━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2024/10/20(第1070号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
すべての二元性は幻想であり、すべての行為は瞬間的で、
すべての意志は幻想です。意志が幻想であるとわかれば、
すべての行為は自動的に自発的になります。
(『Who Cares?』R.S.Balsekar)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.責任(Who Cares?)
2.編集後記
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■1.責任(Who Cares?)
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世の中いろいろ起こっていますね。
選挙もあれば、野球もある。(^_-)
山本太郎さん、
身体を壊さなければいいけれど。
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?
テナントの内装解体作業から出た端材などを
知人からもらって、
サンデッキの改修などをしています。(*^_^*)
いや、面白いのなんのって。
ただ、
作業手順を見計らって段取りする能力や
そのほか記憶力や基礎体力など、
あらゆる面で作業能力が低下しているので、
要領は悪いし、効率から言えば恐ろしくノロマです。
でも、やる気があるし、面白さもある。
もうじき防腐剤を塗り直したら
サンデッキの方は一段落すると思うので、
そうなったら今度は来年に向かって
畑の方に挑戦しようと思っています。
集落の仲間から彼が毎月予約購読している
『現代農業』という雑誌が回されてきます。
その10月号で「話題の『菌ちゃん農法』」
という記事を読んだのです。
これはすごいと思いました。
田舎暮らしを始めて
もはやあれこれ三十年近くにもなるというのに
いまだに野菜作りは身につきません。
毎年少しずつ別のことをやっては、
いつも時間切れになって、
ろくな作物の収穫にも行き着けないのです。
まあ、適性から言うなら
よほど向いていないらしいことは確かです。
しかし、だからと言って諦めるわけにもいかない。
当人は毎年やるつもりはあるらしいのです。
まわりから諦められているだけです。(^_-)
今では畑の土の下には笹の根がはびこっています。
こうなるとその始末は大変です。
そこにきて今度知ったのが
『菌ちゃん農法』というわけです。
なによりこれがピンときたのは、
この『菌ちゃん農法』の準備作業の大半が、
畑作りと言うよりはむしろ
これまで縁のあった杉の木や竹の伐採作業と
とても深い関係がありそうだということ。
今やっている端材を使ったデッキの改修作業とさえ
関係がありそうな気がします。
『菌ちゃん農法』の準備作業自体は
作物づくりと言うよりは、
むしろ土木作業的な感じなのです。
これなら自分にもできそうという感じがします。
人間、タイプによって
いろいろ発想が違うんですよね。
pariの場合は、
そういうタイプらしいということです。
神がそのように意図されているのでしょう。
その他、いろいろな刺激の形で
神がpari用に塩梅して見繕われたアイディアが
この肉体精神機構にインプットされてきます。
こちらはそれに対して
プログラミングされたアウトプットをしてゆくだけです。
農薬やもちろん、肥料すら必要としない
『菌ちゃん農法』を開発された
(菌チャン先生と言われる)吉田俊道さんは、
この『菌ちゃん農法』を「偽物農法」とか
「ロープウエイ農法」と呼んでおられるそうです。
糸状菌に溢れた理想的な土作りをしようと思ったら
本来は数年はかかるものらしいです。
しかし生活に押しまくられている現代人には
そんなことに数年もかける余裕がない。
それで三ヶ月ほどかけて
擬似的に糸状菌に溢れた環境をまず作ってしまう。
そしてその環境に実際に季節の野菜を植え付け、
収穫しながら、環境を成熟させてゆく。
という方法を取るのだそうです。
富士山に登る人は全員1号目から登りなさい、
と言ったら、
ほんのわずかの人しか実際は登れないでしょう。
しかし、五合目までクルマで行けるから
いまではオーバーツーリズムと言われるほど
多くの人が富士山の頂上でご来光を
拝むことができる。
山の頂上付近まで「ロープウエイ」をつけたら、
たくさんの人が手軽に頂上の景色を
楽しむことができる。
『菌ちゃん農法』とはいわばそのような
山の八合目まで「ロープウエイ」でゆくような
便法だというのです。
いいじゃないですか。\(^O^)/
こんな田舎に住んでいるのに
畑もできないような人間にはうってつけです。
「農業法人(株)菌ちゃんふぁーむ」のサイトです。
https://kinchan.ocnk.net/
面白い。(^^)/
まあ、そんなこんなで
神の意志だけが行きわたっているのです。(*^_^*)
