home > 通信 >「夢」(J.ジェニファー・マシューズ):『アセンション館通信』第1021号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2023/11/12(第1021号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「夢」(J.ジェニファー・マシューズ)

2.編集後記
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■1.「夢」(J.ジェニファー・マシューズ)
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急に寒くなりましたね。

我が家のニケがしきりに膝の上に

乗ってきたがるのもわかります。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>を

あなたはいかがお過ごしですか?

しばらくぶりになぜか

ヒロさんが翻訳されたジェニファー・マシューズの

『ただそのままでいるための超簡約指南』

を右手の本棚から取り出しました。

まるで初めて読むような感じでした。

え、こんなことが書いてあったの!?(@_@) ⌒★?

ぜんぜん知らなかった。

なんとナントの難破船!

ヒロさんの慧眼は驚くべきものですね!

ヒロさんが翻訳された本を

はるかあとから追いかけている感じです。

今日はジェニファー・マシューズの

『ただそのままでいるための超簡約指南』のなかの

「夢」という章をご紹介します。

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長すぎる引用ですが、

 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

この本、ぜひ買われるといいです。

もしあなたがKindle Unlimited の会員なら、

Kindle版を無料で読むことができます。

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 夢

 ある晩、
 ダニがわたしの太ももに食い込もうとしている夢を見た。
 わたしは指でダニをつまんだ。
 皮膚に潜り込まないうちに、
 ダニの脚を引っぱり出すことに成功した。
 薬箱からピンセットを持ってきて、
 バラバラになったダニの残骸をのこらず慎重に取り除く。
 それから石けんでその小さな傷口を洗う。
 目が覚めると、
 太ももにはまったく何の異状もなく、
 ダニが入り込もうとしたような形跡は見当たらなかった。
 ダニをすごく慎重に
 引っぱり引っぱり出したからではない。
 そんなダニはそもそも存在していなかったのだ。

 この夢の例で、
 「解決策」が問題を解決し、
 それから目覚めたことによって
 はじめから問題は存在していなかったことが明らかになる、
 という様子がわかってもらえただろうか。
 「解決策」と「目覚め」というふたつのことは、
 なんとなく関係しているように
 ついみなしてしまいがちだ。
 でもふたつが関係しているのかどうか、
 わたしには自信がない。

 『ただそのままでいるための超簡約指南』(p35-36)
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> ある晩、
> ダニがわたしの太ももに食い込もうとしている夢を見た。

よくもこんなイメージ喚起力豊かな状況を

思い浮かべられるものですね。

思い浮かべる人はいないわけだけど。(^_-)

> わたしは指でダニをつまんだ。
> 皮膚に潜り込まないうちに、
> ダニの脚を引っぱり出すことに成功した。

なんだかこっちまでそんな気になっちゃう。(>_<)

> 薬箱からピンセットを持ってきて、
> バラバラになったダニの残骸をのこらず慎重に取り除く。
> それから石けんでその小さな傷口を洗う。
> 目が覚めると、
> 太ももにはまったく何の異状もなく、
> ダニが入り込もうとしたような形跡は見当たらなかった。

おお。

> ダニをすごく慎重に
> 引っぱり引っぱり出したからではない。
> そんなダニはそもそも存在していなかったのだ。

そりゃそうです。

> この夢の例で、
> 「解決策」が問題を解決し、
> それから目覚めたことによって
> はじめから問題は存在していなかったことが明らかになる、
> という様子がわかってもらえただろうか。

なるほど。

たしかにそうですね。

> 「解決策」と「目覚め」というふたつのことは、
> なんとなく関係しているように
> ついみなしてしまいがちだ。

おお……。

> でもふたつが関係しているのかどうか、
> わたしには自信がない。

そうきましたか。(-_-;)

──────────────────

 問 手品のおじさんの帽子から
   ウサギが出てくるのはどうして?
 答 ウサギはもともと帽子に入っていたんだよ。

 自分の人生にはいつまでも消えない、
 手に負えない「問題」があるという幻想。
 この幻想を人生から取り除くにはどうしたらいいだろう?
 これを言うのはわたしが初めてじゃないと思うけれど、
 問題があるという感覚が、
 「問題を抱えた個人」という自己感覚と
 結びついていることに気づけばいい。

 自分は体の中に閉じ込められている人間だ
 という感覚こそが根本的な幻想、
 人生という物語を展開させている手品の仕掛けだ。
 でもわたしたちは、
 この個として閉じられた自分に夢中になっている
 自己という小さな塊じゃない。
 わたしたちの本当の自己、
 本当の「わたし」は、
 開かれた気づき、
 一切に開かれていて愛情深い経験の場なのだ。

