home > 通信 >平安:『ALL IS WELL』(3)J.Matthews:『アセンション館通信』第1037号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2024/3/3(第1037号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.平安:『ALL IS WELL』(3)J.Matthews

2.編集後記
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■1.平安:『ALL IS WELL』(3)J.Matthews
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今日は寒い日でしたよね。

地元ではお祭りがあったようです。

けっこう古くからあるお神輿らしいです。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?

ジェニファー・マシューズの2018年の表現

『ALL IS WELL』という作品をご紹介しています。

『すべてよし』とでもいう感じでしょうか。

目次は、こんな感じです。

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 著者のメモ
 1.私は在る
 2.現れ
 3.意志
 4.世界
 5.真理の光
 6.霊的実践
 7.平安
 8.実現
 9.悟り
 10.宇宙
 11.夢
 12.基盤
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今回は「6.霊的実践」からご紹介します。

ジェニファー・マシューズさんには

無断で翻訳してご紹介しています。

──────────────────
 
 6.霊的実践
 
 
 【自由を実現するために、
  わたしは自分の霊的実践を
  どのようにサポートすればいいのでしょうか?】
 
 この身体と心は、
 夢の火によって投げられた火花にすぎない。
 
 自分の実践と意図? 
 
 何という考え!
 
 でも、その考えを持っているあなたを
 責めることはしない。
 
 どうやらそこにはあるメカニズムが働いている。
 
 たとえば、
 あなたが「瞑想を学ぼう」と考えると、
 そこに瞑想ホールが出現するらしい。
 
 あなたがそれを諦めるつもりになると、
 それが重荷でしかなかったことがわかる。
 
 瞑想用のクッションでさえ、
 あなたを支えることはできなかった。
 
 あなたはクッションが自分を支えてくれると思った。
 でもクッションは他のすべてと同じように
 自分が引きずる重荷でしかないとわかった。
 
 何ひとつあなたを支えられない。
 
 あなたの真の存在は水のようなもの、
 そしてあなたの世俗の体験は篩(ふるい)だ。
 
 悟りを求めるとは、
 あなたがまだ悟っていないことを前提にしている。
 
 だから、悟りを求めたりしないこと。
 あるがままでいなさい。
──────────────────

現れのなかにある対象物は

どこかに客観的に存在しているのではなく

意識のなかに現れたつかの間の形でしかありません。

いわば幻想でしかありません。

すべての現れを幻出するのは

むしろ意識のなかに現れる想念を呼び出す

心理学とも言えるかもしれません。

次に現れる想念を呼び出すのは

記憶にもとづく恐れとか欲望でしょう。

その記憶が何から現れるのかと言えば、

それは見かけのなかに現れた

“自分”という感覚でしょう。

その“自分”という感覚が

“自分”は身体だったと思い出し、

その身体にまつわる物語を纏うのです。

そしてその物語の続きを想像する。

するとその想像に見合った場面が投影される。

毎日、目覚めの瞬間に起こっていることです。

呼び出される想念は

その身体の脳内に形成されている回路によって

いろいろな傾向を帯びているでしょうが、

その想念の関心の方向が

投影された形態に向かっているのは間違いない。

結果として紡ぎ出されるのは

あくまでも見かけの形態の解釈をめぐる物語です。

そしてその物語の紡ぎ手が

自分が投影する物語の展開に

一喜一憂することはあっても、

その物語自体を疑うことはまずありえない。

物語の真贋を疑うような展開を

その物語の紡ぎ手が想像するはずがないからです。

思考は現れの形態に応じて意味を推測して、

どこまでもゲスゲームを続けるしかありません。

それは言葉を換えれば、

宇宙はどこまでもあなたの思考を受け容れて

実現するためのシステムです……

というような言い方にもなるわけでしょう。

見かけの上では思考はどこまでも

自分が納得する現実を創造することになるはずです。

自分の想像が投影した見かけの形態を

現実だと想像し続けるかぎり、

幻想の自己が遭遇する苦しみに

終止符を打つことはできません。

その苦しみを終わらせ、

自由を実現するにはどうしたらいいのか?

