home > 通信 >悟り:『真実は在る』(4)J.Matthews:『アセンション館通信』第1033号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2024/2/3(第1033号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.悟り:『真実は在る』(4)J.Matthews

2.編集後記
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■1.悟り:『真実は在る』(4)J.Matthews
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今日は節分だから、

これが配信される明日は立春ですね。

今日は比較的暖かな一日だったので、

今年は鶏を飼おうかなどと思って、

サンデッキの下を少しずつ整理しはじめた。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?

ジェニファー・マシューズが書いた

『Truth Is(真実は在る)』のつづきをご紹介します。

1.	絶対的実在
2.	無限の愛
3.	神
4.	真実
5.	時間的マインド
6.	問題と痛み
7.	思考
8.	アファーメーション
9.	悟り
10,	現存

今回は、「9. 悟り」からです。

(ジェニファー・マシューズの許可など得ていない

 無断翻訳です。
 
 本の無料宣伝になるといいのですが。(-||-))

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 9. 悟り 
 
 悟りとは何か?
 言葉の文字通りの意味を踏まえるなら、
 Enlightenment(悟り・光明)とは
 暗い時期や暗黒時代の終わりのこと。
 個人的な悟りは心の闇を取り除く。
 時間的心の土台は、
 自分は無限の愛から切り離されているという思い。
 悟りとは、
 まさにこの誤った苦しい思いをほどくこと。
 悟りが虹の終わりに現れるのではないことを
 理解するのが重要になる。
 
 悟りは、
 時間的心の旅の終わりに発見される
 黄金の壺ではない。
 時間的心が悟りを開くことはけっしてない。
 自己という観念、
 時間のなかを進んでいるという思いは、
 ただの錯覚的描写にすぎない。
 いまだかつて
 以前や以後に起こっているものは何もない。
 あらゆるものは<いま>起こっている。
 <いま>のみに。
 <いま>でなければ、いつだと言うのか?
 わたしは自分を時間的条件に限定し、
 そしてそれを超越しようと無駄な努力をする。
 でも、無限の愛は<いま>手に入る。
 わたしが最後まで無限の愛に到達できないのは、
 その現存から離れたことがないからだ。
 <いま・ここ>以外の
 どこにわたしがいられるというのか?
 
 【どうすれば悟りの状態に入れますか?】
 
 あなたはすでにここにいる。
 ここには愛以外の何もない。
 
 【周りにいる悟っていない人たちについては
  どうですか?】
 
 ここには悟り以外の何もない。
 その「悟っていない人たち」がどこにいるだろう?
 
 時間的心は、
 たったいま自分には完全な愛がないと信じている。
 時間的心はこの信念を見る世界に投影する。
 
 この信念とともに生きることは、
 壊れたメガネを通して世界を見るようなもの。
 すべてが壊れていて、
 まったく正しいものなど何もない。
 時間的心は、
 まともな人々や扱いやすい状況には
 手が届かないと信じている。
 そのため、
 いつかはたどり着けるだろうと願って、
 それらを追い求める。
 それは完全に論理的だ。
 でも、それが無駄な努力なのは、
 時間がこの錯覚による貧弱な自己の
 擬似存在でしかないから。
 神の王国は永遠にあなたの内部にある。
──────────────────

ジェニファー・マシューズは

ただ自分の確信を語るだけ。

そこにはマインドを説得しようとする

理屈はありません。

ただジェニファー・マシューズの言葉を聴いて

彼女と同じように確信したいと望む者が

聴きたい言葉があるだけです。

悟りとは何か?

「Enlightenment」という英語は、

輝かす、明るくする、軽くする

という意味の「lighten」の前後に

動詞化の接頭辞「En」と

名詞化の接尾辞「ment」を付加した言葉です。

以前「悟り」の歴史を調べようと思って

英語圏での「Enlightenment」の歴史的利用例を

ググったことがありました。

するとそこでは啓蒙時代の話が展開されていました。

考えてみれば、ウェスタンの歴史は

「悟り」とはあまり縁のない世界だったでしょう。

いまでもGoogle翻訳で「Enlightenment」を調べると

「啓発」という代表的訳語が表示されます。

しかし、Deeplでは

代表的訳語は「悟り」と表示されます。

現在の英語の世界では

「Enlightenment」は「悟り」の訳語として

定着しているのでしょう。

というわけでジェニファー・マシューズは

> 言葉の文字通りの意味を踏まえるなら、
> Enlightenmentとは
> 暗い時期や暗黒時代の終わりのこと。
> 個人的なEnlightenmentは心の闇を取り除く。

と断ったのだと思います。

自分を個人だと思っているわれわれは

見かけの現象を追って湧いてくる想念、

つまり時間のなかを進むマインドを自分だと思っています。

こうして湧いてくる想念のことを

ジェニファー・マシューズは「時間的心」と呼び、

それは「無限の愛から切り離されている」という観念を

根拠にして発生する想念だと定義します。

「時間的心」のいかなるバリエーションも、

「無限の愛から切り離されている」という観念の

変奏でしかありえない、ということでしょう。

われわれが自己同化している「時間的心」は、

「無限の愛から切り離されている」という幻想を

再確認するための想念以外ではありえない、

ということだと思います。

湧いてくる思考に注意を向けるかぎり

その幻想に注意のフォーカスを合わせ、

そこに意識エネルギーを注ぎ続けることになる。

死屍累々の暗闇のなかを

松明の火を掲げて周囲を探し回っても、

おどろおどろしい姿ばかりが浮かび上がってきて、

それらの姿すべてを照らし出しているのが

自分の松明だということに意識は向かわない。

【悟りとは、
 まさにこの誤った苦しい思いをほどくこと。】

すべての現れを照らし出しているのは

自分がもっている<気づき>の光だ!

