━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2024/11/17(第1074号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
それを得たり、培ったりする必要はありません。
あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.文字が書かれた紙(R.S2)
2.編集後記
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■1.文字が書かれた紙(R.S2)
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ふと気がつくと……何かを求めている。
それは、ふと気がついたから
何かを求めていたことを自覚したのだろうか?
つまり、ふと気がつく前は、
何も求めていなかったということなのか?
それとも、
何かを求めていること自体に
ただ気づいていなかっただけなのか?
「ふと気がつく」というのは
どういうことなんだろう?
この“何かを求めているもの”、
この一種の「落ち着かなさ」が
“自分”というものなのだろうか?
「私とは何か?」……。
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?
朝方トイレに起きて、
再びベッドのなかに潜り込むと
そのまままたすぐに寝てしまうこともあるけれど、
ベッドの脇においてある本に手を出すこともあります。
今朝方置いてあったのは、
久しぶりにルパート・スパイラの邦訳本
『プレゼンス―第2巻』でした。
久しぶりのルパート・スパイラは鮮烈でした。
現象に気づいていることを
「文字が書かれた紙」に気づいていることに喩えた
あの見事な比喩にふたたび遭遇しました。
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神のたくさんの名前
質問:
私はあなたの本、
The Transparency of Thingsに出てくる、
文字が書かれた紙のたとえが気に入っています。
文字が書かれている紙に注意を向けると、
紙に気がつきます。
紙に注意を向ける前、
私はそれに気づいていなかったのですが、
紙は常にそこにあったし、
それがなければ文字も存在できません。
しかし今、
私は文字と紙の両方を見ています。
それと同じように、
この世界の物事も、
すべてのものの基盤がなければ存在できません。
スパイラ:
そうです。
実際のところ、
文字が書かれた紙を指差されたときに
私たちが気づくのは、
紙ではなく、
私たちがいつでも紙に気づいている
という事実です。
『プレゼンス―第2巻』(p102)
──────────────────
質問者がルパート・スパイラの
「文字」と「紙」の比喩を取り上げます。
> 文字が書かれている紙に注意を向けると、
> 紙に気がつきます。
> 紙に注意を向ける前、
> 私はそれに気づいていなかったのですが、
> 紙は常にそこにあったし、
> それがなければ文字も存在できません。
この言葉が意味する文脈は明らかです。
映画館の状況に喩えるなら
「文字」が「映画」であり、
「紙」が「スクリーン」でしょう。
つまり、
われわれが「映画」を観ているとき
「スクリーン」は無視されているように、
われわれが「本」(=文字)を読んでいるとき
「紙」は気づかれていないと。
ルパート・スパイラは
『The Transparency of Things』という著書の中で
物語を表現しているその「文字」は、
基盤としての「紙」なしには存在できないし、
「文字」は「紙」が一瞬まとった姿に他ならない
という感じのことに言及されているのかもしれません。
そのことを知って以来
> しかし今、
> 私は文字と紙の両方を見ています。
> それと同じように、
> この世界の物事も、
> すべてのものの基盤がなければ存在できません。
と質問者は自分の現在の状態を確認しています。
で、この文脈の核心は次の言葉です。
> スパイラ:
> そうです。
> 実際のところ、
> 文字が書かれた紙を指差されたときに
> 私たちが気づくのは、
> 紙ではなく、
> 私たちがいつでも紙に気づいている
> という事実です。
【文字が書かれた紙を指差されたときに
私たちが気づくのは、
紙ではなく、
私たちがいつでも紙に気づいている
という事実です。】
え!?え!?
という感じですよね。(?_?)
──────────────────
私たちは以前、
文字にだけ気づいていて、
紙には気づいていないと思っていました。
しかし今、
私たちは、
実際には紙にずっと気づいていたことを
理解するのです。
『プレゼンス―第2巻』(p102)
──────────────────
> 私たちは以前、
> 文字にだけ気づいていて、
> 紙には気づいていないと思っていました。
そう。たしかに。
> しかし今、
> 私たちは、
> 実際には紙にずっと気づいていたことを
> 理解するのです。
【実際には紙にずっと気づいていた】
これはどういう意味合いでしょう?
──────────────────
しかし、
最初に紙に気づくとき、
私たちは自分が突然、
文字と紙に気づいていたのだと考えがちです。
それは真実ですが、
半分だけの真実です!
実際のところ、
文字などというものは存在しません。
つまり、
文字は文字として、
紙から独立して存在しているわけではないのです。
「紙」に対抗して、
「文字」という独自のラベルを持って
存在しているわけでもありません。
実際には、
紙だけが存在しています。
紙は文字によって色づけられ、
文字の姿をとりますが、
紙以外のものになることは決してありません。
つまり、
「文字」という名前は紙の別名にすぎません。
紙が紙以外の何かになったように見えるとき、
そう呼ばれるのです。
『プレゼンス―第2巻』(p103)
──────────────────
> しかし、
> 最初に紙に気づくとき、
> 私たちは自分が突然、
> 文字と紙に気づいていたのだと考えがちです。
これ、
もしかして……、
「最初に紙に気づくとき、
私たちは自分が突然、
文字と紙に気づいたのだと考えがちです。」
じゃないのかなぁ。
> それは真実ですが、
> 半分だけの真実です!
どういう意味なんでしょう?
> 実際のところ、
> 文字などというものは存在しません。
うん?(?_?)
