home > 通信 >移行時の「私」:『真我』(2):『アセンション館通信』第1040号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2024/3/24(第1040号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.移行時の「私」:『真我』(2)

2.編集後記
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■1.移行時の「私」:『真我』(2)
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今日は雨模様の寒い日でした。

連れ合いが風邪を引いて寝ています。

夢のなかでもいろいろな場面がありますね。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?

ほんのしばらくのことでしたが

ちょっと舞い上がる夢を見ました。

福間巌さんがラマナ・マハルシの

教えの核心だけを厳選して編んだ編集本

『真我』を読んでいます。

本のなかほど「第二章 真我探求・実践」に

【眠りから目覚め、への移行時の「私」】

という見開き2ページの短い節があります。

すばらしい内容なのでご紹介します。

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長すぎる引用ですが、

 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

──────────────────
 
 眠りから目覚めへの移行時の「私」
 
 
 眠りは無知だと言われています。
 しかし、
 それは目覚めの状態で一般に受け入れられている
 誤った認識でしかありません。
 実際は、
 目覚めの状態こそが本当の無知であり、
 眠りの状態は完全な知識なのです。
 
 真我とは眠りの状態における純粋意識です。
 それは眠りから目覚めへの移行時に、
 「これ」という想いのない「私」へと展開し、
 目覚めてから「私」と「これ」として
 それ自身を現します。
 個人の体験は「私」という媒介のみを
 通して得られます。
 それゆえ、
 探求者は眠りから目覚めへの
 移行時における「私」という媒介を
 真我実現の標的とすべきです。
 そうでなければ、
 眠りの体験は彼にとって
 何の意味も持たないでしょう。
 しかし、
 もし移行時の「私」が認識されれば、
 根底にあるものも見出され、
 それが真我実現へと導くのです。
 
 移行時における「私」は純粋です。
 なぜなら、
 「これ」は抑えられてまだ現れず、
 「私」が優占しているからです。
 なぜその純粋な「私」は、
 今この瞬間に認識されないのでしょうか?
 なぜ私たちは
 それを思い出そうとさえしないのでしょうか?
 なぜなら、
 それを知ろうとする意志が欠けているからです。
 もし純粋な「私」に意識を向けさえすれば、
 それは認識されるでしょう。
 それゆえ、
 努力をして意識的にそれを達成すべきなのです。
 
 『真我』(p84-85)
──────────────────

この一節を読んだときはちょっとときめきました。

まさに、

狙い目はここだと思われたからです。

pariというこの心身は

何ごとにつけ

「得」と思われる情報にはすぐ惹かれます。

ただしpariには持久力があまりない。

> 眠りは無知だと言われています。
> しかし、
> それは目覚めの状態で一般に受け入れられている
> 誤った認識でしかありません。
> 実際は、
> 目覚めの状態こそが本当の無知であり、
> 眠りの状態は完全な知識なのです。

