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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.096 2005,12/25(第96号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension.html
このページ↑をご覧ください。

また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension_m.html
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これまで地球の次元上昇サポートを背後支援に絞ってこられたETの方々が、
ファーストコンタクトに向けて国勢調査を開始されました。
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ここ↑をご覧ください。

要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か7年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変を通過して、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

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◇◇ もくじ ◇◇

1.自分のものはなにもない

2.編集後記:もうサンタさんが仕事を終えるような時間だけど……。
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■ 1.自分のものはなにもない
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この頃、すっかり日向ぼっこが趣味になってしまって……。^^;

というのはですねぇ、じつはこの田舎に“光”が入ってきて、すっかり世の中
とのアクセスが加速されたのを機会に、耐用年数が来ていた古いパソコンを卒
業することにしたんです。

で、そのついでにPCの位置も変えてみたんです。

そうしたらこの時間、早い日没前の日の光が背中から当たることになって、こ
れが何ともぬくぬくと暖かくて贅沢。(*^_^*)

この頃は、硝子戸の中で日向ぼっこをしながら
『アイ・アム・ザット 私は在る:ニサルガダッタ・マハラジとの対話』(ナ
チュラルスピリット刊)を少し拾い読みして、思わずまどろんじゃう、なんて
こともときどきあります。^^;

この時期、豪雪に悩まされている方々もたくさんいらっしゃるというのに、な
んともはや、申し訳ないような贅沢をさせてもらっています。

それもこれも、じつは、神さま、仏さまのお陰で……。

なんだか、ありがたくって。(-||-)

いままで、こんなこと、なかったも。(;_;)

もっとも、取り上げられたら、すぐ泣いちゃうけど。(*^_^*)

あはは。

ま、ま、固いこと、言いっこなし。

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”にお付き
合いいただく時間がやってまいりました。(^^)/

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有のお時間の中で、いかがお過ごしでしょうか?

わたし、これまで結構、いわゆるスピリチュアル情報というのに興味を持って
きたものですから、余裕のあったときはひたすらそんな本ばかり読み漁ってい
ました。

このところ数年は、ちょっと手許不如意で、そう勝手な買い物もできなくなっ
ていたんですがね。^^;

で、そうやって文字情報ばかり読み漁っては、ときには、縁があったわずかの
方に接近したりしたこともありました。

ところがですねぇ……、あまり“深まる”ということがなくて、いつまで経っ
ても、情報漁りが止まらないわけです。^^;

まあ、止まらない間は、漁ったらいいんですけどね。

それで、そのたんびに、新しい系統の情報源にアクセスするみたいなことが、
嬉しかったんでしょうね。

こういうのは、いわゆる“下根(げこん)”とでもいうのか、まあ、「体験」
を求めるというよりは、「情報」を求める段階とかタイプなんだと思います。

さしずめ、和尚の言葉で言うところの「seeker(=探求者、求道者)」じゃな
くて、「student(=学生)」というところかもしれません。^^;

ここで、ちょっと脱線すると、和尚は、宗教に近づいてくる人達を、
1.seeker(=探求者、求道者)
2.student(=学生、研究者)
3.journalist(=報道記者)
に分けていたようですね。

ちなみに、和尚の本『神秘の次元』(1992年、日本ヴォーグ社刊)の第三章の
タイトルは「道は多く、旅する者は少ない」というのですから、まったく、言
うことはありません。(*^_^*)

(ところで、この本↑は絶版ですが、とてもいい本ですよ。
 
 Web サイトではまだ買えるみたいですけど。
 
 訳もいいし。なんちゃって。あはは。)

で、脱線しましたけど、そうやっていろいろ毛色の変わった本を拾い読みして
みると、それぞれの系統の教えとか情報というのは、じつに、個々にユニーク
で、言うこともまちまちなんですよね。

で、こっちは、自然の勢いで、出会った個々の情報をそれまで自分が掻き集め
てきたじゃっかんの情報と付き合わせて、なんとかマインドの上で“辻褄”を
合わせようとするわけです。

