home > 通信 >無条件の信頼(レオ・ハートン):『アセンション館通信』第1016号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2023/10/8(第1016号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.無条件の信頼(レオ・ハートン)

2.編集後記
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■1.無条件の信頼(レオ・ハートン)
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いま生ゴミをコンポストに入れに外に出たら、

かすかな雨が降っているようでした。

すべては夢のなか。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>を

あなたはいかがお過ごしですか?

いろいろな次元の夢が流れてゆきます。

2023年8月8日、ハワイ・マウイ島で

突然の山火事が発生しました。

米国での山火事の犠牲者数では

1918年以降で最多だそうです。

島西部の観光地ラハイナは2200以上の建物が損壊、

約9平方キロが焼尽するといった大災害です。

『ナオミ・クライン ショック・ドクトリン』(NHKテキスト)
の著者で

幻冬舎新書『堤未果のショック・ドクトリン 
政府のやりたい放題から身を守る方法』

の著者である国際ジャーナリストの堤未果さんは、

ちょうどこのときハワイにおられたそうです。

この大火災には一般世間には流されない

現地の情報があるのだそうです。

地域住民の大多数が焼け出された一方で、

山火事が避(よ)けて通った地域があるそうです。

それはマイクロソフトの創設者ビル・ゲイツとか

アマゾンの創設者ジェフ・ベゾスといった

世界の大富豪たちの別荘がある地域なのだとか。

このハワイ・マウイ島は

“スマートシティ”構想の対象地域で、

地域住民の方々はことごとく

この構想に反対していたそうです。

そしてこの火災の直前に

この地域の火災は火災保険の対象外となるという

法律が成立していたのだとか。

そのため焼け出された現地住民は

もう元の自分の家に戻ることもできないそうです。

なんとまた……。(-_-;)

そしてそのタイミングにちゃんと

国際ジャーナリストの堤未果さんが遭遇する。

そんなふうに地球世界の現実は流れているのですね。

堤未果さんによると、

日本もこの“スマートシティ”構想の対象地域に

設定されているのだそうです。

まあ……こんな情報に興味をもっても、

それはただのマインドの刺激にすぎず、

そのことから利益を受ける者もいなければ、

不利益を被る者もいないわけですが。

すべての現象は夢のなかの物語にすぎません。

毎朝、目が覚めたとき、

それまで観ていた夢の世界はどこに在るでしょうか?

もちろん、目覚めた者には

夢の世界がどこにも存在していないことは自明です。

それはただの自分の記憶の織物にすぎなかったわけです。

そしてもちろん、

夢のなかの登場人物の“自分”が目覚めて

<いま・ここ>にいるわけでもありません。

目覚めた者とは、

その夢の世界がどこにも存在していないことを

一点の疑いもなく知っている者です。

このわれわれが観ている現実世界も、

その現実世界という夢から目覚めた者には

どこにも存在しない虚構の観念の織物にすぎません。

さまざまなスピリチュアル情報が

現在は26000年越しの特別なタイミングであるとか

いろいろな情報を伝えてくれています。

そんな特別なタイミングならと、

なんとか“自分”にとって“最高に望ましい状態”を

望もうかなどと思ったりもします。

でも、そんな全身全霊の願いが……

なかなか起こらない。

だって、エゴが外れることなんて、

エゴが望めるようなことではありませんものね。

(存在してもいない)エゴが外れることを、

(存在してもいない)エゴが望むことなど

ありえないわけですから。

こんな気分のときには

よくヒロさんの翻訳された

resonanz360 塩人間の海底探検

を訪問します。

今回はレオ・ハートンの記事を眺めたくなりました。

無条件の信頼 レオ・ハートン

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 素晴らしい恩寵?
 
 Q. 著書Awakening to the Dreamのなかで、
 あなたは「疑問が氷解する」
 ということについて書いています。
 「この認識は自動的に起こるものだが、
  恩寵として扱われることも多い。
  でもそれは人が期待して待つようなものではない」
 
 この恩寵について説明してもらえないでしょうか? 
 恩寵は贈り物か、
 あるいはご褒美であるかのように感じられます。
 以前、自己認識が、
 新しい靴を買ったときにもらえる風船に
 なぞらえられているのを読んだことがあります。
 
