home > 通信 >真我として在る:『真我』(5):『アセンション館通信』第1044号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2024/4/21(第1044号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。

 今いる場を離れず、仕事を続けなさい。心に生気を与え、
 あらゆる仕事をこなすようにさせる何かが根底に流れています。
 それは何でしょうか? 真我です。真我こそがあなたの活動性の
 真の源なのです。仕事をしている間も、ただそれに気づいていなさい。
 (『真我』ラマナ・マハルシ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.真我として在る:『真我』(5)

2.編集後記
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■1.真我として在る:『真我』(5)
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今日も暖か。

風が吹くと正面のローズピンクの花桃の花びらや

左手東側のかすかにピンクがかった桜の花びらが

こちらに舞い散ってきます。

夢のような夢のなかの光景です。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?

ラマナ・マハルシの教えの核心だけを厳選した

福間巌さんの編集本『真我』を読んでいます。

読み進めてゆくと

これほどシンプルな真理が

いまだに消化しきれていないことが

不思議な気持ちになるほどです。

やはり夢の世界に注意が向いているかぎり

マインドが消化できることではないのでしょう。

マインドは想念として浮上しているだけなのですから、

何かを理解できるような実体ではない。

以前書いた【「高次の力」:『真我』(4)】
https://www.ascensionkan.com/mm/vol1042.html

に続く箇所は

「第四章 真我として在る」という章です。

今回はここからご紹介します。

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長すぎる引用ですが、

 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

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 第四章 真我として在る
 
 
 真我として在ること
 
 もし自我を否定し、
 それを無視することによって焼き尽くすならば、
 あなたは自由になるでしょう。
 もし自我を受け入れるならば、
 それはあなたに制限を押しつけ、
 それを超えようとする虚しいあがきの中に
 あなたを投げ入れるでしょう。
 本来の自己である真我として在ることが、
 永遠にあなたのものである
 至福を実現する唯一の方法です。
 
 私たちは皆、
 実在ではないないものを実在だと見なしています。
 ただこの習慣を放棄するだけでいいのです。
 そうすれば、
 私たちは真我を真我として実現するでしょう。
 言い換えれば、
 「真我として在りなさい」ということです。
 あまりにも明白な真我を
 発見しようと努力しているあなた自身を
 笑う時がいつかやってくるでしょう。
 
 『真我』(p121-122)
──────────────────

> もし自我を否定し、
> それを無視することによって焼き尽くすならば、
> あなたは自由になるでしょう。

もし自我を無視しつづけることができれば

われわれは自由になれるわけです。

ところがこれがなかなかできない。

このpariという心身などは

生涯をかけてただ身体への自己同化だけを続け

そこから自由になろうとはしないようです。

> もし自我を受け入れるならば、
> それはあなたに制限を押しつけ、
> それを超えようとする虚しいあがきの中に
> あなたを投げ入れるでしょう。

そして“自分”というこの身体に

自己同化した不自由という想念は、

この身体が不自由であると前程したうえで、

そこから脱出しようとあがく想念を

むなしく再生産しようとするだけです。

この身体という現れに自己同化した想念は

ただ一瞬現れてくるだけ。

唯一存在している実在自体は

すでに永遠に何ものでもない真我として

ただ存在しています。

しかしその真我が存在しなければ

この束縛されているという幻想自体が

現れることすらできないのは明らかです。

これほど自明なことなのになぁ。(-_-;)

(*^_^*)

> 本来の自己である真我として在ることが、
> 永遠にあなたのものである
> 至福を実現する唯一の方法です。

純粋な気づきとして「在る」ことが

本来の至福を実現する唯一の方法……。

ラマナ・マハルシの言葉が

「私」という想念が起こってくる瞬間への気づきを

少しずつでも目覚めさせてくれますように。(-||-)