という知識には至らないし、

また、その<気づき>の光である自分は、

けっして<気づき>の対象物にはなりえないわけです。

見えるもの、聞こえるもの、匂いを嗅げるもの、

おしなべて知覚できるものはすべて

実際の自分ではない。

なぜなら、

実際の自分はそれらを知覚する絶対的主体性だからです。

というわけなので、

「悟り」というのは、

いわゆる探求の果に、

彼方に見える虹の七色を追い求めた結果として

その努力の結果ついに発見されるものでは【ない】、

ということを理解するのが重要だと

ジェニファー・マシューズは言うわけです。

「探求」しているつもりの、

自称「探求者」である時間的心が

悟りを開くことはありえません。

どこまで洗練されても、

それはしょせん知覚の対象物にすぎない。

それに対して世界が現れているわけではない。

それが世界を経験しているのではないのです。

夢から覚めるのは夢を見ていた当人だけ。

見ていた夢のなかの登場人物ではありません。

もともと見られていた夢も、

夢のなかの登場人物も、

その夢を観ていた者が夢から覚めたら、

どこにも存在していなかったことが

自明になるわけですから。

現れという夢のなかで

登場人物が巻き込まれている諸状況を

すべて纏った“自分”などという実体が

いったいどこに存在するというのでしょう?

たしかに、

いま・ここに自分はいるような気がします。

すべての現れの背景にあるその存在感が、

実際の自分ではあります。

そのような理屈は理解できる。

でも、われわれが通常“自分”と思うそれは

たえず記憶を再構成しながら作り直している

「時間的心」であることも確かです。

> 自己という観念、
> 時間のなかを進んでいるという思いは、
> ただの錯覚的描写にすぎない。

ジェニファー・マシューズはここで

時間とは実際は存在しない錯覚的描写だと言います。

実際には

過去というものがどこかに存在するわけではないし、

いつか出現する未来というものがあるわけでもない。

すべての時間的描写は

<いま・ここ>で起こる想念にすぎません。

【いまだかつて
 以前や以後に起こっているものは何もない。
 あらゆるものは<いま>起こっている。】

なのに、われわれは

現れのなかに幸福の形を求め、

その欲望の究極の形として「悟り」を求める。

あたかも自分が悟ってはいないかのように。

あたかも自分が自由ではないかのように。

ミナミAアシュタールを含め、

あらゆるニューエイジ系のエンティティたちは

自由に現実を創造することについて語ります。

もちろん、間違ってなどいません。

誰がそれを望まないことがあるでしょうか?

でも、物語の中に入るとすれば、

この地球はかなり特殊な惑星です。

ここでは自分が誰であるかの記憶を

完全に失うというかなり過酷な契約を交わして

入ってくる者たちを受け容れる

「圧縮学習」の星だというのです。

この「圧縮学習」の星の中だけで生まれた

アドヴァイタ、ノンデュアリティ、

不二一元論というある理解の形があります。

その理解のなかでは「自由」の意味が違います。

「自由」とは

自由に現実を創造できる自由のことではなく、

自らが創造するいかなる現実からも

自由であるという意味の自由です。

その「自由」を達成する必要はない。

なぜなら、

その「自由」はすでに達成されている現状だから。

【どうすれば悟りの状態に入れますか?】

という問いに対して、

ジェニファー・マシューズはこう答えます。

【あなたはすでにここにいる。
 ここには愛以外の何もない。】

と。

> 時間的心は、
> たったいま自分には完全な愛がないと信じている。

われわれは深く深く

ファンタジーの世界に入り込んでしまい、

自分が何者かだと信じ込んでしまいました。

そしてその信念を見る世界に投影します。

ジェニファー・マシューズは

【この信念とともに生きることは、
 壊れたメガネを通して世界を見るようなもの。】

だと言います。

そしてまともな人々や扱いやすい状況には

手が届かないと信じていると。

かくて、いつかはたどり着けることを願って、

現れのなかでその状態を追い求めます。

むろん、それは完全に論理的です。

しかし、それが無駄な努力なのは、

時間というのは

錯覚が作り出した擬似存在だからです。

実際は、

<いま・ここ>で、

【神の王国は永遠にあなたの内部にある】

のだと。

(-||-)

次回に、またこの続きををご紹介したいと思います。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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読み物として面白ければと思っています。

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■ 2.編集後記:
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 無欲が智慧である。
 二つは別のものではない。
 それは同じである。
 無欲とは、
 心がいかなる対象物に向かうことも差し控えることである。
 智慧とは、
 何の対象物も現れないことを意味している。
 言い換えれば、
 真我以外の何ものも求めないことが
 無執着あるいは無欲であり、
 真我をけっして離れないことが智慧である。
 
 『あるがままに』(p405-406)
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(-||-)

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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