home > 通信 >pariの解放は起こりえない:『アセンション館通信』第1056号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2024/7/14(第1056号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。

 目覚めの瞬間の純粋な「私」をとらえなさい。
 必要なのは、想念が起こる前の純粋な「私」に
 注意を固定させ、それを手放さないことです。
 なぜなら、純粋な「私」が真我だからです。(『真我』R・マハルシ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.pariの解放は起こりえない

2.編集後記
──────────────────

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■1.pariの解放は起こりえない
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今日は暑い日でしたね。^^;;

朝起きて、わが家のネラたちのために

彼女たちの可動領域を少し拡大・移動してやりました。

彼女たちはすぐにそこに移って草をついばんでいる。

今度はかなり自由を楽しめるはず。(^_-)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?

朝方の目覚めのなかでは

たとえ対象物を知覚していたとしても、

日中の日常の時間とはかなり違った

論理的明晰性があるのでしょうね。

言葉のエネルギーがそのまま入ってくる。

ラメッシ・バルセカールの最初の本

『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』

の最後近くに「49 「あなた」の消滅」という一節があります。

──────────────────
 
 49 「あなた」の消滅
 
 
 ある朝、
 訪問者たちに話しかけながら
 マハラジが言いました。
 「あなた方の中には
  ここに何週間も
  通い続けている人たちがいる。
  私は特に、
  観光ではなく、
  私に会うためだけに
  ここにやってきている海外からの
  訪問者たちのことを気にしている。
  彼らは交通費とボンベイでの滞在費に
  多額のお金を使わなければならない。
  で、とき々私は思うのだ。
  彼らは私が伝えようとしていることを
  本当に理解しているのかどうかと。
  では、
  私に言ってみてくれないか。
  パラマールタ
  ──至高の真理、人生の究極の意味──
  とは何なのか?
  あなた方一人ひとりにとって
  この究極の意味とは何なのか?
  答える前に、
  私が何について話し続けてきたのかを
  考えてみて欲しい」
 
 海外からの訪問者が
 大胆な答えを一つ出しました。
 「解放です。
  私はこの人生の束縛から
  解放されたいと思っています。
  あなたの話を聞いて、
  今なら私はそれを
  『意識の束縛』と呼ぶことでしょう」
 すると、すぐに他の数人から
 確認のつぶやきが聞かれました。
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p267)
──────────────────

という書き出しから始まる一節です。

(相変わらず長すぎる引用ですが、

 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

この質問者の口をついて出てきた

【人生の束縛から解放されたい】

という思いは、

自分を探求者と感じている人々の大部分が

思わず内心で賛同してしまう言葉でしょう。

【人生の束縛から解放されたい】……。

この(「あなた」の消滅という)一節には、

この言葉に対するマハラジの解答があります。

──────────────────
 マハラジは笑って言いました。
 「ほら、なんとその条件付けは
  強力でありうることだろうか!
  その条件付けが両親から来ているのか、
  霊的指導者たちから来ているのかは
  どうでもいいことだ。
  この『束縛』と『解放』という問題は、
  存在するものの真の本質を
  充分に理解できるほど、
  知的レベルが高くない人々に与えられた
  伝統的教えの一部である。
  しかし、
  あなた方は霊性の幼稚園児ではない。
  あなたは自分がまるで
  現象的対象物であるかのように考え
  話すのを止めなければならないと、
  私は言い続けている。
  私はあなた方に、
  あなたは現象的対象物ではなく、
  意識そのもの、
  感覚ある存在に感覚を提供している
  生きた意識であると、
  語り続けている。
  さらにあなたは
  顕現の中でのみ意識であるにすぎず、
  しかし実際は、
  あなたは意識以前に存在するものである
  とも語り続けている。
  つまり、
  あなたは純粋な気づきなのだ」
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p268)
──────────────────

>  この『束縛』と『解放』という問題は、
>  存在するものの真の本質を
>  充分に理解できるほど、
>  知的レベルが高くない人々に与えられた
>  伝統的教えの一部である。

ふふ。(*^_^*)

『束縛』と『解放』という観念は

スピリチュアル・アマチュアに向けた

伝統的教えの一部だそうです。

マハラジは、ちょっとエゴの自尊心に語りかけたのか。(^_-)