でも、元来が違うシステムの情報ですし、それぞれの情報源がその位置から見
える“風景”を発信しているわけですから、こちらの間尺に合うような話じゃ
ないんですよね。

しかも、90年代になってからは、それも生やさしい質量じゃなくなってきま
した。

まあ、ちょっと“辻褄”の合わせようがないわけです。

しかし、それはそれとして、マインドにとってはじつに面白い、というのも事
実でした。

そんなこんなで、惰性として自然発生的に起こる“情報の突き合わせ”みたい
なことを色々しながら、縁あって出会った情報を読んでいるうちに、とっても
“好きな”情報と、それほどでもない情報というのもあるんだなぁ、という気
がしてきました。

それまでは、チャネリング情報というと、すべてハイクラスな情報のような気
がしていたのが、生意気にも、じゃっかん、こっちで“見繕った”りするスタ
ンスが出てきたというわけです。(^^;)

いやしかし、誰だって、いくつか読めばそうなると思いますけどね。^^;

どうしても、避けがたく、“相対化”は起こると思います。

今思うに、“信じやすい”という程度で言えば、わたしはかなりのものだった
んじゃないかと、思いますけど。(*^_^*)

マインドは、とにかく、“新しい物”好きだから……。

ところがですね、そうやって“マインドの興味”でチャネリング情報を読み漁
りながら、いつもいつも“マイ・ブーム”の状態でうわずっていると、ときど
き、キラっとした片言隻句が頭に残ることがあるんですよね。(@_@)

新しい言葉に触れたときの印象というかショックのせいなのか、それともタイ
ミングの問題なのか、マインドがその情報を掴んで外に棄て損ねたのか、その
情報がもっと下に落ちてしまうことがあるらしいんですよね。

「上手の手から水が漏る」とでもいうのか、さすがのマインドも、ときには、
失敗することがあるみたいです。^^;

そういう意味で、最初に微かなショックとともに聴いて、その後もどうも自分
の中に痕跡が残っているらしい、という気がするのは……。(-_-;)

今思い出せるのは、最初にプーナに行ったときに和尚から聞いた言葉のような
気がします。

当時、毎朝食事時に、和尚のテープレクチャーというのがアシュラム内に流さ
れていました。

インドの冬は、寒すぎなくて、すがすがしくて、今思い出しても、朝はとても
気持ちよかったです。

日本で何冊か読んでいたものだから、和尚の英語は何とか分かったんです。

たしか、国に帰るイタリア人誰かの質問に対する答えだったような。

文脈は憶えていませんが、「批判」するというような状況に関する質問だった
のだと思います。

そのとき、和尚は、「システムは批判したらいい、しかし、けっして、人と批
判してはいけない……」というようなことを言ったのでした。(@_@)

「その人のしたこと、その人のそのときの判断を批判するのは構わない。
 しかし、その人の全体を批判するようなことは、けっしてしてはいけない。
 人間というのはもっとずっと大きな現象だ……」

……なにか、ちょっと、ショックだったんですよね。

朝のすがすがしい空気の中で、とっても素直な状態でこの言葉を聴いたものだ
から、マインドがキャッチして外に棄て損ねたのでしょう、その下のハートに
まで到達してしまったのかもしれません。^^;

いまだに、憶えてますよ。

またまた、脇道に逸れてしまいましたが……。

で、いろいろなチャネリング情報の耳学問を続けているうちに、怪我の功名と
でもいうのか、あるいは、マインドの抗体が強化されたとでもいうのか (^_-)、
それぞれの情報源が使ういわば“方言”みたいなものに対するキャパシティが、
多少、大きくなったような気もします。

この言葉は、今迄読んだことのある言葉で言えば、あの本のああいう言い方に
相当するな……、なんて思うことが出てくるようになりました。

そんなふうに思い始めると、精神世界情報というのは、霊統というか情報源は
それぞれ違っても、結構、同じ“あたりの”ことを指し示しているように思わ
れることもあります。

