home > 通信 >私たちは幸福そのもの(R.S1):『アセンション館通信』第1080号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2024/12/29(第1080号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
-☆☆────-☆☆─────────────────────
 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。

 あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
 それを得たり、培ったりする必要はありません。
 あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
 注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。

──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.私たちは幸福そのもの(R.S1)

2.編集後記
──────────────────

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1.私たちは幸福そのもの(R.S1)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今年最後の配信になりました。

これまでの生涯、

とことんマインド人間をやってきたのですが、

ここにきてやはりマインドを使うのが

億劫になってきました。

これはもう理解の深化とかそういうことじゃなくて、

単に肉体年齢による脳機能の限界かと。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?

一昨日昨日と、

ウッドデッキの修繕と防腐剤塗りをやりました。

新しい建材を購入できれば話は早いのですが、

それは無理なので、取っ換え引っ換えで

もう20年を超える古い柱を使い回しています。

こういうことをやっていると

ついついムキになって時間を忘れます。

ただ、そうはいっても体力が追いつきません。

何がいちばん堪えると思いますか?

じつは、

普段はキーボードしか叩いていない手です。

手首から先の掌と指の筋肉ですね。

梁や柱を持つにしろ、デッキ板を持つにしろ、

とにかく重いわけです。

2、3時間作業しては休むのですが、

それでも作業を終えるとしきりに

両手の甲や指先をさすっています。

でもこういう肉体労働は、

余計なことを考えなくていいのでありがたい。

デッキ修理が一段落して

今日はまた畦畔の下の畑地で

菌ちゃん農法の畝作りを再開しました。

畝作りというよりは

むしろ土の中の笹の根の抜根です。

大工仕事も農作業も

実際にやってみてその場にならないと

次の展開がわからないものですね。

つくづく感じさせられるのは

すべての“個別”の思いの結果が

絡まりあった細部です。

すべての活動が絡まり合いこんぐらかっている。

これが「縁起」というものですね。

たぶん傍から見ていたら、

見ていられないほど非効率な作業を

続けているのだろうと思います。

でも落ち込んだりするほどの

マインドの元気がないので、

まあ、淡々とやっています。(*^_^*)

それもそのはずです。

こういう作業には

その作業が目指していることという意味の

狭義の“作業目的”はたしかにあります。

ですが、だからといって、

たとえその作業が完成したとしても

それらの作業で暗に求められていた

「幸福」が手に入るわけでもないことも

了解されているわけですから。

なにしろ、

幸福はすでにこの現象世界を体験している

当の自分そのものの本質なのですから。

こんな禅問答のような話が、

日常の思考として浮上してくるようになるとは。^^;;

マインド人間のpariの思考エネルギーも

ついには油切れになってきたのかもしれません。

ルバート・スパイラの『プレゼンス―第1巻』に

【幸福は私たちの存在にもとからある】

という一節があります。

今回はこの一節をご紹介します。

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長すぎる引用ですが、

 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

──────────────────
 
  【幸福は私たちの存在にもとからある】
 
 
 さまざまな思考、感情、行動を特徴づける
 欠乏感や不足感、
 些細であってもなくても、
 現状に対する違和感や、
 現状を変えたいという欲求を知り、
 体験するのは、
 私たちの自己です。
 
 この欠乏感は、
 不幸や苦痛として知られています。
 それは漠然と、
 時にはっきりと示される不満であり、
 私たちの体験に知らぬままに浸透し、
 現状を未来のより良い状況で起き替えるようにと
 頻繁に主張するようになります。
 
 私たちは、
 現状をより望ましい状況に置き換えようとする
 思考に気づいていますが、
 私たち自身は、
 その思考でも、
 その思考が排除しようとしている
 感情でもありません。
 欠乏感は思考のためのものであって、
 自己のためのものではありません。
 
 幸福は心や体の状態ではないのですが、
 しばしばそのように誤解されています。
 心(マインド)や体が心地よいと感じる体験は
 やってきては去りますが、
 幸福そのものは
 こうしたこととは関係がありません。
 
