home > 通信 >平凡さの陰謀(J.J.マシューズ):『アセンション館通信』第1024号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2023/11/26(第1024号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.平凡さの陰謀(J.J.マシューズ)

2.編集後記
──────────────────

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■1.平凡さの陰謀(J.J.マシューズ)
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急に寒くなりましたね。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?

ヒロさんが翻訳されたジェニファー・マシューズの

『ただそのままでいるための超簡約指南』

ほんとにすばらしい。

このところ夜トイレに起きると

その後ベッドのなかで何ページが読んでいます。

昨夜などはついつい一冊全部読んでしまいました。

オリジナルの英語本も買って読んでみるのですが、

ヒロさんの卓越した英語力と日本語表現に

感嘆しています。

ありがたいことです。(-||-)

それで今回は

『ただそのままでいるための超簡約指南』の

最初の章である「平凡さの陰謀」全体で

ジェニファー・マシューズが

いったいどういうことを言っているのか?

その全容をご紹介したくなりました。

もし彼女が指し示していることがヒットすれば、

探求はもう推力を維持できなくなると思います。

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長すぎる引用ですが、

 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

この本、ぜひ買われるといいです。

もしあなたがKindle Unlimited の会員なら、

Kindle版を無料で読むことができます。

──────────────────
 
 平凡さの陰謀
 
 
 生は平凡なものだという陰謀、
 それをわたしは「平凡さの陰謀」と呼んでいる。
 これがあるせいで、
 わたしたちは無意味なイライラを
 ひたすら味わいつづけることになる。
 この陰謀とはいったいどんなもので、
 これに対して何かできることはあるのだろうか? 
 つぎのような考えを紹介しよう。
 真剣さが伝わるように、
 各項目には番号を振ってある。
 
 1.わたしたちは無感覚で、
  まるでガラス戸ごしに生きているみたいに
  自分の生との分離を感じている。
  落ち着かず、けだるい。
  この感覚は「不満」と呼ばれたりもする。
 
 2.わたしたちは生の神秘を見逃している。
  そのせいで、
  ものごとがもっと違ってたらいいのにと
  願いつづけている。
  ものごとを変えようとして物質的、
  精神的な目標を追いかけている。
  でもうまくはいかない。
  自分の置かれた状況に
  本質的にそなわっている神秘に気づかないから、
  その現状を抜け出そうとして、
  または改善しようとして不満が生まれる。
 
 3.いい知らせがある。
  生から何かを得ようとするのを止めてもいい。
  現状から抜け出したい、
  改善したいという強迫観念は
  終わりにすることができる。
  
 4.今この瞬間の神秘に気づきながら、
  その神秘にじかに触れることができる。
  これはライフスタイルの選択で、
  目標じゃない。
  何かのせいで今この瞬間の経験から
  分離してしまったような気がするときは、
  まんまと騙されてそう感じつづけるのをやめて、
  問い直してみればいい。
  未来のいつの日か、
  どこか別の町に行ったら、
  もしくは別の仕事についたら、
  求めているものを手にできて、
  そうしたら
  今この瞬間の経験の神秘につながれるはず、
  というような約束に
  騙されっぱなしでいる必要はない。
 
 5.今この瞬間の経験しか存在していないということを、
  哲学的に理解することができる。
  この理解はこの上なく重要だ。
  まさに今ここにあるものしか存在していなくて
  他には何もないってことを、
  理論の上でしっかり理解しておかなくちゃいけない。
  それがわかっていないと簡単に騙されてしまい、
  達成困難な遠いゴール
  (仕事、人間関係、知識といった外面的な目標や、
   悟りのような内面的な目標)
  に望みをつなぐはめになる。
  この理解は梯子のようなものだととらえるといい。
  哲学思想を際限なく学び続けて
  ややこしい理屈にのめり込む必要はない。
  梯子を使って今この瞬間の神秘にたどり着いたら、
  梯子は蹴り飛ばしてもかまわない。
  
 それぞれの考えを詳しく見ていこう。

 『ただそのままでいるための超簡約指南』(p17-19)
──────────────────

この最初の部分でジェニファー・マシューズは

じつはすごいことを言っています。

というのも

ほとんどの人間はふだんの生活のなかで

“自分”が生きている現実に不満を持っていて、

【ものごとがもっと違ってたらいいのに
 と願いつづけている】のは
 
否定できない事実だからです。

この彼女の指摘に異議を唱えることができる“人”は

まず存在しないでしょう。

というか自分を“人”だと思っているなら、

反論はできないということです。

そしてジェニファー・マシューズによると、

われわれがそういう状況に陥っているのは

【生の神秘を見逃している】からだというのです。

自分の置かれた状況に

本質的にそなわっている神秘に気づかないから、

その現状を抜け出そうとか改善しようとかいう

無用で不可能な努力に駆り立てられ、

そして不可避的な挫折によって不満に沈むのだと。

そして、彼女は

そこから抜け出すための独自の発見を語ります。

【生から何かを得ようとするのを止めてもいい】

というのです。

あなたはこれまでどこかで

こういう提案を聞いたことがありますか?

