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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.083 2005, 9/25(第83号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension.html
このページ↑をご覧ください。

また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension_m.html
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これまで地球の次元上昇サポートを背後支援に絞ってこられたETの方々が、
ファーストコンタクトに向けて国勢調査を開始されました。
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ここ↑をご覧ください。

要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か7年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変を通過して、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

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◇◇ もくじ ◇◇

1.自他一体(「津留晃一の世界」から)

2.編集後記:すべてがひとつにまとまって……
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■ 1.自他一体(「津留晃一の世界」から)
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まわりの山襞から白い霧が立ちのぼり、頭上間近に垂れ込める曇天から藻裾の
ように降りる淡い霧が、ゆるやかに目の前を西の方に流れていきます。

南西の視界をかぎる眼前の山は、木々とも山肌ともつかぬ近さで屏風のように
立ち上がり、その頂上を霧に隠しています。

眼下の近景には、さまざまのグラデーションの黄色っぽい木立や竹林が、まる
で厚みを欠いた切り紙細工の衝立のように配置されています。

そして、おどろおどろしく山襞から霧を吹き上げる遠景をかぎる平らな山。

地面から立ち昇っているのか、灰色の曇天から降りてきているのか、まるで、
かろうじて物理次元を保証するかのように一面の空間を満たす白い湿度。

こういう怪しげな光景がとても好きです。^^;

さまざまの方々のさまざまの思いを乗せて、終演間近の「地球劇場」は最後の
時間幻想空間を疾走しています。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”にお付き
合いいただく時間がやってまいりました。(^^)/

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有のお時間の中で、いかがお過ごしでしょうか?

ところで、今年の我が家の田圃ですが、かなりひどいもんですよ。

どうも、去年は“ビギナーズ・ラック”だった可能性が高いです。

今年は、どう“ひどい”のか?

裏山から下りてきて里に入る通り道の最初の丘にあるわが田圃が、去年まった
く荒らされることがなかったのは、どうもかなりの幸運だったようです。

去年一年の経験で、鹿や猪はお米は食べないのかと思っていたのですが、そう
じゃなかったんですね。

今年は、猪だか鹿だか、とにかく、“しし”に見つかってしまったんです。(;_;)

そうなると、結構、ひどいもんですよ。

じつは、二週間ほど前に、稲の苗を分けてくださった方が近くに来られたつい
でに我が家の田圃を見てくださったんですよね。

ちょっと棚田の一角に稲が倒れているところがあるのを見て、「猪(いのしし)
が入ってきたみたいだから、ネットを買ってきて田圃のまわりを取り囲んだら
いいだよ」と教えてくださったんです。

「じゃ、すぐにやらなきゃ」なんて口で言いながら、先に延ばしちゃったんで
す。

その時すぐに始めれば良かったんですがねぇ。

ちょっと遅らせたばかりに、とんでもないことになってしまいました。

一日一日と、毎朝見るたびに、少しずつ田圃が荒らされているようなんです。

こりゃいかん、というわけで、やっと一週間ほど前、「カインズホーム」に行
って50メートルの“防獣ネット”を買ってきて、取り付け始めたんですが、
いかんせん、いろんなことが重なって、一挙に田圃を塞ぎ切れませんでした。

それでも何日か、毎日、雨に降られ、目の周りをブヨに刺されながら、田圃の
まわりの斜面に竹を打ち込んでは“防獣ネット”を張っていきました。

でも、この頃の季節は途中ですぐに暗くなって、全部を張り切れない。

次の日も、また途中で暗くなって……。

次の日は出かける予定があって……。(;_;)

そんなことで数日を過ごしてしまった。

今年は六枚に分けた棚田が、一夜明けるごとに、一枚一枚と荒らされているの
を確認するのって、それは情けないもんですよ。

やっと「害獣駆除」なんて言葉を使う方々の気持ちが分かるようになってきま
した。

棚田の七割方は、もういい加減、猪に踏み荒らされてしまいました。

やっと下の方をがっちり塞いだけど、全部は塞ぎきれなかったという日の翌朝、
見てみると、前日と同じ状態なんですよね。

つまり、猪は棚田に入っていないんです。

あれ、ひょっとして、この状態でも大丈夫なのかな、なんて思ったのが、不精
者の“浅はかさ”でした。

その隙にやればいいのに、草臥れたので、その日はそのまま放っておいたら…
…。

翌朝……も、お、やっぱり、大丈夫だった。(@_@)