まことにもっともな疑問です。

> 【自由を実現するために、
>  わたしは自分の霊的実践を
>  どのようにサポートすればいいのでしょうか?】

「わたし(思考)」は「自分(思考)」の

霊的実践をどうやってサポートすればいいのか?

> この身体と心は、
> 夢の火によって投げられた火花にすぎない。

身体と心そのものが

夢を見ている火から飛び散る火花にすぎないというのに。

その火花が自らの意図で自分を放出した

夢の火を消そうとでも言うのか?

> 自分の実践と意図? 
> 
> 何という考え!

夢のなかでは夢の心理学が働いている。

たとえば、

あなたが「瞑想を学ぼう」と考えると、

そこに瞑想ホールが出現するといったような。

ところが次の瞬間、気分が変わって

瞑想を諦めるつもりになると、

とたんにそれが重荷でしかなかったことが

はっきりとわかる。

自分が夢に見る瞑想用のクッションに、

見ている自分を支えてもらうというのは

期待するほうが無理というもの。

一瞬前に支えになると思われたクッションは、

気がついてみれば、

それはけっきょく他のすべてと同じように

ただ自分が引きずる重荷にしかなっていなかった。

> 何ひとつあなたを支えられない。

絶えず揺動する想念である“あなた”を支えて

やすらぎに導ける力など存在しない。

> あなたの真の存在は水のようなもの、
> そしてあなたの世俗の体験は篩(ふるい)だ。

目覚めて見る夢のなかでの体験で

あなたの真我を見つけようとするのは、

まるで篩(ふるい)で水を掬おうとするようなもの。

> 悟りを求めるとは、
> あなたがまだ悟っていないことを前提にしている。

あなたは誰の光でその夢を見ていると思うのか?

あなたは今の想念が自らの根拠としている

その身体がその状況を見ていると思っているかもしれない。

いいや、身体はその夢を投影する道具にすぎない。

その夢も、身体も、投影する想念も

すべて真のあなたの光のなかに現れている。

あなたこそが永遠の不偏光、

永遠不滅の<気づき>にほかならない。

だから、悟りを求めたりしないこと。

見かけの夢はそのままでいい。

それを改善しようとなどしないこと。

「あるがまま」でいなさい。

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 7.平安
 
 
 【どうすれば心のやすらぎが見つかりますか?】
 
 あなたは心のやすらぎを見つけたい。
 でも、あなたがやすらぎなの。
 人のふりをした。
 
 自分を溶かしなさい。
 そうすれば自分がやすらぎであるのがわかる。
 
 それか、そんなことただ忘れるか。
 
 あなたは無限のやすらぎ。
 だからどんな態度を取ろうと関係ないでしょ?
 
 それはすべてあなたなの。
 またしても向こうにいるふりをしているけど。
 何を得たり失ったりできる?
 
 その幻想は千万年前に終わっている。
 
 と同時に、
 それはけっして始まらなかった。
 
 ただ彗星のように消えゆく栄光。
 
 それほどの幸運なの!
 
 あなたは愛する人と愛される人の両方。
 
 愛は常に自分を愛し、
 形のことは気にしない。
 
 形にはけっしてどんな意味もない。
──────────────────

> 【どうすれば心のやすらぎが見つかりますか?】

あなたは心のやすらぎを見つけたいと言う。

でも、実際は、

すべてを照らし出している

あなた自身がやすらぎそのもの。

ただ、人のふりをしているだけ。

夢のなかの現れに注目するのではなく、

ひたすら見ている自分に溶け込みなさい。

そうすれば自分がやすらぎであるのがわかる。

あるいは、

そんなことはただ忘れてしまうか。

見ているあなたが存在していることは疑えない。

あなたは存在している。

そのことで満足しなさい。

実際は、

あなた以外は何も存在していないのだから。

それ以上を求めて、

“何か”になろうとしてはいけない。

なぜなら、

あなたは“何者”でもないから。

そして、あなたはあらゆるものでもある。

あなたは想像したすべてになれる。

しかも同時に、

けっして何者にも制限されない。

> あなたは無限のやすらぎ。
> だからどんな態度を取ろうと関係ないでしょ?
> 
> それはすべてあなたなの。
> またしても向こうにいるふりをしているけど。
> 何を得たり失ったりできる?

