home > 通信 >土台:『ALL IS WELL』(4)J.Matthews:『アセンション館通信』第1038号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2024/3/10(第1038号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.土台:『ALL IS WELL』(4)J.Matthews

2.編集後記
──────────────────

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■1.土台:『ALL IS WELL』(4)J.Matthews
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今日は寒い日でしたけど、晴れましたね。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?

ジェニファー・マシューズの2018年の表現

『ALL IS WELL』という作品をご紹介しています。

『すべてよし』とでもいう感じでしょうか。

目次は、こんな感じです。

──────────────────
 著者のメモ
 1.私は在る
 2.現れ
 3.意志
 4.世界
 5.真理の光
 6.霊的実践
 7.平安
 8.実現
 9.悟り
 10.宇宙
 11.夢
 12.土台
──────────────────

今回は「9.悟り」からご紹介します。

ジェニファー・マシューズさんには

無断で翻訳してご紹介しています。

──────────────────
 
 9.悟り


 【悟った状態とはどんなものですか?】
 
 「神の王国」とはからし種のようなもの。
 それはもっとも小さな種だが、
 空(そら)の鳥たちにねぐらを与えるほどの
 壮麗な大木に成長する。
 「神の王国」とは、
 そのようなねぐらがいつでも得られるという
 原初の信仰のことだ。
 叩けよ、さらば開かれん。
 種を蒔けば、木はすでにここにある。
 信頼する者は、
 その木の避難所をけっして離れない。
 不信の徒は、
 無情な太陽の下で繰り返される放浪に耐える。
 神の王国は埋蔵された宝物のようなもの。
 信頼する者は宝物に行き当たると、
 自分の持てるすべてを売り払って、
 それが埋蔵されている畑地を確保する。
 不信の徒が宝物に行き当たると、
 自分の持っている物を手放すことができず、
 宝が埋蔵されている畑地を買うことができない。
 彼らは真珠をいくつか掴んで市場で売ろうとするが、
 その宝物は略奪され、散乱し、消失する。
 個人的な心は、
 世界という鏡に映った映像を追い求める。
 映像を追い求めることを欲望という。
 欲望は幸福をつかむが、
 けっしてそれを確保することはない。
 幸福を追い求めることが、
 すべての困難の原因だ。
 あなたが至福の中に、
 ハートの中にとどまるとき、
 すべての悩みは消える。
 あなたが至福の中にとどまるとき、
 心は自分が仕事にあぶれたことを知って、
 静かになる。
 心こそが問題なのだ。
 だから心は鎮まらなければならない。
 至福だけが残る。
──────────────────

> 【悟った状態とはどんなものですか?】

まあ、

こういうことは聞きたくなりますよね。

神学校出の哲学者である

ジェニファー・マシューズの使う比喩は、

『バイブル』からの言葉が多いです。

> 「神の王国」とはからし種のようなもの。
> それはもっとも小さな種だが、
> 空(そら)の鳥たちにねぐらを与えるほどの
> 壮麗な大木に成長する。

“マスタード・シード”という言葉には

こういう連想があるんですね。

> 「神の王国」とは、
> そのようなねぐらがいつでも得られるという
> 原初の信仰のことだ。

そうであるはずです。

そうでなければなりません。

そういった根拠のない感覚があるわけです。

そしてそんな感じを持ちながらも、

この惑星では裏切られ続けて

一生を終えるようなことが多いのですが。

> 叩けよ、さらば開かれん。

叩けば、扉はすでに開いている。

> 種を蒔けば、木はすでにここにある。

ハートにその確信の種を蒔けば、

壮麗な大木はすでに立っている。

> 信頼する者は、
> その木の避難所をけっして離れない。

ラマナ・マハルシの言う、

賢者は涼しい木陰から

わざわざ酷熱の日差しの中には出てはゆかない

ということなんでしょうね。

> 不信の徒は、
> 無情な太陽の下での放浪を繰り返し耐える。

ところが……これがなかなかやめられない。

誰がやめられないのか?