> 私たちは皆、
> 実在ではないないものを実在だと見なしています。

われわれはみな現れだけを見て、

その現れが実体として存在しているのだと勘違いします。

そしてその現れのなかの身体を自分だと思うように

まわり中から誘導されるのです。

親たちもまた同じように誘導されてきたのですから。

> ただこの習慣を放棄するだけでいいのです。
> そうすれば、
> 私たちは真我を真我として実現するでしょう。

その習慣を放棄するだけでいい……

とラマナ・マハルシはおっしゃるけれど、

その習慣を放棄は

まず知覚の対象物が真の自分ではないことを

理解するところから始まらなければならない。

(しかし、そのような理解の発生もまた

 そんな事態が一定の範囲を超えないための

 「大数の法則」みたいなものが働いているのでしょう。

 さもなければ、この現象多次元宇宙自体が

 消滅してしまうでしょうから。(^_-) )

> 言い換えれば、
> 「真我として在りなさい」ということです。

“苦しみ”という幻想を手放すには

苦しむ実体が存在しないことを理解すればいい。

マインドにその理解の準備ができたら、

マインドの崩壊は自動的に開始される。

そして「真我として在る」ことが起きるのでしょう。

> あまりにも明白な真我を
> 発見しようと努力しているあなた自身を
> 笑う時がいつかやってくるでしょう。

いつかやってくるでしょう。(^_-)

──────────────────
 私たちが真我実現と呼ぶ状態は、
 ただ自分自身として「在る」ことであって、
 何かを知ることでも、
 何かになることでもありません。
 もし実現したなら、
 人は唯一存在する「それ」として在るのです。
 その状態を言葉で言い表すことはできません。
 ただ「それ」として在ることができるだけです。
 
 人々は単純な裸の真理──
 彼らの日常の、
 すでに存在する、
 永遠の体験の真理を理解しません。
 その真理とは真我の真理です。
 真我に気づいていない人がいるでしょうか?
 彼らは真我について聞きたいとさえ思いません。
 その反対に、
 人々は何か彼方なるもの──
 天国や地獄、
 輪廻転生などについて熱心に知りたがります。
 なぜなら、
 彼らは神秘を愛しており、
 裸の真理を愛してはいないからです。
 それゆえ、
 宗教はただ
 真我の周辺に彼らを連れてくるだけのために、
 ほしいまま与えて甘やかします。
 あちらこちらでさ迷い歩いたあげく、
 結局は、
 他でもない真我に戻ってこなければならないのです。
 ならばなぜ、
 「今ここ」で真我として
 在ろうとしないのでしょうか? 
 
 あなたは「私は在る」(I AM)と言います。
 それが神の力です。
 他の何が「私は在る」と言えると言うのでしょう
 自己の存在そのものが神の力です。
 「私はこれだ、私はあれだ、
  私はこれこれこういうものだ」
 と言うときに問題が起こるのです。
 それをやめなさい。
 あなた自身で在りなさい。
 ただそれだけです。
 
 『真我』(p122-123)
──────────────────

> 私たちが真我実現と呼ぶ状態は、
> ただ自分自身として「在る」ことであって、
> 何かを知ることでも、
> 何かになることでもありません。

【真我実現と呼ぶ状態は、
 ただ自分自身として「在る」ことであって、
 何かを知ることでも、
 何かになることでもありません】

こういう言葉が

浸透してくるようになりました。

ありがたいことです。

> もし実現したなら、
> 人は唯一存在する「それ」として在るのです。

人格が解体することによって、

唯一存在する「それ」が

唯一存在する「それ」として在ることが残るのですね。

> その状態を言葉で言い表すことはできません。
> ただ「それ」として在ることができるだけです。

その状態を言葉で言い表すことはできないし、

それを言葉として聞きたいような

“何者か”も存在してはいない。

> 人々は単純な裸の真理──
> 彼らの日常の、
> すでに存在する、
> 永遠の体験の真理を理解しません。

pariという人格が

1982年に出版された山尾三省さんの

『ラマナ・マハリシの教え』を

はじめて読んだとき、

そこに書かれていることの意味が

まったく理解できませんでした。

この本について当時シャンタンと話したことがあるので

そのことを明確に記憶しています。

この本が何を問題にしているのかを、

理解できるような素地がまだそこになかったのです。

> その真理とは真我の真理です。
> 真我に気づいていない人がいるでしょうか?