ジェニファー・マシューズは

生に何も求めないというようなことは、

悟らなきゃ起こらない

というふうな言い方をしません。

ただ、生きる上の態度の問題として

【生から何かを得ようとするのを止めてもいい】

と言うだけです。

【現状から抜け出したい、
 改善したいという強迫観念は
 終わりにすることができる】というのです。

しかも、

【今この瞬間の神秘に気づきながら、
 その神秘にじかに触れることができる】と。

もしそんなことができるのなら、

それはとても豪華な選択肢です。

しかも彼女は

【これはライフスタイルの選択で、
 目標じゃない】というのです。

そしてそのために彼女は

【今この瞬間の経験しか存在していないということを、
 哲学的に理解することができる】のだと。

ジェニファー・マシューズの見解では

これを理解しておくことはこの上なく重要です。

【まさに今ここにあるものしか存在していなくて
 他には何もないってことを、
 理論の上でしっかり理解しておかなくちゃいけない。】

こういう提案をするとき

彼女が前提として考えているのは、

今ここにあるのは「経験」だけで、

「経験」以外に「経験」を外部から判断できるような

どんな独立した実体も存在していない、

ということを絶対的確実さで理解することだけです。

以下、

ジェニファー・マシューズは

その各論を次のように説明します。

──────────────────
 
 ...............................................
 .                       .
 . 1.わたしたちは無感覚で、         .
 .   まるでガラス戸ごしに生きているみたいに .
 .   自分の生との分離を感じている。     .
 ...............................................
  
 こういう満たされない感覚は
 「反応性感情」と呼ばれることもある。
 反応性感情をわたしが定義するとしたら、
 生をゆがんだかたちで不正確にとらえているときに
 自然に起こる反応ということになる。
 わたしたちは、
 自分は独立し自立した存在として
 外側にある世界を眺めていて、
 まるでガラス戸のような目に見えない隔たりで
 世界と区切られていると思っている。
 そして自分の内側の世界をのぞきこみながら、
 そこで起こることに対処していると考えている。
 こういう見方はぎこちなく、
 不自然に窮屈だ。
 これについては後でまた詳しく触れる。
 今のところは、
 反応性感情は自分という
 架空の幻想を囲い込んでいる不自然な境界だと
 言っておけば十分だろう。

 反応性感情について語るとき、
 今この瞬間の経験を無視しようとすることと、
 経験の中心にある神秘に気づきながら生きることの、
 微妙な違いに気づくようになる。
 自分、あるいは「自分運動」とも言える作用は、
 欠けているような気がするものを
 探すというところにその特徴がある。
 「自分運動」は勘違いで、
 その勘違いによって経験が問題視されてしまう。
 個として閉じられた、
 独立した自分が存在していると仮定したとたんに、
 わたしたちは思い煩うようになる。
 
 『ただそのままでいるための超簡約指南』(p20-21)
──────────────────

われわれはふだん

自分は独立し自立した存在として

外側にある世界を眺めているみたいに思っている。

“自分”という感覚は

あるがままの経験を受容することに対する

心理的抵抗感であり、

いわば「自分運動」とも言える積極的作用で、

足りないものを探すところにその特徴がある。

誤解から発したこの「自分運動」によって

「経験」から“問題”が捏造され、

独立した自分が存在していると仮定したとたんに、

われわれは思い煩うようになる、と。

──────────────────
 
 .............................................
 .                      .
 . 2.わたしたちは生の神秘を見逃している。 .
 .............................................
 