「私とは誰か?」が解かれるまでは。

そして「私」が

ハートのなかに溶解してしまうまでは。

実在は夢の放浪を可能にはするけれど、

実在が夢の放浪を開始したわけではないわけです。

夢の放浪に焦点を当てた想念が

どこまでもその夢を追って肥大し続ける。

> 神の王国は埋蔵された宝物のようなもの。
> 信頼する者は宝物に行き当たると、
> 自分の持てるすべてを売り払って、
> それが埋蔵されている畑地を確保する。

自分が突き当たって躓いたその智慧が

これこそが絶対だと興奮してさえ、

その智慧にすべてを賭けるだけの

智慧が育っていないことには踏みとどまれない。

次々と浮かんでくる想念を

さらさらと流し続けるだけの理解が必要なのです。

その理解はそれだけの過去の投資があって

獲得されているものなのですから。

そこでまた次の宝に目移りするような

熟度のマインドにそれは起こらない。(;_;)

> 不信の徒が宝物に行き当たると、
> 自分の持っている物を手放すことができず、
> 宝が埋蔵されている畑地を買うことができない。

そういうことですよねぇ。

> 彼らは真珠をいくつか掴んで市場で売ろうとするが、
> その宝物は略奪され、散乱し、消失する。

まったく。

まさに目に浮かぶようです。

> 個人的な心は、
> 世界という鏡に映った映像を追い求める。

けっきょく、

そういうことなんですよね。

> 映像を追い求めることを欲望という。

まさに。

> 欲望は幸福をつかむが、
> けっしてそれを確保することはない。

人が獲得できるような幸福が

永遠にとどまれるものであるはずはありません。

けっきょく、そういうものは

ただ<いまここ>に存在しないので、

手に入れたところで、

また別のものを追い求めることになる。

手に入れる価値もない一場の夢にすぎません。

> 幸福を追い求めることが、
> すべての困難の原因である。

求めることこそが、苦しみの種。

これだけは実感になりました。

> あなたが至福の中に、
> ハートの中にとどまるとき、
> すべての悩みは消える。
> あなたが至福の中にとどまるとき、
> 心は自分が仕事にあぶれたことを知って、
> 静かになる。

しかし、マインドに諦めてもらうには、

わずかとはいえ努力の時期が必要です。

それすらも出し惜しむと言うなら、

マインドは諦めようもないわけでしょう。

> 心こそが問題なのだ。

間違いありません。

> だから心は鎮まらなければならない。

はい。

> 至福だけが残る。

われわれは本当の自分を知らない。

──────────────────
 
 10.宇宙
 
 
 宇宙とは何か?
 宇宙は思考だけでできており、
 それは単なる見かけ、夢のようものだ。
 深い眠りの中に宇宙は存在しない。
 夢とは目覚めの状態という開発現場であり、
 そこで心は可能性を探求する。
 目覚めの状態で体験される宇宙は
 街角のフルーツスタンドのようなものだ。
 朝には店内の商品がそこに集めて組み立てられ、
 夕方になると
 それはすべて分解されて店内に戻される。
 同じように、 
 宇宙は目覚めたときに心によって投影され 
 心が眠りにつくと消えてしまう。
 「あなた」は夢の中の登場人物にすぎない。
 あなたの夢はダイナミックで、時間的だ。
 だからあなたはとても忙しい。
 もしあなたが自分を善良な人間と思ったら、
 あなたは世界を改革するのに忙しい。
 もし自分が悪い人間だと思ったら
 自分を改善するのに忙しい。
 心はとても忙しい。
 しかし、「自己」は何もせず、
 そして完全に安らいでいる。
──────────────────

> 宇宙とは何か?
> 宇宙は思考だけでできており、
> それは単なる見かけ、夢のようものだ。

間違いありません。

ただ嫌悪感でそれを手放すことはできない。

嫌悪は欲望の裏返しにすぎないから。

> 深い眠りの中に宇宙は存在しない。

はい。

それは体験的に知っています。

> 夢とは目覚めの状態という開発現場であり、
> そこで心は可能性を探求する。

まさに“開発現場”、

絶えざる「普請中」ですね。

そこではあらゆる魂たちが

夢中になって自らの夢を追っている。

> 目覚めの状態で体験される宇宙は
> 街角のフルーツスタンドのようなものだ。
> 朝には店内の商品がそこに集めて組み立てられ、
> 夕方になると
> それはすべて分解されて店内に戻される。