ラマナ・マハルシが言う意味では

真我に気づいていない人はいないでしょう。

でも、この現象世界には

そんなこと(真理)を気にする人間は

ほとんどいないのも事実です。

> 彼らは真我について聞きたいとさえ思いません。

まったくです。

> その反対に、
> 人々は何か彼方なるもの──
> 天国や地獄、
> 輪廻転生などについて熱心に知りたがります。

自分は何とかの生まれ変わりだ、

と言っていた人には何人か会いましたね。

> なぜなら、
> 彼らは神秘を愛しており、
> 裸の真理を愛してはいないからです。

そういうことだったんですね。

> それゆえ、
> 宗教はただ
> 真我の周辺に彼らを連れてくるだけのために、
> ほしいまま与えて甘やかします。

起こっているのはそういうことですね。

> あちらこちらでさ迷い歩いたあげく、
> 結局は、
> 他でもない真我に戻ってこなければならないのです。

でも、“自分”でそれを理解するには、

とことん飽き果てるまで

“自分”を掴み続けるより仕方がないのでしょう。

> ならばなぜ、
> 「今ここ」で真我として
> 在ろうとしないのでしょうか? 

そうなんですけどね。(^_-)

> あなたは「私は在る」(I AM)と言います。

自分が存在することを疑う人はいない。

> それが神の力です。

自分がいるというこの感じは、

エゴの力によって起こっているのではない。

なんか当たり前すぎてバカみたい。

> 他の何が「私は在る」と言えると言うのでしょう
> 自己の存在そのものが神の力です。

自分がいることを知っているこの感じこそが神の力。

> 「私はこれだ、私はあれだ、
>  私はこれこれこういうものだ」
> と言うときに問題が起こるのです。

神は存在しているだけで、

何かに成ることはできないから。

だから、

ありえないこと幻想して

何かになってしまうと、

その誤解が解体するまでえらい手間ひまがかかる。

> それをやめなさい。
> あなた自身で在りなさい。
> ただそれだけです。

そうなんですけどね。

──────────────────
 
 「あるがまま」に在りなさい
 
 「私」が破壊されるべきです。
 真我とは到達されるべきものではありません。
 真我が存在しないときなどあるでしょうか?
 それは新たに得られるものではないのです。
 「あるがまま」に在りなさい。
 新しいものは永久ではありえません。
 真実なるものは常に存在しているのです。
 
 『真我』(p123)
──────────────────

> 「私」が破壊されるべきです。

存在するものを「私」という観念にすると

なにかとんでもない幻想の温床が捏造される。

なぜなら、

存在するものが「私」だとしたとたんに、

「私」以外のものが存在することを暗示してしまうから。

「私」という観念の捏造から

「私」という観念の崩壊までの道のりは長い。

「私」という観念は

「私」の無限のバリエーションの創造に向かって

無限の幻想を捏造し続けることになる。

その虚構の投資が大きすぎて、

その幻想の大伽藍のなかでは誰も

「すべてがただの幻想でした」とは言い出しにくい。(^_-)

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

でも、幻想のなかの全員が同意しても、

そのことによって

幻想が幻想でなくなるわけではありません。

多次元宇宙とは

意識が夢見た夢のなかにしか存在しない。

実在は意識が夢見た夢によって

実現されるわけではなく、

意識が夢見た夢のほうが

実在のなかから生じているわけです。

> 真我とは到達されるべきものではありません。
> 真我が存在しないときなどあるでしょうか?
> それは新たに得られるものではないのです。

すべての現れは意識の内容物であり、

すべての意識は純粋な意識である

真我のなかから生じているわけです。

真我は到達されるべきものではなく、

また真我が存在しないときもありません。

真我は新たに得られるものではないのですから。

> 「あるがまま」に在りなさい。
> 新しいものは永久ではありえません。
> 真実なるものは常に存在しているのです。

新たに得られるようなものは

また失われる可能性のあるものだけ。

真実なるものは常に存在している真我だけ。

【「あるがまま」に在りなさい】

頑張る分だけ

さらなる無用な幻想のなかに迷い込むことになる。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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手にとっていただけました?(^^;)

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【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。

読み物として面白ければと思っています。

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■ 2.編集後記:
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こうしてテキストをなぞりながら

勝手に浮かぶ想念を書いています。

ゴミを出せば、

その分、空っぽに近づくかな?

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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