━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2024/9/1(第1063号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
目覚めの瞬間の純粋な「私」をとらえなさい。
必要なのは、想念が起こる前の純粋な「私」に
注意を固定させ、それを手放さないことです。
なぜなら、純粋な「私」が真我だからです。(『真我』R・マハルシ)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.暗闇のなかの“透明な鏡”
2.編集後記
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■1.暗闇のなかの“透明な鏡”
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ここ数日間雨を降らせ続けている台風が、
まだ関東に到達してもいないと知るのは驚きです。
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?
たった今、
今日のこのメルマガをどのように書き続けるかについて
とても戸惑いがあります。
いま大きな衝撃を受けているからです。
夕食後この書斎に入ってPCに向かってすぐに
シャーラに大きな声で呼び出されました。
ネラが大声を出しているのですぐに見に行ってくれ、
というのです。
たしかに、緊急事態を告げる鳴き声が聞こえます。
まずは懐中電灯がなくては何も見えないので、
懐中電灯を取りに戻りました。
わたしの動作が遅いのに苛立つシャーラの声に送られて
真っ暗な外に出ました。
懐中電燈を点灯して
(雨が降っているので)置いてある傘を広げます。
一瞬鳴き声が聞こえたようですが、
いまはすでに物音はしません。
デッキの階段上端から下の方を照らすと
デッキ下の鶏舎空間の入口の扉は閉まっています。
猫がなかに入ることできません。
階段を降りて入口の扉の外から
扉の金網のメッシュ越しに
懐中電燈で中の鶏舎空間を照らします。
奥の方に並んだ産卵箱には一羽の姿だけが見えます。
もう一羽はどこにいるのか探しますが、
真っ暗なのでどこにいるのかすぐにはわからない。
懐中電燈の光の投光先を回しながら
鶏舎空間のなかを照らします。
すると金網のすぐ下にもう一羽の気配があります。
餌を食べているのか!?
よくよく照らしてみるとニワトリとは違う
動物の毛が見える。
それが動いているのです。
よく照らしてみるとその下にニワトリの姿が見える。
もう彼女は動いてはいません。
動いているのはネラの首に齧りついたその獣の方だけです。
そんなに大きな獣ではないけれど
強烈にエネルギッシュに蠢いています。
もっている傘で追い立てようと思って
急いで扉の掛けがねを上げようとするのだけれど
何故か引っかかってかけ金がすぐには上がらない。
懐中電燈の光が獣の顔を照らし出しました。
ハクビシン!?
傘の先端で追い出そうとかけ金を外そうとすると
気配を感じた相手はネラを離して
鶏舎の奥の向かって右側(東側)から逃げ出した。
こちらもあまり直接対決を望まない。
出ていってくれるなら、そのほうがありがたい、
と思わずにはいられませんでした。
そうか。あそこが破られたのか。
明日は、あそこを修理し直さなければ……。
……と、思っていると、
まるでそのこちらの思いを見透かしたかのように、
一度出ていったその獣が再び戻ってくる。(*_*) ⌒★?