そういう幻想はすでに千万年前に終わっている。

そして同時に、

それはけっして始まらなかった。

あなたはそれほどの超越的幸運児!

それほどの幸運なの!

あなた以外には誰もいない。

> あなたは愛する人と愛される人の両方。

愛が愛を愛している!

形のことは気にしない。

形にはけっしてどんな意味もないのだから。

──────────────────
 
 8.実現
 
 
 【では、私はどうすればいいのですか?】
 
 あなたは無条件に愛することができる。
 それこそが、
 あなたが分離した自己として存在する唯一の目的。
 
 あなたは「悟り」と呼ばれる
 無限の感謝を経験できる。
 
 個人的な心は可能性と戯れていても、
 それは何も知らない。
 
 「心」とはひと束の思考にすぎない。
 
 考えることと一体化するのをやめれば、
 考えることはひとりでに消えてゆく。
 
 考えることは、
 自分を見かけの窮屈さの片隅に塗り込めるのが好き。
 
 自分がどう担がれていたかがわかったら、
 あなたは笑うだろう。
 
 自分を解放しようとする自分の努力も笑うだろう!
 
 天国に戻れるようにと、
 自分を天国から解放しようとしていたとわかって。
 
 天使たちはあなたを助けた。
 彼らに何ができただろう?
 
 天使たちはいつもあなたを助けている。
 ただこれを知ればいいだけ。
 すべて良し、と。
 
 神だけが存在している。
 
 モノのなかに意味を求めるのは、
 太陽が月の光で見ようとするようなもの。
 
 あなたの注意を、
 光を反射するモノから、
 光そのものに向けなさい。
 
 ハートのなかの無限の至福に浸っていなさい。
──────────────────

> 【では、私はどうすればいいのですか?】

あなたが体験できる最大の冒険は

無条件に愛すること。

それこそが、

あなたが見かけ上の分離した自己として存在する

唯一の目的。

あなたは「悟り」と呼ばれる

無限の感謝を経験できる。

見かけの現れを投影している個人的な心は

可能性と戯れることはできても、

実際は何も知らない。

「心」とはひと束の思考にすぎないのだから。

「心」が

心の基盤であるあなたの何を理解できるだろう?

映画のなかの登場人物が、

その映画を映し出しているスクリーンを

見つけられる可能性などあるだろうか?

あなたに必要なことは

ただ想念と自己同一化するのをやめることだけ。

思考にフォーカスするのをやめれば、

思考はひとりでに消えてゆく。

どうやら思考は窮地に偏執があるらしい。

自分を見かけの窮屈な片隅に追いこむのが好きらしい。

この上もなく自分が重要な位置を占められるから。

しかし、

夢のなかでどれほど追い詰められていても

「これは夢だな!」と思った瞬間、

その夢は破れる。

あなたは夢から覚めて

その夢の世界がどこにも存在していなかったことを知る。

あれほど恐ろしかったその場面は一瞬で消えた。

「あれはただの夢だった!」

そのことを理解したあなたが、

もう一度その夢の世界に戻りたいと願うだろうか?

> ただこれを知ればいいだけ。
> すべて良し、と。

夢の世界に迷い込まないことの中に

やすらぎという幸福が在る。

> 神だけが存在している。

実在しているのはあなただけ。

あらゆる多様性は夢のなかにしか存在しない。

> モノのなかに意味を求めるのは、
> 太陽が月の光で見ようとするようなもの。

映画館の薄暗がりの中でしか

映画の物語は現実になることができない。

> あなたの注意を、
> 光を反射するモノから、
> 光そのものに向けなさい。

現れの世界に焦点を合わせるのではなく、

それを見ている自分に注意を向けつづけなさい。

> ハートのなかの無限の至福に浸っていなさい。

ただ在ることのやすらぎに浸っていなさい。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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手にとっていただけました?(^^;)

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読み物として面白ければと思っています。

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■ 2.編集後記:
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【あなたの注意を、
 光を反射するモノから、
 光そのものに向けなさい】

(-||-)

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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