へー、じゃ、これでいいのかも。

その翌日、つまり今日ね、いろいろ立て込んだ用があって、出かけて帰ってみ
ると、なんと今度はしっかり新しい一枚が踏み荒らされているんですよ。(@_@)

ふーむ。(-_-;)

……しかし、それにしてもねぇ。ひどいよ。

もう、八割かた踏み荒らされてしまった……。

これからネットを完全にしたって、意味があるのかどうか。

そういうもんなのかなぁ。

結構、気落ちしちゃいました。

……でも、猪さんには猪さんの都合もあるだろうしなぁ。

まあ、いいか。

猪さんも一生懸命生きてるってことですよね。

みんな、自分の都合があって、一生懸命やってるんだから。

宇宙の中のあらゆる意識存在には、それぞれの“視界”と“立場”と“都合”
があって……。

わたしにはわたしの“都合”があるように、猪さんには猪さんの都合があるだ
ろうし。

わたしがわたしの“都合”を優先する以上、猪さんは猪さんの“都合”を優先
するのは当然だ。

こっちも、向こうも、ともに宇宙の中の生き物なんだから。

それが「生命世界」に生きるということだもんなぁ。

「生命世界」に“立場”をもって、“コミット”するのが、生きるってことで
しょ。

“フォーカス”といってもいいけど。

いわば、お互いに「一隅を照ら」してるわけだ。(*^_^*)

そうやって、宇宙の“一部”に焦点を合わせてコミットすると、それに応じて
いろんなものが立ち上がって来るんですよね。

“視界”と“立場”と“都合”に焦点を合わせれば、「世界」は「意味」を持
ち、“ドラマ”になって立ち上がってくる。

その“ドラマ”の中でこそ、われわれは“体験”することができる。

そしたら、その“体験”の中で、“喜び”と“悲しみ”が、“苦しみ”と“楽
しみ”が湧いてくるってわけです。

すると、“悲しみ”を避けて“喜び”だけを得ようとか、“苦しみ”から逃れ
て“楽しみ”だけを掴もうとか、そんな“視界”や“立場”も現れてくるわけ
で……。

“迷い”という位相の出現です。

どういうわけか、“迷う”と必ず、“喜び”よりは“悲しみ”が、“楽しみ”
よりは“苦しみ”が強調されるんですよね。

人生は思うようにならない、生きることは苦だ、というような「思い」が充満
している位相です。

すると、とどのつまりは、死にたいとか、もう終わりにしたいとか、言い出す
ことになっちゃって。

そういう位相では、“迷い”に対する最後の特効薬として、やっぱり「悟り」
が顔を出すことになるわけなんでしょうね。

“喜び”と“悲しみ”の、“楽しみ”と“苦しみ”の、片方だけを掴むことは
できないんだという「悟り」もあれば、どちらも一瞬の“幻”だという「悟り」
もある。

あるいは、必ずしも“苦しみ”を掴む必要はないのだという「悟り」もある。

結局、“変化の相”という「幻」と、それを支える“常在”である<実在>の
どちらにフォーカスするのか、みたいなことになるわけですよね。

「鏡」に映る“相”と、その「鏡」の“鏡面”が同時に意識されてくるんでし
ょうね。

でも、ドラマを演じたいエネルギーの方が強いうちは、誰がなんといおうが、
「鏡」に映る“相”にエネルギーを注ぐしかないでしょうし。

そしたら、「鏡」の“鏡面”は忘れられる。

また、ドラマを演じることに対する拒否が圧倒的になって“しきい値”を超え
たら、今度は誰がなんといおうが、“鏡像”を離れて、“鏡面”にエネルギー
を注ぐことになるでしょうし。

そうすれば、いわゆる“体験”をすることはできなくなる。

“迷い”の世界の中では「悟り」が最先端なのだとしたら、「悟り」の世界の
中では“迷い”が最先端なのかしら……。(-_-;)

「分離のサイクル」を終えて「統合のサイクル」に入る、なんて言い方がある
けど。

だとしたら、「統合のサイクル」を終えて「分離のサイクル」に入る、なんて
言い方もあるのかしら。

             <全体>が<ひとつ>

であることが「わかっている(=と思っている)」位相と、

           <全体>の中に固有の“部分”がある

と「思っている(=とわかっている)」位相。

「生命世界」の唯一の絶対法則は、“永遠に変化し続ける”ことだっていいま
すよね。

その「永遠の変化」は「絶対に変化しないもの」を根拠にしてしか存在しえな
いって。うん。(-_-;)

<全体>が<ひとつ>ってことは、<全体>が<自己>だってことですよね。

<すべて>が<自分>だということ、<自分>しかいないってことでしょうか
ら。

<自分>しかいない世界から、さまざまの“他人”を生み出すことを「創造」
っていうんでしょうかね。

津留晃一さんという方をご存知ですか?