 幸福は、
 私たちがもつ性質でもなく、
 やってきては去る体験でもありません。
 それは本来、
 抵抗や不満のない状態であり、
 私たちの自己の自然な状態です。
 自己から切り離すことのできる
 何かではありません。
 私たちは幸福そのものなのです。
 
 『プレゼンス―第1巻』(p80-81)
──────────────────
 
> さまざまな思考、感情、行動を特徴づける
> 欠乏感や不足感、
> 些細であってもなくても、
> 現状に対する違和感や、
> 現状を変えたいという欲求を知り、
> 体験するのは、
> 私たちの自己です。

私たちは大なり小なり

現状に対して欠乏感や不足感や違和感を感じて、

現状を変えたいという欲求を体験します。

> この欠乏感は、
> 不幸や苦痛として知られています。
> それは漠然と、
> 時にはっきりと示される不満であり、
> 私たちの体験に知らぬままに浸透し、
> 現状を未来のより良い状況で起き替えるようにと
> 頻繁に主張するようになります。

この現状に対する欠乏感が

不幸とか苦痛と呼ばれるものです。

この現状に対する不満が

いつの間にか私たちの体験に影響を及ぼし、

私たちは絶えず

現状を改善したいと望むようになります。

> 私たちは、
> 現状をより望ましい状況に置き換えようとする
> 思考に気づいていますが、
> 私たち自身は、
> その思考でも、
> その思考が排除しようとしている
> 感情でもありません。
> 欠乏感は思考のためのものであって、
> 自己のためのものではありません。

ところで、

私たちはこういう改善欲求に気づいてはいますが、

私たち自身は、

その改善欲求でもなければ、

そのその改善欲求が排除しようとしている

不満感情でもありません。

というのも、

欠乏感は思考ゆえに存在しているのであって、

自己ゆえに存在しているのではないからです。

> 幸福は心や体の状態ではないのですが、
> しばしばそのように誤解されています。
> 心(マインド)や体が心地よいと感じる体験は
> やってきては去りますが、
> 幸福そのものは
> こうしたこととは関係がありません。

幸福というのは

しばしば心や体の状態のように誤解されていますが、

実際はそうではありません。

良い気分や心地よい体調といった体験は

移り変わる一時的な体験ですが、

じつは幸福というのは

そのような一時的な体験とは無関係なのです。

> 幸福は、
> 私たちがもつ性質でもなく、
> やってきては去る体験でもありません。
> それは本来、
> 抵抗や不満のない状態であり、
> 私たちの自己の自然な状態です。
> 自己から切り離すことのできる
> 何かではありません。
> 私たちは幸福そのものなのです。

幸福というのは、

私たちが所有している性質でもなければ、

移り変わる一時的な体験でもありません。

幸福というのは、

抵抗や不満のない状態のことであり、

それは私たちの自己の自然な状態です。

自己から切り離すことのできるような

何かではありません。

私たち自身が幸福そのものなのです。

──────────────────
 あれこれ考えることもなく、
 気づいている現存である真の自己は、
 現状に抵抗しません。
 それは現状と完全に、
 親密にひとつになっています。
 
 気づいている現存は、
 すべてのあらわれを肯定します。
 実際、
 すべてがここにあらわれているということは、
 現存がそれらすべてを肯定したということです。
 この肯定こそが幸福です。
 何にも抵抗せず、
 何をも求めず、
 現状をより良い何かに変えようともしません。
 
 この幸福は
 いかなる状況においてもそこにあります。
 それはあらゆる体験の自然な性質であって、
 抗ったり求めたりする思考が
 立ち上がる前からすでにそこにあり、
 そのような思考が起こっている最中であっても、
 そのような思考に
 覆い隠されていたように見えたとしても、
 そこにあります。
 