体験される世界はすべて知覚の対象物です。
知覚を可能にする肉体精神機構、
つまりわれわれ人間も知覚の対象物ですから、
この身体が知覚の主体として存在する
可能性はありえません。
でもわれわれはあたかも“自分”が
実体として存在するかのように考え、
それゆえに無用の問題を抱え、
経験を苦しんでいるんですよね。
というわけで、
今週もブレイン・バルドーが編纂した
『誰が構うもんか!?』の記述の沿って
ラメッシ・バルセカールの教えに
身も心も浸ろうと思います。
今日は「責任」という一節から引用して
文面を追っていきたいと思います。
(相変わらず長すぎる引用ですが、
これが本書の出版に関われた方々の
ご迷惑になる無断引用ではなく、
本書の販促に貢献する
無料宣伝となることを願っています。(-||-) )
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ピーター:
私は、
あなたが先日、
「自分のしたいことをしなさい」
と言われたと思っています。
自分がしたいことをするのと、
自分が正しいと考えることをするのとでは、
大きな違いがあるように思えます。
ラメッシ
あなたが、
正しい・間違っているという自分の感覚に従って
ある特定の瞬間にしたいと思うことは、
まさに源泉がその瞬間に
あなたに考えてほしいことなのです。
さもなければ、
「あなた」が主導権をもっています。
そして、
私が言いたいのは、
どんな個人もいないということです。
人生では、
決断しないで生きることはできません。
そして私の答えは、
まるで自分に自由意志があるかのように
決断しなさい、というものです。
すべての結果と選択を考え、
それから決断に至ってください。
でも、心の奥深くでは、
その決断は
神の意志と異なることはありえない
とあなたは知っています
──
さもなければ、
その決断は起こらなかったでしょう。
もしそれが神の意志でなければ、
決断は起こりませんし、
それが神の意志でないかぎり、
決断が行為になることもありません。
そして、
決断は神の意志に従って厳密に結果を生じます。
まるであなたが自由意志をもっているかのように
決断するということ以外に、
どこに「あなた」が
入ってくる余地があるのでしょうか?
問題は、
「自分」に何が起こるのだろう?
と考えるから起こるのです。
でも、
どんな「自分」もいないのです!
それゆえ奥深いところでは、
それは「自分」の決断ではなく、
神の意志であると知って決断してください。
責任とは、
まるで自由意志があるかのように
あなたが行為するという事実から、
生まれます。
あなたがまるで自由意志があるかのように
行為することで、
あなたは結果に対する責任を想定します。
でも、
心の深くでは、
結果がどうであれ、
それはその肉体精神機構の
運命なのだと知っています。
私の考えでは、
責任という問題はないのです。
しかし、
世間で生きるのに、
責任感を無視することはできません。
それなら、
どうしたらいいでしょうか?
あなたがプログラムされているだけ、
責任を持って行動してください。
『誰がかまうもんか?!』(p286-287)
──────────────────
> あなたが、
> 正しい・間違っているという自分の感覚に従って
> ある特定の瞬間にしたいと思うことは、
> まさに源泉がその瞬間に
> あなたに考えてほしいことなのです。
これがラメッシ・バルセカールが
大前提としている理解(観念)であることは
ご存知のことと思います。
> さもなければ、
> 「あなた」が主導権をもっています。
ここではすでに、
神から独立して
独自の主導権をもつような
「あなた」はいない
という理解が前程されているわけですよね。
言葉を換えるなら、
神から独立して独自の判断で行為できるような
「行為者」はいないということです。
> そして、
> 私が言いたいのは、
> どんな個人もいないということです。
独自の個性をもつ行為者がいないのですから、
どんな個人もいないわけです。
> 人生では、
> 決断しないで生きることはできません。
肉体精神機構はさまざまの必要を抱えています。
なので、
そのさまざまの必要を抱えたこの心身を
“自分”だと思っているわれわれ、
言葉を換えるなら、
「エゴ」としてのわれわれは、
一瞬一瞬変化する状況のなかで
その肉体的生命を保つために
あらゆる瞬間に判断を迫られ、
毎旬決断をしながら生きていると思っています。
この身体が自分だと思っているかぎり、
(つまり、「エゴ」の立場に立つかぎり)、
決断せずに生きることはできません。
> そして私の答えは、
> まるで自分に自由意志があるかのように
> 決断しなさい、というものです。
その「エゴ」の立場に対する
ラメッシ・バルセカールの教えは、
どうぞ、
あたかも自分に自由意志があるかのように
決断してください、というものでした。
> すべての結果と選択を考え、
> それから決断に至ってください。
「エゴ」の知力を駆使して
自分で考えられるすべての結果と選択を考え、