自分と他人については、津留晃一さんに教えていただいたと思っています。

津留さんが生きておられた頃は、『創世会レポート』というサイトがありまし
た。
https://www.ascensionkan.com/books/souseikai.html

そのサイトはもうないんですが、現在は、それに代わって
「津留晃一の世界」
http://www1.ttcn.ne.jp/~turu/
というサイトがあります。

このサイトについては、このメルマガを始めてから陸イルカさんに教えていた
だきました。

この津留晃一さんの「メッセージ集」に
http://www1.ttcn.ne.jp/~turu/sub3.htm
「自他一体」
http://www1.ttcn.ne.jp/~turu/31jitaittai.htm
というメッセージが掲載されています。

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 自他一体
 
  「自他一体」、いまさらといった感のあるこの言葉ですが、真の一体感の
 獲得はそうたやすいものではないようです。誰もがそうありたいと願いなが
 ら、そうなれないところに、この人間ゲームの面白さがあります。あくまで
 も分離して見えてしまうこの肉体眼を持ちながら、なおかつそれがひとつの
 ものとして認識できる力を身につけるのがこの三次元人生ゲームであるとい
 えるでしょう。
 
  実は他人とは、もうひとつのあなたの目なのです。あなた自身の内宇宙を
 のぞき込むための潜望鏡のことを我々は他人と呼んでしまいました。自分以
 外の別の人であるという意味の言葉を当ててしまいました。今日から「他の
 人」と見えているものは、広大な真の自分を発見する為の望遠鏡であり、顕
 微鏡である」という言葉に変えてしまいましょう。
                   「津留晃一の世界」:「自他一体」
http://www1.ttcn.ne.jp/~turu/31jitaittai.htm
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> 実は他人とは、もうひとつのあなたの目なのです。

自分の目からバチバチっと火花が飛ぶようなメッセージでしょ。

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  彼と話をしている時、「自分の自動操縦リモコン潜望鏡(彼)が、自分の
 ために今、観察報告をしてくれているのだ」そんな気持ちを心に止めながら
 会話してみて下さい。真のあなたであるハイヤーセルフは、自分であると誤
 解できる潜望鏡的自我を作り出し、自分自身を知るための観察を始めました。
 この初期目的を思い出して下さい。あなたは、この世界で成果を上げる為に
 存在しているわけではありません。「成果を生み出すのだ」と思い込まされ
 てきたにすぎません。私の分離感の根っこはここにありました。
                   「津留晃一の世界」:「自他一体」
http://www1.ttcn.ne.jp/~turu/31jitaittai.htm
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> 真のあなたであるハイヤーセルフは、自分であると誤解できる潜望鏡的自我
> を作り出し、自分自身を知るための観察を始めました。

ね。(^_-)

さしずめ、『神との対話』の神さまなら“わたしは、あなた方を通して創造し
ている”とか、“あなたが相対的な世界入ったのは、絶対の領域では経験でき
ないことを経験するためだ”と言うところを、津留さんは、

> 真のあなたであるハイヤーセルフは、自分であると誤解できる潜望鏡的自我
> を作り出し、自分自身を知るための観察を始めました。

と言います。

こうして、

            <すべてはひとつである>

とか、

               「自他一体」

とかいった言葉の全容が、段々、姿を現してくるわけですよね。

> あなたは、この世界で成果を上げる為に存在しているわけではありません。
> 「成果を生み出すのだ」と思い込まされてきたにすぎません。私の分離感の
> 根っこはここにありました。

