━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2023/8/20(第1009号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
(『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.自由意志と「考えること」
2.編集後記
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■1.自由意志と「考えること」
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相変わらず外に出ると暑い日が続きますね。^^;;
だからというわけでもないのかもしれませんが、
一日に一度くらいは
自分が何をするつもりでそこに来ているのか
わからなくて立ち止まることがあるような。(*^_^*)
まあ、大したことではありませんが。
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>を
あなたはいかがお過ごしですか?
ずいぶん長いこと
いろいろなスピリチュアルメッセージを漁ってきました。
はじめは究極的な理解を知りたいみたいな
気持ちがあったと思います。
やがて、自分にいちばん合うのはどんな理解だろうか
などとも思っていたように思います。
pariという肉体精神機構が誕生させられた意図に沿って
そのとおりを歩んできたはずです。
このところ彷徨(うろつ)いていたのは
自由意志という観念の周辺でした。
すでにアドヴァイタに触れているですから
「自由意志というものは存在しない」
という観念について知識としては知っています。
しかしニューエイジ系の精神世界では
「『個』の時代」の到来を語るわけですから
もちろん自由意志が存在するという立場です。
以前は、ニューエイジ系よりも
アドヴァイタのほうが究極的なのだと
思っていました。
まあ、pariという肉体精神機構がどう思おうと、
全体がそんなことを気にするはずもありませんが。(^_-)
そのうち、
そんなことはどうでもいいような気もしてきました。
つまり、
インド古来の「リーラ(神聖遊戯)」の観念も、
ミナミAアシュタールなど宇宙的エンティティが語る
「絶対無限の存在」の夢のなかにある多次元宇宙の話も、
違うようでもあり違わないようでもあり、
自由意志は存在しないようでもあり、
存在すると言ってもいいようでもあり、
要するに、
それは単なる観念の相違にすぎません。
唯一無二の「絶対無限の存在」が夢見る夢のなかでは
その夢見られた絵のなかに創造者が隠れているわけです。
その創造者とは多数であり無限です。
多種多様な創造者は自由意志を持って
経験を楽しむのです。
あるいは経験を苦しむと言っても同じことです。
つまり、自由意志という観念が
「喜び」を連想させるのか、
それとも「苦しみ」を連想させるのかという
違いにすぎないのかもしれません。
どうやら、
pariという肉体精神機構の場合は
自由意志という観念で「苦しみ」を連想するらしい。
ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジ、
あるいはラメッシ・バルセカールの影響でしょう。
あるいは地球という一種特別な地場の
影響圏に関わることなのかもしれません。
しかしそのpariという肉体精神機構についても
最初から自由意志について
そういう観念を持っていたわけでもありませんが。
ただこんなことも思います。
自らの自由意志について絶対無限の確信があるなら、
それでもそこに「経験を苦しむ」という
観念が生き延びる余地があるのだろうか?と。
と同時に、
夢見のない深い熟睡のなかには、
いかなる「経験を苦しむ」余地もないことは自明です。
やはり、「考えること」が起こるところに、
苦しみがあるのです。
「考える」とは「苦しむ」ことなのでしょう。
これは間違いなさそうです。
ならばなぜ「考える」のか?
それは、
「考える」ことが「苦しむ」ことであることが
完全に理解されていないからです。
「考える」ことが「苦しむ」ことであると
統覚されていない状態なのです。
だから、まだ「考える」ことに
意識エネルギーが流れ込むのです。
そして、そうであるなら、
「自由意志」とは意識エネルギーが
現象に向けて流れ込むことだと言えそうですね。
現象はいかなる意味でも
絶対の主観性ではありえないので、
やはり「自由意志」は
「経験を苦しむ」ことに結びついているのでしょう。
これで決まりですね。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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読み物として面白ければと思っています。
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■ 2.編集後記:
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「考えること」でたどり着けるのは
ここまでかなとも思えます。
しかもなお「考えること」が止まらないのなら
それはそのような運命なのでしょう。
今日も晩くなりました。
おやすみなさい。
<(__)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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