━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2024/1/14(第1030号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
(『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.『Truth Is(真実は在る)』(J.J.マシューズ)
2.編集後記
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■1.『Truth Is(真実は在る)』(J.J.マシューズ)
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2024年というときになっても、
相変わらず思考のなかに
まだ何かを求めているのでしょうか!?(^_-)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?
この現在という時期が特別なのだと
いうわけでもないのかもしれません。
この地球が特別なところ
というわけですらないのかもしれません。
何かを思考のなかに求める癖が残っていて、
まだ思考を呼び出しては
それに鼻面を引き回されていては、
分離の幻想を増幅することしかできないかもしれません。
マハルシの言葉から確認してゆきたいと思います。
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マハルシ
あなたは心と身体が苦しむと言う。
だが、心と身体がそう言うのかね?
質問しているのは誰だろうか?
それは心と身体を超えたものではないだろうか?
この生で身体が苦しむのは、
前世に原因があるとあなたは言う。
もしそうであれば、
現世の原因はひとつ前の生にあり、
その生はもうひとつ前の生に原因がある
というようにつづいていく。
種と芽のように、
因果関係の連鎖には際限がない。
だから、
すべての転生の最初の原因は、
無知にあると言わねばならない。
その同じ無知が今も存在して、
この質問を生みだしているのである。
その無知がジニャーナによって取り払われなければならない。
「なぜ、誰にこの苦しみはやってくるのか?」。
もしあなたがこのように問いただせば、
「私」は心や身体とは別のものであることに気づくだろう。
真我だけが永遠の存在であり、
それこそが永遠の至福、
ジニャーナなのである。
『あるがままに』 (p367-368)
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> だから、
> すべての転生の最初の原因は、
> 無知にあると言わねばならない。
> その同じ無知が今も存在して、
> この質問を生みだしているのである。
明らかですね。
> その無知がジニャーナによって取り払われなければならない。
> 「なぜ、誰にこの苦しみはやってくるのか?」。
> もしあなたがこのように問いただせば、
> 「私」は心や身体とは別のものであることに気づくだろう。
> 真我だけが永遠の存在であり、
> それこそが永遠の至福、
> ジニャーナなのである。
(-||-)
そして、もう一箇所。
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マハルシ
人が手にできる唯一の自由とは、
努力をしてジニャーニを得ることである。
それが彼と身体との同一化を断ち切る。
身体はプラーラブダによって宿命づけられた、
避けることのできない行為を通り抜けていくだろう。
人は身体と彼自身を同一視し、
その身体の行為の報いに執着するか、
あるいはそれから離れ、
身体の活動の単なる目撃者となるか、
という選択の自由だけをもっているのである。
『あるがままに』(p388-389)
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> 人が手にできる唯一の自由とは、
> 努力をしてジニャーニを得ることである。
マハルシの言い方のなかでも
人が手にできる自由というものは存在し、
その唯一の自由が努力してジニャーニを得ること
なのですから、「努力」は可能なわけですね。
たとえば、
ミナミAアシュタールは
人間の頭のなかは自由だといいます。
たとえば、こんな感じ。
「続・あなたの思考は無限に自由」
ミナミAアシュタールの
このような「自由」の観念は、
人は頭のなかで思いついたどんなことでも
妄想を膨らますことができるということでしょう。
そして、その瞬間に起こった思考と一体化して
それに沿って行動できることが人間の自由
だという意味合いだと思います。
その前提の上で
ミナミAアシュタールが問題にしているのは
そこで起こる思考の発想の幅、
つまり発想の自由度のほうだと思います。
しかし、
ラマナ・マハルシが問題にしているのは、
時間と空間のなかで想像される物語のなかの
登場人物に自己同化すること自体が
絶対的主体性から夢のなか(拘束)への墜落だ
ということでしょう。
> 身体はプラーラブダによって宿命づけられた、
> 避けることのできない行為を通り抜けていく
だけなのですから。
見られた夢のなかに登場人物の自由が
あるはずもないのは自明の理かもしれません。
さて、ジェニファー・マシューズは、
もちろんラマナ・マハルシと同じ側に立ちます。
このところ、
ジェニファー・マシューズが書いた
他の短い本を読んだりしています。
『Truth Is(真実は在る)』という本があります。
1. 絶対的実在
2. 無限の愛
3. 神
4. 真実
5. 時間的な心
6. 問題と痛み
7. 思考
8. アファーメーション
9. 悟り
10, 現存
という目次内容ですが、ごくごく短い本です。
たとえば、こんな感じです。
(ジェニファー・マシューズの許可など得ていない
無断翻訳です。
本の無料宣伝になるといいのですが。(-||-))
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1. 絶対的実在
わたしが絶対的実在だ。
わたしは非顕現だ。
わたしは経験の世界を可能にしている。
しかし、わたしは、
見ることも、聞くことも、触れることもできない。
わたしが自分を知らないのは、
わたしのなかに区別がないからだ。
わたしが何として知られるというのだろう?