その上で、
どうぞ最善の決断をしてください。
> でも、心の奥深くでは、
> その決断は
> 神の意志と異なることはありえない
> とあなたは知っています
でも、ここまで
ラメッシ・バルセカールの教えに
耳を傾けてきた「あなた」は、
そのわれわれが知力を尽くして割り出した
「エゴ」の立場の決断が、
神の意志そのものであることも
知っていることでしょう。
> さもなければ、
> その決断は起こらなかったでしょう。
というのも、
神の意志だけが行きわたっている宇宙では
神の意志でない決断は起こりえないのだから。
> もしそれが神の意志でなければ、
> 決断は起こりませんし、
> それが神の意志でないかぎり、
> 決断が行為になることもありません。
それが神の意志でなければ、
あなたをその決断(出力)に導く
インプットは起こらかなったでしょうし、
あなたがその決断を実行に移すことも
起こらなかったでしょう。
> そして、
> 決断は神の意志に従って厳密に結果を生じます。
しかし、
あなたというプログラミングに対して、
神は意図するインプットを与え、
あなたはそのインプットに対して
自らのプログラミングに応じた決断
(というアウトプット)をして、
その決断を実行に移すことで、
神は厳密に自ら意図した結果を生み出します。
> まるであなたが自由意志をもっているかのように
> 決断するということ以外に、
> どこに「あなた」が
> 入ってくる余地があるのでしょうか?
「あなた」が出現する余地があるとすれば、
それは
【あたかも自分が自由意志をもつかのように決断する】
こと以外ではありません。
> 問題は、
> 「自分」に何が起こるのだろう?
> と考えるから起こるのです。
ここで問題が起こるとしたら、
それは
【「自分」に何が起こるのだろう?】
という考えが起こるからです。
> でも、
> どんな「自分」もいないのです!
しかし、思い出してください。
(その思考以外に)
どんな「あなた」(の実体)も存在しないことを!
> それゆえ奥深いところでは、
> それは「自分」の決断ではなく、
> 神の意志であると知って決断してください。
だから、心の奥深くでは
それは「自分」の決断ではなく、
神の意志であると知りながら
安心して決断することです。
> 責任とは、
> まるで自由意志があるかのように
> あなたが行為するという事実から、
> 生まれます。
「責任」という観念は
そこに神から独立した
独自の自由意志というものがあるかのように
あなたが行為するために生まれます。
> あなたがまるで自由意志があるかのように
> 行為することで、
> あなたは結果に対する責任を想定します。
自分独自の自由意志の出力であるかのように
行為することで、
あなたは結果に対する責任を想像するのです。
> でも、
> 心の深くでは、
> 結果がどうであれ、
> それはその肉体精神機構の
> 運命なのだと知っています。
しかしこれまで
ラメッシ・バルセカールの教えに触れてきた
あなたは、
心の奥深くでは、
その行為の結果がどうなろうと、
それはその肉体精神機構の運命なのだと
知っていることでしょう。
> 私の考えでは、
> 責任という問題はないのです。
実際は、
責任という問題は存在しません。
> しかし、
> 世間で生きるのに、
> 責任感を無視することはできません。
しかし、
世間は責任という観念を信じていますから、
その世間で生きるうえでは
責任感を無視することはできません。
> それなら、
> どうしたらいいでしょうか?
> あなたがプログラムされているだけ、
> 責任を持って行動してください。
ならば、
どうすればいいのか?
あなたのプログラミングに応じて
その責任感に沿って行動すればいいのです。
それ以上のどんな自由を望めるでしょうか?
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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キンドル本の『地球世界はかなり特殊』
手にとっていただけました?(^^;)
アマゾンに入って
【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。
読み物として面白ければと思っています。
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■ 2.編集後記:
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誰が誰を相手に
何をやっていることやら。(*^_^*)
Who cares!
神の意志だけが行きわたっている。
今日も遅くなりました。
おやすみなさい。
(-||-)
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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