home > 通信 >「ギーターを読む立場」(PFNM):『アセンション館通信』第1020号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2023/11/5(第1020号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「ギーターを読む立場」(PFNM)

2.編集後記
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■1.「ギーターを読む立場」(PFNM)
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夢のなかのすばらしい秋の一日でした。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>を

あなたはいかがお過ごしですか?

このごろラメッシ・バルセカール師の

『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』

を読み続けています。

こんな当然のことが書かれていたのか……

と感じる一方で、

それを“マインドで理解した”からと言って、

だからと言って

「聖なる催眠」が外れるわけでもないことが

身にしみてきます。

何事かを「マインド」が理解することなど

ありうるはずもないわけですから。

「マインド」とは意識の顕現内容であり、

知覚の対象物です。

<いま・ここ>という気づきのなかに

一瞬一瞬知覚の対象物として浮上してくる想念が

いったい何を理解できるというのでしょうか?

一瞬一瞬、浮上してくる想念は

知覚の対象物の役割を果たしています。

あるひとつの想念は

その瞬間の知覚の対象物であることで

すでに十分にその機能を果たしています。

もちろん、次のひとつの想念もまた

その瞬間の知覚の対象物であることで

すでに十分にその役割を終えているのです。

それに続いて次々と想念が湧いてきて、

一見、

ある種の理解を形成しているように見えたとしても、

一つ一つの知覚の対象物に、

別の何かを知覚する主体性など

あるはずもないことは明らかです。

ましてや、

次々と浮上してくる想念たちに

何かを知覚し、認識し、理解し、

解釈する独立した主体性など

あるはずもないことは自明です。

つまり、

浮上してくる想念たちに

何かを感じたり考えることなど

できるはずもないのは自明ではないでしょうか。

われわれ人間という知覚の対象物は、

自分が考えているつもりでいます。(*^_^*)

あたかも見かけのなかに誕生した精神身体機構と、

その装置によって投影された想念たちに

独立した実存があるかのように。

つまり、

あたかもこの精神身体機構である“自分”が

感じたり、考えたりしているかのように。

それを見ているのは、

あらゆる顕現が流れ出す源である非顕現です。

顕現と非顕現は同じものです。

それしか実在していないわけですから。

ただ、今この瞬間に

このような想念が湧いてきたからと言って、

次の瞬間にも同じような超越的想念が

湧いてくるという保証もありません。

つまりは、「聖なる催眠」、

マーヤのパワーの強大さです。

では今日は

ラメッシ・バルセカールが

「14 ギーターを読む立場」とタイトルした

マハラジのある日のメッセージを聞きましょう。

(相変わらず長すぎる引用ですが、

 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

──────────────────
 
 14 ギーターを読む立場
 
 あるセッションで、
 気品のある容貌の女性の訪問者が
 バガヴァッドギーターについて、
 質問をしたがっていました。
 彼女が自分の質問を適当な言葉でまとめているとき、
 突然マハラジが彼女に尋ねました。
 「あなたはどの立場からギターを読むのかね?」
 
 訪問者
 ギーターは霊的探求者にとって、
 たぶんもっとも重要な指針だという立場からです。
 
 マハラジ
 どうしてあなたはそんな愚かな答えを出すのか?
 もちろん、
 それは霊的探求者にとって非常に重要な指針だ。
 それは作り話の本ではない。
 私の質問とは、
 「あなたがその本を読む立場は、何か?」
 ということだ。
 
 別の訪問者
 先生、
 私はそれを世の中にいる多数の
 アルジュナの一人として読みます。
 主クリシュナは慈悲深くも、
 そういったアルジュナたちの恩恵のために、
 ギーターを詳しく説明してくださっているからです。
 
 マハラジが他にも答えがあるかどうか、
 皆を見回したとき、
 この答えを確認する
 一般的なつぶやきがあっただけでした。
 
 マハラジ
 主クリシュナの立場からギターを読んだらどうかね?
 
 この提案に対して、
 二人の訪問者から同時に二種類の
 驚くべき反応がありました。
 一つは、
 その提案が神への冒涜にも等しい
 ということを明らかに意味している
 ショックの叫びでした。
 もう一つは、
 たった一回パチっという手を叩く音があり、
 それはアルキメデスの「ユリーカ」
 (訳注:アルキメデスが王冠の金の純度を測る方法を
     発見したときの叫び)
 にも似た何かを示していました。
 その当の訪問者たちは二人とも、
 自分たちの無意識の表現と
 これら二つの反応がお互いに
 まさに正反対であった事実に困惑していました。
 マハラジは手を叩いた人に
 素早く承認のまなざしを投げかけ、
 続けました。
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p82-83)
──────────────────