って、いいですよねぇ。うん。

つまり、必ずしも、この次元内でわざわざ新たな苦しみを掴まなくともいいわ
けなんでしょうね。

柳澤桂子さんの本を読んでいたら、あのような理不尽な苦しみを誰がどの時点
で“選択”するのだろうかと疑わざるを得ませんでしたけど……。

……以前『ブレイブハート』という映画を観たことがあります。

あの最後の場面、“八つ裂きの刑”とでもいうんですか、あのような苦痛を誰
がどの時点で“選択”したと言えるんだろう……、と思いましたよね。

はは、ミカエルさんになっちゃった。

津留さん風に言うなら、ミカエルさんもわたしの潜望鏡、わたしもミカエルさ
んの潜望鏡なんだろうけど。

イワン・カラマーゾフもわたしの潜望鏡です。

そういえば、昔、
“この大宇宙の意味は、ひとりの人間の肉体が支えることができる「苦痛」の
大きさに等しい”なんていう公理を発見したことがあったなぁ。

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 中学生のころ、大発見をしたことがあった。
 それは、“この大宇宙の意味は、ひとりの人間の肉体が支えることができる
 「苦痛」の大きさに等しい”というのだった。
 そして、我ながら得意だったのは、それが「人類全体が支える苦痛の総量」
 ではなく、「ひとりの人間の肉体が支えうる苦痛の大きさ」であることだっ
 た。
 「苦痛」の足し算はできないという“洞察”が、自分でも上出来なところだ
 った。
 最初、本当は、“この大宇宙の意味は、ひとりの人間の肉体が支える「苦痛」
 の大きさに及ばない”と言い切りたかったのだと思う。けれども、それでは
 いくぶん客観性に欠けるような気がしたのだろう。そして「等しい」という
 言い回しが、数学的で、きわめて客観的な公理のような姿に見えて気に入っ
 たのだと思う。
 
 多分、“この大宇宙にどれほどの意味があるとしても、ひとりの人間が体験
 する最大限の肉体的苦痛を正当化できるようなものがあるはずがない”、と
 いう気持ちを言葉にしたかったのだと思う。
 あまり幸福な哲学ではないようだが、あるいはそのとき、何か特別の「苦痛」
 を考えさせられるような事態に出会ったのかもしれない。この哲学には、何
 か「拷問」とでもいったような特別の苦痛に対する想念が入っているような
 気もする。
                『21世紀への指導原理 OSHO』(p83)
https://www.ascensionkan.com/work/mutter-4.html
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こういうすべてのフォーカスを手放すタイミングが来ているということなんで
しょうね。

掴み続ければ、ここまで来ることができる。

だとすれば、同じく、手放し続ければ、そのちょうど裏側までは行くことがで
きる理屈でしょうね。

その、これまで創造し、掴み続けてきた「分離幻想」を手放すサイクルに入っ
てきたということなんでしょうね。

これまでのサイクルでは、<全体>の中にさまざまな固有の“部分”が析出し
てきて、“鏡像”が実体化し、“鏡面”が背景に退いてきたわけでしょう。

舞台の幕が上がり、さまざまの“役者”にスポットライトが当たる。

もう、背景の“鏡面”は見えなくなる。

その中で、入神の“分離ゲーム”を、舞台いっぱいの大立ち回りを演じてきた
のでしょう。

そして、その「地球劇場」の終幕です。

最後の照明が消えて、すべてがいちど闇の中に沈みます。

そして、あらたな光の祭典が始まるのでしょう。

<全体>の中にさまざまな固有の“部分”がすべて裏側でつながった<自分>
の一部であることが見えてきて、すべてがひとつの<全体>として浮かび上が
ってくる……、そいういうサイクルに入ってきたということなんでしょうね。

フォーカスが変わり、ゲシュタルトが変わる。

> あなたは、この世界で成果を上げる為に存在しているわけではありません。

自らを証明するために存在しているわけじゃないんでしょうね。

<自分>しかいないのだとすれば……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:すべてがひとつにまとまって……
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このところ、身辺でいろいろな方がボディを離れていきます。

……いろいろ“精神世界”風味の「複眼」を稼いできたものですから、いろん
なことを思います。

“一言ではいえんようです”という気もするし。

ただ、“精神世界”のレトリックはすべてひとつにまとまってくるようですね。

とりわけ、どのメッセージにまとまってくるというのではないけれど、「時間」
の問題も何もかも、すべてがひとつにまとまってくるようです。

いま、目の前を強烈な風が吹いています。

強風が木々の枯葉を引きちぎって、北から南に吹き飛ばしています。

風って、いいですね。

というわけで今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

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17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
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<(_ _)>

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■ 【作 者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: paritosho@dream.email.ne.jp
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