 ここでちょっと自分の話をさせてほしい。
 わたしはある種の狂気にとりつかれていた。
 この狂気は、
 特定の人物や特定の生き方を救い主だと思い込んで、
 それに病的に執着する極端な傾向としてあらわれる。
 平凡なこと、当たり前のことには目もくれない。
 至高のもの、最も強烈な経験を追いかけ、
 特別に優れていて崇高な自己イメージを
 手に入れようとする。
 目の前にあるものを拒み、
 遠のいていく未来に激しく没頭する。
 ああ、疎外をもたらす欲求、マインドの毒よ。
 それは友人の表情をよそよそしくし、
 青空から輝きを失わせ、
 食べ物から味わいを奪い、
 どれほど激しく求めようが
 自分の情熱の対象を虚しい亡霊にしてしまう! 
 こういう、えーと、考え方をしていると、
 心の痛みがなくなる場所を
 物語の中で探し続けることになってしまう。
 ゴードン・ライトフットの
 歌に出てきそうな言い方だけど。
 それをやっと止められると、
 またはわたしの好きな言い方をすれば
 ついに「止め始める」と、
 ここに神秘があったことに気づく。
 目の前に。
 
 窓の外でカアカア鳴いているカラスの群れ、
 あれはずっといたんだっけ?
 この雨、
 歩道の水たまりに波紋をやわらかく広げている雨は?

 『ただそのままでいるための超簡約指南』(p21-22)
──────────────────

虚構の問題から発生する

「探求」という病を経験した“者”なら

誰にでも覚えのある欠如感への極端な執着ですが、

ジェニファー・マシューズは

それを「止め始める」ことができると言います。

そのときはじめて、

眼の前に神秘があったことに気づき始める、と。

「止め始める」ことができる前に

かなり極端な状況があるかもしれません。

ジェニファー・マシューズは

次のように戯画化して見せてくれます。


──────────────────
 ..................................................
 .                         .
 . 3.生から何かを得ようとするのを止めてもいい。 .
 ..................................................
 
 完璧さを求める必死の努力、
 つまり完璧な状況をつくりださなきゃいけない
 という強迫観念は、
 わたしたちの気質になってしまっている。
 自分や人生の状況を
 改善しようとせずにはいられないのだ。
 けれども自分をどんなに改善したところで、
 自分の本当の開放性は経験できない。
 それは、
 しっかりと十分に体をケアし、
 玄米と野菜しか口にせず、
 マラソンをして、
 といったことを続けていれば、
 いつか空を飛べるようになる日がやってくる
 と期待するのにちょっと似ている。
 
 そういう気持ちでいれば、
 人間の体は空を飛ぶようにはできていないのに、
 歩くよりも飛ぶほうが優れている
 と考えてしまうだろう。
 もしかしたら、
 空を飛べるようになるまでは
 生きている実感が得られないとすら
 思い込んだりするかもしれない。
 そんなふうに生きていると、
 現に手にしている素晴らしい健康に気づくことも、
 それを楽しむこともできない。
 
  神の国が空にあると言うなら、
  あなたがたよりも鳥たちのほうが
  神の国の近くにいることになる。
    ナザレのイエス(『トマスによる福音書』より)
 
 実際のところは、
 何をどれほど改善したところで、
 いつか自分にたどり着くなんてことはない。
 それはうまくいかないし、
 その必要もない。
 わたしたちは最初から自分なのだから。
 つぎに進む前に、
 ここでひとつ忠告。
 完璧さを求める強迫観念に
 つけ込もうとする人たちもいる。
 
 そういう人たちは、
 開かれた気づきとしての自分の本質を
 経験する手助けをしてくれはするけれど、
 そうしておいてからその経験を取り上げて、
 つぎの段階の本を読めとか、
 つぎのワークショップに参加しろとか、
 つぎのレベルに進まなくちゃだめだとか言ってくる。
 その手に乗ってはいけない。
 自由は未来にあって教師の采配しだいでしか
 手に入らないと思い込ませるのは、
 あなたの財布を盗んでおいて、
 それを探す手助けをしようとするようなものだ。
 
 『ただそのままでいるための超簡約指南』(p23-25)
──────────────────

> しっかりと十分に体をケアし、
> 玄米と野菜しか口にせず、
> マラソンをして、
> といったことを続けていれば、
> いつか空を飛べるようになる日がやってくる
> と期待するのにちょっと似ている。

ふふ。(^_-)

> 空を飛べるようになるまでは
> 生きている実感が得られないとすら
> 思い込んだりするかもしれない。

いや、ありえますよね。

実際、床上数センチ浮上することを

修行成就の目標とした教祖が実在するわけですから。

> 実際のところは、
> 何をどれほど改善したところで、
> いつか自分にたどり着くなんてことはない。

はい。

> それはうまくいかないし、
> その必要もない。
> わたしたちは最初から自分なのだから。

まったく。

> ここでひとつ忠告。
> 完璧さを求める強迫観念に
> つけ込もうとする人たちもいる。

(@_@)?