 レストランで子どもたちに配られる
 スライドパズルを知っているだろうか。
 数字が書かれたタイルを順番に並べる、
 例のあれ。
 わたしたちの本当の「わたし」は、
 あのパズルでタイルを動かすためにある
 空の空間みたいなものだ。
 正方形に空いている空間は、
 動かすタイルとほぼ同じ大きさになっている。
 それは空間でできたタイルのように見える。
 でも空間はものじゃない。
 四角形をした空間片なんて存在しない。
 タイルとタイルのあいだにただ隙間があって、
 それがあるおかげでタイルを動かすことができる。

 本当の「わたし」は開かれている空っぽの「場」で、
 それがあるおかげで経験が自由に現れることになる。
 乗り越えなきゃいけない自分、
 乗り越えなきゃいけない状況など
 ないんだと気がついたとき、
 わたしたちは唯一の本当の自由を手にする。
 囚われているという錯覚、
 ひとりの人間の経験に閉じ込められているという
 錯覚からの解放だ。

 『ただそのままでいるための超簡約指南』(p36-37)
──────────────────

> 問 手品のおじさんの帽子から
>   ウサギが出てくるのはどうして?
> 答 ウサギはもともと帽子に入っていたんだよ。

そうかぁ。

これはいくらでも深遠に展開できる状況ですね。

> 自分の人生にはいつまでも消えない、
> 手に負えない「問題」があるという幻想。
> この幻想を人生から取り除くにはどうしたらいいだろう?

もしもそんな方法があるのなら、

知りたい人はたくさんいるでしょうね。

> これを言うのはわたしが初めてじゃないと思うけれど、
> 問題があるという感覚が、
> 「問題を抱えた個人」という自己感覚と
> 結びついていることに気づけばいい。

おお。

たしかに。(-_-)

> 自分は体の中に閉じ込められている人間だ
> という感覚こそが根本的な幻想、
> 人生という物語を展開させている手品の仕掛けだ。

簡単にたどり着いちゃいますね。

もちろん、

それを探してもいない人に

価値のわかる話ではないでしょうが。

> でもわたしたちは、
> この個として閉じられた自分に夢中になっている
> 自己という小さな塊じゃない。

閉じられた自分という小さな塊は

単なる対象物のひとつですものね。

> わたしたちの本当の自己、
> 本当の「わたし」は、
> 開かれた気づき、
> 一切に開かれていて愛情深い経験の場なのだ。

本当の「わたし」は

起こっているすべてに気づいている場。

すべてが起こっている愛情深い経験の場。

> レストランで子どもたちに配られる
> スライドパズルを知っているだろうか。
> 数字が書かれたタイルを順番に並べる、
> 例のあれ。

あー、ガストとかで見たことがある。

> わたしたちの本当の「わたし」は、
> あのパズルでタイルを動かすためにある
> 空の空間みたいなものだ。

そのココロは?

> 正方形に空いている空間は、
> 動かすタイルとほぼ同じ大きさになっている。
> それは空間でできたタイルのように見える。
> でも空間はものじゃない。
> 四角形をした空間片なんて存在しない。
> タイルとタイルのあいだにただ隙間があって、
> それがあるおかげでタイルを動かすことができる。

なるほど、そういう意味ですね。

> 本当の「わたし」は開かれている空っぽの「場」で、
> それがあるおかげで経験が自由に現れることになる。

「わたし」こそが

自由に現れるすべての経験を可能にしている根拠。

> 乗り越えなきゃいけない自分、
> 乗り越えなきゃいけない状況など
> ないんだと気がついたとき、
> わたしたちは唯一の本当の自由を手にする。

「わたし」のなかにすべてが現れている。

「わたし」は現れるどんなものにも

制限されていない。

> 囚われているという錯覚、
> ひとりの人間の経験に閉じ込められているという
> 錯覚からの解放だ。

その錯覚を可能にしているのが

「わたし」なのだから。

──────────────────
 どこにでもありそうな例で考えてみよう。
 いま住んでいるおんぼろアパートから
 引っ越したいだろうか? 
 わたしならもちろん引っ越したい!
 でも、
 もし自分が95歳だったとしたら?
 どうにかしてあのおんぼろアパートを
 もういちどこの目で見たい、
 あの何ともいえない殺風景な廊下を
 おごそかな気持ちでいとおしみながら歩いてみたい、
 と思うのではないだろうか。

 このいとおしさとともに、
 わたしたちはたった今の生を味わうことができる。
 それは見かけの自分とそれが抱えている問題を
 「解決する」のとは正反対だ。
 せつなさを感じる瞬間、
 昔住んでいたアパートを訪ねて懐かしさを感じる時間、
 そんなとき、
 わたしたちは生のはかなさと神秘性を感じる。
 今にも自分がばらばらになりそうな、
 自分がほとんど消えてなくなってしまったような、
 そんな感じがする。

 このいとおしい感じは、
 いわゆる自己愛の経験とは違う。
 自分が今この瞬間の経験以外のもので
 成り立っていることはありえず、
 自分は不確かで消えつつあるものなのだという
 深遠な実感の中で起こる愛の経験だ。
 それは『詩篇』で言うところの
 「朝に立ちこめる霧」だ。
 わたしたちの本当の自己とは
 今この瞬間の経験以外のなにものでもない
 ということが腑に落ちると、
 何が起こっていてもそれを自由に愛することができる。
 それが気に入るかどうかなんて関係なく!