なるほど。

目覚めて組み立てられる“果物棚”が

わたしの日常生活ということか。

店内が“個人的記憶庫”ということになるでしょうか。

> 同じように、 
> 宇宙は目覚めたときに心によって投影され 
> 心が眠りにつくと消えてしまう。

はい。

> 「あなた」は夢の中の登場人物にすぎない。

間違いありません。

> あなたの夢はダイナミックで、時間的だ。
> だからあなたはとても忙しい。

いつも忙しくしています。

「心を亡くす」というよりは、

「気づきを亡くして」いるのでしょう。

> もしあなたが自分を善良な人間と思ったら、
> あなたは世界を改革するのに忙しい。

昔はそういうことも思いました。

でももうそれほど若くもない。

> もし自分が悪い人間だと思ったら
> 自分を改善するのに忙しい。

自分を改善しようという気はありませんが、

自分を失いたいとは思っています。

でも思いは思いを退治できません。

サラサラと流せるようになる前に、

すべての思いに気づいて拒否する

時期が必要なのでしょう。

> 心はとても忙しい。

たしかに。

> しかし、「自己」は何もせず、
> そして完全に安らいでいる。

「自己」は何もせず、

いっさいの見かけに汚染されることなく、

完全に安らいでいる。

──────────────────
 
 11.夢
 
 
 【もしかしたら、
  私は自分の夢の中の登場人物なのかもしれません。
  もしそうなら、私はどうすればいいのですか?】
 
 その質問は無意味だ、
 身体は何があろうと関係なく、
 身体がすることになっていることをする。
 身体は設計どおりに時を刻む
 金時計のようなものだ。
 身体には何の問題もない。
 だから、邪魔したり軽蔑したりしないこと。
 もしあなたが真理に従って生きたいのなら、
 何ごとにも心の平穏を邪魔させないことだ。
 心の平安は、
 神(あるいは愛)だけが実在だと
 知っていることから来る。
 至高の実在だけが存在する。
 そして、あなたがその実在なのだ。
 こう考えてみなさい。
 電車まで歩いていくとき、
 あなたは重いリュックを背負っている。
 電車に乗ったら、
 あなたはリュックを足の間の床に置く。
 電車とあなたは同じ道を進んでいる。
 あなたは電車によって運ばれているのだ。
 神を敬いたいになら、
 決断と配慮という荷物を下ろしなさい。
 これが適切な感謝の印だ。
 心配したり非難したりするのは正しくない。
 それはひどい重荷だ。
──────────────────

> 【もしかしたら、
>  私は自分の夢の中の登場人物なのかもしれません。
>  もしそうなら、私はどうすればいいのですか?】

どうしようがあるんでしょうね?

起こることはすべて自分ではない、

と知っていることなんでしょうか。

> その質問は無意味だ、
> 身体は何があろうと関係なく、
> 身体がすることになっていることをする。

たしかに。

> 身体は設計どおりに時を刻む
> 金時計のようなものだ。

チクタクチクタク。

> 身体には何の問題もない。
> だから、邪魔したり軽蔑したりしないこと。

はい。

身体には感謝しています。(-||-)

> もしあなたが真理に従って生きたいのなら、

ええ、

真理に従って生きたいです。

> 何ごとにも心の平穏を邪魔させないことだ。

おお。

……。

> 心の平安は、
> 神(あるいは愛)だけが実在だと
> 知っていることから来る。

ああ……。

(-||-)

> 至高の実在だけが存在する。

はい。

> そして、あなたがその実在なのだ。

たしかに、わたしはここにいる。

> こう考えてみなさい。
> 電車まで歩いていくとき、
> あなたは重いリュックを背負っている。

ええ。(?_?)