「主クリシュナの立場からギターを読んだらどうかね?」

という意表をつくマハラジの提案に対して、

聴講者からこんな二つの反応が起こったようです。

マハラジはその提案の理由を説きます。

──────────────────
 マハラジ
 たいていの本は
 誰か悟った人が話した言葉だとされている。
 その人がどれほど悟っていても、
 彼は受け入れ可能だと思うある観念に基づいて
 話さなければならない。
 しかし、
 ギーターの際立つ特徴は、
 主クリシュナは自分がすべての顕現の源泉である
 という立場から話しているということだ。
 つまり、
 顕現の立場からではなく、
 顕現全体は私自身であるという
 非顕現の立場から話している。
 これがギーターのユニークなところである。
 
 それから、
 マハラジは次のように言いました──
 大昔の宗教の経典が記録される前に
 何が起こったはずかを考えてみなさい。
 あらゆる場合において、
 悟った人は自分が言葉で表現する前に
 その思考をもったはずで、
 使われた言葉は
 彼の正確な思考を伝えるには
 それほど適切ではなかったかもしれない。
 マスターの言葉は
 それを記録する誰かに聞かれたことだろうし、
 そして、
 もちろん彼が記録したものは
 彼自身の理解や解釈に従っていたことであろう。
 最初の手書きの記録のあと、
 様々なコピーが
 何人かの人たちによって為されたことだろうし、
 そのコピーは数多くの間違いがあった可能性がある。
 言い換えるなら、
 ある特定の時代の読者が
 読んで理解しようとしていることは、
 最初のマスターが本当に伝えようとしたこととは
 まったく違う可能性があるのだ。
 これすべてに加え、
 世紀を経るにつれて、
 様々な学者たちによる無意識的か意図的な
 改ざんが改善もあったことだろう。
 これで私があなた方に伝えようとしている
 問題がわかると思う。
 
 仏陀はマーガディー語でしか
 話さなかったと私は聞いているが、
 その一方、
 彼の教えはパーリー語や
 サンスクリット語で記録されていて、
 それは長年の後になって
 ようやく為されたことだろう。
 そのため、
 私たちが現在仏教の教えとして得ているものは、
 無数の手を通過してきたものにちがいない。
 長年の間に染み込んだに違いない
 改ざんや追加を想像してみなさい。
 だから、
 仏陀が実際に言ったたことや
 言わんとした意図について、
 今では様々な意見や論争があるのは
 当然のことではないだろうか?
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p83-85)
──────────────────

> たいていの本は
> 誰か悟った人が話した言葉だとされている。

インドでは

本といえば誰か悟った人が話した言葉、

と思われるような時代がごく最近まで

あったのでしょう。

日本でも、戦前までの本屋には

そんな感じが無きにしもあらずだったようですが。

自分は小学四年生までの教育しかない

ほとんど文盲のような人間

と自称するマハラジはこんな見解を披露します。

> その人がどれほど悟っていても、
> 彼は受け入れ可能だと思うある観念に基づいて
> 話さなければならない。

それは間違いないでしょうね。

対面する相手に向かって話すわけですから。

> しかし、
> ギーターの際立つ特徴は、
> 主クリシュナは自分がすべての顕現の源泉である
> という立場から話しているということだ。

ギーターという文献は

そういうものなんですね。(@_@)

> つまり、
> 顕現の立場からではなく、
> 顕現全体は私自身であるという
> 非顕現の立場から話している。
> これがギーターのユニークなところである。

クリシュナは顕現全体の源である

非顕現の立場から話している。

> 大昔の宗教の経典が記録される前に
> 何が起こったはずかを考えてみなさい。
> あらゆる場合において、
> 悟った人は自分が言葉で表現する前に
> その思考をもったはずで、
> 使われた言葉は
> 彼の正確な思考を伝えるには
> それほど適切ではなかったかもしれない。

世間の常識とかけ離れたことを

話さなければならないとき、

その内容を伝える言葉を選ぶのは

とても難しかったことでしょう。

> マスターの言葉は
> それを記録する誰かに聞かれたことだろうし、
> そして、
> もちろん彼が記録したものは
> 彼自身の理解や解釈に従っていたことであろう。

それ以外に

賢者の言葉を伝える方法はないでしょう。

> 最初の手書きの記録のあと、
> 様々なコピーが
> 何人かの人たちによって為されたことだろうし、
> そのコピーは数多くの間違いがあった可能性がある。

それは理解できます。

> 言い換えるなら、
> ある特定の時代の読者が
> 読んで理解しようとしていることは、
> 最初のマスターが本当に伝えようとしたこととは
> まったく違う可能性があるのだ。