この【眠りの状態は完全な知識】という言い方は

シュリ・アートマナンダ・クリシュナ・メノンの

表現ととても近縁ですね。

ニサルガダッタ・マハラジの場合は

別の観点から

夢のない深い眠りの状態を真我とは

厳密に区別した評価をするようですが。

しかしまあ、それは

用語法の問題とも言えます。

とにかくラマナ・マハルシはここで、

> 真我とは眠りの状態における純粋意識です。

という言い方をしています。

ラマナの定義では

【真我】=【眠りの状態における純粋意識】

です。

賢者のことはわかりませんが、

少なくともわれわれの場合は、

「眠りの状態」とは

自分の存在に気づいていない状態です。

自分がいないほどの楽はありません。

ごく世俗の言い方でも

「世の中に寝るほど楽は無かりけり

 浮世のバカは起きて働く」
 
というわけです。

ラマナは真我の現象への関与を

> それは眠りから目覚めへの移行時に、
> 「これ」という想いのない「私」へと展開し、
> 目覚めてから「私」と「これ」として
> それ自身を現します。

というふうに表現します。

われわれの毎日の目覚めにおいて

「真我」はまず「私」になり、

次いで目覚めてからは

「真我」は「私」と「これ」になるというのです。

> 個人の体験は「私」という媒介のみを
> 通して得られます。

そして個人の体験というのは

「私」という媒介がなければ存在できないと。

> それゆえ、
> 探求者は眠りから目覚めへの
> 移行時における「私」という媒介を
> 真我実現の標的とすべきです。

ここでラマナは

眠りから目覚めへのこの移行時の「私」にこそ

探求者は注目すべきだと言います。

ラマナの定義によると

【真我】=【眠りの状態における純粋意識】

であるようです。

ただし眠りの状態のなかでは

「私」と「これ」はまだ現れていません。

ということは、言い方を換えると、

(「私」と「これ」が展開する

 世界の住人と自ら思い込んでいる)

“われわれ”はまだいないわけです。

“われわれ”はまだ存在すらしていない。

存在していないのですから

その“われわれ”が自分の源である【真我】に

関心を向けることなどありえません。

つまり、

眠りの状態には探求が起こる余地はないのです。

ただ【至福】が在るだけです。

不自然な“違和感”が存在していない。

そしてまた、目が覚めて

不自然な“違和感”が定着してしまうと、

“違和感”からの脱出を試みる探求は可能だけれど、

そのときは【真我】は完全に

“違和感”に覆われてしまっています。

分離による“違和感”に一体化してしまった

“われわれ”は迷子になり途方に暮れ、

ただ“違和感”の果まで突き進むしかありません。

そんな状況のなかで

探求の最大の可能性は

眠りから目覚めへの移行時に現れる。

だからこの移行時にこそ大きなチャンスがある

と、ラマナはおっしゃるわけです。

> そうでなければ、
> 眠りの体験は彼にとって
> 何の意味も持たないでしょう。

探求者にとっては

この移行時のチャンスを掴むのでなければ、

眠りの体験にはなんの意味もないことになる。

> もし移行時の「私」が認識されれば、
> 根底にあるものも見出され、
> それが真我実現へと導くのです。

この移行時の「私」をとらえることができれば、

それはわれわれを真我実現へと導いてくれる。

> 移行時における「私」は純粋です。
> なぜなら、
> 「これ」は抑えられてまだ現れず、
> 「私」が優占しているからです。

この移行時には

真我はまだ「私」としてしか展開されていません。

まだ何も対象物が現れていない。

ここでラマナはとても不思議なことを言います。

> なぜその純粋な「私」は、
> 今この瞬間に認識されないのでしょうか?

その移行時に現れた「私」は

なぜその時点で、

その瞬間に認識されないのか、と。

> なぜ私たちは
> それを思い出そうとさえしないのでしょうか?

(?_?)

なぜ“われわれ”は

その移行時に現れた「私」を

思い出そうとすらしないのか?

このような発想自体が超越的なものです。

これは超特別級の純度の純粋意識が

この地球のような特殊な重圧環境に入ったとき以外には

現れないような観点と言えます。

> なぜなら、
> それを知ろうとする意志が欠けているからです。

(*_*) ⌒★?

これこそが賢者の視点です!

移行時に現れた「私」が

その瞬間に認識されないのは、

その瞬間に

それを知ろうとする意志が欠けているからだと。

> もし純粋な「私」に意識を向けさえすれば、
> それは認識されるでしょう。

そして賢者ラマナは

だから、

その眠りから目覚めへの移行時に

そこに現れる純粋な「私」に

意識を向けようとする【意志】を築けばいいのです

とわれわれに教えてくれているわけです。

> それゆえ、
> 努力をして意識的にそれを達成すべきなのです。

努力して、

その「私」に意識を向けようとする

意志を形成しなさいと最短経路を伝えてくださっています。

──────────────────
 眠りから目覚めたとき、
 そして世界に気づくようになる寸前、
 そこには純粋な「私−私」が在ります。
 眠ることなく、
 あるいは想念が起こるのを許すことなく、
 それをとらえなさい。
 もしそれをしっかりととらえたなら、
 世界が見えたとしても問題はありません。
 見る者は現象の影響を受けずに済むのです。
 
