home > 通信 >今ここに現存しないものは(R.S2):『アセンション館通信』第1006号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2023/7/30(第1006号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.今ここに現存しないものは(R.S2)

2.編集後記
──────────────────

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■1.今ここに現存しないものは(R.S2)
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形態は現れるために変化します。

思考は現れた見かけを解釈します。

思考の仕事は解釈と観念化だといえるでしょう。

解釈と観念化は一瞬一瞬に変化して

とどまることはありません。

その意味で、思考の総称であるマインドは

動揺するのが仕事だといえるかもしれません。

気づきはすべてに気づいていて

すべてを無条件に映し出します。

変化を映し出すものは

それ自体は不動でなければなりません。

この変化と不動の二つの相を包含する

<いま・ここ>に在るものを「現存」といいます。

それが唯一無二の永遠の存在でしょう。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>を

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

朝方、目覚めた後のベッドのなかで

ルバート・スパイラの

『プレゼンス―第2巻』を開きました。

出てきたのは、こんな言葉でした。

──────────────────
 今ここに現存しないものはすべて、
 「愛」の名に値しないし、
 欲する価値もありません。
 そのようなもののことは忘れてしまいましょう。
 今ここに存在しないものは、
 たとえある日見つかったとしても、
 その性質上、
 ある日消えてしまいます。
 
 『プレゼンス―第2巻』(p99)
──────────────────

【今ここに現存しないものはすべて、
 「愛」の名に値しないし、
 欲する価値もありません。】

(-_-;)

これこそが目安ですね。

睡眠中に見ていた夢から

目覚めて見る夢に移行するとき

とてもクリアな状態が在るのでしょう。

こんなに明瞭なことなのに……

と感じられたものです。

このあたりを少し写経したいと思います。

この一節を含む章は

「私たちが常に望んでいるもの」という章で、

以前前半を写経したこともあるようです。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol856.html#1

この章全体は、ルパート・スパイラが

ある女性からの手紙に答えた言葉です。

おそらくキリスト教徒である彼女は

自分が

「愛し、愛されたいという欲求の
 落とし穴にずっとはまってきた」と訴え、
 
「今でもまだ、
 私の中の一部がそれを欲しています。
 実際、私は今ここに座って、
 愛を求めて泣いているのです。」

とその手紙で訴えてきたているようです。

その彼女に対してルパート・スパイラは

こう語りかけます。

──────────────────
 あなたが描写する愛は、
 愛ではありません。
 どんなに繊細であっても、
 それは心(マインド)や体の状態です。
 真の愛は、
 生じることも、
 やってきて去っていくこともありません。
 それはこの世界の中には見つかりません。
 それは、
 あるとき見つかり、
 あるとき失われるものではありません。
 それは関係性や他者とは何の関わりもありません。
 実際、
 愛とは正確には、
 すべての他者性や関係性が溶け去ることなのです。
 
 心(マインド)、体、
 世界といった現象はすべて、
 常に変化しています。
 あなたの体験の中に、
 何か変わらないものはありますか?
 たったひとつだけ、
 あなたの体験の中に変わらない「もの」があります。
 それはあなたです。
 それが、
 あなたの探している愛です。
 
 あなたは決してそれを見つけることができません。
 なぜなら、あなたはすでに、
 いつも、それであるからです。
 といっても、時間の中の「いつも」ではなく、
 永遠の今においてです。
 ですから、
 それを探し求めることはまさに、
 その現存の否定です。
 探すことで、
 それは隠され、
 失われたかのように見えるのです。
 
 変化しないのは、
 あなたの自己、
 気づいている現存です。
 あなたが、
 あなたの欲しているものであり、
 あなたの切望はまさにこの、
 愛そのものの現存です。
 しかし、
 それが不在であるという信念によって、
 つまり、
 それは失われたり見つけられたりする
 対象物であるという信念によって、
 それはうっすらと覆い隠されてしまうのです。
 
 言葉を換えると、
 あなたが探し求めている愛は、
 今ここに、
 あなたの切望の中に存在しています。
 しかし、
 それを将来手に入る対象物として欲すれば、
 かすかながらも、
 あなたの中の、
 あなたである現存が覆い隠されてしまいます。
 
 「神よ、あなたは愛であり、
  この愛を通じて、私はあなたを求めます」
 
 あなたの切望が向かっていく方向を、
 すべて、
 この理解の中に溶かしてしまいましょう。
 そうすれば、
 その中心にある愛が残るでしょう。
 
 『プレゼンス―第2巻』(p96-98)
──────────────────

> あなたが描写する愛は、
> 愛ではありません。
> どんなに繊細であっても、
> それは心(マインド)や体の状態です。

生じたり、

消失したりするようなものは

もともと愛というようなものではない。

そういうものは

ただのマインドや体の状態にすぎないと。

とても見晴らしが良くなる言葉です。

> 真の愛は、
> 生じることも、
> やってきて去っていくこともありません。
> それはこの世界の中には見つかりません。
> それは、
> あるとき見つかり、
> あるとき失われるものではありません。
> それは関係性や他者とは何の関わりもありません。
> 実際、
> 愛とは正確には、
> すべての他者性や関係性が溶け去ることなのです。

愛は関係性や他者とは何の関わりもない。

これならわかるという気がします。

愛とは

他者性や関係性がすべて溶け去ること。

それ以外にありえないですよね。

> 心(マインド)、体、
> 世界といった現象はすべて、
> 常に変化しています。
> あなたの体験の中に、
> 何か変わらないものはありますか?
> たったひとつだけ、
> あなたの体験の中に変わらない「もの」があります。
> それはあなたです。
> それが、
> あなたの探している愛です。

