home > 通信 >「真我」と「根本創造主」:『アセンション館通信』第1051号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2024/6/9(第1051号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。

 心が拡大すればするほど、それは遠く離れていき、
 真我実現への道をより困難に、複雑にしてしまいます。
 人はまっすぐに「見る者」を見ることによって、
 真我を実現しなければならないのです。(『真我』R・マハルシ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「真我」と「根本創造主」

2.編集後記
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■1.「真我」と「根本創造主」
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今日は天気が良かったので

懸案のデッキ下の防水機能を強化しました。

デッキ下には竹で梁を組んで

その上に軽量ポリカ波板を数枚重ね合わせて

防水する方法を取っていました。

家側の高い方の波板の端を二波ほど

低い側の波板の端の二波に被せる方式で

防水できないはずはなかったのですが……、

それがなぜか下に雨水が漏れていました。

イメージだけでいろいろ方法を考えましたが、

けっきょくその場に立たないと

決定的な最終手段は思いつかないものですね。

よくよく確認してみると南側に向けて

一方的に下がっているはずが、

実際にはそうなっていなかった。

これで漏水の理由もわかりましたし

直し方もわかりました。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?

デッキ下の鶏小屋空間の小さな布椅子に座って

針金メッシュの内側から

眼前に広がる光景を眺めていると、

なんかいかにもこの世における

“自分”の位置がわかるような感じで、

とても象徴的な気分になりました。(*^_^*)

眼前に広がる現象世界そのものに

それ自体の実体はありません。

その光景は「わたし」が見ているから存在している。

客観的現象世界はそれ自体では存在していません。

客観的現象世界が存在できるためには

それを認識する主観の存在が必要です。

気づかれることなく存在できるような

いかなる客観現象もありえませんから。

たとえそのようなものが存在していたとしても

気づかれることがないのですから、

<気づき>である「わたし」はそれを知りえない。

その世界は「わたし」になんの関係もありせん。

<気づき>の対象である客観的現象世界は

その存在自体が

「わたし」という絶対的認識主体の

存在に依存しているわけです。

つまり、

われわれが現象世界に気づいている

という現実があるのなら、

実際に実体として存在しているのは

気づかれている現象世界ほうではなくて、

現象世界に気づいている

われわれのほうだということです。

もっとも、

ここで“われわれ”と言っているのは、

ご存知のとおり、

日常の生活的な意味で理解される「われわれ」、

つまり個々の個人的肉体や

それに関連して起きる心理現象や行為ではありません。

そういうものはすべて現象世界に属していて

<気づき>が気づいている対象物にすぎません。

ここで“われわれ”と言っているのは、

絶対的主体である<気づき>そのもののことです。

つまり、

実在しているのはこの<気づき>だけ

ということです。

では、現象世界はどこから現れたのか?

実際は<気づき>しか存在しないのですから、

もちろん、

現象世界はその<気づき>から生じているわけです。

なんのために?(?_?)

Why not?

<気づき>から現象世界が生じていけない理由が

何かある?(*^_^*)

というのが昔からある一つの答え方で、

もう一つが、いわゆる

「リーラ(神の遊び)」というわけです。

唯一の実在である「神」は、

自らの存在を忘れて、

また思い出す、

という遊びを自分に仕掛けたのでしょう。

こういう言い方は

(われわれが知る範囲では)

この地球という惑星のインドというあたりで

長く受け継がれてきた霊的伝統の語り口です。

地球の支配者によって設定され、

長く地球を取り囲んでいた防御バリアを破って、

最近地球の波動圏に入ってきた

外宇宙の存在からのチャネリング情報の語り口は

それとは少し違います。

インド由来の「リーラ」とか

いわゆる「アドヴァイタ(非二元論)」の説明と、

外宇宙存在からのチャネリング情報が伝える

波動宇宙のあり方は、

ある意味ではとても似ています。

ほとんど同じだと言ってもいい。

・存在しているのは「意識」だけだ、とか。

外宇宙存在からのチャネリング情報が伝える

・「絶対無限の存在」とか「根本創造主」と

 インド由来の「真我」とはとても類縁です。

とはいえ、

その両者は同じだとも言えません。

もしかしたら、

一概に“外宇宙存在からのチャネリング情報”と言っても、

じつはその“外宇宙存在”にもいろいろあって、

それぞれの世界像と言うか

現象世界の説明の仕方もかなり多様性があるのかもしれません。

たとえば、

pariが比較的によく知っている

ミナミAアシュタールの説明の仕方と、

ラマナ・マハルシの観点には

それなりに無視できないほどの違いがあります。

たとえば、

現象世界すべてが「絶対無限の存在」の夢から生じている、

というミナミAアシュタールの説明と、

心の世界の源が「真我」であるという

ラマナ・マハルシの説明は、

同じことを言っていると言っていいでしょう。

ただし、

「絶対無限の存在」の現象世界への関心と

「真我」の現象世界への関心のあり方は

かなり違います。

自分の存在に気づいた「絶対無限の存在」は、

自分が何であるかを知りたくなって

自分の潜在可能性を体験するための無限の個性として

いわゆる無限の霊(われわれ)を夢見るわけです。

われわれという無限の個性は

「絶対無限の存在」の分身だとも言えれば、

「絶対無限の存在」そのものだとも言える。

しかし、いずれにせよ、

無限の霊体(われわれ無限の個性)を望んだのは

「絶対無限の存在」そのものです。

そのあたりが、

ラマナ・マハルシの語り口とは違います。

ラマナ・マハルシの観点では

「真我」は現象には何の関心ももっていません。

「真我」はただ「絶対的主体性」であるだけです。

『真我』を撰述された福間巌さんの情報によれば

ユダヤ教の神である「エホバ」の意味は、

「私は『私は在る』である」だそうです。

「真我」とはまさにその意味なのでしょう。

それは「根本創造主」とは

またニュアンスが異なります。

ヒンドゥー教の言い方には

「真我」を意味する「アートマン」という言葉の他に、

「根本創造主」的「神」の側面を表すために

「ブラフマン」という別の言葉があるような

ものかもしれません。

それは物質世界の基本構造である「原子」に

「陽子」と「中性子」があるようなものかもしれません。

動的要素(「陽子」)と

その動的要素の変化に気づくための

不動の要素(「中性子」)がなくてはならない。

動(変化)が現れるためには

その変化を可能にする不動(静寂)がなくてはならない。

「真我」のその両側面が潜象であるとき、

そこには「無」があり、

「真我」のその両側面が顕在化するとき

そこには“見る者”と“見られるもの”が現れる。

そうか……。

顕在化に傾くとき、

そこにはさまざまな「意味」や「価値」が現れる。

しかしそれらの「意味」や「価値」は、

すべて架空の概念装置によって

想像されたものにすぎないことも確かです。

すべては“妄想”にすぎないわけですから。

だから、ラマナ・マハルシは

心の破壊に誘うのか……。

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 心の破壊は、
 心が真我と一つであることを
 認識することによってなされます。
 たった今でさえ、
 心は真我から離れては存在しないのです。
 認識しなさい。
 日々の活動の中でこそ、
 それを認識するときです。
 活動は自動的に続いていきます。
 心が活動を促していると考えるのは
 真理ではありません。
 「心は真我から現れた幻影でしかない」
 ということを知りなさい。
 心はこうして破壊されるのです。
 
 『真我』(p91)
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(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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読み物として面白ければと思っています。

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■ 2.編集後記:
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夢のなかを

いろいろな幻影が必然的に流れてゆく。

まあ、今日も楽しかった。

ちょっとくたびれたけど。

(-||-)

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>

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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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