> 電車に乗ったら、
> あなたはリュックを足の間の床に置く。

なるほど。

> 電車とあなたは同じ道を進んでいる。
> あなたは電車によって運ばれているのだ。

間違いなく。

> 神を敬いたいになら、
> 決断と配慮という荷物を下ろしなさい。

ああ。

> これが適切な感謝の印だ。

(-||-)

> 心配したり非難したりするのは正しくない。

【心配したり非難したりするのは正しくない】

そうか。

心配したり非難したりすることが起こるなら、

手放すべきものを抱えているということだ。

たしかに、

それがまったく起こらないとは言えません。

そうか……。

ここにヒントがあった。

【心配したり非難したりするのは正しくない】

心配や非難という想念が起これば

それが手放すべきタイミングなんだ。

(-||-)

> それはひどい重荷だ。

わかります。

──────────────────
 
 12.土台
 
 
 「至高の自己」は宇宙の土台だ。
 目に見えるもの、目に見えないもの
 すべての土台だ。
 それはあなたの魂でもある。
 「至高の自己」はその本性にとどまり、
 いわゆる人生の出来事には影響されない。
 ただハートの無限の至福にとどまりなさい。
 ときとして、
 至福が“去っていく”ように見えるかもしれない。
 至福はどこにも行かない。
 しかし、心は散漫になり、
 見かけの宇宙が生じる。
 これを“考える”というのだ。
 宇宙は思考の投影でしかないと見なしなさい。
 それ自体には何の実体もないと悟りなさい。
 あなた自身の心身さえもだ。
 すべてを一本の虹色の光の帯と見なしなさい。
 透明な光は目には見えないことを知りなさい。
 静かにしていなさい。
 ハートの中で静寂を保ちなさい。
 そうすれば、
 あなた自身は誰でもないのに、
 あなたはすべてを「自己」として愛するだろう。
──────────────────

> 「至高の自己」は宇宙の土台だ。

「至高の自己」が実在していて、

はじめて宇宙は起こりうる。

全宇宙はこの「至高の自己」を土台にして

生じている。

全宇宙は

<気づき>である「私」から生じている。

> 目に見えるもの、目に見えないもの
> すべての土台だ。

<気づき>である「私」は

目に見えるもの、目に見えないものすべての土台。

目に見えるものも、目に見えないものも

すべては<気づき>である「私」を根拠にして

起こっている。

> それはあなたの魂でもある。

この「至高の自己」を

わたしの魂ということもできる。

> 「至高の自己」はその本性にとどまり、
> いわゆる人生の出来事には影響されない。

「至高の自己」とは

映画館で言うならスクリーン。

けっして投影されるフィルムの物語に

汚染されることはない。

> ただハートの無限の至福にとどまりなさい。

あらゆる現れの背景にいる自分に気づきなさい。

そしてその「自己」としてとどまりなさい。

それが無限に至福だ。

(;_;)

(-||-)

> ときとして、
> 至福が“去っていく”ように見えるかもしれない。

はい。

> 至福はどこにも行かない。

根底に実在しているのは「至福」だけ。

> しかし、心は散漫になり、
> 見かけの宇宙が生じる。

はい。

> これを“考える”というのだ。

ああ。

> 宇宙は思考の投影でしかないと見なしなさい。

はい。

感じています。

> それ自体には何の実体もないと悟りなさい。

はい。

宇宙に憧れることはありません。

> あなた自身の心身さえもだ。

そうですね。

> すべてを一本の虹色の光の帯と見なしなさい。

すべては透明な光が分裂した虹の七色。

> 透明な光は目には見えないことを知りなさい。

目に見えない「自己」にとどまる。

> 静かにしていなさい。

はい。

> ハートの中で静寂を保ちなさい。

それがまだできません。

> そうすれば、
> あなた自身は誰でもないのに、
> あなたはすべてを「自己」として愛するだろう。

そうか。

そういうことになりますね。

ありがとうございました。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


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すべてここに置いてあります。
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   ………○…………○…………○………

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キンドル本の『地球世界はかなり特殊』

手にとっていただけました?(^^;)

アマゾンに入って

【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。

読み物として面白ければと思っています。

  ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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【「至高の自己」は宇宙の土台だ】

すべてがこの<気づき>という

「至高の自己」を根拠にして生じている。

【ときとして、
 至福が“去っていく”ように見えるかもしれない。
 至福はどこにも行かない。】

そうか。

わたしというエゴがスクリーンを忘れても、

映画で起こっていることすべては

実在であるスクリーンなしには起こりえない。

スクリーンがどこかに消えてしまう

ということはありえない。

【しかし、心は散漫になり、
 見かけの宇宙が生じる。
 これを“考える”というのだ。】

間違いありません。

(-||-)

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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