home > 通信 >進歩の度合い:『真我』(7):『アセンション館通信』第1048号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2024/5/19(第1048号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。

 心が拡大すればするほど、それは遠く離れていき、
 真我実現への道をより困難に、複雑にしてしまいます。
 人はまっすぐに「見る者」を見ることによって、
 真我を実現しなければならないのです。(『真我』R・マハルシ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.進歩の度合い:『真我』(7)

2.編集後記
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■1.進歩の度合い:『真我』(7)
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永遠の変化である現象の方ばかり見ているものだから、

時間が飛ぶように過ぎ去っていきます。

まあ、分相応かもしれません。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?

われわれはいつも幸福であることを求めています。

ということは

自分は幸福ではないと感じているわけです。

なぜ幸福ではないのか?

なぜなら、どういうわけか、

“自分”がつねに状況に対応しなければならない

窮境にあるからです。

なぜつねに状況に対応しなければならないのか?

ひとつには、

“自分”が状況のなかにいるからです。

そしてもうひとつには、

その状況が常に変化していて、

“自分”にその状況への対応を迫ってくるからです。

まるで、その状況に対応しなければ、

“自分”の存続そのものが危うくなるかのように。

しかし、翻って考えてみるに、

いつも幸福であることを求めているのだとすれば、

それは幸福がわれわれの自然状態だからでしょう。

つまり、本来の自然状態は「幸福」なのに、

なぜかそうなっていないのが感じられるから、

本来の自然状態の「幸福」を求めて

あがいているわけでしょう。

このわれわれが陥っている窮境は、

たったひとつの誤解のゆえに起こっています。

それは【“自分”が状況のなかにいる】と

思い込んでいるということです。

その誤解の基本構造は、

映画のなかの登場人物に感情移入している

観客席の観客と同じことです。

観客席の観客は

映画のなかの物語状況から完全に護られています。

ただ、観客のほうが

映画で展開される物語状況の有為転変に

共振する粗雑な快感に娯楽を求めているだけです。

ただ、この粗雑な快感は

結果的にとても高いものにつく可能性がある。

なぜなら、

この粗雑な快感には強い中毒性があるからです。

いったん、知的には

「真の自分は<気づき>そのものであって

 <気づき>の対象物ではない」
 
と理解した後でさえ、

われわれは常に

【“自分”が状況のなかにいる】という誤解に

たやすく足元を掬われてしまいます。

そして状況に対応しなければならない窮境に

自ら再突入しかねません。

ラマナ・マハルシはその原因を

次のように説明しています。

──────────────────
 現状における困難は、
 人が「私は行為者だ」と考えるからです。
 しかし、それは誤りです。
 すべてを為すのは「高次の力」であり、
 人は単なる道具にすぎないのです。
 もしこの見解を受け入れれば、
 彼は災いから解放され、
 さもなければ自ら災いを招くことになるでしょう。
 
 『真我』(p118)
 https://tinyurl.com/4sdwsffy
──────────────────

われわれが寝ているときに観る

「個人的な夢」の状況を思えば、

その夢のなかに出てくる“自分”が

単なる夢の材料にすぎず、

夢の中の“自分”にどんな自律性も

自発性もありえないことは明らかです。

ところが目覚めてから観るこの

“日常の現実”という夢のなかの“自分”は、

自分が自分の意志で行為している、という

「聖なる催眠」にかけられています。

寝ているときに観る「個人的な夢」が

“自分”の個人的記憶を材料にして

紡がれていることは明らかなのですから、

この目覚めて観る“日常の現実”という夢が

集合意識の宇宙的記憶を材料に紡がれていることは

明らかだと推測されるのに、

それでも「私は行為者だ」という観念は

容易には払拭できません。

そしてすぐにまるで“自分”が主体的に

見かけの状況に対応しているかのような

幻想に陥ってしまいます。

言葉を換えて言うなら、

すぐに物語に巻き込まれ、共振してしまうのです。

われわれはいわば

強度の“物語中毒”に罹っているとも言えます。

そして見かけの状況を判断し、解釈して、

対応することをやめられません。

ラマナ・マハルシは

「真我実現への進歩の度合い」という一節のなかで

(「真我実現への進歩の度合い」というものが

 仮にあるとすればの話としてですが)

──────────────────
 観念の不在の度合いが、
 真我実現への進歩の度合いを示します。
 
 『真我』(p88)
──────────────────

と言います。

つまり、

救いの手をどれほど観念に求めるかで、

迷妄の度合いがわかるということでしょう。

われわれが救いを観念に求めるかぎり、

マインドは無限の能力で擬似解答を提供できます。

救いを求める者と擬似解答の提供者が

同じマインドなのですから、

この馴れ合いには限界がありません。

ラマナ・マハルシは

──────────────────
 障害は想念だけであり、
 進歩の度合いは
 「真我は常に実現されている」
 という理解への障害を
 どの程度取り除いたかによって知られるのです。
 それゆえ、
 「想念は誰に起こるのか?」
 と探求することによって、
 想念を止めなさい。
 源に向かいなさい。
 そこでは想念は起こらないのです。
 
 『真我』(p88)
──────────────────

と言います。

「想念は誰に起こるのか?」

もちろん、自我に起こるのです。

そして、自我は存在しません。

そこにあるのは

実在しない想像上の登場人物の物語への

想像上の同一化でしかないのです。

朝方、目覚めたばかりのとき、

あるいは夜暗いうちにトイレに起きて

寝床に戻ってきたとき、

まだ完全には目覚めていません。

想念が湧いてくるのが見えています。

その源に居座る。

何度も想念は湧いてくるけれど、

その想念を退けてそこに居座る。

とても居心地の悪い感じではあるけれど、

あえて意図的にその想念を排除して

そこに居座る。

そんなことを始めたりしています。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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読み物として面白ければと思っています。

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■ 2.編集後記:
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デッキ下を鶏舎にするために

少しずつ網を張ったりしています。

何しろやることが遅い。

普通の処理能力の半分もありません。

夢のなかの話ですが。(*^_^*)

でもあまりエゴが発動する場面がないので、

時間を忘れてやっていられます。

ありがたいことです。

(-||-)

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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