> そういう人たちは、
> 開かれた気づきとしての自分の本質を
> 経験する手助けをしてくれはするけれど、
> そうしておいてからその経験を取り上げて、
> つぎの段階の本を読めとか、
> つぎのワークショップに参加しろとか、
> つぎのレベルに進まなくちゃだめだとか言ってくる。

アルアルですね。

> その手に乗ってはいけない。

はい。

> 自由は未来にあって教師の采配しだいでしか
> 手に入らないと思い込ませるのは、
> あなたの財布を盗んでおいて、
> それを探す手助けをしようとするようなものだ。

プ。(>_<)

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 ...............................................
 .                       .
 . 4.今この瞬間の神秘に気づきながら、    .
 .   その神秘にじかに触れることができる。  .
 ...............................................
 
 生の神秘に気づくということは、
 到達しなければならないような、
 今とは違う境地じゃない。
 それは単に、
 行かなければならない場所も、
 しなければいけないことも
 本当に何もないということがわかっていて、
 それを受け入れているということだ。
 わたしの考えでは、
 この自由とか生の神秘の認識と結びついている
 感覚というものが、たしかにある。
 どういうものかと言うと、
 染みわたる優しいせつなさのようなもの、
 好奇心や驚きの穏やかな感覚だ。
 でもそれは個人の状態じゃない。
 わたしが定義する個人の意味によれば。
 
 個人という観念は、
 意志やコントロールの感覚に
 もとづいているのではないだろうか。
 自分とは、
 何らかの影響力をもつもので、
 勢力範囲というものがあるのではないか? 
 自分とは、
 これは自分じゃないと考えるものに対して
 これが自分だと考えるものなんじゃないだろうか?
 望めば引き寄せられるはずだと思いながら、
 望むものを対象としてとらえることによって
 逆に遠ざけてしまっているんじゃないだろうか? 
 それとは対照的に、
 さっき言ったようなせつなさの感覚は、
 何かによって生じるわけではなく、
 境界のない開放性からやってくる。
 境界のない開放性が望むのは、
 いま起こっていることだけだ。
 この境界のない開放性は、
 つぎにやってくる人や感情や思考に
 満足を見いだそうとはしない。
 どんな状況もそのまま受け入れてしまうようだ。
 
 この開放性のことを「断念」と呼んだ人たちもいる。
 と言っても、
 それは落胆した人が言う
 「もうあきらめた」とは違う。
 これは個として閉じられた自分が消えること、
 そしてそもそも個として閉じられた自分など、
 いちども存在したことはなかったと気づくことだ。
 
 『ただそのままでいるための超簡約指南』(p25-26)
──────────────────


最後にジェニファー・マシューズは

【今この瞬間の神秘に気づきながら、
 その神秘にじかに触れることができる】

と言います。

それもたった今、タダで。

なぜなら、

生の神秘に気づくということは、

到達しなければならないような、

今とは違う境地などではないから。

それはただ、

行かなければならない場所も、

しなければいけないことも

本当に何もないということがわかっていて、

それを受け入れているということだから。

この生の神秘の認識と結びついている感覚を

表現するジェニファー・マシューズの言葉は

美しいです。

彼女の考えではそれは

【染みわたる優しいせつなさのようなもの、
 
 好奇心や驚きの穏やかな感覚】だというのです。

(ちなみに、

 英語の原書を調べる気になったのは
 
 この【染みわたる優しいせつなさ】という言葉の
 
 英語が何かと思ったからでした。
 
 「pervasive, loving poignancy」
 
 Google翻訳では:普遍的で愛に満ちた痛切さ
 
 という言葉が使われていました。
 
 まあヒロさんは
 
 「普遍的で愛に満ちた痛切さ」は
 
 使わないでしょうね。)

ジェニファー・マシューズは

この感覚は個人の状態じゃないと言います。

というのも

そのせつなさの感覚は、

何かによって生じるわけではなく、

境界のない開放性からやってくるからだと。

そのせつなさの感覚は

一種「断念」にも似ているかもしれない。

しかし、それは

個としての自分が消えること、

そもそも個として閉じられた自分など、

いちども存在したことはなかったと

気づくことだと。

実際にあるのは「経験」だけで、

「経験」の外に「経験」から独立して

「経験」を判断できるような

どんな超越的実体も存在していないことを

はっきりと知っていることだと。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/

   ………○…………○…………○………

▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
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▼『アセ通』への情報ご投稿フォーム
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  ………○…………○…………○………

キンドル本の『地球世界はかなり特殊』

手にとっていただけました?(^^;)

アマゾンに入って

【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。

読み物として面白ければと思っています。

  ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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【染みわたる優しいせつなさ】

これはジェニファー・マシューズの

表現でもあるでしょうが、

ヒロさんが創造した日本語でもあります。

こうしてジェニファー・マシューズの

「哲学的理解」を言葉にしてもらえるのは

ありがたいことですね。(-||-)

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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