認めまいと、あなたは<永遠の今>なのだから。
  
  なぜかって?
  どうしてそんな地獄を創ったのかって?
  
  ほら、あなたはそんな位置を選択することさえできる。
  わたしはあなたに完全な自由を許している。
  
  そして、そのあなたの現実創造を通じてわたしは体験している。
  わたしはあなたの位置を羨むことはない。
  すべてはわたしの創造であることを知っているから。
  もしあなたがわたしの位置を羨ましいと思うのなら、あなたにはわたしの
  位置を嗣ぐ完全な自由がある……。
  記憶を回復する完全な自由が。
  
  ……いずれにせよ、しなければならないことは何もない。
  あなたが自分の好みの位置を選択すればいいだけだ。

----------------------------------------------------------------------
 それが神が神として存在する行為だ。わたしが──あなたを通じて──わた
 しとして存在する!
 これが、人生すべての要だ。
 あなたを通じて、わたしは自分が何者であるか、何であるかを体験する。あ
 なたがいなくても、わたしは知ることができるが、しかし体験はできない。
 知っていることと体験することとは、まったくちがう。わたしはつねに体験
 を選ぶ。あなたを通じて、選んでいるのだ。
----------------------------------------------------------------------

(^_-)

あーあ、今日は、だいぶ言いたい放題をやっちゃった。

何を言おうと、すべては自分に返ってくるだけだから。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.編集後記:自分を受け容れるって
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

言葉では何とも言えるんですが、自分を受け容れるって、なかなか難しいです
よね。

たぶん、それは、自分を認めるのに他人の評価を必要としない、ということと
関係があるような気がします。

となると、それは比較を超越するみたいな話だから、半端じゃない。

でも、ありがたいことに、我々庶民は政治家じゃないから、他人の票は必要じ
ゃないわけですよね。

それだったら、他人の評判も気にしなくてもいいのかな。

いやいや、それには、たぶん、大変なことなんですよ。

イチローさんが、『夢をつかむ イチロー262のメッセージ』で

 第三者の評価を意識した生き方はしたくありません。
 自分が納得した生き方をしたいです。

って、おっしゃっていたけど、凄いことだよなぁ。

うん。(-_-;)

そう、気持ちをずっと大きい方に持っていくのもいいですね。

というわけで今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

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17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
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<(_ _)>

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■ 【作 者】 『アセンション資料館』主人 pari
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