残っていたネラの猛烈な声。
あっという間もなく、
獣はネラの首に齧りつき彼女の息の根を止めます。
眼の前で二羽が殺されるところを
pariは見させられていたのでした。
獣はこれみよがしに立ち去りました。
もうすでに二羽のネラはいません。
真っ暗な鶏舎に入って
それ以上何かをする気になどはなれませんでした。
獣は彼女たちを殺すことにだけ関心があったのか、
それとも夜の間に獲物を引きずり出すつもりなのか、
そういうことはpariにとっては
どちらでもいいことでした。
明日屍体が残っていれば丁重に葬るつもりだし、
何も残っていなければ、
それならそれでいいのです。
臆病とかそんなことで自責してもしかたない。
pariとはそのように夢見られた精神身体機構であり、
そこにそれを自責すべき実体は存在しません。
ミニ懐中電燈の光のなかに浮かび上がった
あの毛物(獣)のエネルギッシュな動きは、
ひたすらおぞましいとしか形容できない
一種の嫌悪と恐怖を喚起したというだけです。
それは埴谷雄高氏の次のような
アフォリズムを想起させるものでした。
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*
──大宇宙を婚姻せしめる同質。
それを吾々は認めねがならない。
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私は、釣り上げた魚を手にとると、
そのぞっとする感触に、
いきなりそいつを地面へ叩きつけて
うち殺すのであった。
《何と云うむごいことを……
では何故釣りなどするんです。》
だが自然も生物に触れるとき、
つねにこうした感じを抱いているに違いない。
生物のもついやらしい感触――。
さてその力は、存在へ、さらに思惟へも、
拡げられよう。
『不合理ゆえに吾信ず』(p31-32)
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と同時にそれはまた、
夢見られている現在のpariという精神身体機構に
マハラジの次の言葉も想起させたのでした。
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ひとたびあなたの想像以外は
何も困難をもたらすことができない、
と絶対の確信を持って知るなら、
あなたは欲望や恐れ、
概念や見解に注意を払わず、
真実とともにのみ生きるだろう。
『私は在る』(p131)
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現象世界という意識の「変化の相」は
絶対の主観性という
実在である純粋意識の全体性の表現機能、
つまり非個性的機能を構成するものです。
その多様性がいかにリアルに見えようとも
現象世界そのもののなかに
実際に多様性を表現する個々の実体が
客観的に存在するわけではありません。
しかし、
これほど如実に感じられる多様な個性が
実際には存在していないとは
いったいどういうことなのか?
観念をさらに視覚的比喩で喩えるなら、
それはこんなイメージかもしれません。
いま暗闇の無限空間のなかに
一枚の“透明な鏡”があると想像してみてください。
その暗闇のなかの一枚の“透明な鏡”は
自分が存在することを知りません。
それが純粋意識としての「真我」です。
いま、この一枚の“透明な鏡”の上に
一陣の風が吹きます。
するとこの一枚の“透明な鏡”は
どうやら鏡面のように静まり返った
湖でもあったらしく、
その風を受けて一瞬、
湖面に微かな揺らぎが起こります。
この一枚の“透明な鏡”は
“自分”が「存在する」ことを知るのです。
この存在の感覚が『私は在る』です。
そしてこの存在感が
“自分”が何かを知ろうとする。
するとこの一枚の“透明な鏡”のなかに
なにかの形が現れてくる。
しかしそこに浮かび上がった姿は
この一枚の“透明な鏡”に潜在する可能性が
つかの間、顕在化したものにすぎません。
一枚の“透明な鏡”のなかに
たしかに一瞬仮初めの形象が浮かび上がっても、
それは“透明な鏡”のなかに現出しただけで
“透明な鏡”の外に存在する何らかの実体を
映し出したわけではないのです。
つまり、
客観的に存在する実体の鏡像ではなく、
一枚の“透明な鏡”のなかに
一つの想像(創造)として浮上してきた
つかの間の姿にすぎないわけです。
実在するのはあくまでも
無限の暗闇のなかの一枚の“透明な鏡”だけです。
ところがこの一枚の“透明な鏡”のなかに
この一瞬現れた形につづいてごく自然に
この形そのものを“自分”の姿として想像する
観念(=解釈)も浮上してきます。
この変化が起こる様子は
まさに個人的な夢のなかで起こる
自然さそのものと言えるでしょう。
とはいえ
このある意味“自然な”プロセスのなかには
ニサルガダッタ・マハラジが指摘するように
感覚・知覚機能の可能根拠としての
時空間的概念装置がすでに織り込まれているのです。
なぜなら形象が現れるためには
モノの広がりを可能にする空間概念が前程され、
その形象が知覚されるためには
その形が一定期間継続する必要があるからです。
無限の暗闇のなかの一枚の“透明な鏡”のなかに
一瞬兆した存在の感覚は、
こうしてごく自然な成り行きで
そのような概念装置を前程した