そうすると、いろんな“方言”の衣装を超えて、いったいどのあたりが、動か
しがたい宇宙の真実なんだろう、なんて“山気”もでてきたりして。(*^_^*)

まあ、“方言”という意味で言うなら、“方言”上の違いの一番大きなものは、
「有神論」と「無神論」の違いなんでしょうか。

日本の古神道とか、ヒンドゥ教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教なんかは
有神論的“方言”を使うんでしょうし、インドのお釈迦さんや中国の老子から
始まる仏教と道教は無神論的な“方言”を使うんでしょうね。

とすると、仏教と道教のハイブリッドの禅は、当然、無神論的“方言”を使う
ことになるでしょうし。

最近は、ユダヤ教の“怒りに満ちた神”「ヤハウェ」というのは、どうもアヌ
ンナキが地球人を奴隷化する手段として創作した神だということになってきた
みたいですね。

で、まあ、そんな床屋政談ならぬ、床屋比較宗教談義をしたいわけでもないん
ですが、わたしが個人的に少し縁があった情報源で言うと、たとえば、和尚の
言葉と、古神道系の『火水伝文(ひみつつたえふみ)』というのがあります。

『火水伝文』という本は、現在『日月神示(ひつくしんじ)』のメインの解説
者になっておられる中矢伸一さんなどはあまり認めていらっしゃらないようで
すが、『日月神示』と同じ霊統の情報源から出てきた本であることは間違いな
いと思います。

『火水伝文』の我空さんの「あとがき」には、
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 また【日月は経綸の計画書じゃ、火水は経綸のワケじゃ。】と知らされ、こ
 のフミと併せ【日月神示】を必ず読まれる様、皆さまに伝えよと申し渡され
 て居ります。……
                         『火水伝文』(p278)
----------------------------------------------------------------------
と、書かれています。

で、わたしは、縁あって、一時この御神示の流れに接触したのですが、自分な
りにちょっと戸惑ったのは、この『火水伝文』の神さまが、「瞑想」を嫌って
いらっしゃることでした。(>_<)

わたし自身はあまり瞑想などしていないとは言え、和尚は、ひたすら「瞑想」
を勧めるマスターです。

その意味では、和尚の唯一の処方は「瞑想」です。

文書としての『火水伝文』に文字としては書かれているのではないにせよ、ま
がりなりにもその和尚の弟子を自認している自分が、この世を「苦」の世界と
諦観したお釈迦様を「仏魔」と呼び、「瞑想」は仏魔の教え、と位置づける
御神示の流れに合流できるだろうか、ということです。

神さまがおっしゃるには、本来この世は苦の世界などではない、神と人民様が
手を取り合って喜び合う、歓喜いやさかの世界なのじゃ、というわけです。

いや、これは、なかなか厄介な問題ですよ。(^_-)

しかも、日本の神さまですから、なかなか強制力も強いです。

日本の神さまは、氏神と氏子という親子の姿が本来の神さまですから、自分を
子供のように慕ってくる人間が可愛いのです。

いやー、「無神論」と「有神論」の違いと言っても、単なる論理展開上のレト
リックの問題ではなく、こういうDNAにまで入ったお話ですから、なかなか
しんどいところがあります。(^^;)

でも、わたしにとっては、ちょっと窮屈だったんですよね。

ちょっと、動きが取れないでいたところに、まるで自分のハイアーセルフが呼
び出してくれたかのように、ひょいと現れたのがEOさんだったんです。

じゃっかん、顕れが荒っぽく感じられていた日本の神さまに対して、EOさん
の毒はじつに劇的なタイミングで効いてくれました。

EOさんにかかっては、日本の神みたいなド田舎の神がというわけです。(^^;)