> つまり、
> 文字は文字として、
> 紙から独立して存在しているわけではないのです。
なるほど。
たしかに。
紙から独立して
紙とは別個に存在している「文字」……
などというものはありえませんね。
> 「紙」に対抗して、
> 「文字」という独自のラベルを持って
> 存在しているわけでもありません。
うーむ。
> 実際には、
> 紙だけが存在しています。
なるほど。
そういう意味ですか。
> 紙は文字によって色づけられ、
> 文字の姿をとりますが、
> 紙以外のものになることは決してありません。
「紙」以外の「文字」という実体が
存在するわけではないと。
> つまり、
> 「文字」という名前は紙の別名にすぎません。
「文字」は「紙」がまとった
一瞬の衣装にすぎない。
> 紙が紙以外の何かになったように見えるとき、
> そう呼ばれるのです。
「気づき」が
「気づき」以外の何かになったように見えるとき、
それは「現象」(とか「対象物」)と呼ばれるのだと。
──────────────────
同じように、
「人」、「他者」、「世界」といった呼び名も、
思考が気づきにつけたものです。
体験が気づき以外の何かであると
思考が想像するとき、
そのような名前を付けるのです。
この想像の結果、
「人」、「他者」、「世界」は
気づきとは別個の対象物になったように見えます。
(文字が紙とは異なると見なされるように)。
そして、
気づきは制限され、
位置づけられた主体になったように見えるのです。
さらに、
対象物を体験することで、
気づきを体験することが
できなくなるように見えます。
つまり、
気づきがそれ自身を知り、
それ自身であることが
できなくなるように見えるのです。
これは、
私たちが文字を見るとき、
最初は、
紙に気づいていないように見えるのと
同じことです。
しかし、
文字について調べていくと、
紙が常にあること、
文字は紙からできているにすぎないことが
わかります。
これで同じように、
心(マインド)、体、世界といった
見かけ上のあらゆる対象物の体験を
詳しく調べていくと、
それらはすべて
気づきだけでできていることがわかります。
ですから、
心(マインド)、体、世界といった
見かけ上の対象物が
すべて気づきだけでできているなら、
それらの対象物について話をすることは、
もはや意味を成しません。
なぜなら、
気づき以外の実質というものは
存在しないからです。
つまり、
私たちはもはや、
対象物から出発して
気づきへと後戻りする必要はありません。
現実においては気づきしかないこと、
対象物というものは気づきの一部、
もしくは気づきを曲解したものにすぎない
ということがわかっているのです。
『プレゼンス―第2巻』(p103-104)
──────────────────
> 同じように、
> 「人」、「他者」、「世界」といった呼び名も、
> 思考が気づきにつけたものです。
物語を展開する「本」が
実際は「文字」という衣装(別名)をまとった
「紙」に他ならないように、
いわゆる“対象物”として「気づき」と区別される
「人」、「他者」、「世界」も、
実際は思考が「気づき」に押しつけたラベルにすぎない。
> 体験が気づき以外の何かであると
> 思考が想像するとき、
> そのような名前を付けるのです。
【体験が気づき以外の何かであると
思考が想像するとき、
そのような名前を付けるのです】
なぜなら、
「気づき」から離れて
「気づき」以外の何かが存在しているわけではないから。
“主体”と“客体”などという区別は
単なる思考の想像であって、
実際は「気づき」以外に何ひとつ存在していない。
つまり、
「体験」とは
思考が「気づき」に押しつけた
ひとつのラベルにすぎないわけです。
> この想像の結果、
> 「人」、「他者」、「世界」は
> 気づきとは別個の対象物になったように見えます。
> (文字が紙とは異なると見なされるように)。
> そして、
> 気づきは制限され、
> 位置づけられた主体になったように見えるのです。
われわれはただ思考の想像の中で
架空の関係を創造して
実体のない苦しみを味わっている。
> ですから、
> 心(マインド)、体、世界といった
> 見かけ上の対象物が
> すべて気づきだけでできているなら、
> それらの対象物について話をすることは、
> もはや意味を成しません。
実際に「気づき」しか存在しないのだから
ことさらに虚構の関係のなかの
複雑な文脈に翻弄される必要もない。
> なぜなら、
> 気づき以外の実質というものは
> 存在しないからです。
「気づき」以外の
いかなる実質も存在しない。
> つまり、
> 私たちはもはや、
> 対象物から出発して
> 気づきへと後戻りする必要はありません。
> 現実においては気づきしかないこと、
> 対象物というものは気づきの一部、
> もしくは気づきを曲解したものにすぎない
> ということがわかっているのです。
【対象物というものは気づきの一部、
もしくは気づきを曲解したものにすぎない】
われわれが体験するいっさいの現れは
実際は「気づき」を
思考が曲解したものにすぎない。
「私とは何か?」
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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おこがましくも『アセ通』既刊号は
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キンドル本の『地球世界はかなり特殊』
手にとっていただけました?(^^;)
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読み物として面白ければと思っています。
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■ 2.編集後記:
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何かを期待すると
速攻で、不安や不幸がやってきます。
欲望をもつとは、
苦しみを志願することなのですね。
それでも実際は、
存在するのは唯一「気づき」だけであり、
言葉を換えて言うなら、
「神の意志だけが行きわたっている」のです。
今日も遅くなりました。
おやすみなさい。
(-||-)
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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