われわれの体験のなかで

永遠に変わらないもの、

それが元々のわれわれ自信であり

われわれが探している「愛」なのだと。

それはつねにいま、

この瞬間に現存している。

永遠に変化しない「それ」が在るから

すべての体験が存在できているのですから。

そして実際は、

マインドに一体化したわれわれが

探し求めている「愛」とは

その永遠の現存である「愛」のことなのだと。

ただ、それは探し求められるとき、

それを探し求めるマインドにとって

現存しないものにならなければならない。

それがいまこの瞬間以外の

未来のいつかに手に入れることを求めることで

いまこの瞬間に現存する「愛」は隠れるのだと。

──────────────────
 今ここに現存しないものはすべて、
 「愛」の名に値しないし、
 欲する価値もありません。
 そのようなもののことは忘れてしまいましょう。
 今ここに存在しないものは、
 たとえある日見つかったとしても、
 その性質上、
 ある日消えてしまいます。
 
 なぜ一時的なものを追い求めるのでしょう?
 そのようなものは
 決してあなたを満たしてはくれません。
 手放せるものは皆、
 手放しましょう
 ──現れ出るものはすべて手放すことができます──
 あなたは私、
 すべての人の、
 愛についての考えもその中に含まれます。
 
 実際のところ、
 現存しているものを探そうとするやいなや、
 それは消えてしまいます。
 私たちは真に現存しているものに
 注意を集中することはできないし、
 それについて考えることすらできません。
 私たちは、
 対象物、過去、未来について
 考えることができるだけです。
 つまり、
 私たちは思考について
 考えることができるだけなのです。
 
 思考は、
 思考自身がほとんど常に探し求めているものを
 知ることも見つけることもできません。
 思考はその中に溶け入ることしかできません。
 炎に向かう蛾のように、
 思考は愛に向かいながら死ぬのです。
 
 皮肉なことに、
 すべての親密な関係において求められているのは、
 この分離した実体としての
 自己の感覚が死ぬことです。
 親密さにおける愛の切望は、
 この死への切望です。
 もしあなたが親密な関係において、
 この愛を見かけ上の他者と分かち合うなら、
 その他者はあなたの人生の中で
 愛と光の灯台として輝き出すでしょう。
 しかし、
 それは必要なことではありません。
 この光と愛は、
 すべてのものの中で輝いているのですから。
 
 あらゆる欲望の真の対象は、
 この死だけです。
 
 心(マインド)は、
 愛のもとに行くことは決してできません。
 この理解の中に心を溶かしてしまいましょう。
 けれど、
 海の中で水を探し求めている魚のように、
 心(マインド)はすでに愛の中で泳いでいます。
 
 すべてのものが過ぎゆくままにまかせましょう。
 ウィリアム・ブレイクの言葉を思い出してください。
 「喜びに自らを縛りつけるものは、
  翼のついた命を壊してしまう」
 
 「翼のついた命」とは、
 愛そのものです。
 私たちはそれを対象物として探し求め、
 私たちの自己を対象物に「縛りつける」と
 ──つまり、過去や未来に縛りつけると──
 愛は見たところ破壊されてしまいます。
 
 手放して、手放して、手放しましょう。
 涙を川のように流し、
 その流れに、
 あなたが知るものをすべて捧げましょう。
 あなたのあらゆる切望も、
 何もかもすべてです。
 
 誰かがマザー・ミーラ
 [訳注:神の化身と考えられている女性]に、
 神には何を捧げてもいいのか、
 それともポジティブなものだけを捧げるべきなのか
 と尋ねました。
 ミーラはこう答えました。
 「子どもはお母さんにカタツムリや木の棒、
  石ころを捧げます。
  それが何であってもお母さんは気にしません。
  ただ子どもが自分のことを
  気にかけてくれていることが嬉しいのです」
 
 すべてを捧げましょう。
 あなたが探し求めている愛は、
 その後に残るすべてです。
 
 『プレゼンス―第2巻』(p99-101)
──────────────────

【今ここに現存しないものは
 「愛」の名に値しないし、
 欲する価値もありません】

そんなものは

たとえ一瞬手に入ることがあっても、

また必ず手からこぼれ落ちてゆくものだから。

見かけの現れの中にあるどんなものも

けっしてわれわれを満たすことはない。

現象として現れるものはすべて

手放すことができる。

あらゆる観念、

あらゆる理解もその例に漏れない。

現存を探すことなどできない。

思考が「それ」を探すということは、

現存を対象物に仕立てて

それを虫ピンで止めようとすることなのだから。

誰が愛の欠如に悩むのだろうか?

思考が“愛の欠如”を想像し、

自分が想像したその“愛の欠如”に苦しむのです。

誰が不安に苦しみ、

安らぎを求めるのでしょうか?

思考が“不安”を想像し、

自分が想像したその“不安”に苦しむのです。

誰が幸福を求めるのでしょうか?

思考が“幸福の欠如”を想像し、

自分が想像したその“幸福の欠如”に苦しむのです。

欲望は自分が探しているものを

知ることも見つけることもできません。

欲望は最後には死ぬことしかできない。

【炎に向かう蛾のように、
 思考は愛に向かいながら死ぬのです。】
 
【あらゆる欲望の真の対象は、
 この死だけです。】
 
もしも、

欲望がそこまで賢くなることができるなら。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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おのずから定まってゆくものに

まかせることしかできません。

自分が決めたら

決めた自分が疑わしくなるから。(^_-)

でも、

おのずから定まってゆくものはあるのでしょう。

あなたの頭は虎の口の中にある。

いまこの瞬間に現存しないようなものは

求める価値もないということが

自明になるのならそれに任せるしかありません。

たしかに、そんなものは一瞬手に入れても、

また失われるに決まっているわけですね。

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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