 言い換えるなら、
 幸福は平安と同じく、
 私たちの自己に本来備わっています。
 幸福は自己そのものなのです。
 
 私たちの自己がいつもここにあり、
 心(マインド)、体、世界といった
 変化するあらわれを静かに見つめながら、
 それらと親密に
 ひとつになっているのと同じように、
 自己に本来備わる幸福もまた、
 時として覆い隠されたように見えながらも、
 常にここにあり、
 すべての体験の中心にあって、
 認められることを待ち望んでいます。
 
 『プレゼンス―第1巻』(p81-82)
──────────────────

> あれこれ考えることもなく、
> 気づいている現存である真の自己は、
> 現状に抵抗しません。
> それは現状と完全に、
> 親密にひとつになっています。

「気づき」が肉体の中に閉じ込められている

という観念はマインドの誤った想像だと言いました。

肉体という主体が

「気づき」という対象物を所有しているのではなく、

絶対的主体である「気づき」が

肉体という対象物に気づいているのです。

そのような気づいている現存である真の自己は、

いかなるあらわれにも気づいています。

あらわれの現状に抵抗しません。

気づいている現存は現状と完全に、

親密にひとつになっています。

> 気づいている現存は、
> すべてのあらわれを肯定します。
> 実際、
> すべてがここにあらわれているということは、
> 現存がそれらすべてを肯定したということです。
> この肯定こそが幸福です。
> 何にも抵抗せず、
> 何をも求めず、
> 現状をより良い何かに変えようともしません。

気づいている現存は、

すべてのあらわれを肯定しています。

実際、

現存がそれらすべてを肯定しているからこそ、

すべてがここにあらわれているのです。

この肯定こそが幸福です。

絶対的主体である「気づき」は

何にも抵抗せず、

何をも求めず、

現状をより良い何かに変えようともしません。

> この幸福は
> いかなる状況においてもそこにあります。
> それはあらゆる体験の自然な性質であって、
> 抗ったり求めたりする思考が
> 立ち上がる前からすでにそこにあり、
> そのような思考が起こっている最中であっても、
> そのような思考に
> 覆い隠されていたように見えたとしても、
> そこにあります。

すべてのあらわれの背景にある

絶対的主体「気づき」のこの幸福は、

あらわれの状況如何に関わりなく

つねにそこにあります。

それはあらゆる体験の自然な性質です。

そこにどんな思考が立ち上がろうと、

その思考以前にも、その最中にも、

一見その思考に覆い隠されていたときにも

つねにそこにあります。

> 言い換えるなら、
> 幸福は平安と同じく、
> 私たちの自己に本来備わっています。
> 幸福は自己そのものなのです。

つまり、

幸福というのは平安と同じく、

「気づき」である私たちの自己に

本来備わっているものです。

幸福というのは自己そのものなのです。

> 私たちの自己がいつもここにあり、
> 心(マインド)、体、世界といった
> 変化するあらわれを静かに見つめながら、
> それらと親密に
> ひとつになっているのと同じように、
> 自己に本来備わる幸福もまた、
> 時として覆い隠されたように見えながらも、
> 常にここにあり、
> すべての体験の中心にあって、
> 認められることを待ち望んでいます。

「気づき」である私たちの自己が

変化するすべてのあらわれを静かに受け容れ

それらと親密にひとつになっているように、

自己に本来備わる幸福も、

時には覆い隠されたように見えていても、

常にここにあり、

すべての体験の中心にあって、

認められることを待ち望んでいるのです。

──────────────────
 幸福に気づくことができないのは、
 現在の体験から目を背け、
 それをより良い何かと置き換えようと
 躍起になっているからです。
 それがどのような体験であっても、
 幸福は、
 今ここにあるあらゆる体験の中心にあって、
 静かに佇んでいます。
 にもかかわらず私たちは、
 幸福を未来の状況や対象物に求めようとします。
 現状を否定し、
 そこから目を背けることこそが、
 幸福が今ここにはなく、
 未来に見つけなければならないもの
 のように見せるのです。
 
 私たちの活動の多くを特徴づける
 幸福への渇望とは、
 私たちの真の性質として本来備わり、
 いつもここにある幸福、つまり現状を否定し、
 この今を否定することで
 一時的に曇らされていた幸福を
 味わうことへの渇望です。
 