EOさんは「悟り」の系統の方で、地方の神々など歯牙にもかけない、という
タイプの方でした。

禅の系統の方でも、日本の神道と禅の悟りはまったく同じものだ、というふう
におっしゃる方もいますよ。

それぞれの風景なんでしょうね。

でも、そのときのわたしにはEOさんの腕力がとてもありがたかったです。

そして、そのときは、神または神々というものと、佛とか覚者とか祖師方とい
った存在との違いが分かったような気がしたのです。

神とか神々というのは、会社で言えば部長とか社長とか会長とかいった類の者
で、要するに、ヒエラルキーの一部にすぎないのだと。

そのヒエラルキーが“給料”の違いであるか、“次元”の違いであるかだけの
ことではないか。

そこにいくと、佛とか覚者とか祖師方というのは、ヒエラルキーからドロップ
した者のことだ。

その人は、会社では小使いさん(=用務員さん)かも知れないけれども、いわ
ば“出世競争”の埒外にいるのだ、と。

もし、会社社長がたまたま出かけた休日の川釣りで小使いさんと一緒になった
ら、自分をまったく羨んでなどいないらしい小使いさんを見て、はて、どう思
うだろうか、とそんなことを想像しました。

それで、わたし、それまで毎日お参りしていた神棚を叩きつぶして、焼却炉で
燃やしてしまったのです。(*^_^*)

はは、信じやすいのなんのって……。

その後、随分、お金には困ったけど、それは別に日本の神さまに虐められたと
いうことでもないなぁ。(-_-)

それがどういうことなのか、なんとなく見当は付いてきたけど。

あれ、でも別にそんなことを書こうと思ったわけでもないんだけどな。(?_?)

そうそう、精神世界情報のいろいろな“方言”の話をしていたんだった。

それで、ある種の同じ精神世界情報が、別の“方言”の中ではどんな表現にな
るのかについて、興味を持つようになったというようなことを言っていたんだ
った。

『火水伝文』のお伝え人の我空さんから伺った「五つの杖」というメッセージ
については、前にもちょっと触れたことがありました。

この「五つの杖」というのは、いわばアセンションまでの“渡り廊下”で、わ
れわれが転けないようにと地球の主宰神が渡してくださったリマインダーみた
いなものだそうです。

その中のひとつが、

         <1.自分のものはなにもない>

というのでした。

こう言われると、ちょっと恫喝的で、われわれとしては面白くないような気も
します。

ところが、最近、わたしは日向ぼっこをしながら、よくニサルガダッタの
『アイ・アム・ザット 私は在る』を拾い読みすることがあるんですが、その
なかに、こんなことが書いてあって、それで、ふっとこの「五つの杖」のこの
「自分のものはなにもない」を思い出したんですよね。

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 マハラジ
 執着が勇気を破壊するのだ。与える者には。いつも与える用意がある。だが、
 受け取る者がいないのだ。自由とは手放すことを意味している。人びとはす
 べてを手放したくない。死が不死の代価であるように、無限なるものの代価
 が有限なるものだということを彼は知らないのだ。霊的な成熟はすべてを手
 放す用意のなかにある。あきらめることが第一歩なのだ。だが真の放棄は、
 そこに何も放棄するものなどない悟ることだ。なぜなら、あなたのものなど
 何もないからだ。深い眠りのように、眠りに落ちるとき、あなたはベッドを
 放棄するわけではない。ただそれを忘れるだけだ。
 
               『アイ・アム・ザット 私は在る』(p381)
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m(_ _)m


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■ 2.編集後記:もうサンタさんが仕事を終えるような時間だけど……。
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さすがに、足許が寒くなってきました。

毎回、こんなに遅くなっちゃなぁ。(-_-;)

もうちょっと、早く切り上げるようにしよっと。

……でも、幸せです。

まるで、奇跡のような感じです。

今の自分にとって、地上の生存はまさに贈り物。

なんの努力もなしに、生存していられる。

幸せな状態からの方が、執着から抜け出しやすいそうですね。

実際、こんなふうな年の暮れを迎えられるという確信はじつはなかったです。

もうサンタさんが仕事を終えるような時間だけど……。

今頃は、地上のどこを橇を駆っていらっしゃるのか。

というわけで今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

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17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
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<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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