home > 通信 >映画の登場人物の可能性:『アセンション館通信』第1052号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2024/6/16(第1052号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。

 目覚めの瞬間の純粋な「私」をとらえなさい。
 必要なのは、想念が起こる前の純粋な「私」に
 注意を固定させ、それを手放さないことです。
 なぜなら、純粋な「私」が真我だからです。(『真我』R・マハルシ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.映画の登場人物の可能性

2.編集後記
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■1.映画の登場人物の可能性
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今日は天気が良かったので

このところ取り組んでいたデッキ下の鶏小屋の

仕上げを急ぎました。

もうじき鶏がやってくる流れが急に決まって、

もうこれ以上チンタラやっていられなくなりました。

何とか夕食前に完成させました。

ホッとした。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?

福間巌さんがラマナ・マハルシ言葉を厳選した

編集本『真我』のなかにこんな記述があります。

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 眠りから目覚めたとき、
 そして世界に気づくようになる寸前、
 そこには純粋な「私−私」が在ります。
 眠ることなく、
 あるいは想念が起こるのを許すことなく、
 それをとらえなさい。
 もしそれをしっかりととらえたなら、
 世界が見えたとしても問題はありません。
 見る者は現象の影響を受けずに済むのです。
 
 『真我』(p85)
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朝方、トイレから戻って

寝床の中である気分に浸っていると、

普段の目覚めた日常の意識状態とは

想像を超えて違っている可能性があります。

そのままの気分で起床して

ただ静かに動いている分にはいいのですが、

その気分をそのまま言葉にしたりすると、

その空間に対しては調和を欠く場合があるのです。

pariという人格はまだまだ浅はかなので

とてもまずい表現になってしまいました。

ひどく不調和を醸し出して、

連れ合いを起こらせてしまったのです。

実力は暴露されますね。(;_;)

> もしそれをしっかりととらえたなら、
> 世界が見えたとしても問題はありません。
> 見る者は現象の影響を受けずに済むのです。

そういう可能性もあるということを

しっかりと掴むこと自体はいいと思います。

しかし、映画のなかの登場人物が

映画のなかから映画の外に出ようとするのは

バカなことです。

可能なことでもありません。

映画のなかの登場人物は映画の一部ですから。

映画の登場人物がスクリーンを発見できるか?

というあの話を思い出しました。

映画のスクリーンに道路が映っています。

そしてその道路上に男が一人いて、

彼はしきりに何かを探しているのです。

彼は映画の中で探し物をしています。

われわれが自分(あるいは実在、真理?)を

発見できる可能性は、

その映画に映っている彼が、

スクリーンを発見できる可能性より大きくはない、

というようなルパート・スパイラか誰かの

秀逸な比喩でした。

真我から派生したマインドによって

夢見られている夢の中の登場人物が、

自ら望んで真我を発見できる可能性はありません。

夢の中の登場人物に

そのような独立した実体はありませんから。

ただ、

夢の中の登場人物が自らの限界と無力を理解して、

沈黙したとき、つまり消えたとき、

映画が始まる以前も、

映画の上映中も、

映画が終わった後もつねに存在していた、

スクリーンが残るというだけのことです。

スクリーンだけが自らの実在を知っている。

そしてスクリーンは

映画の上映を可能にするけれども、

スクリーン自体は映画を観てはいない。

映画を観ているのは映画の中の登場人物と

映画の中の登場人物に一体化している観客、

つまりマインドです。

それは自動的に繰り出される想念であり、

その想念に向けられた注意です。

それが列車のなかでリュックを背負って

重荷に喘いでいる乗客です。

このpariという人格に起こっているように、

マインドの有効範囲外の領域でも、

ついつい癖でマインドにその解決を依頼して、

自動的に思考を起動してしまうのは、

ちょっと情けないね。(;_;)

現象のなかに幸福の形を求めるのは、

果てしのない幸福の先送りにもなりかねません。

【見かけ】のなかに幸福があるのではなく、

幸福のなかに【見かけ】があるのですから。

ただし、

気分でこんなわかったふうな

物言いをすべきではありませんね。

今日は、ずいぶん不調和を醸し出した。(*^_^*)

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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読み物として面白ければと思っています。

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■ 2.編集後記:
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映画の中の登場人物が

スクリーンを発見できる可能性はありません。

ましてや

映画の中の登場人物が

スクリーンに成れるはずはありません。

その可能性は皆無です。

映画の中の登場人物が消えたとき

残っているのがスクリーンだというだけです。

映画の中の登場人物に

その理解に達する可能性はあるでしょうか?

それが起こることになっていれば。(^_-)

夢のなかをいろいろな幻影が流れてゆきます。

まあ、今日も楽しかった。

ちょっとくたびれたけど。

(-||-)

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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