 このどこまでも続く幸福への渇望が
 満たされることは決してありません。
 幸福を探し求めること自体が、
 今ここに、
 私たちの存在の内にある幸福を
 否定しているからです。
 人は幸福を求めることで未来にさまよい、
 不幸を永続させます。
 ある詩人これを、
 「たいていの人は静かな絶望の一生を送る」
 と表明しています。
 
 『プレゼンス―第1巻』(p82)
──────────────────

> 幸福に気づくことができないのは、
> 現在の体験から目を背け、
> それをより良い何かと置き換えようと
> 躍起になっているからです。

私たちがその常在する幸福に気づけないのは

現在の体験そのものを見ようとせずに、

それをより良い何かと置き換えようとして

躍起になっているからです。

> それがどのような体験であっても、
> 幸福は、
> 今ここにあるあらゆる体験の中心にあって、
> 静かに佇んでいます。
> にもかかわらず私たちは、
> 幸福を未来の状況や対象物に求めようとします。
> 現状を否定し、
> そこから目を背けることこそが、
> 幸福が今ここにはなく、
> 未来に見つけなければならないもの
> のように見せるのです。

幸福は、

あるあらゆる体験の中心にあって、

静かに佇んでいます。

しかし私たちは、

幸福を未来の状況や対象物に求めようとします。

私たちがいま現在のあらわれを否定し、

そこから目を背けることが、

あたかも

幸福は今ここには存在せず、

未来に見つけなければならないもの

でもあるかのように見せているのです。

> 私たちの活動の多くを特徴づける
> 幸福への渇望とは、
> 私たちの真の性質として本来備わり、
> いつもここにある幸福、
> つまり現状を否定し、
> この今を否定することで
> 一時的に曇らされていた幸福を
> 味わうことへの渇望です。

私たちの普段の活動の多くを動機づけている

「幸福」への渇望とは、

事実に即して言えば、

私たちが現状を否定したために

その存在が見えなくなってしまっていた

いつもここにある幸福を

味わうことへの渇望と言えます。

> このどこまでも続く幸福への渇望が
> 満たされることは決してありません。

つまり、

この未来に投影された

架空の幸福への渇望が満たされることは

ありえないということです。

> 幸福を探し求めること自体が、
> 今ここに、
> 私たちの存在の内にある幸福を
> 否定しているからです。

なぜなら、

幸福を探し求めること自体が、

今ここに、

つねに私たちの存在の内にある幸福を

頭から否定しているからです。

> 人は幸福を求めることで未来にさまよい、
> 不幸を永続させます。
> ある詩人これを、
> 「たいていの人は静かな絶望の一生を送る」
> と表明しています。

私たちは幸福を求めることで

いたずらに架空の未来にさまよい、

不幸を永続させているのです。

だからこそ、ある詩人が言ったように

「たいていの人は静かな絶望の一生を送る」

ことになるわけです。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/

   ………○…………○…………○………

▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

   ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


  ………○…………○…………○………

キンドル本の『地球世界はかなり特殊』

手にとっていただけました?(^^;)

アマゾンに入って

【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。

読み物として面白ければと思っています。

  ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

もうあらわれの中に

幸福を求めなくてもいい。

この理解が

これからどれほどの解放となるのか。

見ていましょう。

実際に、

もう幸福を求めなくてもいいのだから。

だって、

唯一の実在する自己、

絶対的主体である永遠の「気づき」が

愛そのものなのだから。

われわれが

あらゆる活動において模索しているのは

まさにこの自分自身にほかならない。

「私は在る」。

「私は『私は在る』である」。

しかし、

私は何かには成れない。

私はあらゆるものに成れるが、

ただし本気で成ったら、

幸福には成れない。(*^_^*)

(-||-)

今日も遅くなりました。

おやすみなさい。

(-||-)


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2024 paritosho
──────────────────

home】 【挨拶】 【本棚】 【映画】 【N辞書】 【R辞書】 【随想】 【仕事】 【通信】 【連絡