 もしパートナーにふられてしまったら、
 その人がいないことを嘆いて、
 みすぼらしいバスローブに身を包んで
 『バフィー/恋する十字架』を観ている以外
 なにもできない日々を
 何週間も過ごすことになったとしても無理はない。
 でも、
 この悲嘆にくれている瞬間こそが
 今ここでの生なのだと、
 深く了解しながら嘆き悲しむことはできる。
 これがそれなのだ。
 この瞬間が、
 いま起こっていること。
 わたしが望んだことと違うから
 この瞬間を捨て去らないとだめだ、
 などと言って騙そうとする欲求に
 振り回されなくちゃいけない理由があるだろうか?

 『ただそのままでいるための超簡約指南』(p37-39)
──────────────────

ぜひご紹介したいと思ったのは

ここを読んだからでした。

> どこにでもありそうな例で考えてみよう。
> いま住んでいるおんぼろアパートから
> 引っ越したいだろうか? 
> わたしならもちろん引っ越したい!

そういう状況はいくらでもありますよね。

> でも、
> もし自分が95歳だったとしたら?

お。(@_@)

> どうにかしてあのおんぼろアパートを
> もういちどこの目で見たい、
> あの何ともいえない殺風景な廊下を
> おごそかな気持ちでいとおしみながら歩いてみたい、
> と思うのではないだろうか。

なるほど。(-_-)

わかります。

> このいとおしさとともに、
> わたしたちはたった今の生を味わうことができる。

あーあ。(*_*) ⌒★?

そうきたか。

(-||-)

> それは見かけの自分とそれが抱えている問題を
> 「解決する」のとは正反対だ。

たしかに。

> せつなさを感じる瞬間、
> 昔住んでいたアパートを訪ねて懐かしさを感じる時間、
> そんなとき、
> わたしたちは生のはかなさと神秘性を感じる。

そう……。

そういうことが……ありました。(-_-)

> 今にも自分がばらばらになりそうな、
> 自分がほとんど消えてなくなってしまったような、
> そんな感じがする。

深く感じるとき……

そういうこともあるのでしょうね。

> このいとおしい感じは、
> いわゆる自己愛の経験とは違う。

わかります。

> 自分が今この瞬間の経験以外のもので
> 成り立っていることはありえず、
> 自分は不確かで消えつつあるものなのだという
> 深遠な実感の中で起こる愛の経験だ。

自分は……消えつつあるもの……という

深遠な実感の中で起こる……「愛の経験」。

> それは『詩篇』で言うところの
> 「朝に立ちこめる霧」だ。

そうなんですね。

> わたしたちの本当の自己とは
> 今この瞬間の経験以外のなにものでもない
> ということが腑に落ちると、
> 何が起こっていてもそれを自由に愛することができる。

【何が起こっていても

 それを自由に愛することができる】

(-||-)

【それが気に入るかどうかなんて関係なく!】

> もしパートナーにふられてしまったら、
> その人がいないことを嘆いて、
> みすぼらしいバスローブに身を包んで
> 『バフィー/恋する十字架』を観ている以外
> なにもできない日々を
> 何週間も過ごすことになったとしても無理はない。

はい。

> でも、
> この悲嘆にくれている瞬間こそが
> 今ここでの生なのだと、
> 深く了解しながら嘆き悲しむことはできる。

【深く了解しながら嘆き悲しむことはできる】

> これがそれなのだ。
> この瞬間が、
> いま起こっていること。

そう。

いまこの瞬間、

これ以外が起こる可能性はありえない。

> わたしが望んだことと違うから
> この瞬間を捨て去らないとだめだ、
> などと言って騙そうとする欲求に
> 振り回されなくちゃいけない理由があるだろうか?

【騙そうとする欲求に

 振り回されなくちゃいけない理由があるだろうか?】

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


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キンドル本の『地球世界はかなり特殊』

手にとっていただけました?(^^;)

アマゾンに入って

【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。

読み物として面白ければと思っています。

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■ 2.編集後記:
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【騙そうとする欲求に

 振り回されなくちゃいけない理由があるだろうか?】

ジェニファー・マシューズは

こんなにあっさりと

ストレートにここまで来ましたね。

(-||-)

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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