 A. 恩寵はどちらかと言えば、
  ご褒美というよりは贈り物のように思えます。
 でも、実際にはどちらでもありません。
 恩寵が誰かに対する贈り物であったり、
 何かに対するご褒美であったりしたら、
 それは原因と結果という
 二元性に戻ってしまうことになります。
 知性がこれを二元的なやり方でとらえるのは
 驚くべきことではありません。
 知性は、
 すべてを相対する組み合わせに
 分割することでしか作用できません。
 善と悪、原因と結果、
 行為と報酬といったかたちで。
 結局のところ、
 恩寵というのも、
 直接的にしか認識することができないものを
 指し示すもののひとつにすぎません。
 もしかしたらこうした説明は
 やや抽象的に聞こえるかもしれませんね。
 でも、
 実際にはこれはとても単純なことで、
 「甘い」という言葉に
 味がないということと同じくらい単純です。
 この文脈で言うと、
 恩寵という言葉は〈存在しているそれ〉、
 「私は在る」として
 マインドを通してそれ自体を表現している
 〈それ〉を指し示しています。
 そしてこの中心にある、
 あなたがずっと実際にはそうだったものとしての、
 知られているのではなく
 〈知っている自己〉の本質を指し示すと同時に、
 その認識・承認を指し示しています。
──────────────────

> 知性は、
> すべてを相対する組み合わせに
> 分割することでしか作用できません。

マインドはそのようにしか

機能できません。

> 善と悪、原因と結果、
> 行為と報酬といったかたちで。

もともとひとつのものを

観念的に分離・分解しなければ

何ひとつ想像できないわけですから。

> 結局のところ、
> 恩寵というのも、
> 直接的にしか認識することができないものを
> 指し示すもののひとつにすぎません。

そういうことなんでしょうね。

──────────────────
 「あなた」には関係ない
 
 Q. 
 「私」の理解が正しいとしたら、
 あなたが言っているのは、
 存在しているのは〈自己〉
 もしくは〈存在〉だけであり、
 すべてはそこから生じているということです。
 実際には存在していない、いわゆる探求者は、
 信頼や恩寵やさまざまな言葉を通して
 その中で正しい道を見つけようとします。
 そうすると
 これはまるでゲームのように感じられます。
 でも、現象世界の中で
 「私たち」に与えられている「仕事」は
 どうなるのでしょうか?
 
 A.
 存在しているのは〈一なる自己〉だけで、
 それがすべてとして現れています。
 探求者も、探求されているものも、
 そのひとつです。
 唯一の実体のなかに無数の現れが生じます。
 唯一の実体は、粘土とまったく同じように、
 その本質を変えることなく
 悪魔から天使までどんな形をとることもできます。
 
 これをゲームとして理解することも確かに可能です。
 ヒンドゥー教徒はこれをリーラと呼びました。
 このゲームのなかでは〈自己〉が唯一の俳優で、
 すべての役を演じています。
 これはすばらしい比喩ですが、
 どんな比喩でもそうであるように、
 それはただ指し示しているにすぎません。
 どんな概念もこれを包含することはできません。
 ですが、ときに概念が的にあたり、
 それ自体を不必要にしてしまうことがあります。
 アラン・ワッツがかつて
 「必要なことが伝わったら、受話器を置け」
 と言っていたようにです。
 この喩えはあきらかに
 携帯電話が登場する前のものですが、
 それでもきわめて明瞭です。
 
 あなたの言った「仕事」と
 この現象とを切り離すことはできません。
 形と実体を切り離すことができないのと同じです。
 「仕事」がそこにあるのであれば、
 それは〈それ〉が
 そのように顕現しているということです。
 それは実際には私たちの仕事ではありません。
 すべてはなされますが、
 仕事に携わっている誰かは存在していません。
 すべての行為は、
 行為として現れている〈それ〉です。
──────────────────

> これをゲームとして理解することも確かに可能です。

たしかに。

ミナミAアシュタールは

これをゲームとして語っています。

> ヒンドゥー教徒はこれをリーラと呼びました。
> このゲームのなかでは〈自己〉が唯一の俳優で、
> すべての役を演じています。

このリーラという比喩は

じつにすばらしいですね。

> これはすばらしい比喩ですが、
> どんな比喩でもそうであるように、
> それはただ指し示しているにすぎません。
> どんな概念もこれを包含することはできません。

そういうわけですね。

> 「仕事」がそこにあるのであれば、
> それは〈それ〉が
> そのように顕現しているということです。

これが夢の中ではなかなかしんどい。

> それは実際には私たちの仕事ではありません。
> すべてはなされますが、
> 仕事に携わっている誰かは存在していません。

マインドでこれほど納得しても、

ラメッシ・バルセカールが言う「聖なる催眠」、

エゴの掛けがねは外れませんものね。

> すべての行為は、
> 行為として現れている〈それ〉です。

それにもかかわらず、

もう夢を見ることは起きないようです。

──────────────────
 無条件の信頼
 
 Q. 
 〈自己〉がすべてとして現れているというのは、
 素晴らしいイメージです。
 個人として、
 全体から切り離された形で、
 探求者あるいは非探求者として
 現れているように見える数えきれない人々で
 構成されている世界として
 〈自己〉が現れているということになります。
 この世界のなかにものごとが現れます。
 野望、力の感覚や無力さの感覚、
 なし遂げるべきものごとについての観念、
 見かけ上の達成、
 すべてが違ったかもしれない、
 あるいはすべてが違わなければならないという思考、
 信頼の感覚、
 悟りや静寂への欲求といったことがです。
 それだけなのですか?
 
