━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2024/1/7(第1029号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
(『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.探求で何がわかったか?
2.編集後記
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■1.探求で何がわかったか?
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2024年になりましたね。
このメルマガは2004年の創刊ですから、
かれこれ20年間ほぼ毎週配信してきたわけです。
この20年で何かがわかったのかどうか?(-_-;)
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?
この20年間、少なくとも土曜日だけは
しっかり求道者マインドを表現してきた……
と言えるだろうと思います。
マインドに実質的な探求が起こりうるかかどうかは
また別の話ですが。(^_-)
20年にわたる1000号以上のメルマガで
マインド探求をやってきて、
はたして何らかの理解が起こったのかどうか?
ギリギリのところを自分なりに正直に棚卸しします。
まず、
これまでこういうメルマガを書いているのは、
【探求の目的】
●幸福になるためでしょうね。
はたして、書き始めたころより
幸福になったでしょうか?
さて。(-_-;)
考えているうちは
幸福というのは起こりにくいかもしれませんね。(^_-)
そして、われわれは何を気にして
探求などということを始めるのか……ですが。
われわれが気にしているのは
この【見かけ】、現象世界です。
これをわれわれは現実だと思っている。
まあ、探求者は、この現象世界を
現実と捉えているわけです。
じゃあ、この現象世界について
探求の結果、何かわかったのか?
そこから整理してゆきましょう。
まず、現象世界に対する前提的理解を確認します。
●【顕現=見かけ】とは知覚印象の解釈・投影物
(1)顕現(見かけ)は知覚された対象物である
と通常は考えられているようです。
しかし、この「顕現=見かけ」が
知覚作用とは別個の(対象物という)実体として
実際に存在しているのかどうかは自明ではありません。
むしろ、
感覚的印象を解釈・投影した創造物である
というほうが論理的納得性は高いでしょうね。
では、
●「私」とは【非顕現=主体性】である
(2)顕現(見かけ)を知覚している主体が存在する
と通常は考えられています。
しかし、この「非顕現=主体性」が
知覚作用とは別個の(主体という)実体として
実際に存在しているのかどうかは自明ではありません。
むしろ、
顕現を実現する感覚的印象の解釈・投影機能の
不可欠の側面というほうが論理的に納得できる。
ただ、自分というのは知覚している当人なのか
それとも知覚されている対象物なのかと言えば、
やはり、自分は知覚している当人のほうでしょう。
●【非顕現】と【顕現】についてわかったこと
(3)「非顕現」と「顕現」に関する
・「主体」と「客体(対象物)」的表現
「主体」と「客体(対象物)」というのは、
知覚作用を実現するために不可欠の二側面である。
「経験」は「何かを経験する」という
形を取らなければならないので、
その経験される「何か」が「顕現」であり、
その「何か」を経験するのが「非顕現」である
という「主体」と「客体(対象物)」的言い方が
ひとつの言い方。
・「何か」と「それ以外」的表現
あるいは、
「非顕現」とは「顕現(何か)」以外の潜在的無限
という言い方もできる。
要するに、
「非顕現」と「顕現」とは
「経験」を可能にする必須の二側面であると言える。
・「不動=静寂」と「動=流動」的表現
「何か」を経験するためには、
「動く(流動する」何かを知るための
「不動」の背景がなければならない。
・「色彩」と「透明」という視覚的表現
「色彩」を判別する「透明」がなければならない。
しかし実際は、あらゆる「色彩」は
「透明(白色光)」のなかに包含されている。
・「音」と「沈黙」という聴覚的表現
何らかの「音」が判別されるためには
その背景に「沈黙」が存在しなければならない。
要するに、
「非顕現」と「顕現」とは
「経験」が可能になるための必要不可欠の二要素であり、
唯一無二の実在の二側面と言えるようです。
現象世界について以上の前提を確認したうえで、
では、二十年のマインド探求で
何かはっきりわかったことというのはあるのか?
●探求者とは見かけのなかで迷子になってしまって
本来の自分である「幸福=安らぎ」に
戻りたいという「あがき」のことです。
そして、その「幸福=安らぎ」を
「思考」のなかに求めるという
誤った方針を手放せないでいることです。
なぜなら、
「思考」はそもそも「分離の幻想」を
前提としている想念であるため、
「思考」はそもそも分離幻想の自己増殖過程であって、
「思考」は「安らぎ」についてなど何も知りません。
だから、「思考」過程のなかで
「幸福=安らぎ」にたどり着こうとするのは
もともと無理な相談なのです。
要するに、存在するのは<意識>だけです。
しかし唯一不可分の<意識>には、
機能的に<気づき>と
「見かけ=意識内容」という二側面がある。
この<気づき>が
「不動」であり、「安らぎ」であり、「至福」です。
実在するのはそれだけです。
これがイエスが言う「神の王国」です。
もしこのことが、明確に理解されたら、
「探求」の成果というのは
「思考」がどれほど湧かなくなったかで
測ることができるわけです。
●探求とは
何かを求める思考(欲望)が
自ら万策尽きたことを自覚するまでの放浪のことです。
●探究の成果は
思考に何も求めなくなることが起こっているか
どうかで判断できる。
●考えることが起こっているかぎり
まだ先延ばしは継続しているというわけです。
これから地球世界が仲間入りするという
外宇宙とか多次元波動宇宙といっても
いまだに戦争もあれば、
諍いもある【見かけ】にすぎないわけですから。
(*^_^*)
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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手にとっていただけました?(^^;)
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読み物として面白ければと思っています。
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■ 2.編集後記:
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こうしてまだ考えることが起こっています。
まだまだ先延ばしは続くのでしょうか?
それとも自然に思考が減少するでしょうか?
(*^_^*)
今日も晩くなりました。
おやすみなさい。
<(__)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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