 眠りの中には時間も空間もありません。
 時間と空間は
 「私」という想念が立ち現れたあとに
 初めて現れる概念だからです。
 「私」という想念が立ち現れる前は、
 何の概念も存在していませんでした。
 それゆえ、
 あなたは時空を超えているのです。
 「私」という想念は、
 単に限定された「私」でしかなく、
 真の「私」は
 時空を超えた無限で普遍なるものです。
 時間と空間は眠りの中には存在しません。
 眠りから目覚めた瞬間、
 対象世界を目にする直前、
 そこにはあなたの純粋な真我である
 「気づき」の状態があります。
 それが知られなければならないのです。
 
 目覚めの瞬間の純粋な「私」をとらえなさい。
 必要なのは、
 想念が起こる前の純粋な「私」に注意を固定させ、
 それを手放さないことです。
 なぜなら、
 純粋な「私」が真我だからです。
 
 『真我』(p85)
──────────────────

> 眠りから目覚めたとき、
> そして世界に気づくようになる寸前、
> そこには純粋な「私−私」が在ります。

眠りから目覚めへの移行時には

手が届くところに純粋な「私−私」が在る。

> 眠ることなく、
> あるいは想念が起こるのを許すことなく、
> それをとらえなさい。

この移行時こそが狙い目なのだから、

ここで掴もうとする意志を築きなさい。

> もしそれをしっかりととらえたなら、
> 世界が見えたとしても問題はありません。

なんと!?

> 見る者は現象の影響を受けずに済むのです。

(*_*) ⌒★?

真我に掴まっていれば

見る者は現象の影響を受けずに済む。

> 眠りの中には時間も空間もありません。

それは体験的にもわかります。

> 時間と空間は
> 「私」という想念が立ち現れたあとに
> 初めて現れる概念だからです。

はい、わかります。

> 「私」という想念が立ち現れる前は、
> 何の概念も存在していませんでした。

目覚めの直前の夢の中には

概念のハシリのようなものはあるかもしれませんが。

> それゆえ、
> あなたは時空を超えているのです。

その発芽期の純な「私」は

時空の概念によって縛られていない。

> 「私」という想念は、
> 単に限定された「私」でしかなく、
> 真の「私」は
> 時空を超えた無限で普遍なるものです。

真の「私」は何ものにも限定されていない。

> 時間と空間は眠りの中には存在しません。

概念がない眠りの中には時間も空間も存在しない。

> 眠りから目覚めた瞬間、
> 対象世界を目にする直前、
> そこにはあなたの純粋な真我である
> 「気づき」の状態があります。

目覚めたまさにその瞬間には

純粋な真我である「気づき」の状態がある。

> それが知られなければならないのです。

それをこそ掴まなければならない。

> 目覚めの瞬間の純粋な「私」をとらえなさい。

その目覚めの瞬間にこそ

純粋無垢な真我が現れている。

その目覚めの瞬間のその真我を捕らえることに

全努力を集中しなさい。

> 必要なのは、
> 想念が起こる前の純粋な「私」に注意を固定させ、
> それを手放さないことです。

その移行時の純粋な「私」に

注意を集中させる意志を築きなさい。

> なぜなら、
> 純粋な「私」が真我だからです。

その移行時に姿を現す純粋な「私」こそが

真我なのだから。

一週間前、

とてもうまく行ったと思って舞い上がったのです。

しかし

【注意を固定させ、それを手放さないこと】には

意志の持続が必要でした。

舞い上がっただけでは、一日も保ちません。

これからです。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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手にとっていただけました?(^^;)

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読み物として面白ければと思っています。

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■ 2.編集後記:
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意志が弱いなどと嘆いても仕方ありません。

この道をたどっているのだから。

努力が必要なときは努力が起こるでしょう。

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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