わたしのなかには時間も空間もない。
なぜなら、
わたしを離れては何も起こりえないし、
わたしは今ここにいるからだ。
他のどこに、
わたしがいられるというのだろう?
わたしは底知れぬ静けさ、沈黙、やすらぎだ。
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1章はこんな長さです。
(ジェニファー・マシューズという方は
ご主人も娘さんもいる女性です。
ただあまり女性を感じさせない方なので、
ヒロさんは『ただそのままでいるための超簡約指南』を
「です・ます」調ではない、
あのような雰囲気の文章で翻訳されています。)
ジェニファー・マシューズがここで
「Absolute Reality(絶対的実在)」という言葉で
意味しているのは「絶対的主体性」のことで、
ラメッシ・バルセカールなら
「ユニシティ」と呼ぶかもしれません。
要するに、
本当に存在しているのはそれだけであり、
それなしには
いかなる「経験の世界」もありえないわけです。
そして現象世界という顕現を支えるために、
その「絶対的実在」自体は非顕現であると。
なぜなら
「顕現」は気づかれずには存在できないために、
「顕現」の存在自体が
それに「気づいている者」の存在を前提しており、
暗示しているからです。
ミナミAアシュタールなどニューエイジ系の意識存在は、
それを「絶対無限の存在」として
個性を担った自らの立場とは区別して描写します。
地球のアドヴァイタ系の言い方では、
「真我」の意味の「私」はこの「絶対的実在」です。
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2. 無限の愛
わたしのなかに
音の波や光の波のようなある脈動が走る。
わたしのなかにさざ波のような波紋が現れる。
このゆらぎのなかで、
わたしは「わたしはいる」と自分を認識する。
わたしは自分に共感する。
わたしとは自分に共感するその動きだ。
自分に対するわたしの態度はこの上もなく重要だ。
わたしは自分を愛する。
無限の愛がわたしの自己認識の核心だ。
──────────────────
この章でジェニファー・マシューズは、
【わたしとは自分に共感するその動きだ】
といいます。
【わたしは自分を愛する。
無限の愛がわたしの自己認識の核心だ】
と。
つまり「1. 絶対的実在」のなかでは、
実際に存在しているのは
「絶対的実在」だけであることを述べ、
その「絶対的実在」が自らを認識するとき
その自己認識の核心を
「無限の愛」と描写しているわけです。
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3. 神
神はいるが、対象としてではない。
神は無限の愛と底知れぬ沈黙のあいだを
交互にゆき来する。
神とは、
沈黙とやすらぎという輝く未知の深みだ。
神のなかに波形が現れるとき、
神は神の自己を認識する。
そのとき、神は「無限の愛」と呼ばれる。
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どうやら、
「神」と「絶対的実在」は同じもののようです。
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4. 真実
真実はあまりにも美しく、
最もポジティブな思考でさえ
それを表現することはできない。
真実とは、
喜びながら神聖なる源へと還る愛という
無限の源泉だ。
わたしたちの考えることはネガティブで、
控え目に言っても実在とはかけ離れている。
わたしたちの考えはあまりにも歪んでいて、
「考える」とはとても言えない。
物事の真のありように勝るニュースはない。
真実とは福音以外の何ものでもない。
真実が理解されるとき、
不幸は足場を失う。
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「真実」はとても美しい。
とジェニファー・マシューズは言います。
われわれが心配をやめて
ただ実際に存在しているものに触れたとき、
それは喩えようもなく美しいと。
ところがわたしたちは時空のなかで観念を弄び、
その観念で物語を紡ぎ、
そのなかで問題を捏造する。
それらの問題はあまりにもネガティブで、
とても「考える」と言えるようなものではない。
しかし、
【物事の真のありように勝るニュースはない】
なぜなら、真実が福音そのものだから。
【真実が理解されるとき、
不幸は足場を失う】
と。
次回に、この後半をご紹介したいと思います。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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キンドル本の『地球世界はかなり特殊』
手にとっていただけました?(^^;)
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読み物として面白ければと思っています。
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■ 2.編集後記:
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ジェニファー・マシューズはすばらしい。
こうしてまだ考えることが起こっています。
「落ち込むこともあるけれど……」
いまだにキキの心境ですが。(*^_^*)
今日も晩くなりました。
おやすみなさい。
<(__)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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