“自ら”の姿や属性・定義(総じて物語)を映し出すための
一大伽藍を展開することになります。
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そこには想像があるだけだ。
知性とエネルギーは、
あなたの想像のなかですべて使い果たされてしまった。
あなたはまったく想像に夢中にさせられてしまったため、
どれほど実在から遠く離れてさまよい歩いたのかさえ
わからなくなってしまったのだ。
想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
宇宙のなかの宇宙も、
想像によって構築されているのだ。
それにもかかわらず、
それらはみな空間と時間、
過去と未来のなかにあり、
実際は存在しないのだ。
『私は在る』(p306-307)
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(-||-)
──────────────────
私が言うことを理解するプロセスのキーワードは
「自然発生的」というものだ。
全宇宙の顕現は夢、
宇宙的夢のようなもので、
それは個人の小宇宙の夢と
まったく同じようなものである。
それが睡眠中に個人的夢として
自然発生的に起こるものであれ、
その中で私たちすべてが夢見られ、
生きられている人生という生きた−夢であれ、
すべての対象物は夢見られた対象物で、
すべては意識の中の見かけである。
すべての対象物、
すべての見かけは
意識の中の感覚のある生き物によって夢見られている。
それゆえ、
感覚のある生き物は
夢見られた人物であるだけではなく、
また夢見る者でもある
──
ただし、
単一の夢見る者といったものはいないのだ。
宇宙の現在のおのおのの夢見は意識の中にあり、
その意識は特定の肉体精神装置の内部にある。
特定の肉体精神装置は
それを通じて認識と解釈が起こる媒介であり、
それが個人的実体として間違えられている。
『ニサルガダッタ・マハラジが
指し示したもの』(p260)
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> すべての対象物は夢見られた対象物で、
> すべては意識の中の見かけである。
> すべての対象物、
> すべての見かけは
> 意識の中の感覚のある生き物によって夢見られている。
あらゆる顕現は意識の中の見かけであり、
すべての見かけは
意識の中の「感覚のある生き物」によって夢見られている。
ネラを襲う獰猛な食欲はハクビシンによって夢見られ、
暗闇で毛物に襲われる恐怖は一瞬ネラによって夢見られ、
暗闇の中のミニ懐中電燈の明かりなかにうごめく
おぞましい毛物の律動を見た恐怖と嫌悪は
一瞬pariを介して夢見られている。
ただし、
そこに単一の夢見る者といったものはいない。
すべての意識の中の見かけは、
無限の暗闇のなかの一枚の“透明な鏡”のなかにのみ現れ、
その他にどんな客観的対象物も存在しない。
夢見られた対象物であるpariに
いかなる選択肢がありうるのか?
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もしどんなときにもエゴが本当に
自分が自分自身の破壊を求めていることに気づいたなら、
それが25年間も続いたとあなたを思いますか?
肝心なのは、
エゴは自分自身を破壊するつもりはないということです。
しかしエゴは破壊されつつあるのです。
そして、覚えておくべき言葉は、
ラマナ・マハルシの、
「もう逃げることはできません」というものです。
探求は源泉によって始められ、
源泉の意志に従って、
それ自身のペースで進行するでしょう。
ですから、
理解すべき唯一の点は、
神の意志、
源泉の意志でないかぎり、
何も起きないということです。
『 誰が構うもんか!?
ラメッシ・バルセカールのユニークな教え』(p186-187)
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(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
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キンドル本の『地球世界はかなり特殊』
手にとっていただけました?(^^;)
アマゾンに入って
【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。
読み物として面白ければと思っています。
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■ 2.編集後記:
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自分が望むことというのは
ありうるのでしょうか?
何も望みたくなどない。
(-||-)
今日も遅くなりました。
おやすみなさい。
<(__)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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