 A. 
 ええ、それだけです。
 でも、
 すべてを説明できたということを
 言っているのではありませんが。
 〈自己〉認識は
 〈自己〉驚愕だと言うこともできます。
 この驚きは、
 意識が「在るということ」、
 そしてそのなかに現れるすべてに関するものです。
 花はただ花ですが、
 それは花として現れている
 〈一なるもの〉でもあります。
 人は花を
 「花」という言葉を使って識別するために、
 すぐにそれが何かを
 自分はもう知っていると決めつけます。
 それをどう表現したとしても、
 それで十分ということはありえません。
 本質的な意味では
 言い表すことができないということが認識されると、
 そもそもなにかが存在しているということに
 驚嘆する余地が生じます。
 絶対的な何も無さから、
 何かが在るということが
 どうも生じているようなのです。
 無より少ないものならまだしも、
 無を超えるものなどそこにあるはずがない!
 と原因と結果の論理がわめいているのを尻目に。
 
 この〈実在〉の神秘は、
 経験できるような対象に
 それを還元することができない
 というところにあります。
 それは経験することであると同時に、
 経験されるものであり、
 そしてそのどちらをも超えて、
 それ自体で主体と客体を兼ね備えています。
 このもっとも本質的な〈自己〉は並外れて平凡で、
 つねに 
 ― そしてそれにもかかわらず時間を超えて ― 
 存在しています。
 それは在るものであり、
 わたしたちがそれであるものです。
 
 もちろん、
 私たちは肉体でできた単なるはかない存在だ
 という観念を超えたこの〈実在〉を、
 〈無条件の信頼〉と呼んでもいいでしょう。
 その場合、
 この言葉は
 人がなしえるようなことを示すものではなく、
 名づけることのできない
 〈存在しているそれ〉を
 指し示す可能性があるものです。
──────────────────

> 〈自己〉認識は
> 〈自己〉驚愕だと言うこともできます。

すばらしいですね。

【〈自己〉認識は
 〈自己〉驚愕だと言うこともできます。】

そういうことなのか。

それがマインドの理解との違いですね。

> この驚きは、
> 意識が「在るということ」、
> そしてそのなかに現れるすべてに関するものです。
> 花はただ花ですが、
> それは花として現れている
> 〈一なるもの〉でもあります。

なるほどなぁ。

> 本質的な意味では
> 言い表すことができないということが認識されると、
> そもそもなにかが存在しているということに
> 驚嘆する余地が生じます。
> 絶対的な何も無さから、
> 何かが在るということが
> どうも生じているようなのです。

そういうことなんですねぇ。

ロバート・モンロー氏の

『魂の体外旅行――体外離脱の科学――』

のなかに地球という惑星が

「圧縮学習」のための特殊な星であることが

書かれています。

モンロー氏はその体脱体験のなかで

地球ポータルの管理者であるエドから、

ここを通過するのは三種類の人間だと伝えられます。

自分が何者かを忘れ始めたばかりの「新参者」。

何度も人間経験を繰り返し、

居残るためには何でもするが、

家に帰るだけの記憶を持たない「古参」。

そしてもう一回人間として肉体の生命を体験し、

それが終わったら消える「最終回」の連中がいるのだと。

後にモンロー氏は自分でもその「最終回」者を

遠くから見る機会があるのですが、

彼らの途方もない光に圧倒されます。

「最終回」者とは地球の「圧縮学習」の

卒業者とも言えるのかもしれません。

ラマナ・マハルシは

「神」と「ジニャーニ」の違いについて語ります。

ニューエイジのスピリチュアル情報は

「神(絶対無限の存在)」について語ることはあっても、

「ジニャーニ」について語ることは

ないのかもしれませんね。

言葉はすべて観念にすぎません。

しかし実在は観念ではないのですね。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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手にとっていただけました?(^^;)

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読み物として面白ければと思っています。

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■ 2.編集後記:
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マインドは動かざるをえません。

不動なるものに対する

恐怖から、

嫌悪へ、

そして驚愕、

感嘆へと……動いてゆくのでしょうか。

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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