home > 通信 >いま疑えないこと:『アセンション館通信』第1027号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2023/12/24(第1027号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.いま疑えないこと

2.編集後記
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■1.いま疑えないこと
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もう今年も終わりですね。

一年が過ぎてゆくのが速い。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?

「不惑」などという年齢は

とおの昔に通りすぎてきたpariですが、

マインドに相談しているかぎり

惑わずにいられるはずもありません。

いまこの2023年を終えるにあたって

自分が確実に知っていることは何かあるだろうか?(-_-;)

と思わないでもありません。

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 ひとたびあなたの想像以外は
 何も困難をもたらすことができない、
 と絶対の確信を持って知るなら、
 あなたは欲望や恐れ、
 概念や見解に注意を払わず、
 真実とともにのみ生きるだろう。
 
 『私は在る』(p131)
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【あなたの想像以外は
 何も困難をもたらすことができない】

ということは知っていると言えるのか?(-_-;)

いやいや、

> あなたは欲望や恐れ、
> 概念や見解に注意を払わず、
> 真実とともにのみ生きるだろう。

そんなこと……及びもつかないな。

なんだ。

「百日の説法屁一つ」という言葉があるけど、

また“説法”を垂れたつもりもないけど、

あまりにもお粗末という気がしないでもない。

そんなこんなを感じながら、

今日一日いろいろな情報の棚卸しをしました。

つまり、

いつの間にか未整理で溜まってしまった

さまざまなメルマガ登録をひたすら削除しつづけました。

こういうことはこれまでも

周期的に何度も起こったことすが、

もういい加減ケリを付けてもいい時期です。

いろいろな掃除と整理をしたくなりました。

確実に知っている……と言えることは

いまだに何ひとつないのだろうか?

ということも確認したくなりました。

これだけは確実、

と思えることを書き出してみます。

(1)「私は在る」ということ

 ……これは否定できないという意味で
 
 【知っている】と言えるな。

 身体をもって生きている現在、
 
 「私は在る」ということだけは疑えない。
 
 たとえ疑ったところで、
 
 疑っていること自体が、
 
 暗黙のうちに「私」を主張しているエゴの存在を
 
 証明しているのだから。

(2)「私」とは単なる観念=思考であり

 実体ではないことを【知っている】。

 これも疑問の余地はない。
 
(3)「私」とは

 <いま・ここ>(あるいは<気づき>)
 
 という背景のなかに現れている思考である
 
 ということを【知っている】。
 
 ……ただ、
 
 こうして冷静に確認したとき
 
 「私」が思考であると理解できることは、
 
 毎朝目覚めた瞬間に思考が自動起動してしまうことを
 
 けっして妨げていない……というわけだ。(-_-;)
 
 この時点ですでに、
 
 「私」が単なる思考にすぎないことに、
 
 気づいているとは言えないわけだ。(;_;)
 
 換言すれば、
 
 理解できることと、
 
 つねに気づいていることは同じではないと
 
 いうことか。

(4)<いま・ここ>あるいは<気づき>は
 
 絶対の主体性であって、
 
 <気づき>の対象にはなりえない、
 
 ということを【知っている】。
 
 これも同じか。
 
 知的に理解できることと、
 
 毎春立ち上がってくる思考を却下することは
 
 必ずしも同じことではないということ。
 
 毎春立ち上がってくる思考が
 
 単なる思考にすぎないことに
 
 <いま・ここ>で気づいている必要がある……わけだ。
 
 実際は、
 
 <気づき>は思考に気づいている。
 
 思考は<気づき>に抱擁されることによってしか、
 
 現れることはできないのだから。
 
 ただ、マインドのフォーカスが思考に向かい、
 
 <気づき>に向かっていなければ、
 
 実現を先延ばししようとする思考に
 
 鼻面を引き回されると言うだけ。

(5)身体に一体化した思考である「私」は

 つねに起こっているわけではない。
 
 「私」がいないとき、
 
 つまり「私は在る」という観念が
 
 起こっていないときはある。
 
 熟睡のなかでは「私」は経験されないし、
 
 起きている日常のなかでも、
 
 「私」という観念が経験されていないときは
 
 いくらでもある。
 
 <気づき>は不動の常在。
 
 「私」という観念は
 
 <気づき>を背景にして浮上してくる一時的な現れ。
 
 <気づき>に気づかれることで
 
 つかの間の存在を得る対象にすぎない。
 
 「私」という観念は本当の「わたし」ではない。
 
 「私」は「見かけ」を気に入るように変化させる
 
 ことに興味がある。
 
(6)「私」という観念は
 
 問題のなかでしか生きられない。
 
 身体に一体化した思考である「私」は、
 
 <いま・ここ>(あるいは<気づき>)
 
 のなかに現れた「見かけ」の一部(身体)
 
 のみを“自分”と見なし、
 
 その他を“他者”とか“環境”と見なす
 
 「分離の幻想」を前提としている思考である。
 
 そのため、
 
 「分離の幻想」を強化する基盤を必要とし、
 
 その強化基盤(「世界」)のなかでしか生きられない。
 
 身体に一体化した思考である「私」は、
 
 つねに「世界」のなかに問題を発見し、
 
 その「世界」の問題の解決を目指すか、
 
 あるいは、
 
 「世界」に不満を感じる“自分”に問題を見出して、
 
 その“自分”の改善を目指すなかでしか生きられない。
 
 “自分”が虚構に基づく問題製造装置なのだから、
 
 思考が「世界」の問題や
 
 “自分”の問題を解決することはありえない。
 
(7)<いま・ここ>を離れては何も存在できない。

 あらゆる顕現は<いま・ここ>のなかにある。
 
 言葉を換えるなら、
 
 <気づき>はすべてを愛している。
 
 <いま・ここ>だけが存在している。
 
 <気づき>だけが存在している。
 
 思考は<気づき>を忘れて
 
 虚構の苦しみを楽しむためのしくみ。
 
 思考は時間と空間を発明して、
 
 <いま・ここ>を離れることができるかのように
 
 愛を先延ばしする物語を紡ぐためのしくみ。
 
 そう、見かけのなかの問題を
 
 解決することはできない。
 
 問題がすべて虚構の観念であることに
 
 <いま・ここ>で気づいていることができるだけ。
 
(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


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手にとっていただけました?(^^;)

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読み物として面白ければと思っています。

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■ 2.編集後記:
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 意識の大いなる鏡のなかで、
 イメージが立ち現れては消えていき、
 記憶だけがそれらに継続性を与える。
 そして記憶とは壊れやすく、
 はかなく、一時的なものだ。
 そんな薄っぺらな土台の上に、
 私たちはあいまいで、断続的で、
 夢のような個人という存在の感覚を築くのだ。
 この「私はあれやこれだ」というあいまいな確信が、
 純粋な気づきの不変の状態を覆い隠してしまう。
 そしてそれが、
 私たちは苦しみ、
 死ぬために生まれてきたのだと信じさせるのだ。
 
 『私は在る』(p131)
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(-||-)

わたしたちは実際は

すべてに気づいている<気づき>です。

それしか存在していないのですから。

愛だけがあるのです。(-_-;)

なんちゃって。(*^_^*)

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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