>  しかし、
>  あなた方は霊性の幼稚園児ではない。

たしかに、マハラジこそが真のグルだ

と感じるほどの知性をもち、

こうしてマハラジの言葉を聴くために

遠く海外からやってくるほどの人々は、

「霊性の幼稚園児」ではありえないでしょうね。

>  あなたは自分がまるで
>  現象的対象物であるかのように考え
>  話すのを止めなければならないと、
>  私は言い続けている。

マハラジの言葉を聴くだけのために

こうしてここに集まってきている意識は、

自分を現象的対象物だとは自認していないはずだ。

だとするなら、

自分がまるで現象的対象物であるかのように

考えたり話したりする習慣的な癖を

もう止めなければならない。

>  私はあなた方に、
>  あなたは現象的対象物ではなく、
>  意識そのもの、
>  感覚ある存在に感覚を提供している
>  生きた意識であると、
>  語り続けている。

こうして霊的真理を求めて探求している意識は、

「現象的対象物」ではなく、

感覚ある存在に感覚を提供している

生きた意識そのものなのだ。

>  さらにあなたは
>  顕現の中でのみ意識であるにすぎず、
>  しかし実際は、
>  あなたは意識以前に存在するものである
>  とも語り続けている。
>  つまり、
>  あなたは純粋な気づきなのだ」

しかも霊的真理を求めて探求しているのは

顕現の中でのみ意識(の内容物)であるにすぎない。

実際は、

実在するのは「意識以前に存在するもの」だ。

意識(の内容物)がそれに対して起こるもの。

意識(の内容物)がそこで起こる背景。

顕現としての意識が起こる以前にも

顕現としての意識が消滅した以後にも

存在している純粋な気づきだ。

──────────────────
 マハラジは語ります。
 「すべての肉体である単なる対象物、
  見かけが、
  独立した実体として
  何かの行為をおこなうことは
  不可能なことを理解するのは、
  非常に単純なことではないだろうか?
  個人的意識が
  その全機能において自分自身を対象化し、
  それぞれの対象物と一体化するとき、
  初めて
  個人的『私』という観念が生まれる。
  この観念が『束縛』の源泉であり、
  純粋な主体性である『私』を
  対象的『自分』として対象化する。
  想像的束縛とはこの『自分』、
  『私』観念ないしエゴであり、
  そこから解放が求められているのだ。
  解放を求めている感覚ある生き物を
  何が構成しているのかについて、
  明確な認識があれば、
  全概念がいかに
  滑稽かがわかかることだろう。
  肉体それ自身は
  男性の精子が成長したものに他ならず、
  それは女性の子宮の中で受胎される。
  胎児は両親によって消費された
  食物のエキスであり、
  その中に意識が潜在している。
  もし私たちの見かけが
  食物のエキスに他ならないなら、
  あなたが解放したいと思うのは
  どの特定の食物の一粒なのかと
  私は尋ねたい。
  食物は五大元素の
  組み合わせのエキスであるが、
  あなたが自分自身を一体化したのは
  どの特定の食物の一粒なのか、
  あるいは、
  五大元素のどれなのだろうか?
  
  目覚めないし悟り、解放は、
  私たちの本質
  ──今−ここに−あるもの──は、
  想像可能な、あるいは、
  認識可能なものの絶対的不在である。
  つまりそれは、
  不可知な潜在可能性の絶対的存在と
  同じであることを
  直感的に深く理解することに他ならない」
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p268-269)
──────────────────

> 「すべての肉体である単なる対象物、
>  見かけが、
>  独立した実体として
>  何かの行為をおこなうことは
>  不可能なことを理解するのは、
>  非常に単純なことではないだろうか?

単なる知覚の対象物でしかない肉体が、

独立した実体として何かの行為をおこなう……

そんなことが起こりえないことくらい

ごく簡単に理解できるはずではないか?