わかります。

> これすべてに加え、
> 世紀を経るにつれて、
> 様々な学者たちによる無意識的か意図的な
> 改ざんが改善もあったことだろう。

学者たちはスポンサーである

権力者のために改竄したかもしれませんし。

> 仏陀はマーガディー語でしか
> 話さなかったと私は聞いているが、
> その一方、
> 彼の教えはパーリー語や
> サンスクリット語で記録されていて、
> それは長年の後になって
> ようやく為されたことだろう。

仏陀が使っていた言葉は

マーガディー語というんですね。

パーリー語で話していたように思っていました。

> そのため、
> 私たちが現在仏教の教えとして得ているものは、
> 無数の手を通過してきたものにちがいない。

間違いなく。

> 長年の間に染み込んだに違いない
> 改ざんや追加を想像してみなさい。
> だから、
> 仏陀が実際に言ったたことや
> 言わんとした意図について、
> 今では様々な意見や論争があるのは
> 当然のことではないだろうか?

なるほど。

──────────────────
 こういった状況なので、
 私があなた方にギーターを
 主クリシュナの立場から読むようにと頼むとき、
 読んでいるとき、
 あなた方が肉体−マインドの複合体との一体化を
 即座に放棄することを頼んでいるのだ。
 私はあなた方に、
 意識が感覚を与えている
 現象的対象物の立場からではなく、
 あなたは生きている意識
 ──クリシュナ意識──であるという視点から
 ギーターを読むことを頼んでいる。
 そうすれば、
 ギーターという知識があなたに対して
 本当に展開されることだろう。
 そのときあなたは、
 ヴィシュヴァルーパダルシャン
 (ヒンドゥー教の神のヴィシュヌや
  クリシュナの神人融合的聖像)の中で、
 主クリシュナがアルジュナに示したことは、
 彼自身のスヴァルーパ
 (本当の姿)であるだけでなく、
 アルジュナ自身のスヴァルーパでもあり、
 それゆえ、
 ギーターのすべての読者の
 スヴァルーパでもあることも理解することだろう。

 要約すれば、
 クリシュナ意識として
 主クリシュナの立場からギーターを読みなさい、
 ということだ。
 そうすればあなたは、
 現象が「解放される」ことはできないことを
 理解するだろう。
 なぜなら、
 それはどんな独立した実存も持っていないからだ。
 それは幻影、影にすぎない。
 もしギーターがこの精神で読まれるならば、
 肉体−マインドの構造物と
 間違って一体化している意識が、
 それ自身の本質に気づき、
 その源泉と融合することであろう。
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p85-86)
──────────────────

> 私はあなた方に、
> 意識が感覚を与えている
> 現象的対象物の立場からではなく、
> あなたは生きている意識
> ──クリシュナ意識──であるという視点から
> ギーターを読むことを頼んでいる。

ギーターという神の言葉は、

人間の立場からではなく

語っている神自身の立場から読みなさい。

> そうすれば、
> ギーターという知識があなたに対して
> 本当に展開されることだろう。

なるほど。

実際には神しか存在していないのなら、

その立場から読むしかないですね。

> そのときあなたは、
> ヴィシュヴァルーパダルシャン
> (ヒンドゥー教の神のヴィシュヌや
> クリシュナの神人融合的聖像)の中で、
> 主クリシュナがアルジュナに示したことは、
> 彼自身のスヴァルーパ
> (本当の姿)であるだけでなく、
> アルジュナ自身のスヴァルーパでもあり、
> それゆえ、
> ギーターのすべての読者の
> スヴァルーパでもあることも理解することだろう。

そういうことなんですね。

> 要約すれば、
> クリシュナ意識として
> 主クリシュナの立場からギーターを読みなさい、
> ということだ。

わかりました。

それ以外の読み方は意味がないわけですね。

> そうすればあなたは、
> 現象が「解放される」ことはできないことを
> 理解するだろう。

おぉ。(-_-)

【現象が「解放される」ことはできない】

対象物である現象が悟ることなどありえない。

> なぜなら、
> それはどんな独立した実存も持っていないからだ。

現象にははじめから独立した実存などない。

> それは幻影、影にすぎない。

それは非顕現という源から流れ出した幻影、

非顕現の影にすぎない。

> もしギーターがこの精神で読まれるならば、
> 肉体−マインドの構造物と
> 間違って一体化している意識が、
> それ自身の本質に気づき、
> その源泉と融合することであろう。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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キンドル本の『地球世界はかなり特殊』

手にとっていただけました?(^^;)

アマゾンに入って

【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。

読み物として面白ければと思っています。

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■ 2.編集後記:
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このごろよるトイレに起きると

しばらく目覚めている習慣になってしまって。

そんなときはたいてい

ラメッシ・バルセカールが伝えてくださる

マハラジの言葉を読んでいます。

なんか語られる言葉があまりにも自明で……。

そういう夢の場面の登場人物になっています。

そのうち本も読まなくなるでしょう。

(-||-)

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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