>  個人的意識が
>  その全機能において自分自身を対象化し、
>  それぞれの対象物と一体化するとき、
>  初めて
>  個人的『私』という観念が生まれる。

感覚ある生き物の身体という

意識(の内容物)を顕現させる道具を介して

発生する“個人的意識”が、

【見かけ】のなかのその対象物(=肉体)と

一体化したときに、

はじめて個人的『私』という観念が生まれる。

>  この観念が『束縛』の源泉であり、
>  純粋な主体性である『私』を
>  対象的『自分』として対象化する。

この“個人的意識”が、

自身を発生させた装置(=精神身体機構)を

自分の【見かけ】だと誤解したのだ。

形態と自己同化したこの個人的『私』という観念が

『束縛』の源泉だ。

この個人的『私』という虚構の観念が、

絶対的主体性である『私』(=真我)を

対象的『自分』として対象化したのだ。

>  想像的束縛とはこの『自分』、
>  『私』観念ないしエゴであり、
>  そこから解放が求められているのだ。

この『自分』、『私』観念、

つまり「エゴ」が、

それを発生させた装置(=精神身体機構)から

解放されよう、離れようと求めている。

それが「想像的束縛」という表現の意味だ。

>  解放を求めている感覚ある生き物を
>  何が構成しているのかについて、
>  明確な認識があれば、
>  全概念がいかに
>  滑稽かがわかかることだろう。

「想像的束縛」(という観念)が

“「想像的束縛」の発生装置”からの解放、

つまり“感覚ある生き物”からの解放を

求めていることがわからないだろうか?

この状況の滑稽さは、

“感覚ある生き物”を構成しているのが

何であるかを明確に理解すれば、

よりいっそう明確になることだろう。

>  肉体それ自身は
>  男性の精子が成長したものに他ならず、
>  それは女性の子宮の中で受胎される。

人間の大人であるあなたは

このことを否定することができない。

>  胎児は両親によって消費された
>  食物のエキスであり、
>  その中に意識が潜在している。

個人的体験を演出するための装置(肉体)は、

両親が消費した食物のエキスの変容物であり、

その肉体のなかに意識が潜在している。

このことも明らかだ。

>  もし私たちの見かけが
>  食物のエキスに他ならないなら、
>  あなたが解放したいと思うのは
>  どの特定の食物の一粒なのかと
>  私は尋ねたい。

はは。(*^_^*)

>  食物は五大元素の
>  組み合わせのエキスであるが、
>  あなたが自分自身を一体化したのは
>  どの特定の食物の一粒なのか、
>  あるいは、
>  五大元素のどれなのだろうか?

われわれ“個人”は宇宙に二人として存在しない

ユニークな個性だと言われる。

ありえる個性の組み合わせはまさに無限だろう。

しかしいかに

それらの個性の組み合わせが膨大であろうと、

それらの属性がすべて認識の対象であり、

知覚の対象物であることは明らかだ。

>  目覚めないし悟り、解放は、
>  私たちの本質
>  ──今−ここに−あるもの──は、
>  想像可能な、あるいは、
>  認識可能なものの絶対的不在である。

(マハラジはここで

 「目覚め」「悟り」「解放」の

 ごく単純な定義を語ります。)

それは<いま・ここに在るもの>であり、

認識可能な森羅万象に対峙する絶対的主体性。

つまり、

【想像可能なもの、認識可能なものの絶対的不在】
 
であると。

>  つまりそれは、
>  不可知な潜在可能性の絶対的存在と
>  同じであることを
>  直感的に深く理解することに他ならない」

「目覚め」とか、「悟り」とか、

「解放」とか言われるものは、

絶対的に不可知である潜在可能性のことだと。

「それ」が知られることはありえない。

──────────────────
 マハラジは続けて言いました。
 「少し考えてみなさい。
  個人的に見るとか見ないとか、
  理解するとか理解しないとか、
  するとかしないというような、
  個人としての
  一人の『あなた』や『自分』を
  その中心にもたない質問が
  起こることができるだろうか?
  関わっているのは常に『自分』である。
  物が見られるとか、
  物事が理解されるとか、
  起こる行為という見方はほとんどない。
  バラブリッティ(最高の行為)が
  あるときはいつでも、
  完全なる全面的な転換、
  『転向』が起こったのだ。
  その転換は、
  それ自身の意志をもった
  どんな実体によっても為されたり、
  達成されたりしたのではない。
  理解されていないことはこの事実だ。
  理解されていないのは、
  転換を直接意図的に引き起こした
  実体は存在しえないことだ!
  実際まさに
  この事実の
  (個人によるのでない)直感的理解が
  探求者である『あなた』の
  本質的消滅をもたらし、
  ある種の真空状態、
  マインドの『断食』を達成する。
  そして、
  その状態が本当の『あなた』
  (『自分』ではない『私』)である
  存在を招くのだ。
  こうやって変容的適応が
  起こるかやってくるが、
  それは達成されることはできない」
 
 マハラジは結論として言いました。
 「だから、
  次のことをよく理解しなさい。
  対象物とそれらのグナ(属性)は
  主体ではなく、
  感覚によって認識され、
  マインドによって解釈される物であり、
  人間を含むすべての対象物は
  意識の中の単なる見かけである。
  そして最後に、
  それゆえ、
  対象物が解放されることはできないし、
  また解放される必要もない」
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p269-270)
──────────────────

> 「少し考えてみなさい。
>  個人的に見るとか見ないとか、
>  理解するとか理解しないとか、
>  するとかしないというような、
>  個人としての
>  一人の『あなた』や『自分』を
>  その中心にもたない質問が
>  起こることができるだろうか?

一人の『あなた』や『自分』から起こったのでない

質問が存在するだろうか?

>  関わっているのは常に『自分』である。

疑問をもち、その疑問の解決を求めているのは

常に『自分』である。

>  物が見られるとか、
>  物事が理解されるとか、
>  起こる行為という見方はほとんどない。

そこには

「物が見られている」

「物事が理解されている」

「行為が起こっている」

という観点が存在することはほとんどない。

>  バラブリッティ(最高の行為)が
>  あるときはいつでも、
>  完全なる全面的な転換、
>  『転向』が起こったのだ。

「目覚め」とか、「悟り」とか、

「解放」とか言われる最高の行為が在るときは

完全なる全面的な転換、

『転向』が起こったのだ。

>  その転換は、
>  それ自身の意志をもった
>  どんな実体によっても為されたり、
>  達成されたりしたのではない。

それ自身の意志をもったどんな実体も

そのような転換を引き起こしたり、

達成したりすることはできない。

>  理解されていないことはこの事実だ。
>  理解されていないのは、
>  転換を直接意図的に引き起こした
>  実体は存在しえないことだ!
>  実際まさに
>  この事実の
>  (個人によるのでない)直感的理解が
>  探求者である『あなた』の
>  本質的消滅をもたらし、
>  ある種の真空状態、
>  マインドの『断食』を達成する。

理解されていないのは、

転換を直接意図的に引き起こすような

実体は存在しえないことだ!

この事実の直感的理解が、

探求者である『あなた』の本質的消滅をもたらし、

ある種の真空状態、

マインドの『断食』を達成する。

もはやマインドは

意図的な探求を起こせなくなる。

>  そして、
>  その状態が本当の『あなた』
>  (『自分』ではない『私』)である
>  存在を招くのだ。

そのマインドの不在が

本当の『あなた』の存在を招くのだ。

>  こうやって変容的適応が
>  起こるかやってくるが、
>  それは達成されることはできない」

その変容的適応を

意図的な探求が引き起こすことはできない。

> マハラジは結論として言いました。
> 「だから、
>  次のことをよく理解しなさい。
>  対象物とそれらのグナ(属性)は
>  主体ではなく、
>  感覚によって認識され、
>  マインドによって解釈される物であり、
>  人間を含むすべての対象物は
>  意識の中の単なる見かけである。
>  そして最後に、
>  それゆえ、
>  対象物が解放されることはできないし、
>  また解放される必要もない」

あなたが知りうること、

顕現、現象世界、意識の内容物、

なんと表現しようと、

知覚の対象物である属性は主体ではなく、

感覚によって認識され、

マインドによって解釈される物であり、

人間を含むすべての対象物は

意識の中の単なる【見かけ】だということだ。

それゆえ、

対象物が解放されることはできないし、

また解放される必要もない。

【対象物が解放されることはできない】……。(-_-;)⌒★?

これらのマハラジの言葉はすべて

質問者からの

『束縛』と『解放』に関わる質問を巡って

語られたものでした。

pariも解放されたがっていたわけです。

しかし、この

【対象物が解放されることはできない】という言葉は、

寝起きの(エゴがまだ油断していた)

pariのマインドを貫きました。

【pariが解放されることはできない】!

pariのマインドになにかの種が根づきました。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/

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▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

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▼『アセ通』への情報ご投稿フォーム
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キンドル本の『地球世界はかなり特殊』

手にとっていただけました?(^^;)

アマゾンに入って

【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。

読み物として面白ければと思っています。

  ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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誰も何もしていない。

意識が意識のリーラを見ているのです。

(-||-)

今日も遅くなりました。

おやすみなさい。

<(__)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
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